「報道スクープSP激動!世紀の大事件II」
オープニング (その他)
テレビが伝えた激動の時代…今だから明かせるその新事実を紹介する…。
報道スクープSP激動!世紀の大事件II (ニュース)
1994年4月26日、広島対巨人のナイター中継中、中華航空140便が着陸に失敗したとの情報が伝えられ、その後名古屋空港から炎上する様子が生中継で伝えられた。現場のカメラは毛布に包まれたおびただしい数の遺体の映像を捉えていた。死者264人。
中華航空140便は墜落までの2分間、通常ではありえない急上昇・急降下という不自然な過程を経ていた。奇跡的に助かった7人の生存者は事件の衝撃からこれまで口を閉ざしていたが、現在台北市に暮らす生存者の男性が当時のことを語った。
当時ツアーの添乗員として働いていた男性はあの日も中華航空140便に搭乗した。乗員乗客271人、半分ほどが日本人の機内は観光客も多く賑やかだったという。墜落の2分前、体が座席に押し戻されるという最初の異変がおき、男性は心配していなかったが、それは副操縦士が緊急レバーを誤って引っ掛けたミスによる水平飛行の衝撃だった。とっさにパイロットは自動操縦に切り替えたが、機体は大きく揺れ始める。自動操縦で上昇しようとする機体をパイロットは手動で着陸させようとし、不安定な状態になった機体は、コンピュータの判断でエンジン全開で急上昇を始めた…。
報道スクープSP激動!世紀の大事件II (ニュース)
中華航空140便墜落事故を、生存者の証言をもとに紹介。中華航空140便はエンジン全開で急上昇を始めたため、男性は重力に耐えられず意識をも失ったという。かろうじて意識を保っていた日本人生存者は、エンジンから火が吹き出したのを見たという。一瞬の静寂のうち機体は急降下し墜落した。コンピュータ優先のシステムを改めさせたのは、失われた264人の命だった。
1999年1月、横浜市大病院は手術患者を取り違えるという前代未聞の医療事故をおこし、刑事事件にも発展した。今回はあのときの男性執刀医が初告白する。
当日の朝、男性の普通の1日がスタートしていたが、すでに心臓を手術予定の田中さん(仮名)と肺を手術予定の近藤さん(仮名)が同じエレベーターで手術室に運ばれていた。人手不足で病棟の看護師1人が運び、手術室の看護師が勘違いを始める。田中さんは左耳が難聴で「近藤さん」との呼びかけに曖昧に答えたという。患者とカルテを別に引き継ぐシステムであったため、取り違えたまま近藤さんが手術室に運ばれ、麻酔医は疑念を抱き始めていたが、そこに今回証言している男性執刀医が現れた…。
報道スクープSP激動!世紀の大事件II (ニュース)
横浜市大病院患者取り違え事故を男性執刀医の証言などをもとに紹介。手術室にいるのは心臓を手術予定の田中さん(仮名)なのかどうか麻酔医は疑念を抱き始めていたが、そこに現れた男性執刀医は「髪が短いのは散髪をしたのだろう」という痛恨の思い込みで、肺を手術予定の近藤さん(仮名)の心臓の手術が開始。同じころ田中さんも切る必要がない肺の手術も行われた。手術後集中治療室の医師が体重から疑念を抱き、取り違えが発覚した。
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報道スクープSP激動!世紀の大事件II (ニュース)
横浜市大病院患者取り違え事故を男性執刀医の証言などをもとに紹介。手術後に取り違えが発覚、男性執刀医にも伝えられ、何も考えられない状態になったという。病院はこれを機に様々な改善を行った。男性はメスを手放し、いまもあの日の記憶を反芻し続けているという。去年報告された医療事故は3049件。
このあと白昼堂々の惨劇…「豊田商事 会長刺殺事件」…明かされた詐欺商法…。
FNN NEWS Pick UP オープニング (その他)
FNN NEWS Pick UPのオープニング映像。
FNN NEWS Pick UP (ニュース)
明日投票日を向かえる衆議院選挙にむけ各党の党首らが最後の訴えを行った。明日の投票は一部の投票所を除き午前7時から午後8時まで。
中国が南京事件が起きた日を国家の追悼日と定め、その初めての式典が行われた。習近平国家主席は、歴史認識で日本を牽制する一方日中関係の重要性を強調した。
元王妃の国葬に参列するためベルギー・ブリュッセルを訪問していた皇后さまは今日午後帰国し羽田空港へ到着した。
あすの天気 (ニュース)
あすの天気を伝えた。
報道スクープSP激動!世紀の大事件II (ニュース)
