10. パパ
中間テストが終わった。
優美の通うお嬢様ばかりのA女子学園でも、彩香の低偏差値女子高校でも、大体時期は一緒である。たまたまであるが、同じ日に終わった。
その結果が出揃ったのは10月末のことである。優美と彩香が入れ替わってから50日あまりが経過していた。
優美は、学年で6番であった。この5年間、模試でも定期試験でも、優美の学年での順位は概ね2位~7位くらいで推移していたから、許容範囲といっていい。
優美は、優美の務めを果たしていたというべきであろう。そのことは、とりあえずテストの結果でも、部活の成績でもそうであった。
だが、彩香には不満であった。
「数学と化学の点が低い(;_;)」
などと文句を言い出したのである。受験で使うかどうかもわからないような暗記科目や古典の成績でかろうじて及第点を維持していたが、その中身まで見ると、本来の優美の点の取り方とは少し違っていたのである。
「なんだよ、頑張ったのに!」
「それは認めるけど……でもね……」
「でもね、ってなんだよ。東大にも入れる計算じゃねーかよ!」
「いい加減なこと言わないでよ。この前の3年生で現役で東大に行ったのは7人だからギリギリよ。まあ、みんなが東大受けるわけじゃないからそうでもないかもしれないけど……でもやっぱり数学が低い。ちゃんと勉強してるの?」
「してるからこんだけとれるんだろ!もう、あんたの知らないことやってるんだからね!」
優美の通うA女子学園と彩香のO女子高では、授業の内容は天と地とほど違う。そして、優美が理系少女であるのに対して、彩香のO女子高では文系も理系もない。というか、仮に理系を選択しようとしても1学年でせいぜい5人ほどであり、しかも3年にならないと理系の授業など一つもない。O女子高の教室では、初めから彩香以外誰もまじめに授業など聞いていなかった。当然先生のやる気も失われていき、興味を持てるような授業もない。「優美」だったころ、授業はまじめに受けるものだと信じて疑わなかった彩香とはいえ、最初の何日かでレベルの低さと周りの騒がしさに気づき、バカバカしくなった。授業の時間は寝るか、周りの女の子たちとどうでもいい会話をするか、内職で時間をつぶすかくらいしか選択肢がなくなっていた。
そうして、すこしずつ優等生のお嬢様そのものだった「優美」の心は低偏差値のO女子高校に染まっていった。
入れ替わった当初、周りの同級生たちに「なじめない」ことを心配していた彩香であったが、そんなことはなかった。なにしろ中身は「優美」でも、彩香の記憶と経験はその体と脳みそにしっかりと残っているし、彩香を演じるのはそんなに難しいことではなかった。A女子学園のお嬢様「優美」だったころにはあえて敬遠していたような下ネタもこの学校では止める必要もない。周りにいる男は先生が何人かいるくらいだから、女であることを意識せずにだらしない姿勢をとったりしても誰も気に留めない。もっとも、それはA女子学園も同じなのであるが、かの学園ではひとりひとりの女の子たちに「お嬢様」としての自覚があったから最低限の節度は失わずに日常を送っていた。その中でもひときわ「お固い」と思われていた「優美」だったのだから彩香の学校生活になじめるはずがないと思っていたのだが、実際は正反対なのであった。楽な気持ちで、学校生活を送ることができる幸せを、彼女は味わっていた。
「なんか最近アヤカさま変わったよね」
「うん、あたしもそう思うわ」
ギャル仲間のリサとユナは、高校1年生の時からの彩香の親友である。高校生なのに毎日バッチリメイクを決めてくる2人は、夏の日焼けがまだ抜けない、浅黒い肌のいわゆる「黒ギャル系」女子高生である。夏の海で焼いたものが、すぐに白く戻ってしまった彩香とのコントラストは見事であった。
「えっ・・・?ほ・・・マジ?」
初めてリサとユナがそう指摘した時に、彩香は心臓が口から飛び出るかと思うほど驚いた。入れ替わる前の「彩香」を演じているつもりでも、それができていないのかと思った。おしとやかな仕草や、優等生口調や、とにかく「エリートお嬢様」だった「優美」のプライドが表に出てしまっているのかと瞬間的に感じたのである。
「優しくなったよなー」
「うん、ほんとほんと、この前なんかさー」
予想は外れた。
「あと、最近は、そっち系の相談もアヤカ様の方からしてくるようになったよね」
「うん、前はなんかあたしたちのこと、女として見下してるようなところがあったけど、最近はそうでもないよね」
「そ、それはリサもユナも一人前のギャルになったってことじゃない?」
彩香は「彩香」らしい答えができたと思った。
「あ、あんまり変わってね―のかな」
「うん、でも、やっぱりやさしくなったよ」
リサもユナも、O女子高に入ったときはただの頭の悪い、比較的地味な女の子であった。
一方で中学生のころの彩香は、今よりももっとギャルとしては激しかった。
公立の中学校に通っていたころの彩香は、幾度注意されようと、素行をなにひとつ改めようとしなかった。小学校の頃は少しませただけの、ただの美少女であったが、中学校に入ると、すぐにギャルになった。
