事件
アリィと『親友』になって、一年とちょっとが過ぎた。
空気は澄み、風が冷たくてコートが恋しい季節。
学校は間近に迫った文化祭の準備であわただしい。
まあ、文化祭といっても出店やバンド演奏のような一般的にイメージされるものとはかけ離れていて、合唱部の不協和音を聞かされたり、生徒会役員による風紀向上目的の目も当てられない劇を見せられたり。
あとは生徒がそれぞれ進路学習や各教科で研究したものをまとめた紙が廊下に貼ってあったりするだけ、我が校の文化的なお祭りとは、そんなお粗末なものだった。
私は、アリィと一緒に『生活排水が自然環境に及ぼす影響』について調べることになっている。
「教科書に書いてあること写せば終わりだから、簡単でいいよね」と、アリィが決めたのだ。
それなのに、内容をまとめるのも、グラフを作成するのも、それを広用紙に書きあげるのも、すべて私が押しつけられている。
つくづく他力本願な奴だ。
最近のアリィといえば、お絵かきに夢中だ。
文化祭の準備のために与えられた時間になると、ノートを取り出し私を放ったらかして熱心に絵を描き始める。
その内容は、すべて『ギャル』。
金髪縦ロール、パンダメイク、短すぎるスカートに魔女のような長い爪……似たような『ギャル』の絵を何枚も何枚も描いている。
それでも飽き足りないようで、暇があれば雑誌で見た『ギャル』のファッションについてウンチクをたれてくる。
「あのね、黒目を大きくするコンタクトレンズがあるんだよ」
「見せブラは、せっかく見せるんだからシンプルなのよりレースがたっぷりついてる方がいいと思うの」
「やっぱりゴールドメイクはブロンズ肌に映えるよね。今年の夏に焼いておけばよかった」
さも昔から知っていることのように話しているが、どうせ付け焼刃の知識。
ちょっと突っこんだ質問をすれば、きっと答えられなくて怒り出すのだろう。
しかし私にそういう方面の知識がまったくないものだから、突っこみようがなくて口惜しい。
下手をすれば「えー、ゆっぴーそんなことも知らないのぉ?」なんて鼻で笑われかねない。
だいたいアリィに言わせてみれば『ギャル』という呼び方さえ古いらしいのだ。
そんなこと言われたって私にしてみればそういうジャンルの人間は『ギャル』としか呼びようがないので改めるつもりはない。
私の無知につけこんでさらに薄っぺらな知識を語り出しかねないアリィに、私は三秒おきに「うん」「へえ」「そうなんだ」を繰り返してやり過ごすことにしていた。
アリィは、一度ハマると徹底してハマる性質だ。
自己紹介のときに好きだと公言していたとおり、持ち物はプリンセスグッズばかり。
教科書や絵の具セット、さらにはプリントの一枚一枚にまでプリンセスシールを貼りまくっている。
どこまでも情熱的……いや、病的なのだ。
嫌な予感がしていた。
アリィのことだから、お絵かきだけで済まされるはずがない。
以前『ギャル』であるカナエ達をしきりに羨んでいたこともあったし、もしかしたら……
「ゆっぴー、ちょっと」
「……え?」
「ペン。早く紙から離さないと、どんどんにじんでるよ」
視線を落とすと、清書用の広用紙が黒インクの海になっていた。
私はどうやら紙に油性ペンの先を押し当てたままぼうっとしていたらしい。
「あ……」
「げぇっ、どうするの?紙は一班に一枚しかくれないって、先生言ってたよ」
何もしてないアンタに責められる筋合いはないよ。
にらみつけたけれど、なんと変わり身の早いことか、当人はすでにお絵かき集中モードに入っていて、この視線に気づきもしない。
やる気が失せた。
どうせ時間は余っているんだ。
私は外でも眺めていることにした。
この教室の窓からは、正門がよく見える。
門からは赤レンガで出来た広い歩道が伸びていて、水はけがいいように校舎から門の外へとなだらかな坂になっている。
周りにはイチョウや名の知らない広葉樹が幾本も立っていて、歩道沿いにはパンジーやベゴニアなど学校では定番の花が植えられたプランターが並んでいる。
しかし冬の気配がしている今は、プランターの花は枯れ、イチョウの落ち葉が降り積もっている。
レンガの赤と落ち葉の黄のコントラストが綺麗なこの景色は、私のお気に入りだ。
レンガの歩道は時計台が立っている場所から二股に分かれている。
門から見て左に行けば校舎、右に行けば運動場に出る。
登校時間には、この道の分かれ目、時計台の下に体育科で生活指導主任の五十嵐先生が必ず立っていて、毎日こりずに生徒の服装チェックをしている。
何もなければそのまま校舎に入れるのだが、チェックに引っかかると一度運動場に集められ、始業のチャイムが鳴ってから一時間目の授業が始まるまでのあいだ説教をくらわなければならない、という仕組み。
しかも、その後一週間は放課後にトイレ掃除の罰が待っている。
生徒達にとって、そこはまさに『運命の分かれ道』なのだ。
まあ、校則を破ろうなんてたくらみのない私にとっては、そこはただの道でしかないのだけれど。
今日も相変わらず美しい景色。
冷えた空気のおかげで、多数の生徒の怨念をはらんでいるだろう『運命の分かれ道』さえも、何もかもが澄んで見える。
こんな景色を眺めているだけでいいのなら、死ぬまで学生でいたいな……なんて、そんなの夢物語だけれど。
実際はこんなにつまらない学生生活、早く終わってしまえばいいのに。
私はあと何年学生でいなければならないのだろう。
高校を卒業するまで、あと四年半。
大学まで行くとしたら……あと八年半!
