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アリィ 作者:慧子

ホラー映画のような


きっと誰も待ち望んでなどいなかったであろう文化祭の日がやって来た。

午前中は、精神を不安定にする吹奏楽部の演奏と、さっさと記憶から削除してしまいたいほど痛々しい演劇の観賞会。

終わってから疲労のため息が出たのは言うまでもない。

さすがのアリィも、いつになく疲れた顔をしている。

「最悪。つまらなかったね」

私が言うと、「そうだね」と力ない返事しかしてこなかった。

これから給食と昼休みをはさんで、午後からは各教室の展示物の見学。

自由に行動していいことになっているから、適当にぶらぶらして時間をつぶそう。

そう提案すると、アリィも同意してくれた。

しかし、昼休みも終わりかけたころ。

『生徒のみなさんに連絡です。午後から自由行動が予定されていましたが、変更します。
先生の指示が出るまで、教室で待機していてください。繰り返します……』

予期せぬ校内放送によって、私達は教室に縛りつけられることになった。

とりあえず、みんな席についてはみるけれど落ち着かない。

先生の指示、と言われたけれど、廊下を伝ってくるざわめきからして、どのクラスにも先生は現れていないようだ。

「何があったの?」

「さぁ……」

みんな顔を見合わせては首をかしげていたけれど、次第にそれにも飽きてきて、わいわいと騒ぎ始めた。

集団なんて、こんなものなのだろうか。

あれだけの準備をさせたのに、いざその成果を披露するときになって、こんなに無為な時間を作るなんて。

学校とは得てして無駄に思えるようなことばかりさせられる場所ではあるけれど、いくらなんだってこれはおかしすぎるだろう。

すごく、胸騒ぎがしていた。

「ねぇ何かおかしいよ、コレ。絶対何かあったんだって」

不安を吐き出したくてアリィに耳打ちしたけれど、アリィはお絵かきに夢中で気のない返事すらしてくれない。

カリカリカリカリ……

無心にシャ-ペンを動かす音に、私の不安は更に膨れていく。

それをあざ笑うかのように緊張感をなくしたクラスメート達は、悪乗りを加速させ、

「紙飛行機大会!」

なるものを始めた。

「いけぇ!」

私の脇をいっせいに紙飛行機が飛んでいく。

ノートの切れ端で乱雑に作られたらしいそれらは軌道が定まらなくて、行きたい方向に進めたものはほとんどいなかった。

大多数がすぐにぱらぱらと散っていった中、ふらつきながらも飛び続けている一機にみんなの視線が集まった。

まっすぐに飛んでいたかと思うと急降下したり、はたまた上昇したり……その一挙一動に歓声があがる。

「すげー飛ぶな、あれ!」

いつ、落ちるのだろう。

行方を追っていたら、ついに紙飛行機は教室前方のドアにぶつかった。

落ちた。

そう思ったのと同時に、ドアがいきなり開いた。

そこから現れたものを見た瞬間、心臓が半分に縮んだ。


頭から真っ黒な液をしたたらせた女が、教室に入って来たのだ。


貞子。

有名なホラー映画の、井戸から出てくる、あの貞子。

まさに、そんな風貌だった。

紙飛行機の行方を追っていた者達はもちろんのこと、前の席にいた女子が短い悲鳴をあげて、そこから異変を察知する波は広がる。

教室は、あっというまに恐怖に包まれた。

貞子は黙ったまま、液をしたたらせて自分の制服や床を黒く染めるばかり。

恐い。

これで突然白目をむいて奇声を発したりでもされたら、絶対に誰かの心臓が止まる。


「……あのさ」


貞子がしゃべった!