それは、彼女の置かれた境遇が大きく関係している。
都心に近い彩香の住むあたりで、公立の中学に通うのは、はっきり言えば経済的に恵まれなかったり、どうしようもなく勉強ができなかったりというような子がほとんどといってよかった。都心に近いその中学校の学区は、古くから人の住む街道沿いの下町と、文教地区の高級マンションと、それから繁華街近くに集まった、昭和の頃からの住宅群など様々な地区にわかれていたが、少なくとも高級マンションに住むような層の子どもたちはほとんど公立中学には通わない。
彩香が親子で住むアパートの辺りは、下町と繁華街の中間の川沿いで、ガラの良くない辺りである。一本の道を隔てると大きな街道が走って、有名な学校も多くなり、いきなり高級マンション群が現れるが、その裏には都会の片隅でひっそりと暮らす人々がいる。
彩香を連れて実家を飛び出した母が、今のアパートに住み始めたのはもう10年以上も前のことである。母は夜の仕事にどっぷり浸かりながら、時に昼の仕事もしていたのでしばらくはそれほど経済的に困っていたわけではなかったが、年齢がすすむと夜の仕事はすこしずつ難しくなってくるのはごくふつうのことである。今はスーパーのパートをしながら、生活保護を受けて、高校生の娘を「育てて」いるのだが、夜の仕事でバリバリと稼いでいたのはほんの2,3年前までのことである。男関係はかなりだらしがなく、稼いだぶんも彩香のためというより、男に貢ぐことで消えていった。
オトコが一人ならまだしも、アパートに連れ込む男だけでも週に3人、別の男がやってきたことがあった。小学生のころの彩香は、夜になると広くはないアパートの片隅や近くの公園で、携帯ゲーム機や読書にふけるのが常であった。他にすることがないから勉強はよくできたほうであった。
中学校に入ると、彩香はすぐにギャルへの道を走りだした。生理が始まるよりも前に、神を茶髪にして、ピアスの穴を両耳に2つづつ開けて、もともと大きな目をもっと大きく見せるようなアイラインを引いて、エクステもつけた。キラキラのデコがいっぱいついた鏡をいつも持ち歩いて、メイクをして学校にいくようになったかと思えば、すぐに学校でメイクを直すことさえ平気でするようになった。
茶髪は色を抜くたびに少しずつ激しくなり、メイクもどんどん派手になっていった。母が帰ってこない夜、母が男を引っ張りこむ夜、無理に家に帰らなくなった。
万引きもしたし、男に媚びることも覚えた。140センチそこそこの、小学生とも中学生ともつかぬ女の子が、精一杯年上に見えるように激しいメイクをして、ギャルの先輩と一緒に夜の街を歩くことを覚えたのが、中学一年の夏休みである。
そのころ彩香のアパートの隣に住んでいたのが、2つ年上のわかなちゃんという先輩だった。子供の頃からわかなちゃんと彩香はとても仲が良く、彩香がギャルになる時には、メイク道具や洋服など、さまざまな「お下がり」をわかなちゃんにもらった。ヤンキー系の中学生と違って、学校の中で幅を利かせるというよりは、わかなちゃんを始めとする何人かのギャル仲間に連れられて夜の街を歩き、ナンパされた男と遊んだり、ファミレスで時間を潰したり、というのがギャルになった頃の彩香の日常であった。
生理が始まったのは中学2年になった5月だった。
時期を同じくして身長もそれなりに伸び、体つきも女らしくなっていった。
カレシも、短いサイクルで何人かできたし、キスもしたが、さすがに初潮を迎える前にセックスするようなことはなかったし、整理が始まったからといってすぐにカレシとセックスするようになったわけではない。
初めてのセックスは、中学2年の8月、相手はその時の彼氏だった。
それが周囲に吹聴している彩香のプロフィールの一部である。
だが、それはウソである。その2か月前の6月、彩香に手を出してきた男がいた。その時母が付き合っていた、腕に刺青のある20代のイケメン風の男だった。
母が留守だった時に合鍵で家に入ってきて、彩香に手をつけた。母の使っていたのとは違う生理用品がトイレにあったのを見逃さなかったその男は、風呂あがりですっぴんの美少女を挑発し、最後はほとんど無理やり犯された。
ケバいギャルのメイクを落とせば、髪の色こそ金髪に近くても、普通に可愛い女の子だった。その、初めての男のことがもともと嫌いではなかった彩香だったが、母と付き合っている男にとつぜん無理矢理犯されたことは彼女の人生を大きく変えた。
力づくで押し倒されて、左手でガッチリと腰を抑えられながら、右手で優しく体中を愛撫されて、徐々に体から力が抜けた。とろけるようなキスは、中学生のカレシとは次元の違うものだったし、その後は抵抗しようという気持ちすら起こらなかった。処女は早く捨てたかったので渡りに船だった。
だが、母の男を中学2年にして寝取ったことは、母の男をうばったという罪悪感と、人の男を奪う背徳感を彩香に植えつけた。その男は何度か母の留守を狙って彩香とセックスした。2回めからは彩香も嫌がったりしなかった。夏休みになったころにはいつの間にか家に来なくなり、彩香とも二度と会うことはなかったが、初めてから何回かの相手がテクニシャンだったことが、幼い彩香を女として急成長させた。夏休みの間には、彩香には3人のカレシがいて、その3人それぞれに「あたし、今日が初めてなの」と嘘をついてセックスした。
