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アリィ 作者:慧子

夏の終わり


アリィの宿題は私の多大な尽力により、二日間で見事に片づいてしまった。

というわけで、約束通り、お泊まり会最後の今日は朝から二人で出かけることになった。

「準備できたよぉ」

と脱衣所から出てきたアリィは、また明らかに一枚着忘れている下着のような姿で、なんとなく嫌な予感がしていた私はあらかじめ用意していたカーディガンをはおらせた。

どんなに嫌がっても力づくで、と思っていたけれど、案外アリィはそれを気に入ったらしい。

「へへへ、ゆっぴーの匂いがするー」

ご機嫌なのは結構なことだが、感想が感想なだけに、今すぐ返してほしくなった。

気持ち悪い。

でもそのままの格好でいられるより何倍もマシだと言い聞かせて出かけた先は、駅前のデパート。

この田舎で遊ぶ場所といったら、ここくらいしかないのだ。

アリィの希望で、服屋をひやかして回る。

黒に金に銀、さらには蛍光色と、目に痛い配色の内装が並ぶ。

この階には、いわゆる『ギャル系』と呼ばれる種類の店が集まっている。

どうやらこういう感じがアリィの好みらしい。

「わぁ、あのショップ店員さんチョーかわいい!お人形みたい!」

その細い目がハッキリ輝いていると分かるくらい、うらやましそうに見つめているその先には、アリィと変わらないくらい肌を露出した、でもそれが板につくほどのオーラをまとった美人がいた。

たしかに、彼女はこういうファッションが似合っている。

でも、それはこの空間でのみ許されることで、外に出たらやはり痴女だ。

「ゆっぴーもさ、そんなダサいのじゃなくて、もっとオシャレすればいいのに」

相変わらず失礼なことを、と思ったけれど、今日の私の服装と言えば、よれたTシャツにやぼったいキュロットパンツ、そして汚れて白が茶色に変色している学校指定のスニーカー。

ダサいという自覚は充分にあるので、アリィの言うことはごもっともである。

でも痴女になるくらいならダサいままで、私はいい。


フロアを一回りしたところで、ふとアリィが思い立ったように声を上げた。

「あ、ゆっぴーちょっと待ってて!」

そしてひとりで店の中に入って行ってしまった。

なんでも一緒にしたがるアリィが、めずらしいこともあるものだ。

ひとり残された私は、することもなくて店の前でぼうっとしていた。

じゃらじゃらキラキラした小物が所狭しとならんでいる、どうやら雑貨屋らしい。

「おまたせぇ」

ほどなくして雑貨屋から出てきたアリィの手には、もこもこしたものが二つ握られていた。

「ほら」

差し出されたのは、こってりした顔のクマのマスコットがついたキーホルダー。

「ピンクがアリィで、黄色がゆっぴー!」

舌を出したクマのいたずらっぽい表情の、なんと憎たらしいこと。

「かわいいでしょ、流行ってるんだよ」

これのどこが可愛いの?

