「国民に信を問う」。そう突然言われ、何を問われているのかよくわからないまま迎えたきょうは投票日である。

 どのような社会に生きたいか。そのためにはどのような道筋があるのか。候補者の言葉に耳を澄ませ、有権者ひとりひとりが自分の頭で考え、身近な誰かと議論し、時に候補者に打ち返す。その契機を提供することが、選挙に期待されるひとつの役割だ。そのような過程をくぐらずに、社会の紐帯(ちゅうたい)を編み、「私」の中に「私たち」という感覚を育むことは難しい。

 思いを託す。

 思いをくみ取る。

 有権者とその代表たる政治家の間にある大事な回路がいま、切れてしまっているのではないか。政治家が単なる政党の「頭数」として、有権者が単なる「一票」としてのみあるならば、政治という、本来いかようにもふくらみゆく可能性にあふれた営みはやせてしまう。

 この道しかない?

 党利党略を超える意義を見いだしづらい選挙である。ならばせめて、「私」と、「私たち」と、その代表を選ぶということの意味を考える機会にしたい。

■社会の中の分断線

 クリスマスを控え、街のあちこちはイルミネーションに彩られている。幻想的な光の渦の中で、家族連れは記念写真を撮り、恋人たちは手をつなぎ、満ち足りた表情を浮かべている。

 東日本大震災が起きた2011年、夜は一段暗かった。被災地から遠く離れた街でも、街頭を明るく照らす自動販売機を見ればなんとなく申し訳ない気持ちになり、エアコンを入れる時は、彼の地で暮らす知らない誰かに思いをはせた。「絆」とか「日本人として」とか大上段に構えなくても、同じ国に暮らす者としての共感、「私たち」という感覚があったように思う。

 さらにさかのぼれば、民主党への政権交代後しばらくは、沖縄の米軍基地の問題も、「私たち」の問題だった。誰かに負担を押しつけて知らん顔をする、それでいいのだろうか、と。

 「私たち」は真剣に考えたのではなかったか。この国はこれからどのような道を歩むべきなのか。本当の豊かさとは何だろうか。だが、そんなことがあったという社会的な記憶すら、もはやあいまいだ。「私たち」はほどけて「私」になり、ある部分は政治的無関心へ、ある部分は固くて狭い「日本人」という感覚にひかれてゆき、気がつけば、この社会にはさまざまな分断線が引かれるようになった。

■分かち合いは可能か

 「死ね」「殺せ」「たたき出せ」。街頭にあふれ出す、特定の人種や民族への憎悪をあおるヘイトスピーチ。雑誌やネット上に躍る「売国奴」「国賊」の言葉。選挙戦では、特定の候補者の名誉にかかわる悪質なデマが、ネット上で拡散された。

 線の「あっち側」を攻撃したり排除したりすることで得られるのは刹那(せつな)的な連帯感。それを政治的資源にしようとする政治の動きも目立ってきた。

 今回の選挙では、個々の政策への賛否とは別に、「私たち」をどう再び築いていくかという問いが、政治家だけでなく、有権者ひとりひとりにも投げかけられている。

 利益を配分すればよかった時代から、負担を配分しなければならない時代に入ったと言われて久しい。しかし、被災地の復興にせよ、社会保障にせよ、「私たち」の感覚が失われた社会では、誰かに負担を押しつけることはできても、分かち合うことはできない。

■決める道具ではなく

 とはいえ、そんなことを言われるほどに気鬱(きうつ)になり、棄権に傾く人もいるだろう。いったい何を選べというのか。そもそも自分が一票を投じたところで、いったい何が変わるのか。

 確かに一票は、限りなく軽い。ただ、「私」の一票が手元を離れ、「私たち」の民意になることには意味があり、それは選挙の勝敗とは違う次元で重んじられなければならない。一票が群れて民意を成す。そこに政治を変える可能性が生まれる。

 民意は数の多寡だけではかられるべきものではない。1990年代の政治改革以来、多様な民意を反映させることよりも、「決める」ことこそが政治だという政治観が広がった。

 政治家も、有権者も、民意というものへの感受性を鈍らせ、勝ち負けを決めるための、ただの「道具」のようにとらえる向きがあるのは、おかしい。

 「私たち」は道具ではなく、この国の主権者である。自信と誇りをもって、自らに代わって議する者に、意思を示し続けなければならない。

 信頼できる人に入れる。好きな政党に入れる。勝敗にコミットしたければ、小選挙区ではより勝たせたい方に入れる。やり方は自由だ。

 一票を投じる。政治が本来持っているはずの豊かさと潤いを取り戻すための一歩として。