それで、初体験については、「中2の夏休みに、その時の彼氏が相手」とずっと言ってきた。彩香の秘密である。
結局、男関係がだらしないところは母の血をしっかり受け継いでいた彩香が、レイプ同然で処女を奪われても、それでセックスに対して臆病になることは全くなかった。処女を失って最初の数日間は、母の男を奪ったことへの罪悪感に苛まれたが、2度めにその男が母の留守を狙って彩香に手を出した時にはすでに「いけないこと」をする楽しさのほうが大きくなっていたし、そのあとは何も知らない母に対して優越感すら持つようになった。何があったのか今でも知らないが、その男が急に姿を消した時に母が落ち込むのを見て、少しだけ「あたしが悪いのかな」とも思ったが、10人、いや20人も男を狭いアパートの部屋に連れ込んだ母が、すぐに違う男を連れてきたのを見ると、一瞬でも母の男を「寝取った」ことに罪悪感を覚えたことがバカバカしく思えた。彩香は、その男とも寝た。自分から色目を使って誘って、見事に引っかかってきた。そのことがバレて母に「泥棒ネコ」と罵倒されたが、1週間もすれば、母はまた違う男を引きずり込んだ。
ますます家に居場所がなくなった彩香が、援交を始めたのは、夏休みが終わった9月のことであった。ギャルの大先輩であるわかなちゃんに相談したら、1から援交について教えてくれた。そのころから、高校入試までのおよそ1年半の間が、彩香がもっともケバいギャルだったころだった。幼い顔をすこしでも年上に見せるため、小さくて女としては貧弱なカラダを少しでもグラマラスに見せるため、派手なメイクと派手なファッションで、ひと目で遊んでいるとわかるギャルとしての高みを目指した。最初は週一で、セックスまでいかないこともあった援交も、すぐにウリが前提になって、回数も増えていった。ピアスの穴は両耳に7個と鎖骨とへそにまで増えて、街を歩くときには7つも8つもエクステを付けて、ありえないほどカラフルな髪になり、そして使えるお金が増えると、どんどんメイクも服装も派手になっていった。
そのころから、相手がカレシであれ、援交の客であれ、セックスは彩香の日常の一部だった。
高校入試の何日間かだけ、彩香は髪を黒く染めて、すっぴんのまま試験を受けに行った。素行の悪さは内申書に表れてどうにもならなかったので第一志望の都立高校はすべってしまったが、成績はいいほうだったのでO女子高校には特待生として入ることができた。
O女子高校としては、まともな大学に入れる学力を持った生徒は、喉から手が出るほど欲しい存在である。素行の悪さには目をつぶって、学費まで免除してくれた、というべきだろう。
女子高生になると、彩香のギャルとしてのケバさは少しずつ影を潜めていった。カラダつきが女らしくなり、色香が身につくと、女子高生は何もしなくても男が寄ってくることに気がついたからであった。最低限髪を染めてパーマをかけて、最低限のメイクをすれば、それが一番男を引き寄せるとわかるようになっていった。優美と入れ替わったころには、全盛期のケバさに比べれば、随分とおとなしめになっていた。
そのことの原因のひとつはもとの「彩香」の心境の変化があった。女子高生になったときから、高校を卒業したあとのことを考え、1年半かけて、少しずつメイクや髪型やアクセをおとなしくしていった。高校を卒業する頃には、清楚系に変身を遂げる、というのが漠然と思い描いた「彩香」の目標であった。人は、常に自分の将来に不安を覚え、そして変わろうとする生き物である。無我夢中でギャルを始めて、その世界にどっぷりと浸かっていた彩香が、高校を卒業した後のことを考えて、不安を覚え、そして自らの悲惨な境遇から抜けだそうと努力しようとしたことは、実にまともなことといえる。
それはまた、ギャルのまま通学を許してくれた教師たちへの恩返しとして、「まともな大学」に受かって、そして自分の置かれた境遇から、底辺生活から抜けだそうという野望のあらわれでもあった。しかし、今の彩香は違った。大人の女へと脱皮を図っていた「彩香」の考えとは、今の彩香は逆方向に進んでいた。もともとの「彩香」にとってはもうギャルであるべき時期は終わりに近づいていたのである。それは、彩香が物心ついたころにまだギャルだった母・桃子のような女になりたくないという想いからきた行動であった。
だから、
「あと、アヤカ様最近すこし派手になったよね」
「うん、なんか一年生の頃に戻ったみたい」
とリサとユナが言い出したときには、またドキッとした。
「そ、そうかな・・・?そんなことないとおもうけど」
今、彩香の中にいる「優美」の心は、毎日必死でギャルの彩香を演じているつもりだった。援交も、彩香が普段していたようにこなしていたし、ギャルとしての周りへの接し方も「彩香」そのものであったはずである。
だが、ひとつだけ、今までの「彩香」と逆方向に向かっていることがあることもわかっていた。そのことを指摘されたような気がしたのである。