「つけてあげるね」

ねだられるままに、バッグを差し出してしまう私。

手元に戻ってきたバッグには、ぶらぶら揺れるクマの顔。

「……ありがとう」

もらって、しまった。

アリィも自分のバッグにクマをくくりつけて、これ見よがしに揺らしている。

「おそろいだね!親友の証!」

どこまでも嬉しそうだ。

親友の、証。

私は自分のバッグについたクマと、アリィのバッグについたクマを何度も見比べてみる。

やっぱり可愛くない。

可愛くなんて、ない。


そろそろ昼時なので、食事をすることになった。

エスカレーターでフードコートへ向かう。

「アリィね、ケーキバイキングに行きたい」

「そんなんじゃ、ご飯にならないでしょ」

「でもご飯食べたらケーキいっぱい食べらんないもん」

「ケーキはお腹いっぱい食べるもんじゃないの」

やいのやいの言い合っていたら、なにやらにぎわう階に差しかかった。

ひしめきあうおばさん達。

北海道の物産展が催されているらしい。

「わぁ、楽しそう。ちょっと見て行こうよ」

誘っているのではない、これはもう決定事項であり命令だ。

だから言い終わる前にアリィは、おばさんの群れへと駆け出していた。

「ちょっと待ってよ!」

私はアリィの背中を追った。

私達は携帯電話を持っていないから、こんな場所ではぐれてしまえば絶望的だ。

でもこの年で迷子センターにお世話になるわけにはいかない。

押し合いへし合いおばさんの波をくぐり抜けて追いかけて行くと、人がまばらな場所に出た。

そこでアリィは突っ立って、一点をじっと見つめていた。

その視線の先には。

「……メロン」

美しい網目模様をまとった淡い緑色の球体が、白いふわふわの台座に威風堂々と鎮座している。

その脇に添えられた値札を見て、なるほどこの辺りに人が寄りつかない理由をおおいに理解した。

この値段じゃあ、庶民はそうそう手を出せない。

しかし、アリィはその高級メロンから目を離そうとしない。

よほどメロンが好きなんだろうか。

奇遇じゃないか。

私もメロンは大好きだ。

このときの私は、ちょっとおかしかったのかもしれない。

この指はまっすぐにメロンを指差し、口からはためらいなく言葉がするりとこぼれた。


「これ、ください」


これには、さすがのアリィも目をむいた。

「ゆっぴー!?今なんて?」

そばにいた売り子のおばさんも、小汚い子供が何を言ったのかしばらく理解できなかったらしいが、私が財布から諭吉を二人のぞかせると、あわてて商品の梱包に取りかかった。

桐の箱に入れられ、その上からしゃれたレースがかけられ、さらにしっかりとした紙袋に納められ、厳重に守られてメロンは私の手元にやってきた。

ずっしり重い。

この重みが面映ゆい。

「帰って食べよう」

そう言うと、アリィは手を叩き、目を輝かせた。

「ゆっぴー、カッコイイ!」

得意げな私と飛びあがって喜ぶアリィを、店員はひきつった顔で見ていたけれど、そんなのどうでもよかった。

このとき私は初めて散財の快感を知った。


アリィが一行日記に予言していたとおり、雲ひとつない快晴。

おかげでまがまがしいほどの太陽光に焼かれながら、それでも私達の足取りは軽かった。

「ねえ、アリィにも持たせて!」

「落とさないでよ」

「きゃあ、重いねぇ!」

テンションが上がりすぎて奇声を発するアリィにも、このときばかりは腹が立たなかった。

私も今までにないほど気分が高揚していたから。

だから、そのせいだ。

暑苦しい蝉の鳴き声が、まったく気にならないのも。

街が色づいて見えるのも。

アリィの言う『親友の証』とやらがバッグで揺れているのが、そんなに嫌ではないことも。


それから私達はクーラーのきいた部屋で、半分こにしたメロンを食べた。

オレンジ色の果肉は宝石みたいに綺麗で、スプーンを入れると果汁が滝のようにあふれた。

「おいしい!すごいね、おいしいね!」

「うん」

「すごい、すごい!」

アリィは一口食べるたびに「すごい」と言って、私はそのたびに「うん」とうなずく。

勢いのままあっという間に私達は皮のぎりぎりまで実を食べ尽くした。

それだけでは飽き足らず、アリィは皿にたまった果汁を飲み干し、意地汚く皿の底までなめ始めた。

「アリィ汚い!」

そう言いながら、私も皿の底をなめた。

「ゆっぴーもやってるじゃん!」

「もったいないじゃん。だって高級なんだよ」

「そうだよ、もったいない!」

二人で皿をなめる。

ものすごくお行儀が悪いとは分かっていたけれど、やめられなかった。

こうなっては私もはしゃいでいたのだと、認めざるを得ない。

アリィはきゃっきゃと笑った。

ずっと笑っていた。



アリィを駅まで見送って、お泊まり会は終わった。

長かったようで短かったような三日間。

大きなバッグを二つ抱えてよろよろ去っていった背中は、心なしか満足そうに見えた。

安堵のため息をつく。

不思議なのは、あんなに嫌で嫌でたまらなかったのに、終わってみればそんなにストレスがたまっていないということだ。

散財したから?

それともメロンがおいしかったから?

きっとそうだ。

そう自分を納得させて我が家へ帰ったら、自分の部屋が異様に広く感じた。

心なしか雰囲気も変わってしまった気がする。

……この部屋、こんなに寂しかっただろうか。

と考えて、すぐに打ち消す。

これじゃ、アリィがいなくなって私が寂しがっているみたいじゃないか。

そんなことは絶対にない、慣れない人の気配に触れて感覚がおかしくなってしまっただけで、これは来たのがアリィじゃなくても誰でもこうなっていたに違いない。

そう、そうに決まっている、と言い聞かせつつ、違和感をぬぐえないまま夏休み最後の一行日記に取りかかる。

くるくると頭を働かせ、ふっと思い浮かんだまま鉛筆を走らせた。

『台風も過ぎれば寂しいものです』

読み返して戦慄する。

私は何を書いているんだ!

あわてて力いっぱい消しゴムをかけた。


背中に一筋の汗が伝う。

乱れる呼吸にツクツクボウシの悲鳴が交差する。


夏休みが、終わっていく。


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