37 再会
志郎はスポーツドリンクの重さでたわむレジカゴを注意深く運び出した。
そのとき初めてグラウンドが賑やかだったことに気付いた。
「そういえば午前中、別で埋まってるって言ってたな……」
だから女子サッカー部の練習試合は午後からなのだ。
グラウンドに向かって熱の入った声援が送られている。
志郎は熱気に惹かれてフェンスに駆け寄った。
ピッチにいる選手は男子中学生たちだった。
ボールが蹴り上げられると、砂埃が舞う。
当たりの重さ。
駆け出す強さ。速さ。
女子とは違うエネルギッシュな攻防に志郎は釘づけになる。
緑のフェンスをわし掴むと、身体ごとぐっと網目に顔を押し付けた。
青いユニホームのFWがボールを受けた。
ガタイのいい選手だ。
途端に応援席の声援に熱がこもり、逆サイドから悲鳴が上がった。
「止めろ! 早く止めるんだ!」
狂ったようにベンチから指示が飛ぶ。指示を待つまでもなく三人の選手が彼の前に躍り出た。
三方を塞がれたFWは足を止めたが、躊躇せず踏み出す。
マークを物ともしない力強いスタートダッシュだった。
反則ギリギリの体当たり。
彼は逆に弾き飛ばして前へ前へ進む。GKが前に出た。
「馬鹿……っ!」
志郎は舌打ちした。
ゴール前はガラ空き。
ボールは派手な音を立ててゴールネットに刺さった。
審判が試合終了のホイッスルを鳴らす。
選手たちは整列して「ありがとうございました!」と挨拶を終えると、サッとベンチに戻った。その間、志郎は微動だにできなかった。
血管から暑くなるような不思議な感覚。
ピッチを駆ける選手たちの熱が、観戦しただけの自分に飛び火したかのようだった。
志郎は試合中に抱えたままだったレジカゴを慌てて木陰に置く。
直射日光でスポーツドリンクが傷んでしまったのかと心配したが、実際に志郎が観戦していたのは5分もなかった。
5分間だと思えないほど濃縮された試合だった。
選手の一人がこちらに来た。ずるずるっとスパイクを引きずる独特な歩き方だ。
日光を反射する青いユニホームと中学生離れしたそのガタイの良さで、あの派手なパフォーマンスをしたFWだとすぐにわかる。
志郎はゾッとして反射的に水飲み場の陰に隠れた。
しかし運の悪いことにFWの目的地も水飲み場だった。
足音は止まり、キュッと盛大に蛇口が捻られる。
「あ~、マジでだりぃ……」
低く唸るような声が聞こえた。
彼は頭から水をかぶっているようで、志郎が隠れている裏側にも派手に雫が飛んできた。
「お疲れさ~ん!」
女子の声がして、男子FWは蛇口を止めた。
志郎はその明るい声音を知っていた。興味に駆られて少しだけ首を伸ばす。
予想通り、フォーミングアップ前なのだろう、白地に袖が水色のユニホーム姿の翼がいた。サラサラの髪には水色のヘアバンドをしている。
FWは翼を一瞥すると、相手に聞こえるように舌打ちした。
「チッ。なんだよ、つまらねぇな、姉ちゃんかよ」
「なんだとは、何よ。お姉さまがわざわざ褒めに来てあげたんじゃない! 始まるまでは、だるいだるいって言ってた割りに、すごく頑張ってたよね!」
「あんな弱いやつらに何を頑張るんだよ」
「素直に受け取りなさいな。すぐ突っかかってくるんだから! 本当にかわいいやつだなぁ!」
翼は腰に手を当てて、深い溜め息をついた。
「私はやっぱりサッカーをやってる颯太が一番カッコイイと思うよ? 変にツッパッてるよりもね」
「ッうるせぇ!」
FWがわざと大きな音で舌打ちした。
志郎は翼が口にした名前に反応する。
「えっ、颯太……、颯太くん……?」
つい言葉に出してしまい、志郎は慌てて口を塞いだ。
しかしすでに遅く、二人の視線は完璧に志郎の方へロックオンしていた。
志郎は警察に投降する犯人のように、両手をこめかみの高さまで挙げて立ち上がった。
颯太と翼が同時に声を上げた。
「ハチ子!?」
「ハチくん!?」
「いいえ、志郎です!」
志郎は手を挙げたまま、叫ぶ。
そして慌てて頭を下げた。
「すみません、立ち聞きするつもりではなかったんです」