「まあ、最近地味すぎたし、いいんじゃね?あんま地味だとさ、アレだし」
などといってごまかすが、内心、鋭いところを突かれて心は騒いでいた。
一度は耳に3つまで減ったピアスの穴が、また5つに増えていたし、もともと大きな目をもっと目立つようにパチリとさせるようになり、髪の色も少し金色に近くなった。制服のスカートも、入れ替わった頃よりも2、3センチ短くなっていたし、携帯やメイク道具のデコレーションも派手になっていた。カラコンも高2になってからは黒系がふえていたのが、最近は茶系や青系の日が多くなっていた。
それは、お嬢様の心に潜んでいた、密かな「ギャル」へのあこがれの発露であった。
彼女がまだ「優美」だったころ、つまりお嬢様学校の優等生美少女だったころには許されなかったこと……心のなかで抑えこんでいた、「メイクで顔をおもいっきりキラキラさせたい」「可愛い服で街を歩きたい」「スカートを短くしたい」「誰よりも外見で目立ってみたい」「いけないことをしてみたい」というたくさんの漠然とした欲求を、彩香と入れ替わった今では、抑える必要がないのである。こんなに嬉しいことが他にあろうか。最初は「彩香」を演じることが恥ずかしくてたまらなかった「優美」の心が、少しずつギャルの彩香に順応すると、今度は、もっと、もっとかわいい格好をしたい、露出を多くしたい、オトコの注目を浴びたい、もっとキレイなメイクをしたい、という女として普通の欲望に、すこしずつ素直になっていった。その結果、今の彩香は、優美と入れ替わる直前よりも、派手になってしまったのである。
その欲望の前では、もともとの「彩香」が描いていたギャルからの「出口戦略」は漠然としすぎていたのだろう。
「でも、アヤカ様らしくていいよ。そのほうが」
「うん、夏のあたりって,アヤカ様にしてはちょっと地味だったよねw」
中学の頃から援交・ウリをこなし、高校に入った時には女の目から見てもかわいい顔を男に媚びないギャルメイクで飾り、大きくて時に強い印象を受けるふたつの眼はほとんど毎日のように色が変わっていた。腰のあたりまで伸びたサラサラの綺麗な金髪を毎日違うアレンジで飾ったかと思えば、カラダの線を強調するようなに制服を着こなし、限界まで短く詰めたスカートとニーソの間に真っ白な太ももを堂々と魅せつけて歩くバリバリのギャルだった彩香はリサやリナにとっては憧れの存在そのものであった。リサやユナだって東京で育った少女である。ギャルなんてそこらへんでいくらでも見たこともあったし、憧れもあったが、彩香の放つオーラは常軌を逸しているようにしか見えなかった。ああいうふうになりたいと目標にすることすらおこがましいほど、遊び慣れた雰囲気と、女としての魅力を持っていた。そういうふうに感じた女の子はこの高校ではリサとユナだけではない。中学部が併設されているこの学校には、他にも、高校に入った時にすでにバリバリのギャルだったいわゆる「中学デビュー」の女の子は何人もいたが、女としての色香も、気の強さも、もともとのかわいさも彩香はずば抜けていた。そして不思議なカリスマ性が地味目な女の子たちをもトリコにした。中学デビューのコギャルたちは対抗意識を燃やしたが、彩香の前の派手さと色香には立ち向かうすべもなかった。
彩香とリサとユナが通うO女子高校は、私立の低偏差値女子校である。入学してくる女の子は素行に問題があるか、勉強ができないかのどちらかであって、高校に入った時にはもうすでにギャルの女の子も多い。ヤンキーも多い。彼女たちのような素行に問題のあるタイプの女の子は、底辺のO女子高校のクラスの中でも目立とうとする娘がとても多い。市立なので一応拘束に厳しい風をたてまえにしていたが、それでは経営がたちゆかなくなるというジレンマに陥り、今は比較的生徒がギャル化することにも「みてみぬふり」を決め込む雰囲気が、教師たちのあいだでも流れつつあった。
彩香は目立とうとして派手にしたわけではない。彼女にとってはギャルメイクも、カラダの線を強調するような制服の着こなしも、ごくごく当たり前にできてしまうことであった。援交を続けていたので派手にするための資金も湯水のように使うことができた。入学式のその日に、40代の地味目の女教師がホームルームで彼女たちに「高校生らしい服装を」といきなり説教した時に彩香は鼻で笑って早速女教師に目をつけられた。ヤンキー系の女の子が早速女教師に反抗的な態度をとり、ギャル系の女の子たちが様子見でおとなしめの格好で登校するなか、入学二日目にはキャバ嬢も真っ青の派手なメイクとくるくるの金髪を丁寧に編みこんで、ピンクのネイルアートを施して学校に平然とやってきた。当然怒られたが、悪びれることもなく、彩香は毎日派手なギャルメイクと挑発的な制服の着こなしをやめなかった。それでいて、底辺校とはいえ成績はずば抜けていた。教師たちからしても、彩香の学力は「まともな大学」に進学できるものに思えた。そんな生徒は、この女子校では金の卵である。あまりきつくすることが出来なかった。それどころか、ギャル系のファッションを容認しようという動きすら起きた。こうしてこの学校での彩香の地位はあっという間に確立した。入学した4月の中旬には「アヤカ様」と皆から呼ばれるようになり、ギャル系の女の子も、地味目の女の子も、みんなが彩香の周りに集まった。