考えられない。
その時々で環境は変わるだろうけれど、行き先に集団生活があることには変わりない。
だとしたら、面倒な人間関係というものは必ずつきまとってくるわけで。
考えたくもない。
大学には行かないことにしようか……。
いや、待てよ。
じゃあ高卒で就職しなければならないのだろうか。
でも私にはあと四年そこそこで就職できるような人間になっている自信がない。
働くなんて、まだはてしなく遠い未来のことだと思っていたのに。
このままじゃ、無理に決まっている。
それじゃあフリーター、最悪ニートになるしかないけれど、そんな格好悪いのは絶対いやだ。
だとしたら残る選択肢はただひとつ、結婚、しかない。
これが一番非現実的のような気がする。
私のことを好いてくれる殿方など現れるのだろうか。
なんだかんだ思いめぐらせているけれど、どの道を選んでも結局、生きて人間をやっている限り人間と関わらないでいられる方法はないことに気づく。
ああ、私はこれから先の人生どうすればいいのだろう、お先真っ暗だ……。
私の中身はよどんでいるから、美しいものを眺めているときでさえ脳内はこんなにドス黒いものが渦巻いている。
その汚い思考が外にあふれ出していやしないか心配になって、頭をぶんぶん振ってみた。
もちろん何も飛び散らなかった。
ため息をつくと、今までの美しい景色に水を差す人工的な金色の髪をきらめかせて、正門から三人の『ギャル』が校内に侵入してきているのを確認した。
派手な女子高生が中学校に何の用だろう。
不思議に思って目をこらすと、その三人の正体に気づいて私は思わず声をあげた。
「嘘、何あれ」
「えっ、なになに?」
野次馬根性丸出しのアリィが瞬時に反応して窓にはりつく。
その速さに突っこむのさえ忘れた。
女子高生だと思った三人組は、あの隣のクラスの問題児、カナエとミオ、ノアだった。
いくら『ギャル』だといっても所詮まだ中学生、あの三人が金髪と呼べるほど明るい色に髪を染めてくることは今までなかった。
格好も女子高生ほど完璧にあか抜けてはいなかったのに、それがどうしたことだろう。
今の彼女達の姿に幼さはもう、ない。
五時間目なかばであるにもかかわらず、後ろめたさを微塵も感じさせない堂々の登校である。
「なにあれ、どうしちゃったんだろう」
何かしらの返事を期待してつぶやいたのだけれど。
反応がない。
たしか誰かさんが傍にいたはず……。
「アリィ?」
隣に目をやると、やはりアリィは窓にはりついていた。
いるなら返事くらいしてよ。
「ちょっと、アリ……」
肩をつつこうとして、やめた。
窓の外、カナエ達を見つめるアリィの目に、私は背筋が凍った。
興味津々とか、食い入るようにとか、そういう表現では追いつかないレベルの、もはや狂気が漂っていたのだ。
本当にビームでも出しそうな勢いで見つめている。
そこには何者であっても入りこむ余地などない。
アリィがピラニアに見えて、なぜだろう、腹の底で違和感がうずいた。
「お前ら、なんだその格好は!」
聞き覚えのある声がして、ふたたび外を見た。
運動場からカナエ達の元へ、誰かが走ってくる。
あれは。
「ヤバい、五十嵐じゃん!」
振り向くと、いつの間にか教室中の生徒が押しつ押されつ身を乗り出して、窓を開け放して外を見ていた。
物好きな野次馬達は白い息を吐きながら、この事件の行方を小波のざわめきで見守っている。
「カナエ達あの格好どうしちゃったの?」
「ついにここまで来た、って感じ?」
「うわぁ。五十嵐、怒りまくってんじゃん」
「どっちが勝つのかな」
なにを面白がっているのだろう。
もめ事に遭遇したときの、この緊迫感が私は嫌いだ。
自分が当事者ではなくでも、世界がどんどん縮んで動けなくなって、息もできなくなる。
それでも気になって見てしまう、裏腹な心理。
恐いもの見たさとは、こういうことか。
なんだかんだ言いながら、私も野次馬のひとりだった。
くしくも、カナエ達が捕まっていたのは、あの『運命の分かれ道』。
