植民地を通してみた英米スポーツ

    第一部

プロローグ 第1章 第2章 第3章 第4章 第5章 特集1

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プロローグ
第1章 ゲーリック・ゲームス(アイルランド編)
第2章 オーストラリアン・ルールズ・フットボール(オーストラリア編)
第3章 オーストラリアン・ラグビー・リーグ(オーストラリア編)
第4章 オーストラリアのラグビーとサッカー(オーストラリア編)
第5章 ニュージーランド編
特集1 フットボールの分化


プロローグ
(update 2007/06/24)

ブリテン諸島の地図

第1節 欧米か
第2節 英米産スポーツ
第3節 WSAPとアイルランド
参考資料@ 英国近代小史

第1節 欧米か

「欧米か」という突っ込みがタカandトシのギャグで流行っているが、「欧米か」といわれると、思わず「欧米といっても、英米と大陸欧州(ヨーロッパ)は違うよ」と突っ込みを入れたくなる。「欧米か」と一口に言っても、実はアングロサクソン系の英米と大陸欧州に二分されるのだ。

大陸欧州とは、欧州のうち英国を除く諸国、いわゆる欧州大陸の諸国を指す。英国の政治・経済・社会はいずれも大陸欧州諸国とは乖離し、むしろ米国をはじめカナダ、オーストラリア、ニュージーランドと似通った性質を持つ。国際比較にはまとめてアングロサクソン諸国(英米諸国)として、大陸欧州とは別ものとして扱われる。

例えば、近代法は、判例主義に基づく英米法と成文法を中心とした大陸法に分かれる。英米法は、イングランドのコモンローに由来し、英米のほか、旧英領だったアングロサクソン諸国で主に採用されている。これに対し、大陸法の起源は、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス帝が編纂したローマ法大全を元にしたローマ法で、大陸欧州諸国で広く採用され、日本をはじめ世界の多くの国で採用されている。

英国は、欧州大陸北西部の周縁部に位置する島国で、大陸欧州とは異なる独自の文化圏を有している。ただし、英国と大陸を隔てるドーバー海峡の幅は、35〜40qしかないため、大陸から隔絶してるわけではなく、ローマ軍の侵攻、ノルマン・コンクウェスト、英仏百年戦争と絶えず直接的な影響を受けてきた。このため、英国と大陸欧州との関係は、つきず離れずの関係にあり、現在も、英国はEU(欧州連合)に加盟しているが、欧州通貨であるユーロへの通貨統合が未だに見送られている。

現代ヨーロッパの起源は、800年のフランク王国カール大帝による西ローマ皇帝戴冠にある。カール大帝に戴冠により、ゲルマン世界とキリスト教世界とギリシア・ローマ文明の融合による中世西ヨーロッパ世界が成立する。このときのフランク王国の領域が、現代ヨーロッパの基礎となった。カール大帝のフランク王国の領域が、EUの母胎となったEEC原6カ国の領域と重なることはよく知られた事実であり、英国のあるブリテン諸島は、旧フランク王国の領域に含まれない。top

第2節 英米産のスポーツ

なんで欧米を英米と大陸欧州に二分する話をするのかといえば、近代スポーツを考えるとき、不可欠だからである。近代スポーツは、英国で誕生し、多くのスポーツが英国と米国で生まれた。主なボールゲームだけをみても、クリケット・ゴルフ・サッカー・ラグビー・テニス・ホッケーは英国産であり、ベースボール・アメリカンフットボール・バスケットボール・バレーボールは米国産である。因みに、アイスホッケーはカナダ産。

これに対し、大陸欧州産のボールゲームは、デンマークとドイツで生まれたハンドボールぐらいである。ただし、近代スポーツは英国で生まれたといっても、その多くは大陸欧州から伝えられた言われている。近代テニスは、ローン・テニスといわれ、芝生のコートで行うゲームとして、19世紀後半に誕生したが、起源は、フランスのジュ・ド・ポームという掌でひとつのボールを打ち合うゲームで、教会の中庭で盛んに行われていた。いまでも、全英(ウィンブルドン)は芝生だが、全仏は土のコートである。