「何それ! まるで私と颯太が悪いことをしてたみたいじゃない!?」
翼がくすくす笑って、時代劇のように「面を上げ~!」と言った。
志郎は恐る恐る顔を上げた。
ガタイのいいFWの髪は目が覚めるほどのオレンジ色になっていた。
ちらっと排水溝を見やると、水が黒く濁っている。颯太はヘアカラーで一次的に髪を黒くして試合に出ていたのだ。
「先公たちが、髪を黒にしないと試合に出させないとか、うるせぇこと言うからだ! ジロジロ見てんじゃねぇよ!」
颯太はそうまくし立てるとガシガシとタオルで頭を拭いた。
志郎はヘビに睨まれたカエルの如く怯えて「ごめん」と目を逸らした。
翼が不思議そうに志郎と颯太を交互に見比べた。
「あれ? あんたたち、知り合い?」
「え、あ……はい……あの」
志郎は慌てて答えたが、詳細を突っ込まれる前に別の話題を振る。
小学生時代のクラブであったことを誰かに知られたくはなかった。
「お二人はご姉弟なんですか? 今さっき颯太くんが『姉ちゃん』と」
颯太がギロリと志郎を睨みつけた。
志郎は「ひっ」と飛び上る。
しかし翼はケラケラと笑って説明してくれた。
「私は颯太のいとこだよ。サッカーを先に始めたのは私。颯太は美人でかわいくて頭のいい私を追っかけてサッカーを始めたの!」
「その虚言癖は犯罪者レベルだぞ」
「ああ! そのくせに、いつのまにか私よりもこんなに図体と態度がでかくなっちゃって! あのころのかわいかった颯太はどこっ!?」
「あ~うざい」
翼は演技じみたオーバーアクションで颯太のユニホームにすがった。
颯太が何度も「うざい」と本音を零すと、翼は問答無用に颯太のすねを スパイクの爪先で蹴った。躊躇ない攻撃に、あれは痛い、と志郎は目を閉じて心の中で同情した。
突然に翼が「あれ?」と首を傾げた。
そしてポンッと手を打って、颯太を見上げた。
「どっかで聞いた覚えがあると思った、『ハチ子』! 颯太と同じクラブだった子だよね!?」
颯太がギョッとした。
志郎もサッと青くなった。しかしすぐに観念して頷く。
「ハイ……そうです。でも、すぐに辞めましたけど」
そして真っ直ぐ颯太を見上げる。
「さっき、颯太くんの試合を見たよ。男子のサッカーはやっぱり迫力が違うね。三人も止めに入ったのに颯太くんは全然動じなかった……」
「当り前だ。売られたケンカは倍で返す」
颯太は顎を上に向けて、志郎を見下した。
志郎は自嘲した。
「諦めて正解だった。俺みたいなやつが続けても無駄だ。あんなの怖くて仕方ない。……それとも万が一続けていたら俺も颯太くんみたいになれたのかな」
「いや、それは無理でしょ」
翼がツッコミを入れる。志郎はじとっと翼を見る。
「ツッコミ早くないですか?」
「え? えへへへへ」
翼が頭を掻いて誤魔化した。
志郎は両足を揃えて姿勢を正すと、翼に向き直った。
「翼さん! 本日は胸を借りさせていただきます。俺たちは負けるつもりはありません。練習試合、よろしくお願いします!」
腰から曲げて頭を下げる。そして踵を返して走り出した。
小さくなっていく背中に翼が苦笑した。
「普通に『胸を借りる』って頭を下げる子を初めて見たよ! しかも男の子に言われると、ちょっとゾクッとしちゃったなあ~」
「それは変態だろ」
颯太が茶化すと、翼は颯太の脛にスパイクを当てた。颯太が苦悶の声を上げてしゃがみ込む。
翼は腕組みをして仁王立ちになって颯太を見下ろしたが、すぐに吹き出す。
「それにあんなに丁寧にされると、私、謙虚だから困るんだけど」
「謙虚って単語を調べ直せよ。姉ちゃんは腐っても女子なんだから少しはあいつを見習えば」
「……そうだね、見習わないと」
翼はその場で屈伸運動をすると、
「いい感じにこちらのエンジンを温めてくれたね。油断してたよ、カワイイ顔して挑発してくるとは! 負けるつもりがないのは、私たちもだよ!」
嬉々として口の端を舐めた。
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