その中で、気のあった女の子を、つるむ相手として彩香は選ぶことが出来た。別に地味目の女の子とつるんで自分を引き立たせようとしたわけではない。中学デビューのコギャルも、これからギャルになろうという地味目の女の子も、彩香の眼には大差なく映ったのだろう。むしろ彼女たちが憧れるようなギャルの道に何十人もの女の子を引っ張って、その中の何人かは彩香に教わるまま援交にも手を染めていった。中学デビューのコギャルたちが気後れを感じるほど、彩香の周りに集まる女の子たちは派手なメイクで学校に来るようになった。女の子の、「かわいくなりたい」という本能を追求することにかけて彩香は誰よりもまさっていた。
そうして、彩香の周りで「生き残った」友達が、リサとユナであった。彼女たちがクラスで、というより学年のヒエラルキーでトップに君臨していた。
ヤンキー系、モデル系、腐女子系と、原宿系……O女子高のような底辺校でもひと通りの女の子のカテゴリーがあるが、彩香はヤンキー系にも物怖じしない気の強さ、背丈こそ低いもののモデル系に色香でも顔でも勝負にならないほど上質の美しさと、オタク系腐女子ともわけ隔てなく話に付き合える度量を兼ね備えていた。
それでいて、もちろんギャル系の女の子たちの間では別格である。彩香と会わなければ、腐女子系だったかもしれないリサとユナの高校生活は、彩香と気があったことで大きく変わったというべきだろう。もちろん、2人は今は女子高生になってから変身できなかったオタク系の女の子たちを見下していたし、誰ともわけ隔てなく仲良くしても、彩香が孤高の存在であることも知っていたし、自分たちがギャル系のトップである彩香の取り巻きにすぎず、彩香からは見下されていることをはっきりと自覚していた。見下されても、彩香と一緒にいることには価値があったのである。
そんな「アヤカ様」が自分たちに接する態度が2学期になってから、変わった。カリスマ性はそのままに、自分たちのことを親友としてとても大切にしてくれるようになった、と2人とも感じていた。そして、すこしずつ落ち着きつつあったギャルとしての派手さが、また戻ってきた、というのがまた嬉しいことでもあったのだ。高い憧れだった、高1の春の頃の「アヤカ様」が戻ってきたように、ふたりとも感じていた。
「まあ、あたしもいろいろあったからね」
彩香がそういうと、リサとユナはすこしバツが悪そうに口を閉じた。彩香が女の子たちの中でカリスマとなっていたのは、圧倒的な可愛さ、美しさをもちながら、男運が無いこと、男を見る目がありえないほど悪いことも大きく影響していただろう。ギャル女子高生ライフを最大限に謳歌しているようで、男には恵まれない。見てくれだけで中身の無いフリーターの彼氏が、連続レイプで逮捕されて、警察が学校まで来た事件は強烈だった。遊びも派手で、カリスマ性があって、ギャルとしての欠点は男を見る目がないこと。女の子たちからみれば格好良くて、可愛くて、それでいて同情してあげたくなる存在である。女のヒエラルキーでトップに立たないわけがない。
モトキの強烈な事件があってから、彩香は変わった。それがリサとユナがたどり着いた結論であり、彩香はうまい落とし所を見つけた。
モトキが逮捕されても、今の彩香には安心しかなかったのであるから、あの事件は今の彩香にとってプラスに作用していた。
ただ、もとは自分だった優美が処女を奪われてしまったことで、これからもう一度入れ替わって優美に戻ろうとも、「処女を好きな人に捧げる」ことは永遠にできなくなってしまったが・・・今となっては大したことではなかった。
そして、放課後は今日も渋谷でギャルの時間がはじまる。
「カレシのモトキ」の一件以来、彩香と優美は直接会うことはなかった。路上ですれ違うときに目と目で合図するくらいである。だが、連絡は毎日とっていたし、メールもSNSも、情報は出来る限り共有していた。援交の相場のことや、寄ってきた男をどうあしらったかなど、あらゆることを話し合っていた。万事について喧嘩は絶えなかったが、
「それじゃ、もう寝るね」
「うん、あたしももうすぐ家につくから」
「ところで、彩香の方はテストどうだった?」
「一番に決まってるじゃん。簡単すぎだよ彩香の学校のテスト。適当に間違っておいたけど、それでも、飛び抜けちゃって。やりすぎた。反省してるよ」
「別に、それはいいけどさぁ・・・」
「カレシのモトキ」の一件のあと、彩香は彩香、優美は優美としてしっかり生きていた。優美は毎日をスケジュール通りに生きるだけで精一杯であったが、これほど忙しくても充実した毎日は初めてであったし、ストイックな毎日には息がつまりそうだったが、優しい両親と、苦しい時に励ましてくれる彩香のおかげで、なんとか頑張ることができていた。
「優美ぃ、もうお父さんたちは寝るよ」
「あっ、今パパの声したね」
「うん。そろそろ心配されるから切るね。またあした」
