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アリィ 作者:慧子

おとなとこども


帰りの道すがら、いつものコンビニに立ち寄る。

校則では登下校時の寄り道は禁止されているが、毎日コンビニで夕食を調達しなければならない私は、そんな決まりなど面倒で守っていられない。

それに、たとえ学校に寄り道がバレたとしても、私は日頃の行いがよろしいので、たいしたおとがめはないだろう、という甘えた自信もある。

駐車場が広くて歩道から店舗までに退屈な距離があるいつものコンビニへ、私は少しも遠慮することなく立ち入った。

「いらっしゃいませ」

客の来店を知らせるブザー音を聞いて反射的にあいさつをした店員たちは、私を見てわずかに静止し、また何もなかったかのように各々の仕事を始めた。

「今日も意味深な常連がやってきた」、そんな顔をしている。

毎日決まった時間に二人分の弁当を買っていく、どんよりとした中学生。

幸薄そうで、愛想も悪くて、店員が避けたくなるのもしかたのないことだ。

どうぞ、なんとでも思ってくださいな。

開き直りながら、レジにいつもと同じのり弁を二つ差し出した。

パートだと思われるそのおばさん店員は、いかにも中年らしい肉のついた太い指でレジを打ち、そして高音から低音へ急降下する妙なイントネーションで尋ねてきた。

「こちら温めますか?」

私は「いいえ」と答える。

毎日断っているんだから、いい加減覚えてほしい。

仕返ししてやりたくなって、おつりを取り損ねたふりをして小銭を盛大にまき散らしてやった。

こぼれた金属が、店内に流れている有線より華やかな音色を奏でる。

「も、申し訳ございません」

おばさんが、あわててカウンターから出てきて小銭をかき集め始めた。

いい気分に……ならない。

しゃがみこんでいるおばさんを上から眺めていると、その背中の丸さ、制服をはちきれんばかりに張りつめさせる肉の感じがなんとも惨めで、刻まれた年輪、パート勤めで支えなければならない家計の事情、きっと人間臭い事情、そんな背景を嗅いでしまったことがやるせなくて、どうしてこんな思いをわざわざ自らすすんでしているのか、もう嫌になる。

朝食といい、このことといい、すっきりしたくてこんなひどいことを思いつき実行してしまう私は、頭がおかしいのではないか。

おばさんは謝りながら、もう一度おつりを差し出してきた。

今度はそれをしっかり受け取ると、素早く深く頭を下げ、弁当の入った袋をひっつかんで逃げるように店から飛び出した。

罪悪感に追いかけられている気がして、そこから家まで私は走り続けた。


今日は、ついていない。

あの夢はみるし、アリィの妙な部分を垣間見てしまったし、自己嫌悪におちいることばかりしてしまうし。

しかも家のカギがカバンの奥に入りこんで、なかなか見つからない。

オートロックの前で大きなカバンと一人格闘する姿は、実に無様。

誰かが通る前になんとかしたいが、あせればあせるほど無駄な動きばかりしてしまう。

やっとの思いでカギを探し当ててオートロックを解除すると、イライラが絶頂に達した私は、エレベーターを使わずにわざわざ階段で五階まで駆けのぼり、乱暴にドアを開けてリビングのソファに荷物をなにもかも投げつけた。

嫌な音がした。

おそるおそるカバンを退かすと、すっかりその存在を失念していたコンビニの袋が下敷きになっていた。

大惨事を予想して泣きそうになりながら袋の中身を取り出すと、のり弁は二つとも軽症ながら原型をとどめ無事だった。

ただ、割り箸は一膳折れていた。

脱力。

もう疲れ果ててしまった。

弁当をテーブルの上に置く、という動作だけで精一杯で、私は自分の部屋へ倒れこむと、着の身着のままベッドへ倒れた。


「由紀子。晩飯食わないのか?おい、由紀子」

気がつくと、父が私になにやら呼びかけていた。

真っ暗な部屋の中、少し開かれたドアの隙間から差しこんでくる強烈な一筋の光が目にしみる。

その光を頼りに時計を見ると、もう夜の八時を回っていた。

夕方からすっかり寝入ってしまったらしい。

「お父さん……今帰ってきたの?」

「ああ。帰ってきたら弁当はテーブルに置いてあるままだし、カバンは放り投げてあるし……どうしたんだ?」

「なんでもないよ」

「ん?なんだお前、制服のまま寝てるのか?
中学生が、なにをそんな疲れたOLみたいな真似してるんだ」

「……なにそれ」

「ほら、なんでもいいから飯食うぞ。起きてこい」

妙な時間に熟睡してしまったので、頭がぼうっとしていまいち目の前の光景に現実味がない。

光に慣れない目を細め、むくんだ体を無理矢理動かしてダイニングへ向かうと、弁当はすでに温まっていて私に食べられるのを待っていた。

「お前は芸がないなあ、いつものり弁じゃ飽きるだろう」

そう言いながら、父は勢いよく食べ始める。

私も箸を持ったが、起きたばかりなので食が進まない。

いつもは気にならないコンビニ弁当の濃い味や油が、今は重たい。

「この弁当、容器がゆがんでないか?」

「知らない。新パッケージなんじゃないの」

適当すぎて嫌味ともとれるような返事をして、白米の部分だけ少しずつ口に運ぶ。

「いきなりで悪いんだが、父さんな、明日は仕事で帰りが遅くなるんだ。
だから飯はひとりで適当にやってくれ」

黙々と食べていた父が、視線を弁当に集中させたまま言った。

まるで弁当としゃべっているみたいだ。

「分かった。でも、もうお金がないよ」

「もうか?ついこの前、五千円渡したばかりだぞ」

「毎日二人分のお弁当買ってたら、五千円なんてすぐなくなっちゃうの。
食事代だけじゃなくて、ほかにも生活費は必要なんだから、週に一万はちょうだいよ」

「お前、一週間に一万は使い過ぎだぞ。
金を稼ぐのがどれだけ大変か分かってるのか?」

出た。

大人ってやつは、すぐそうやって子供に有無を言わさんとばかりに労働の話を持ち出してくる。

そんな苦労など知るわけない、だって私は子供なのだから。

子供には労働を禁止しておいて、大変さだけ理解させようなんて大人のエゴだ。

自分だって子供のころは労働も知らずに大人に食べさせてもらっていたのだから、大人になったら文句を言わずに子供を養っていればいいのだ。

……これは、子供のエゴ。

子供は大人を知らないし、大人は子供を忘れていく。

立場が違うのは分かっているけれど、その違いを思いやれるほど人間は余裕をもって生きられないものなのだ。

そんな私の哲学を、父は次のように吐き捨てて証明してくれた。

「ほら、何も言えなくなるだろう。
養われているうちは、大人の言うことを黙って聞いていればいいんだ」

私が感情に流されずに考えをめぐらせていた、その思いやりをもった沈黙を、父は私が子供だというものさしだけで判断し、差別的な固定観念で一蹴した。

鼻が曲がりそうなほど悔しかったが、父のような考えの浅い人間にはこれ以上何を言っても無駄なので、ご飯と一緒に言葉もすべて飲みこんだ。

父は最後の一口を強引にかきこむと、偉そうに鼻を鳴らしてダイニングから出ていった。

風呂にでも入るのだろう。

鼻白んだ気分で私は穴だらけになったのり弁をほじくっている。

どちらが子供なのだろう。
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