サッカーやラグビーのルーツであるフットボールに似たゲームは、中世(大陸)ヨーロッパの各地にあり、それが英国に伝わったともいわれる。また、カルチョというラグビーに似たゲームがいまでも、イタリア・フィレンツェで行われており、サッカー発祥の地はイタリアだと、地元では信じられている。さらに、クリケットという言葉は、フランス語のボールを打つ棒(クリケ、クリッケ)に由来するとも言われている。

しかしながら、近代スポーツとしてのテニス、サッカー・ラグビー、クリケットは英国産には違いない。近代スポーツの成立条件(スポーツの近代化)とは、全国統一ルール、全国組織、全国大会とされるが、これには国民国家の成立と産業革命という条件が必要だった。全国の単位は国であり、国という単位がなければ、一地方のゲームで終わってしまう。

産業革命は単なる工業だけの革命ではなく、通信革命(新聞)や交通革命(鉄道)をともなっていた。新聞や鉄道の普及無くしては、ルールの統一化や全国的な組織の維持と全国大会の実現は困難であった。鉄道網の普及は、対外試合を増加・広域化させ、ルール統一化の機運を高め、ルールの統一は競技の普及を促進させた。新聞の普及も、スポーツの近代化に貢献した。新聞が前日の試合結果を、載せることにより、誰もが、試合を見なくてもその結果を知ることができるようになり、ルールの周知と競技への関心を高める結果となった。

国民国家の成立と産業革命が英米で先行したことが、英米で多くの近代スポーツが誕生した理由かもしれないが、英米で誕生した近代スポーツの多くが、未だに英米中心で行われ、世界的に普及していない点を見過ごしてはならない。英国で生まれたクリケットやラグビーが盛んな国は、未だに旧英連邦諸国が中心であり、米国で生まれたベースボールとアメリカン・フットボールが盛んな国は、米国の周辺国に限られている。

また、同じ英米諸国のなかにあっても、手を使うフットボールは、各国の歴史と国民性を反映した独自のフットボールが人気がある。もちろん米国にはアメリカン・フットボールがあり、それに似たカナディアン・フットボールがカナダにはある。アイルランドには、サッカーとラグビーの中間ともいえるゲーリック・フットボールがあり、これに似たオーストラリアン・ルールズ・フットボール(オージー・ルールズ)が、オーストラリアにある。オージー・ルールズの方が先にルールが整備されたが、メルボルンにアイルランド系移民が多かったことから、彼らの母国で行われていたフットボールを基に発達したと言われている。なお、本家である英国のラグビー(ユニオン)は、プロ化を巡って、プロ側が脱退し結局、15人制のユニオン・ラグビーと13人制のリーグ・ラグビーに分かれていった。

近代スポーツは、ルールが統一化、洗練化されいっても、競技自体がその国の土着的な風土や文化の中から生まれてきたものにおいては、競技自体に土着的な風土や文化が組み込まれ、ナショナル・アイデンティティの反映の場になっているように思う。top

第3節 WASPとアイルランド

アイルランドは、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)が支配する英米諸国の中で唯一、ケルト・カトリックの国である。WASPとは、米国での白人のエリート支配層を指す語として造られ、当初は彼らと主に競争関係にあったアイルランド系カトリックにより使われていた。現在では、アイルランドと同じケルト系でも、プロテスタントの北アイルランド人、スコットランド人、ウェールズ人はWASPに含まれることが多い。

アイルランドは、人口約390万人の小国であるが、全世界7000万人以上(米国に4200万人、その他英国、オーストラリア、ニュージーランド等いわゆる英米諸国を中心に分布)のアイルランド系移民がいるといわれ、各国で大きな影響力を持っている。

近代スポーツを育んだアングロサクソン諸国(英米諸国)のなかで、ケルト・カトリックという特異な歴史を持ち、全世界に本国人口の20倍近い移民を有するアイルランド。近代スポーツの母国である英国に隣接し、800年に渡って英国の支配された歴史を持ち、19世紀を通じては、英国ですらあったアイルランド。そこで、英米諸国におけるナショナル・アイデンティティとしての近代スポーツの歴史とその意義について、手始めにアイルランドとアイルランド移民を中心に白人移住植民地を通してみていきたい。top

