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アリィ 作者:慧子

お泊まり会


「わぁ、ここがゆっぴーのお部屋かぁ」

ついに、このときが来てしまった。

アリィが、私の部屋にいる。

他人なら誰だって嫌なのに、よりによってバカみたいに背中の開いた服を着た、アリィが。

私の部屋に。

絶望に打ちひしがれている私をよそに、アリィは物珍しそうにキョロキョロとしている。

そんなに見たって、何もない。

本棚をすっきり片づけたこの部屋は、いつにも増して殺風景になっていた。

もはや、ただの四角い箱だ。

何か感想が、いや文句が言えるのなら言ってみろ。

じっと身構えていたら、アリィは突然両手を広げた。

そしてその場でくるりと回って。

「すごい綺麗、広い、踊れそう!」

そう言って、ひとりでケラケラ笑いながら部屋中を駆け回り始めた。

踊れそう、じゃない、すでに踊っている。

かなりはしゃいでいるようだ。

何が楽しいのか分からないから、不気味でしようがない。

見ていたくなくて、なんとかやめさせようと、私は声高に言った。

「アリィ、ところで宿題は?」

そう、このお泊まり会の主な目的は、宿題を片づけることだったはずだ。

アリィは髪を大袈裟になびかせて、こちらを振り返った。

それは美少女がやれば胸ときめく仕草だろうが、不細工がやったって人の気を逆なでするだけだ、なんてことは今に始まったことではないので無視するとして。

自信満々、満面の笑みでアリィは言った。

「もう、全然」

OK、大丈夫、とでもいうのだろうと思った。

そう続いて当たり前の雰囲気を醸し出していたくせに。

「やってないよ」

やってない。

もう、全然、やってない。

それなのにいっさいあせりのないその表情を見て、私は悟った。

コイツ、完全に私をアテにしていたんだ。

「ええ、ゆっぴー全部終わってるの?すごーい!じゃあ見せて」

わざとらしいおねだり声。

消え失せてしまえよ!

叫ぶ気力もなくて、私はその場に脱力した。


それから、さっそく私の宿題を書き写し始めた二人。

二人とは誰と誰か。

アリィと、私だ。

小さなテーブルに向き合って、狭いスペースを分け合って。

アリィの宿題をやっている、私。

どうして私が。

「アリィ、こんないっぱい一人でできないもん。手伝ってよ」

なんのためらいもなくこんな図々しいことが言えるなんて、礼節を重んじる慎ましやかな日本人とは思えない。

むしろ人間とさえ思えない。

宇宙人だ。

いや、ぶしつけに地球を侵略してきたなんて聞いたことがないから、まだ宇宙人のほうが良心的だと思われる。

アリィは特異な謎の生命体なのかもしれない。

そんなことを考えながら、黙々と漢字の書き取りをしている私。

沈黙の中、エアコンの稼動する音だけが耳鳴りのように響いている……のも、長くは続かなかった。

「ゆっぴー、どっか遊びに行こう?」

「は?」

始めて十分も経っていないのに、もう飽きてしまったらしい。

というか、そもそも誰のためにこんなことしていると思ってるんだ。

「駄目に決まってるでしょ。まだひとつも終わってないのに」

「えー、つまんないよぅ」

「つ、つまらないとか、そういう問題じゃない!宿題終わらなくていいわけ?」

「それはヤダ」

「だったら文句言わずに手を動かして」

「はぁい」

そして、再び沈黙。

……のはずが。

「ねぇ、ゲームしよ」

なんて集中力のない奴なんだ!