何を言っているのか詳しくは聞き取れないが、話題の輪郭、なにやら争っていることは分かる。
五十嵐先生の太く厳しい声と、カナエ達のかんしゃくを起こしたような甲高い声が、校舎の壁に交互にぶつかり反響してうわんうわんと渦巻き、伝わる振動が窓を小刻みに揺らす。
アリィはというと、窓と同じくらい小さく震えていた。
なぜ、アンタがそこまでこの出来事に親身になる必要があるんだ。
また違和感がうずく。
とたん、飛び交っていた声色が変わり、教室中が色めき立った。
「痛ぇよ、放せこのヤロウ!」
少し目を離していた隙に、事態は急変していた。
五十嵐先生がカナエの髪の毛をわしづかみにして、どこかへ引っぱって行こうとしている。
たぶん、体育教官室か職員室にでも連れて行くつもりなのだろう。
カナエは必死に抵抗しようとしているが、頭を揺さぶられて思うように動けていない。
そんなカナエを助けようと、ミオとノアが五十嵐先生の腕を引っぱったり背中を殴ったりしているが、体格のいい体育教師にはまったく効果がないようだ。
「ひどいよ、あれはやり過ぎだって」
背中から女子の泣きそうな声が聞こえてきた。
たしかに、私もそう思う。
でも、それを止めさせる術も勇気も、私達にはない。
あまりの出来事に、体が震えてきた。
権力に逆らうと、こうなるのだ。
「やめろよ!」
「こんなことしていいと思ってんのかよ!」
もう誰も口をきけなくて、ミオとノアの怒声だけが虚しく響く。
もみ合っている四人の姿が校舎へ消えて見えなくなろうとした、そのとき。
「負けないで!!」
悲痛な叫びが鼓膜をつらぬいた。
アリィだった。
みんなの視線が、一気にアリィに集中する。
呼吸のために大きく上下している肩が、今の一言に要した勇気の大きさを物語っている。
物語っているのだが、教室に漂っているのはその勇気への賞賛ではなく、肩すかしでも食らったかのように白けた空気だった。
異常に緊迫した雰囲気に、今の一言はあまりにも突拍子がなかった。
いたたまれなくなって、私は下を向いた。
その先には偶然、靴箱の入り口の前でひとりこちらを見上げているノアの姿があった。
ほかの三人は、すでに校舎の中へ入ってしまったようだ。
さっきのアリィの叫びを聞きとって、その発信元を探しているのだろうか。
少なくとも私には、そういうふうに見えた。
ノアは、ぎゅっと下唇をかみしめて、すぐに三人を追って校舎へと消えて行った。
「こら、みんな席を立って何してるの?」
壮絶な事件のあと、さらに白けて、みんなが動くのを忘れていたところに麻生先生がやって来た。
「文化祭の準備のために自習時間をあげていたのよ。
ちゃんと自習できないなら、いつも通り授業をしますからね」
麻生先生は、今この教室の下で何が起きているのか、まだ知らないらしい。
みんな重々しく黙って席につく。
しかし、アリィだけは立ちあがったまま動こうとしない。
「……アリィ、座りなよ」
おそるおそる声をかけると、心ここにあらずではあるが、アリィは素直に席に座った。
私は何か言おうとしたけれど、できなかった。
たぶん返事は期待できなかったから。
違和感が、うずく。
涙腺がきゅんきゅん鳴く。
だからって泣きはしないけれど、なんだか無性に苦しい。
アリィがカナエ達に興味を示しているだけ、ただそれだけのこと。
別に不都合はないじゃないか。
それなのに、この体に現れる反応は何なのだろう。
答えを探ろうとすると、思考が先へ進むのを拒んでしまう。
力んでも力んでも、もどかしく空振りしてしまうばかり。
疲れる。
なら放棄すればいい。
私は残りの自習時間、広用紙の真っ黒にしてしまった部分を修正液で白く塗りつぶす作業に無心で取り組んだ。
つまらないけれど続けていけば、そのうち黒は白に戻った。
何かしら成果があるのなら、無駄に力むよりマシだと思った。
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