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ゆれるタイトロープ 作者:霧乃倫敦

第22話 ドナ・ドナ


しばらく父子のキャッチボールを眺めた後、ボクはいい加減帰ろう、と踵を返した。もう、陽は西の稜線に沈みかけている。と、その時、ポケットでケータイが3度震えて、止まった。
開けてみると、「すぐ、来い」という短い文面の後に、市内の中心部にあるデパートの正面玄関が指定してあった。
ボクはケータイをゆっくりと閉じ、それを握り締めた。

加賀美さんと暮らし始めて一ヶ月。今まで何事もなく過ぎてきたのが不気味だった。今、初めてこんな呼び出しを受けて、とうとう、それも終わるのだと思った。
覚悟はできている。……つもりだ。
加賀美さんがただ、自分の愛玩用の為だけにボクを飼っておくはずがない。そんなことはじゅうぶんわかっていて、彼の元にいるボクだ。
だけど、いざ本当にそのときが来てしまうと、やっぱりボクの内心は、ざわざわと恐怖に揺らいだ。
さらなる奈落で待っているそれに、うまくまみれることができるだろうか。加賀美さんより酷いヤツだったらどうしようという恐怖に、逃げ出してしまいたかった。



気持ちを落ち着けるのに、しばらくかかった。
握りしめていたケータイをポケットにしまい、マンションに帰ろうとしていた足を、駅へと向けた。

ローカル線の小さな駅の改札は自動改札などではなく、駅員が立っていて、ひとりひとり切符を切っている。プラットホームに上がると、強い風が吹きつけた。左右を見ると、夕日に照らされ、金色に染まった風景の遥か彼方でカーブする線路がどこまでも見えた。

車内でボクは座席に座らず、入り口付近に立って、流れる窓の外の景色を見ていた。
電車が市内に近づくにつれて、車窓の景色はのどかな田舎のそれから、ビルの林立する都会のものへと変化していく。
途中、女子高生の一団が、必死でしゃべりながら乗ってきた。彼女たちは、電車の中でもそのトーンを落とすことなく、かしましい。

ふと視線を感じて、少し離れた所に陣取っている彼女たちのほうを見た。と、やはりその中のひとりがボクを見ていて、目が合った。瞬間、「きゃっ!!」と叫んで、そのコは友人たちとさざめき合った。そして再びこちらをチラ見している。
なんだ、感じが悪いな。と思いつつ、視線を窓に戻して、ボクははっと思い当たった。そして、思わず体ごと、彼女たちに背を向けた。

うかつだった。ボクの首筋には昨夜の跡が、まだ残っている。きっと、彼女たちはそれを目ざとく見つけたのだ。
昨夜も、だったのに、加賀美さんは今朝も出掛けにボクを求めた。ボクの身体に彼の触れていない場所は無い。
ボクは身の置き所の無い恥ずかしさに、身体中が熱くなるのを感じた。

「あん、ばか!気ィ悪くしちゃったじゃない」

「チャンスだよ!謝りついでにホントのとこ、聞いてみようよ」

「え~っ!」

彼女たちのますますヒートアップしていくざわめきを背中で聞いて、ボクはいたたまれない思いに、握り棒を手が震えるほど強く握り締めた。

ついに、彼女たちが大挙してこちらにやってくる気配にボクは思わず逃げ出した。

「すみませ~ん」

「あのぉ……!」

行く手を阻まれたけど、かまわずボクはそのコを押しのけようとした。

「もしかして、タレントさんですかぁ? でなきゃ、シンガーとか?」

「アクターズ入ってたりしてますぅ?」

「……え?」

何のことかわからなかった。

「カッコいい人がいるって、ずーっとウワサしてたんですっ!」

「ガッコどこですか? ……てか、行ってます?おもいっきし茶髪だけど」

彼女たちの眼が、キラキラしていた。
畳み掛けるように次々と浴びせられる質問に、ボクはひとつも答える事ができないまま、電車は駅に着き、ボクは開いたドアから逃げ出した。



改札を抜けるボクの気持ちは複雑だった。
彼女たちはボクを“カッコいい”と言った。ものすごく意外だった。そして、なにかうすら寒いものを感じた。

ボクは加賀美さんが用意した服を着て、加賀美さんが指定したカットサロンで髪を切った。何も言わないのに、ヘアカラーも施された。ちゃんと風呂にも入っているし、ちゃんと食べて、それなりに体重も戻った。
加賀美さんは一ヶ月かけて、ボクを磨いたのだ。そのまま売るには、あまりにもみすぼらしかったので。
そして、今日。メールは来た。



指定されたデパートに向かって歩くボクの頭の中を、ある曲が流れていた。

~ドナドナ~

どうしてボクは、こうしておとなしくメールの指示に従っているのだろう。
それは、ボクがまだなんの力も知恵もない、ただの石ころだから。
今ここで逃げ出して他の場所へ転がっていったとしても、またそこで新たな泥にまみれるだけだとわかってしまったから。
一ヶ月の間、ボクはずっとシベリウスを聴きながら、どうしたら落ちてしまったタイトロープの上に再び戻れるだけの力と知恵を得られるのか考えていた。
でも今のボクにとって、それは、永遠に答えなど見つけられそうにない途方もない難題だった。

デパートの玄関前で、壁に寄りかかっていた加賀美さんがボクを見つけ、ゆっくりと身体を起こし、笑った。

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