参考資料@ 英国の近代小史

太陽の沈まない国

現在の英国の正式名称は、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」。1707年国教会派のイングランド王国と長老会派のスコットランド王国が合併し、グレートブリテン王国となった。新王国のナショナル・アイデンティティ、即ちブリティッシュネスは、プロテスタンティズムであり、カトリックの雄フランスとの間で、世界の覇権を争った。

これが第二次英仏百年戦争といわれるもので、最終的に七年戦争で英国側が勝利し、1763年パリ条約で終結した。これにより、フランスは北米植民地とインドでの拠点を失い、英国は、世界の覇権を確立した。北米・カリブ海植民地を中心とした第一次大英帝国(旧帝国)が成立した。植民地が世界中に広がっていたことから「太陽の沈まない国」と呼ばれた。

ところが、七年戦争の局地戦であるフレンチ・インディアン戦争に動員された北米13植民地が、英国の圧政に不満を抱き、独立戦争(独立革命)(1775-1783年)を起しアメリカ合衆国として独立。また、海外植民地を失い度重なる外征の戦費と王家の豪奢な生活などによって財政事情が悪化したフランスでは、1789年フランス革命が勃発し、絶対王朝(旧体制)が打ち倒された。

米国の独立により、英国は植民地政策の転換が迫られ、以後、インドと白人植民地(カナダ、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド)を中心とした新帝国へと移行していく。また、二つの革命から独立機運の高まっていた植民地アイルランドを抑えるため、英国は1801年カトリックのアイルランドを併合し、「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」となった。これにより、プロテスタントの国にカトリックを内包するという矛盾を抱えることになった。

ところで、マックス・ウェーバーによれば、プロテスタンティズムの禁欲的エートスが資本主義の発展に作用したとされるが、イングランド以上に激しいプロテスタンティズムの洗礼を受けたスコットランドでは、18世紀中葉、アダム・スミスが、レッセ・フェール(神の見えざる手、自由放任主義)を唱え、当時発展しつつあった資本主義を体系化した。19世紀中頃になると、英国ではアダム・スミスの自由放任主義が主流となり、穀物法と航海法が廃止され、ジャガイモ飢饉ではアイルランドの人々を見殺しにすることとなった。top

世界の工場

英国では世界に先駆けて産業革命が進展し、世界の工場と呼ばれた。英国では、18世紀ダービーによるコークス製鉄法の開発、ワットによる蒸気機関の開発、改良を契機にして工場制機械工業の発達が促され、18世紀中頃から木綿工業をはじめ、機械製造工業、その原料の鉄の精錬業、さらに鉄の溶解や蒸気機関の燃料に用いられる石炭採掘など、労働集約的な工業部門が飛躍的に発達した。

大規模な機械工業が発達すると、大量の原料・製品・鉄鉱石・石炭などを輸送する必要から、18世紀後半には英国内に運河が張り巡らされたが、19世紀に入ると、1814年スコットランド人スチーブンソンが蒸気機関車を発明し、これ以降、公共の陸上輸送機関として鉄道が普及した。また1807年に米国人フルトンが試作した蒸気船は河川や海上における運輸・交通に新時代をもたらした(交通革命)。

英国では、イングランド北部やスコットランドに石炭と鉄鉱石の大鉱脈がありこれらの産地、もしくは、綿花・鉄鉱石の輸入と工業製品の輸出の基地として港湾都市が工業都市として発展した。また、安価な労働力が大量に工業都市に集中する事によって都市化が進展した。こうして、産業革命により人口が爆発的に増加した都市として、イングランドのリバプール、マンチェスター、バーミンガム、スコットランドのグラスゴー、ウェールズのカーディフ、アイルランドのベルファストなどがある。

こうした社会的な変動は、社会制度そのものに大きな変化をもたらした。都市化は、かねてから進行していた囲い込みと連動して従来の農村のコミュニティを崩して、新しい都市のコミュニティの形成が行われた。なお、英国では、18世紀から人口爆発(急激な増加)が続き、移民先としての白人植民地が求められていた。top