そもそも自覚はあるのか。

「終わったら、って言ってるでしょう!」

「えー、ゆっぴーのケチィ」

もう、限界だ。

どうして私が必死になる必要がある。

「夕飯買ってくる」

少しでも、外の空気を吸わなければ。

一人にならなければ、憤死してしまう。

「アリィも一緒に……」

「絶対駄目!少しでも進めておいて!」

寂しいよぅ、などと抜かすのを振り払って、私は自分の部屋から逃げ出した。

大きく深呼吸して、冷やし中華を二つ買って、帰ってきた。

「おかえりー」

アリィは、なんとも締まりのない顔で私を出迎えてくれた。

とりあえずはちゃんと宿題という名の書写をしていたらしい。

これで遊んでいたら、家から蹴り出していたところだ。

「ねえ、ゆっぴー、ただいまは?」

「え」

一瞬、なんのことか分からなかった。

そうだ、帰宅したとき家に誰かいるということがないから、忘れていた。

帰ってきたときの、あいさつ。

「た、ただいま……」

するとアリィは、えへへ、と笑ってまた書写に取り組み始めた。

私が留守の間にどんな心境の変化があったのか、どうやら心を入れ替えたようだ。

なんだ、この気持ち。

面映ゆくなんかない、そんなわけない。

アリィがまともだと、なんだか調子が狂う。

落ち着かないまま、私も山積みのプリントを減らしにかかったのだった。


「ふぅ、結構進んだね」

アリィが久々に口をきいた。

見てみれば三分の一以上は終わったようだ。

一日でこれだけできれば上出来だろう。

「今日はここまででいいんじゃない?」

「やったー!」

アリィは万歳をして、その格好のまま後ろへ倒れた。

「あーもう疲れたちゃったよぅ」

「じゃあ、夕飯の前にシャワーにしようか」

本当は風呂場を使わせたくはないけれど、汚い体で布団に寝られるのはもっと嫌だ。

というわけで、お湯はためず、シャワーのみで済ませることで私は事前に自分と折り合いをつけていた。

ところが。

「ねぇ、一緒に入ろうよ」

そう来るとは思っていなかった。

一緒に入るだって?