「うん。おやすみー」
彩香は、優美がきちんと「優美」を演じていることにはとても感謝していた。モトキの件以来、仲違いをしながらも、優美が一生懸命やっていることはよくわかっていた。顔を合わせて話すことこそなかったが、あの日以来、人生を共有する2人の間に、不思議な一体感が出来たのは間違いなかった。
彩香は彩香で、カレシこそいなくなってしまったが、寂しくはなかった。むしろ、優美と話し合って、見栄でどうしようもないカレシを持つくらいなら、勉強でもしてたほうがマシ、という話になった。優美と入れ替わるまで、O女子高では金の卵であった彩香は、服飾系か美容系の女子大にでも行こうと思っていたが、勉強ができるようであればもっとランクが上の大学に行っても構わない、と優美もいってくれるようになっていた。援交を一度すれば参考書や問題集など何冊も買える。彩香は、身体を売って得たお金で、勉強するようになった。言ってみれば、援交する高校生ギャルと勉強する女子高生を両立していたのである。
家族3人、絵に描いたような幸せな家庭の優美の家族と違って、母子2人だけの彩香の家庭は、寝るだけの場所でしかなかった。彩香は援交でホテルから出たあとファーストフードやカフェで勉強し、帰る頃に優美と話すのが日課のようになっていた。
「がんばってくれて、ありがと(*^^*)
いいこいいこ(^_^)/してあげるね」
電話のあとはこんな感じである。口ではいろいろ言いながらも、彩香は本当に優美に感謝していた。
「ありがと(ノ´∀`*)」
とすぐに返事がかえってくる。
援助交際についても、一度、優美のほうから「やめてもいいよ。普通のバイトでほそぼそと稼いでもいいんだよ」といってきてくれたことがある。変態に引っかかってしまい、命からがら逃げ出してきた夜の話である。彩香のなかの「優美」の目では見破れないこともSNSの上のやりとりで優美のなかの「彩香」が見ぬいてしまう。優美と話し合って選んだ客には、性病を移されることもなく、優美のアドバイス通りに河岸を変えれば、補導されることもなかった。だから客選びには優美にいつもアドバイスをもらっていた。一度だけ、そのアドバイスを無視した時のことであった。相場よりも高く出してくれるというからホテルに行ったのだが、ガチのSMプレイを要求してきた。一発殴られて、なんとか逃げ出してきた。泣きながら優美に「ごめんね」とあやまったその日のことである。
それでも援交を彩香がやめなかったのは、その行為が実際に「生活のため」に行われてきたことをよくわかっていたからである。彩香の母・桃子は生活保護を受けながらスーパーで働いているが、基本的に生活は苦しい。将来の事を考えて、彩香はカラダを売ってまでお金を貯めていることはわかっていた。だから、「優美」の心は迷いながらも援交を続けていた。普通のバイトではそんなにお金もたまらない。彩香がどんな気持ちで援交をしていたかよく分かるようになってきた。自分で大学受験の勉強をするため人もお金が必要だった。
もちろん、彩香はセックスが大好きだったから、続けられたことでもある。それは「優美」の心も順応してしまったのだから、きっと、お嬢様の「優美」の中にも淫らな女の子が初めから潜んでいたのだろう。
優美と比べれば、あるいは頭の出来で数断劣る優美の同級生たちから比べても低偏差値の彩香とはいえ、低偏差値なりに目の前のことだけではなく、いろいろなことを考えて日々を過ごしていることがすこしずつわかってきた。彩香だけでなく、今まで見下していた女の子たちの考えることも少しずつ理解できるようになってきた。なんの不自由もなく、優等生として育ってきた「優美」のままだったら永遠に知ることのなかった世界が見えてきた。深夜の路地裏を一人で歩くなんて、自分が「優美」だった頃には考えられなかったことである。だが、今の彩香は平気であった。狭いアパートの中は、彩香にとって居心地がいいものではない。だから、夜遅くまで外にいるのだ。「女の子なのに、深夜に出歩くなんて、はしたない」などと本気で思っていた頃、まだ自分が「優美」だった頃の自分が、いかに狭い世界に住んでいたか、すこしずつわかってきたのである。自分が援交することも、そうして少しずつ受け入れられるようになっていった。
援交で一番難しいのは、ルールを守ることである。要するにナマでやらせたり、写真をOKしたり、客も女の子もある程度のルールをちゃんと守ればそれほど危ないこともない。彩香はその点、賢かった。おかしな組織に属してその指示の下で援交することもなかったし、また誘われてもきっぱりと断った。一人でSNS、を駆使して器用に続けていた。今は優美である女の子が決めた、基本的な3つのルールを、破らなかった。一度ナマでさせてしまったことは以前に描いたが、それだけである。
幸せな家庭のお嬢様である優美も、援交が日常のギャル女子高生彩香も、入れ替わる前のお互いの世界を、協力しながら、守ってきていた。このまま、いつか元に戻れるかもしれないし、彩香が勉強を続ければ意外に彩香が優美で、優美が彩香で、それなりに予定に近い人生を送れるような状況が生まれるかもしれない。そんな希望すら生まれつつあった。