大阪市内のマンションで男2人組が報道陣に取り囲まれていた。男2人組は報道陣に取り囲まれる中で部屋にいる豊田商事の会長を包丁で刺し殺害、公開処刑と当時そう呼ばれた。殺された豊田商事会長は戦後最大級の詐欺集団を率いた総帥で、異様な朝礼風景を撮影した映像を伝えた。豊田商事の営業マンはありもしない純金を売りつけ、その代わり預り証を客に渡し利息として現金を払い客を信用させていた。被害総額は2000億円以上で、営業マン同士を互いに競わせ強引な営業へと突き進んでいった。
事件の後始末をした大阪北区の破産管財人の元には今も豊田商事の内部資料として来店した客に見せていたであろう金塊や社員教育に使われていたビデオテープが残されている。テレホン業務と書かれたビデオには、電話対応に関する講習会の様子が収められていおり、その電話こそが詐欺への第一歩で送り込まれる営業マンの男たちには徹底的に営業テクニックが叩き込まれた。児玉弁護士は家の中に入るのが第一番で、上がり込んだら5時間トークをし半強制的にお金を巻き上げていたという。
報道スクープSP激動!世紀の大事件II (ニュース)
戦後最大級の詐欺組織豊田商事の悪徳営業指南テープが存在する。そのテープには、ウソに心を痛めるなと教えこんでいた。客が純金を持つ資金がないといえば、率の悪い貯金を良い方に移し替えるだけと話し、主人に相談したいと返ってきたら相手のいうことは肯定し、今度は否定に入り貯金の面ではあなたがボスだと伝えろと教育していた。そして相手の家で電話を借り他のお客さんが買い増ししているということをお客さんに聞こえるように言い客を煽り、最終的には土下座をすれば契約がとれるという。
裁判の資料には当時の豊田商事営業マンの給与明細が載っておりトップは歩合だけで6000万以上であった。会長も税の限りをつくしていた。当時の被害者側の弁護をしていた大深弁護士は、会長は金の亡者だったと話した。
2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件が発生。攻撃の実働部隊は19人のテロリストたちで4機の旅客機をハイジャックしワールドトレードセンター、国防総省、ホワイトハウスに飛行機ごと突っ込もうとしていた。同時多発テロは、はじめは彼らの思惑どおりに進みワールドトレードセンターが相次いで崩落。しかし4機目だけはなぜかホワイトハウスに到達しなかった。アメリカ同時多発テロに関する全更新記録にはハイジャック機のコックピットや管制塔などの緊迫した肉声が集められている。911独立調査委員メンバーのファーマー教授は、あの状況で正しい状況とウソを見極めることが難しかったと話した。
あの日の朝、ニューアーク空港のユナイテッド93便に乗っていた4人のテロリストたちは機内前方のファーストクラスに席を取っていた。最前列にはこの日のために飛行機の操縦訓練を重ねてきた男も座っていた。ユナイテッド93便は42分遅れ出発。テロリストたちはいきなり乗客の1人を切りつけコックピットへ向かった。この時から93便の応答は途絶えたが管制官は無線トラブルを疑い情報を求めていた。出張を終え自宅に帰ろうと飛行機に乗っていた会社員の男性は、緊迫する客席で妻に連絡を取り飛行機がハイジャックされたことを伝えた。
この時はまだハイジャックの目的が自爆テロだとは誰一人気づいていなかったが、男性が電話で妻に状況を伝えると別のハイジャックされた飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んだことを聞かされ、自爆テロだと知った。しかし男性は諦めず、乗客たちとコックピットへ乗り込みテロリストたちと戦った。飛行機は墜落し生存者は0人だったが、ハイジャックされた4機の中で唯一地上での犠牲者を出すことは無かった。
2000年12月30日、世田谷区に住む一家4人が惨殺される事件が発生した。当時の事について杏林大学の教授はこれまでの事件とは違うとしており、あふれる情報に溺れた事件だという。
事件当日、一家4人は家族団らんの時間を過ごしていた。夜が老けた頃、長男は2階の子供部屋、主人は1階の仕事部屋、ロフトでは母が長女を寝かしつけようとしていた。この時、犯人は風呂場から侵入し長男を窒息たあと、主人を柳刃包丁で狙っていた。
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2000年12月30日、世田谷区に住む一家4人が惨殺された事件。犯人は長男を窒息死させた後、10時50分に主人を柳刃包丁の頭と太ももを刺した。その後、母と長女がいるロフトへと向かい2人を刺した。この2人はかろうじで生きており、母は長女の止血を行ったとみられる。そんな2人を見た犯人は再度刺し死に至らしめたとみられる。