何が悲しくてこの貧弱な体をさらし、その貧相な体を拝まにゃならんのだ。

「いい、いらない!」

全力で拒絶して、諦めの悪いアリィを脱衣所へ押しこめる。

深いため息が出た。


そろそろあがって来るだろうと、着替えを用意して早小一時間。

あの女、なかなか出て来ない。

シャワーだけなのに、どうしてこんなに時間がかかるんだ。

イライラして様子を見に行こうとした、その途中で湯上りのアリィとはち合わせた。

「な、長かったね……」

「そう?アリィいつもこんな感じだけど」

そこで、違和感に気づく。

髪の毛が、濡れていない。

「あ、ドライヤー借りたから。濡れたまんまにしておくと、髪が傷んじゃうから」

そういうのは借りる前に言うもんだろう。

そうだ、礼儀知らずで空気も読めない、それがアリィという人間。

昼間はこんな奴をよく部屋にひとりにできたものだ。

私は監視の目を光らせるため、全速力でシャワーを浴びることにした。

急がないと、急がないと。

性急に風呂場のドアを開けて、私はひっくり返りそうになった。

ドジを踏んだんじゃない。

風呂場中に、謎の華美なにおいが充満していたからだ。

こんなにどぎつい香料の入ったシャンプーや石鹸は我が家にない。

アリィだ。

窓を全開にして、換気扇を回し、できるだけ息を止めて、体を洗う。

こんなにおいをかいで、よく鼻が曲がらないものだ。

低い鼻は嗅覚が鈍い、なんてことはないだろうに。

においはなかなか消えない。

においの元が残っているせいかもしれないと思い、床を軽く磨いてみる。

吐き気がしてきた。

ちくしょう、あの女はどこまで私に苦労をかける気か。

うらめしい気持ちを膨らませながら部屋へ戻ると、お腹が減ったと泣きつかれた。

「ゆっぴー遅いよ、早くご飯ちょうだーい」

気持ち悪いから触るな、誰のせいで遅くなったと思っているんだ。

しかし、こんなに近づいてもアリィからあの華美なにおいはしない。

もう、訳が分からない。

考えても疲れるだけだと、おとなしく冷蔵庫から冷やし中華を取ってきて、テーブルに並べた。

箸は、もちろん割り箸。

もてなす気持ちなんて皆無だ。

「いただきまーす!」

それでも、アリィは嬉しそうに麺をすすり出した……汁をあちこちに飛ばしながら。

麺をうまくすすれないなんて、やはりこいつは日本人ではない、と改めて確信した。

飛びまくった汁を丁寧にふいて、その上に今朝天日干しした布団を敷く。

「はい、どうぞ」

仕上げに枕をおいて、それをポン、と叩いてやった。

お日様に当てたからふわふわで、アリィにはもったいないくらいだ。

それなのに。

「えー、アリィゆっぴーと一緒にベッドで寝たい」

なんでコイツは何でもかんでも私と一緒にしたがるのか。

「せっかく敷いたんだから、ここに寝て」

というのは建前で、アンタみたいな人間となんて一緒のベッドに入りたくない、というのが言わずもがなの本音だ。

絶対に寝相が悪いに決まっている。

アリィは渋々布団の上に乗っかった。

「よし、じゃあ電気消すよ」

すると、眉間にしわを寄せていたアリィがますます不服そうに、今度は唇をとがらせた。

「やだよ、まだ寝たくない。ゆっぴーとおしゃべりしたい」

そう言うと思っていた。

でも、父が帰ってくる前に寝静まっておきたい。

じゃないと、いろいろ面倒なのだ。

いつもと同じを装うために、アリィの靴だって靴箱の奥に隠してある。

今日も明日も、この家にいるのは私だけ、ひねくれた娘ただひとりだけ。

そういうことにしておきたい。

「ウチは九時消灯って決まってるの」

「ゆっぴーのパパとママは?」

アリィに家族のことは話していない……面倒だから。

「仕事で遅いから。いいから寝るの」

「そんなぁ、会ってみたいよぉ」

駄々をこねるアリィを無視して、電気を消す。

明日のことは考えないことにして、目を閉じた。



やはり、アリィは寝汚かった。

いつもより遅く起きた私の目の前には、タオルケットを散らかし、腹を丸出しにし、団から半分落っこちたアリィ。

起き抜けになんて醜いものを見せてくれるんだ。

最悪の目覚めである。

さっぱりしたくて顔を洗いに行き、戻ってきてもアリィはまだ寝ていた。

一向に起きる気配がない。

泥のように眠っている。

それならこれ幸いと、私は朝食と昼食の買い出しのため、またいつものコンビニへ向かった。

朝と夕方では、同じ店でも少し品ぞろえが違う。

そして、店員も。

「今日はいつもよりたくさん買って行かれるんですね。
お箸は多めにおつけした方がいいですか?」

明るく話しかけてくれるし、気配りもいい。

「えっと……二膳、お願いします」

「はい、かしこまりました!」

このお兄さん、最近よく見かけるけど、昼に働いてるってことはフリーターなのだろうか。

でも今は夏休みだから、大学生ってこともありえる。

いづれにせよ、彼ならもっと大手の企業でもやっていけそうだな、と余計なことを考えながら店を出た。

帰るころには、きっとアリィも起きているだろう。


……と思ったら、まだ寝ていた。

しかも、出かける前と後で頭の位置が九十度くらい違う。

はたして夜の間には何回転していたのだろう。

そんなことはどうでもよくて、早く起きないと、宿題はまだまだ残っているのだ。

「アリィ、朝だよ。起きて」

直接触れないようにタオルケットを手に巻いて、肩を揺する。

「宿題しなきゃいけないでしょう」

「うぅー……」

起きたか?

「……ぷすぅ」

……寝ている。

「いい加減に起きろ!」

相手が寝ているのをいいことに、背中を蹴っ飛ばした。

生まれて初めて人を足蹴にした。

思い切りやればよかったものを、遠慮を捨て切れなかったあたり私も小心者である。

「ふわぁ……ゆっぴー、おはよう」

やっと起きたアリィは、何事もなかったかのように伸びをした。

蹴られたことには気づいていないようだ。

「もうそろそろこんにちは、だけどね」

内心ほっとしているのを隠しながら、嫌味をこぼした。


そしてまた今日も書写、書写、書写である。

「中学生に日記書かせようなんてバカげてるよね。小学生じゃあるまいし」

ぶつくさ言いながらアリィが対峙しているのは、一行日記。

毎日の天気と出来事を簡潔に記していくだけのものだ。

そんな小学生レベルのことさえまともにできない奴に文句を言う資格はない。

「はあ、めんどくさい。一週間前のことも思い出せないよ」

アリィは、その日の出来事を新鮮な記憶から順に書き出しているようす。

しかし、三日前の「ショッピングをしてお昼はイタリアンを食べました。」って、その日はアンタ、テニス部の合宿だったろうに。

どれだけ軟弱な記憶力なんだ。

いっそ大好きなお姫様の出てくる物語でも書いたほうが、よほどマシなんじゃないか、と数学の問題集の答えのみを丸写ししている私は思う。

計算の過程とか、分からないふりの空白とか、わざと間違えも混ぜてみるとか、そんな良心的なことはしない。

人のものだもの、関係ない。

答えを写したって丸分かりにしてやるんだ。

リズムに乗ってどんどん赤丸を量産している私の視界に、すすす、とアリィの一行日記のプリントが侵入してきた。

そこには、明日の日付に「晴れ」との勝手な予測、そして。

「ゆっぴーとお出かけしました。とても楽しかったです」

誇らしげなアリィ。

それを私は、じっとり睨みつける。

「……宿題が終わったらね」

しかし、見渡してみれば、ずいぶんプリントは片づいている。

もう夕方になっていた。
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