「彩香、おかえり。また今日も遅かったね」
彩香がアパートにつくと、パジャマ姿で頭にカーラーをいくつもまいた母親が不機嫌そうに出迎えた。
「バイトのあと、勉強してたの。別にお母さんに関係ないでしょ」
「バイトって、本当にバイトなの?危ないことしてるんじゃないでしょうね」
「うっさいな、違うよ。この前ルイにも聞いたでしょ」
ルイ、というのは近所に住むギャル仲間の同級生である。
「今日はお母さん、ひとり?」
この親にしてこの子有りというか、彩香の母はまだ34歳である。彩香が子どもの頃はまだ祖父と祖母とともに実家にいたのだが、いつの間にかそこから出てきて5歳からは2人で暮らしている。そのころまだ女として遊びたい気持ちと、彩香という可愛い娘を守り、育てることを両立させようと彼女は彼女なりに必死だった。18歳で高校を中退して彩香を産んだ桃子は、23歳のときにキャバ嬢になった。風俗をやってみたり、ファミレスやファーストフードのバイトもしてみたが、キャバ嬢が彼女の性に合っていたのだろう。基本的にずっと夜の仕事をしてきた。男関係は今でもだらしがなくて、小学生の頃には邪魔者扱いされ、外で夜まで遊ぶこともしばしばであった。夜寝る時以外、彩香がなるべく家に寄り付かないのはそれで、である。実際、男の匂いがこのアパートからはぷんぷんしていた。夜の仕事をしても男遊びが激しくて金が身につかなかった。34歳はまだまだ女として盛りである。パート先でもすぐに男に声をかけられ、すぐに部屋に引っ張りこむのが桃子のいつもの行動パターンだった。彩香に父親の違う弟や妹がいないのは奇跡のようにおもわれた。
「早くお風呂入っちゃって」
母は質問に答えなかった。ホテルで入ってきたから、とも言えない彩香は、いつも申し訳程度にシャワーを浴びる。その「雀の行水」ほどの時間で母は娘の行動に気づいているかもしれない。夜の女として純粋な接客で生計を立てて、彩香を育てる一方で、むしろ男に対しては貢ぐ一方ですぐに逃げられる、という事を繰り返していた桃子にとって、恋愛感情なしにオトコにすぐにカラダを任せるウリや援交はもっとも理解できない行為であった。だから中学生の頃から、「援交なんてするな」と何度も彩香に言ってきたが、説得力はまるでなかった。最低の男にいつも引っかかるばかりの母の言葉など、彩香にとってどうでもいいものだった。
「おやすみ」
ぶっきらぼうな言葉を残して母は先に床につく。ついさっき、優美と交わしたお休みの挨拶がとてもとても温かいものであったことを考えれば、その関係はなんとも冷えきっていた。それは優美と彩香が入れ替わってからも変わらなかった。あまりに違う優美と彩香の境遇に、泣きたくなったりもする。そんなときに
「あやかちゃんおやすみ(^_^)/」
と、子どもの頃からずっと「優美」のお気に入りであるテディベアの「タロウ」が頭をなでなでするポーズの写メが届いた。心が暖かくなった。
荒れに荒れた環境に身を置く彩香は、自らの力で生きていくほかない。今は「彩香」の心が宿っているお嬢様の優美もそのことをよく知っているから、こんな時は優しくなれる。2人は、一日一日と絆を深めていくようであった。
もし、お互いの身体が元に戻らなかったら……そういうことももう2人の将来設計の視野に入っていたのかもしれない。
だから、ある出来事を境にして、幸せそのものの優美の家庭が、音を立てて壊れ始めても、そのことで優美の人生が大きく変わってしまっても、その原因が彩香であっても、変わらないのは2人の絆、だったのだろう。
11月の5日のことである。
その日は金曜日で、彩香にとっては稼ぎどきである。優美は金曜日と土曜日は塾通いで、金曜日は他の曜日より帰りが遅く、深夜になることもある。優美の母である上杉美鈴も、所属部署の集まりが会って、遅くなるということはわかっていた。
その日の客になんら怪しむべきところはない、というのが優美と彩香の出した結論であった。SNS上で、何度か援交をしていることがうかがえたし、相手の女の子の評判も上々であった。そして、金払いも、怪しくない程度に良かったようである。
JK専、というわけでも、ロリコンというわけでも無さそうだった。おかしな趣味がないことは重要であった。小麦色の肌にパーマのかかった茶髪、寒くなってきたのに太ももを丸出しの女子高生ギャルでも彩香ほどの上玉であれば、客は選ぶ事ができる。“シンチ”を名乗るその客も、客として上質だと踏んだから優美はOKを出した。
上杉優美という女の子は、誰が見ても美少女で成績も優秀で、心も強かった。だが、一方で、大切な人の期待に答えようという、いわば人に認めて欲しいという思いが人一倍強い女の子であった。その性格は、いま、彩香となっても変わらない。
もともと、優美にとって大切な人といえば、まず両親である。彩香になってからは、そこに、「あんな親でも」、という制限つきで彩香の母と、それからなんといっても「彩香」の心をもつ優美が加わった。
もし、わずかしかいないそんな大切な人たちが、両立できないような要求をしてきたら?