東京未来大学の教授はこの事件の犯人像について、普通の社会では絶対に得られないような強烈な刺激を求めていると解説した。
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2000年12月30日、世田谷区に住む一家4人が惨殺された事件。犯行後、キッチンへと移動した犯人は一仕事終えたかのようにお茶を飲んでアイスを食べたとみられている。その上、午前1時20分ごろから主人のパソコンを使ってミュージカル公演の予約サイトを見ていた。財布の中からは現金20万円を奪い、何故か母の遺体には顔を隠すかのように洋服がかけられていた。このほか、浴槽に家中にある領収書を放り込むなど異常な行動がみられた。
これまでのどのような犯罪にも似ていない今回の事件。今回の取材で元捜査関係者が口にした犯人像がある。今見つかっている狂気が全てであれば犯人は日本人で、一家に恨みを持つ顔見知りだったとされる。現在も犯人は捕まっていない。
2006年4月10日、当時9歳の女の子の遺体が秋田県・藤琴川で発見された。その1か月後には女の子と中の良かった男の子が惨殺された。犯人は女の子の母親で、日頃から娘を邪魔に思っており橋の上から突き落としたという。更に、疑いを他にそらすため、男の子の首を絞めて殺害していた。
幕を下ろしたかに思えた事件だが、当時の母親の精神鑑定を行った医師は現在も疑問を感じている。鬼母とされていたが、実際に会ってみると弱そうな感じで娘の死ぬことを願っているような人じゃなかったという。1997年6月、離婚間もなかった母親は生後7か月の女の子を抱え藤里町で暮らし、当時は24歳だった。
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2006年に秋田で発生した連続児童殺害。被告の母親と娘の仲睦まじい写真が残されている。そんな母親は事件の1年前、生活保護を頼りに生活を続けていた。この頃、母親は不眠症に苦しみ生活のリズムは崩れ娘の朝食も作らなくなっていた。当時、実母に頼っていた母親は毎日のように実家で風呂と食事を娘に食べさせていた。
ある日、母親は娘への手紙を残し大量の睡眠薬を飲んで自殺を考えた。しかし、自殺に失敗、その後に事件当日が訪れた。きっかけは娘の「川に魚を見に行きたい」という言葉だった。
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2006年に秋田で発生した連続児童殺害。事件のきっかけは娘が川に行きたいと言い始めたことだった。川の橋に到着後、母親は”一緒に死ねる”という思いで娘を橋から突き落とした。その後に後を追うつもりだったと見られるが、心は罪の意識と死への恐怖に押しつぶされた。そこであまりの精神負担に記憶が飛んだのだと、母親を精神鑑定した医師は予想している。
1999年7月、全日空の機長が刺殺されるハイジャックがおきた。日本で初めて死者を出したハイジャック。犯人は自ら機体を操縦し超低空飛行を繰り返したが、機内では決死の奪還劇が繰り広げられていた…。
当日、ほぼ満員の全日空61便が羽田空港から離陸。機長はベテランパイロットが務めていた。コックピット後方の2階客席、夫婦の隣にどこかただならぬ気配を漂わせた男が座った。夫の男性が証言、あの夏の時期に男が白い手袋をはめていて違和感があったと話した。離陸直後、男は立ち上がり包丁を手に乗務員を促しコックピットを開けるよう指示、「ハイジャック犯を刺激しない」というマニュアルのもと機長は扉を開けた。
犯人の男は事件前空港の警備体制の不備を指摘しており、この指摘を自ら証明しようと犯行に及んでいた。男は伊丹空港で包丁入りのかばんを預けたあと羽田に向かい、羽田空港で荷物を受け取ってすぐ61便に搭乗した。男は伊豆大島方面へ向かわせたが、高度が低く乗客も異変に気づき始める。コックピットでは副操縦士が締め出されたが、機長は無線のスイッチを入れ犯人との会話を管制室に伝えた。伊豆大島で再び旋回した機体だが、男の本当の目的は男の操縦でレインボーブリッジをくぐり抜けることだった…。
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全日空 機長刺殺ハイジャック事件について乗客の証言などをもとに紹介。犯人の男の本当の目的は男の操縦でレインボーブリッジをくぐり抜けることだった。男は操縦をかわるよう要求を続け、機長は懸命に時間を稼いだが、焦れた男は包丁で機長を刺した。機体は揺れ高度を下げ、そのとき行われていた高校野球地区予選の映像でも機影を捉えるほどだった。
