悪夢、のち悪夢
学校からの帰り道。
大きなマスクをつけ黒いロングコートを着た、いかにも怪しい男が突然追いかけてきた。
周りには誰もいない。
通学路は車の多い大きな道路に沿っているので、人がいないときなどあるはずないのに。
私は必死に逃げた。
一歩足を踏み出すたびに、長い制服のスカートが膝に蹴られ、ばさばさと悲鳴をあげる。
振り向いて男の姿を確認しようとするが、帽子に隠された目は見えず、表情はつかめない。
ただ、命よりも貞操の危機を感じた。
逃げなければ、逃げなければ……
走っているうちに、だんだん足が動かなくなってきた。
体力の限界ではない。
第三者から操られているような、水の中にいるような、ものすごい抵抗がかかってくるのだ。
男との距離は確実に縮まってきているので、思うように動かない足がもどかしくて腹立たしくて、でもあせればあせるほど足は絡まる。
じれったくてしかたない。
こういうときに限って、いつもは通らない道に入ってしまう心理の不思議。
見たこともない、ここはどこだろう。
草や木が生い茂っていて、人が一人やっと通れるくらいの道幅しかない。
心細さで足はますます動かなくなってきた。
必要以上の荷重に息が切れて、苦しくて、もう走れない……そう諦めた瞬間に、男の手が私の手首をつかんだ。
私は地面に叩きつけられ、男はその上にまたがってくる。
やはり男の目は見えない。
私はアヒルのような声で暴れるが、男はびくともしない。
不快しかもたらさない、その体温、その重み。
男は抵抗する私をあざわらうかのように肩を揺らすと、ポケットからなにか光るものを取り出した。
それがピストルだと、気づいたときには轟音が耳をつんざいて、弾丸はこの腹に撃ちこまれていた。……
……呪われているのだろうか。
せっかくの休日にまで悪夢を見るなんて。
昨日は涙で濡れた毛布が、今日は脂汗で蒸れていた。
心配になって震える手で腹をまさぐってみたが、穴はどこにも開いていない。
安心したら疲労が、どっと押し寄せて、今までどれだけ緊張していたか思い知る。
じめじめしたわずらわしい毛布を蹴って、こもった空気を吹き飛ばそうとしたけれど、ただぬるい微風が起きただけで、毛布はまた私の上に落ちてきた。
気持ちは、晴れるどころか雲が厚くなるばかり。
強い尿意を覚えてはいるが、動きたくない。
そういえば昨日も布団の中で同じような気分だった。
私はこれからも毎日こうやって同じ朝を繰り返していくのだろうか。
こう、もっとなにか心躍るようなことがやってくればいいのに……って、そんな他力本願な姿勢じゃ、なにも起こるはずない。
諦めてベッドを出たのに、トイレで私を待ち受けていたのは、望んでいたものとは違う種類の変化だった。
下着に、血が、ついている。
丁度真ん中あたりに、どろりと赤茶色の染み。
さあっと血の気が引く。
どこから出ているのだろう。
素手で股を探ってみる。
ぬるり、指先が突き止めたのは、今までその存在すら意識したことのなかった場所だった。
そして私はようやく理解した。
初潮がきたのだ。
保健の授業で習っていたし、クラスメートもほとんどなっていて、私もいつくるのか待ち構えていたので、この性徴に対する驚きはそれほどでもないし、大きな感慨もなかった。
ならばなぜあんなに慌てたのかといえば、病気になってしまったのではないかという不安にさいなまれたからだ。
母と同じ病気になってしまったのではないか、と。
なんて小心者。
そんなことあるはずないのに。
でも私にとって母がとある病で死んだという事実は、私と死をより身近なものにしている。
根拠はなくても、そう感じるのだ。
体に変化があるたびに、なにかと死を予感させられるのは疲れる。
憂鬱の種が、またひとつ。
さて、どうしよう。
下着もパジャマも汚れてしまっている。
ベッドのシーツも汚れているかもしれない。
洗濯しなければならないが、それよりも、こういうときに使うという……例の『モノ』を買いに行くほうが先決だ。
いつものコンビニにも売っているけれど、顔見知りの他人に自分の性徴など知られたくはない。
少し遠いが、駅前のドラッグストアまで行こう。
応急処置としてあてがったティッシュの違和感に耐えながら、私は適当に着替えて家を出た。
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