……いや、貞子じゃない。

このかすれた品のない声には聞き覚えがある。

黒い液にまみれた顔をよく見ると、それは、ノアだった。

あの例の問題児三人組のひとり。

幽霊やおばけじゃなくてよかった、なんて安心できない。

あの事件以来、一体なにをしていて、どういう経緯でこんな姿になり、今ここにいるのか。

そして、カナエとミオはどうしたのか。

いつもつるんでいるところしか見たことがないので、あの三人組のうちの誰かを単体で見るのはめずらしい。

疑問は山積みだが、この空気のなか問いかけられるほどの図太い神経は持ち合わせていない。

何であるにせよ、縁起のいい用事ではなさそうである。


「この前」


また、ノアがしゃべった。

「この前、何か言った奴がいるの、このクラスでしょ」

この前、何か言った奴。

それだけで、クラス中の視線がアリィに集まった。

あの『負けないで事件』。

それがどれほど強い印象を残していたのかうかがえる。

私も、あの日のことを思い出していた。

たしかノアは、ひとり最後まで靴箱の入り口の前に残り、誰かを探しているようだった。

「負けないで」と叫んだ、誰かのことを。

視線を集める本人は、まばたきもせずに固まっている。

言葉はなくとも、答えは一目瞭然である。

「アンタなの?」

なんと答えるのだろう、なんて考えさせてくれる暇もなく、アリィは勢いよく何度もうなずいた。

こいつは考えないのだろうか。

あの発言が相手の不興を買っていたら、とんでもない目に遭わされるのではないだろうか、とか。

カナエ達の味方をすることで、周囲にどう見られるようになるのか、とか。

考えないだろうな、と思った。

それは私がよく知っていることじゃないか。

今更アリィにとって他人など、どうでもいいのだ。

あの日叫んだのだって、好きな人への告白と同じようなもので、ただ自分の気持ちを打ち明けるのに勇気を要しただけで、周りの目など、考えちゃいないんだ。

考える必要もない。

この教室にアリィの居場所なんて私しかなくて、その私はアリィがどんなことをしようとアリィを嫌悪するだけだったのだから。

ノアは、偉そうに腕組みをしてドアにもたれかかった。

そして、不敵な笑みを浮かべアリィに言った。


「アンタも、ウチらと一緒に行かない?」


アリィの表情が、みるみる輝きだす。

あのときの言葉が、気持ちが届いたんだわ。

そんな喜びをまき散らしながら、意気揚々と席を立った。


「待って!」


私はとっさに引き止めていた。

だって、ノアの真意がまだ分からないし。

何かひどいことをされるかもしれないし。

今は先生が来るまで教室で待機してなきゃいけないし。

それに、それに……とにかく行っちゃダメだ。

しかしアリィは私の方を見向きもせずに、列の少し乱れた机の合間をぬって、多くの奇怪の目を気にもとめず、ノアに駆け寄って行った。

高い位置で結んだポニーテールが、左右に跳ねながら遠ざかる。

痛みが、走った。

今までなら、アリィがどうなろうと別にいいじゃない、と強がっていられた。

でも、今は違うんだ。

そもそもアリィが私から離れて行くなんて、考えたこともなかった。

そう、アリィから寄って来たのに。

私を束縛していたのはアリィだったのに。

なのに、私を置いて行くのか。


「アリィ!」


前のめりに立ちあがって叫んだけれど、その後ろ姿はノアと共に廊下の向こうへ消えていった。

どうしよう、どうしよう……頭の中がうるさいくらいの音を立てて混乱している。

その音に気を取られていると、逆に周囲の静寂が耳について我に返った。

負けないで。

あの日そう叫んだアリィに向けられていたのと同じ種類の視線が、私を刺していた。

愕然とする。

私は、嫌われ者を押しつけられている可哀想な子、なんかじゃなかった。

決定的に突きつけられた現実。

私もアリィと同じ、嫌われ者の、退け者だった。

そんな片割れが、行ってしまった。

追いかけることもできない。

だって、アリィは私を見ようとしなかった。

まともに頭が回らない。

痛いほど冷めた空気の中、打ちひしがれた私はうつむいて、音もなく座ることしかできなかった。



結局、自由行動はお流れになった。

教室や廊下に貼られた展示物は、それを作った生徒各々で撤去するようにとのお達しが出た。

そして、それを終わらせたらすぐに下校、とのことだった。

「せっかくみんな頑張って完成させてくれたのに、ごめんね」

どこか疲れた顔をしている麻生先生が、つらそうに言う。

絶対に何かあったはずなのに、そしてそれはおそらくノア達に関わりのある出来事で、さらにはどこかへ行ってしまったアリィにもつながることであるだろうに、麻生先生は何も言わない。

ただ、ごめんね、と言うだけだ。

クラスメート達はためらいながらも、おとなしく文化祭の後片づけを始めた。

私も、教室の後方、一番右端に貼りつけてある広用紙を片づけるべく、その前に立った。

『生活排水が自然環境に及ぼす影響』

そのタイトルの下には、私とアリィの名前が寄りそっている。

たしかに、これを書いたのは全部私だけど、二人の作品だったはずだ。

ここに貼るときだって、一緒に貼ったのに。

棚によじのぼり、広用紙の上部を止めているセロテープをはがす。

右はじを取って、左はじも取ると、ぱしゃん、と大きな音を立てて広用紙は私の足元へ丸まって落ちた。

その音に反応した周囲の子が、いっせいに私のほうを見る。

誰も、何も言わない。

「やだゆっぴー、何してんのぉ?」

くねくねしながら私の肩を叩いてくる者など、ひとりもいない。

先日やっと導入された新しいエアコンのおかげで教室内は適温に設定されているはずなのに、ひどく寒く感じる。


そうだ。

これが、『孤独』だ。


入学当初、無理をして集団におさまろうとしていたのも。

アリィを押しつけられたまま決定的に突き放すことができなかったのも。

目立つこと、はみ出すことを嫌悪していたのも。

これ、そう、つまり『孤独』が恐かったからだ。

父に裏切られ。

アリィに見捨てられ。

これが、私が恐れていた『孤独』だ。


ひとりぼっち。


「……みじめ……」

誰にも聞こえないくらい小さな声がもれた。

そんな私を見ている子なんて、もう誰もいなかった。
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