このままでは墜落すると悟った乗客たちの声を受け、たまたま居合わせた非番の機長はコックピット突入を決意、乗客たちも自らを鼓舞した。機体は地上から200mまで降下、非番の機長が突入すると、血まみれの機長のとなりで男が操縦桿を握っていた…。
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全日空 機長刺殺ハイジャック事件について乗客の証言などをもとに紹介。たまたま居合わせた非番の機長や乗客が突入すると、血まみれの機長のとなりで男が操縦桿を握っていた。乗客が無我夢中で男を引き剥がし確保、非番の機長が機体を立て直し墜落は免れた。乗客乗員は全員無事。男は無期懲役判決。のちに空港警備が改善されハイジャックは起きていない。当時の乗客は、マニュアルがあるのは当然だがそれで乗り越えられるものは大した危機ではないと話した。
1996年12月にペルーで日本大使公邸占拠事件が発生し、死傷者を出した。事件発生時に天皇誕生日祝賀レセプションが行われていたが、武装ゲリラによって公邸は占拠。犯行グループのMRTAは人質と引き換えに服役中のメンバーの釈放を要求し、リーダー格の男は要注意人物として知られていたため人質の安全が懸念された。要求に応じなければ人質を殺害すると脅迫していたため、人質の1人だった齋藤慶一さんは死を覚悟したという。
日本大使公邸占拠事件の人質は数ヶ月もの監禁生活を余儀なくされ、生活に必要な物資も余りなかったという。一方でペルーの特殊部隊は救出訓練を行い、赤十字によって支援物資が運びこまれた。人質だった日本人らは整理整頓を欠かさず、狭い生活環境でもダンボールなどを使って即席の下駄箱などを作った。そして毎朝になるとラジオ体操を行い、日本人の人質は日本にいる妻から届いた差し入れを他の人質だけでなく武装ゲリラに配っていた。ゲリラのメンバーは年端のいかない若い者ばかりで、多くは貧困地区の出だった。生きるためにゲリラ組織に身を投じたが、事件を通じて彼らは日本という異文化に触れることとなった。
次回予告 (その他)
来週の「土曜プレミアム」プリンセストヨトミの番組宣伝。
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日本大使公邸占拠事件で人質だった1人の酒井芳彦さんはピアノを弾いていると、ゲリラ組織の若いメンバーが教えを請うた。酒井さんは隙をついてメンバーから銃を奪うことができたが、抵抗せずに積極的に弾き方を教えた。公邸外ではペルー政府が対応に追われるなか、公邸内ではゲリラのメンバーが日本人の習慣を真似るようになっていた。若いメンバーは毎朝のラジオ体操に参加し、人質と将棋で対局するなど、徐々に日本の魅力に惹かれていた。だが事件発生から127日目、ペルー政府は強行突入を開始した。
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日本大使公邸占拠事件発生から127日目、ペルー政府は強行突入を開始した。要求を受け入れられなかったとしてゲリラ組織は人質に発砲し、警官隊との銃撃戦が繰り広げられた。だが年端のいかない女性メンバーは共同生活してきた日本人の人質を撃つことができず、日本人は処刑を免れて続々と公邸から全員が生存して脱出。ゲリラメンバー日本に魅力を感じていた2人を含めてゲ全員が死亡し、この事件を契機に犯人が人質に対して親近感を抱く「リマ症候群」が生まれたという。
1988年~89年にかけて連続幼女誘拐殺人事件が発生し、犯人は次々と幼児を手にかけてその遺骨が入ったダンボールを遺族に送りつけた。事件当時、犯人は26歳で、好きだったアニメやテレビ番組の録画に没頭し、その撮りためたものを鑑賞することが趣味だった。一方で少女の盗撮という悪癖も併せ持ち、徐々に幼児に触れていみたいという欲望を募らせていった。そして1人で歩道橋を歩く幼女の姿を偶然にも発見した。
提供 (その他)
報道スクープSP激動!世紀の大事件II (ニュース)
1988年~89年にかけて連続幼女誘拐殺人事件が発生。当時26歳だった犯人は一人で歩道橋を歩く幼女を発見し、涼しい所に行こうと誘って幼女と歩いた。だが数十分後に幼女は泣き始め、犯人は殺意を覚えて絞殺。犯行後に怖くなり、遺体を隠そうとせずに現場からすぐさま立ち去ったが、翌朝目覚めると撮影器具を揃えて遺棄現場へと戻った。そして遺体を弄んだ様子を自ら撮影し、番組などを録画した自室のビデオテープの棚へとおさめた。
報道スクープSP激動!世紀の大事件II (ニュース)
1988年~89年にかけて連続幼女誘拐殺人事件が発生。犯人は歩道橋を
エンディング (その他)