2014-12-12
佐々木高政「英文構成法」の結びにある名文
(佐々木高政「英文構成法」、結びより)
「はるけくも来つるものかな」である。これでもう諸君は英作文の第一歩を立派に卒業したと言って差し支えない。ここまでまじめに練習を積んで来られた方は、「やさしく、素直な、しかも英語の調子に乗った英文」を書くコツを少しは会得されたはずである。この態度は最後まで持ちつづけていただきたい。日本人の悪い癖で抽象的なむずかしい言葉を使うほうが「偉そうに」見えるため、当人にもハッキリしない、読む者にはサッパリわからない文章が盛んにあちこちで書かれるが、この癖を英語に持込まれたのではやりきれない。それを読まされる不幸な教師は厭世観をいだくに至るであろう。戒むべきは独りよがりの「独創」である。外国語でものを書く時の「独創」ほど剣呑なものはない。英語には一語一句の末に至るまでその用い方には何かしら「きまり」がある。それを辞書などで確かめる労をうるさがって、ものは試しとばかりむずかしい語句を並べて得意になっているのではいつまでたっても、唐人の寝言である。
次には「気取り」である。英国の文人などの名句を妙な場合に借用したりすると、ドテラ姿にシルクハットをかぶったようなことになる。覚えたての American Slang を交ぜれば田舎者のベランメエとなる。決して自分の力以上に見せかけようとしてはいけない。私達はやさしい言葉を使ってわかりやすく素直に書けば、それでいいのである。そのように書かれた英文を手本にするがいい。それには平素英文を読む際「自分がこれを書くとしたら」という気持ちを常に持って取り組むのである。そうしてこそ始めて他人の文章に active interest を持つことができ、「うまいものだ、とても自分には考えも及ばん」とため息が出るようになる。がやがて「ハハアここをこんな風に書いているのはあのためだったのか。なるほどここではこの語句がピッタリだ。このところはこの運び方が一番よい。随分苦心したろうなぁ」などとわかって来る。そうしたら、しめたものである。作文的読書を続けると筆はグンとのびて来る。
最後に「英語らしい調子」である。これはなかなか正体をつかまえにくいが、たしかに存在する。学生の英語演説を音の流れだけに耳をすませていると、その草稿は見なくても、英文になっているか、いないかの見当がつく。もっと手近な例はいわゆる idiom である。これをほかの言い方に変え、二つを読み比べるとすぐにわかる。この調子を身につけるにはなんと言っても「耳から」である。だから立派な英文をできるだけ朗読すること、ラジオやレコードやテープなどでいろいろな英語をできるだけ聴くことである。私はそれにまさる方法を知らない。
しかし、もちろん読むばかりでは書けるようにはならない。読んでは書き、書いては読むのである。そして書いたものはあらゆる角度から眺め手を入れる習慣をつけることである。「多読と多作、精読とあくなき推敲」が私達の motto とならねばならない。もっとも過ぎる話ではあるが、'Practice makes perfect.'(習うより慣れろ)とも言うように、一にも二にも練習で、それ以外に上達の途はない。こうした心構えで、諸君が地味で苦しいこの道を、倦まず撓まず(うまずたゆまず)、一歩また一歩と進んで行かれることを私は心の底から祈るものである。