考えたこともなかった。
待ち合わせの時間、援交用のアドレスにメールが届いて、彩香の携帯が鳴った。
「ん?エスカレーターの上にいますって?慎重な人だな」
彩香は特に疑問を持たずにエスカレーターに乗った。そしたら、下りのエスカレーターに、優美の父である、上杉信一が乗っていた。
(ちょっと、こんなところにパパが・・・おちつけ・・・あたしは、彩香だから。優美じゃないから・・・)
上についても、それらしき男はいなかった。そういえば、いま、信一は右手に隠すように目印と成るペットボトルを持っていた。
(まさか・・・)
と、思った次の瞬間に、目の前に現れたのは、やはり信一だった。
悪夢を、見ているようだった。
「信一・・・シンチさん、ですか?」
おそるおそるその男に声をかけた。
「はい」
見た目が何歳に見えるとか、紳士的で優しかったとか、そういう女の子たちの評判はすべてその男と一致していた。だが、まさか、の展開である。
「えっと、どうします?」
信じられないことがあると、人間はどう反応していいかわからなくなる。ことに彩香のなかの「優美」という女の子はそうである。どちらかと言うと危機的な状況に立ち会わないようにすることがうまい女の子だった。まずは、せめて「買春」を望まないかもしれないという、僅かな可能性にすべてをかけた。
「ホテルにいきましょう。シティホテルに部屋をとってありますから。なにか適当な着替えを買って、そこに来てもらえますか?」
シンチを名乗る男はそう言うと、メモを一枚、「ユカ」に手渡した
「あっ・・・制服じゃないから、大丈夫です・・・」
JK専の男でないときには、予め着替えておくこともままある。スカートは短かったが、シティホテルなら呼び止められることもあるまい。だから、彩香はそう答えた。ただ反射的に答えただけである。頭の中では、あまりのことに、どう反応していいか分からず、戸惑うばかりであった。
すこし、距離をおいて、男の後ろを歩きはじめた。
(ど、どどうしよう。あれはパパだよね・・・)
2か月ほど会っていなかったが、紛れもなく優美の父である。後ろ姿から見てもそれは明らかであった。何度も確認した。
(にげなきゃ・・・)
そうも思った。だが、逃げたところでどうなるというのだろう。
今日の客をすっぽかしたとなれば、そのことはSNS上のやり取りで、優美にも知れるだろう。そうなれば、説明を求められるだろう。その時に、どう答えればいいか、そっちのほうが、彩香にとっては怖かった。どうにか、お話だけでなんとかして、家に帰すことが出来ないだろうか、と考えるしかなかった。
(でも、彩香にとっては、パパでもなんでもないんだよね)
などと馬鹿馬鹿しいことを考えた。彩香の頭の中には、優美との約束で、この援交をすっぽかすなどという選択肢は、まるでないのである。目の前を歩く上杉信一が育てた、真面目で責任感の強い女の子の、宿命ともいって良い。このような場面に出くわしても、まずは約束のことを考えてしまった。何も知らないふりをして、一夜の関係を持って、優美にはこのことを黙っていればいい。
それが一番ラクな解決方法に思われた。
だが、その日起きたことは、少なくとも今の彩香という女の子が、いかにエッチな事が大好きであるかということを思い知らされるできごとであった。その淫乱さのもとを、彩香のカラダに求めても、「優美」の心に求めても、それはあまり意味のあることではない。偶然が重なった上に、何も知らずに塾で勉強しているはずの優美の人生をも、大きく変えてしまうきっかけになる、出来事だった。
「楽にしてて、何か食べたいものある?」
まだ、彩香は信じられなかった。1泊するだけで何万というホテルの一室で、いつもような客ならダブルベッドに腰を下ろすのであるが、この日はベッドに座りたくなくて、ソファを選んで腰掛けた。
考えてみれば、「急に生理が来て」とかなんとか言って、逃げる方法はいくらでもあったはずである。だが、それをしなかったということは、すでに逃げ道はない。
「あっ、いいです。ご飯までおごってもらったら、癖になりそうで・・・」
自分でも、とんでもないことを口走ったものだと思う。
「ふうん。それじゃ一杯どう?」
男は冷蔵庫からビールを一本取り出した。ぶるぶる、と首を横に振った。
「ユカちゃん、評判よりもずっとかわいいから、おじさん張り切っちゃうな」
緊張丸出しの「ユカ」こと彩香の仕草や身を固くする有様は、こういう時には逆効果である。そんなことは知っていたはずなのだが、それでもどうにもならない。
「そう。こっちにおいで」
「あ、あの・・・」
「なに、どうかした?」
「こういうこと、よく・・・されるんですか?」
「あれ?ユカちゃんは、あまり慣れてないんだっけ?」
「そ、そうじゃなくて、奥さんとか・・・あの・・・」
客の事情に深入りするのはタブーである。だが、どうしてもそれをしないわけにいかなかった
「いるよ。娘も一人、ユカちゃんと同じくらいかな」
正解、である。
「じゃあ、どうしてこんなことするんですか?」
「えっ?」
「奥さんもいて、娘さんもいて、それで、どうして・・・」
涙も出ないほど彩香は動揺していた。16年間、父が母親以外の女と寝るなどということは考えたことがなかった。それが、今いかにも慣れた様子で、女子高生ギャルと援交しているのだ。
「ごめんなさい・・・」
“シンチ”のほうがYシャツのカフスを外しながらそう言った。研究員のシンチは普段スーツで仕事に行くことはない。おそらくこの日は外に用事があって少し早く帰る日だったのだろう。見たことのある、一張羅のスーツ姿から、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外し、男は、少しずつ裸に近くなる。
「そんなこと、聞いちゃいけないことでしたね」
彩香は、決めた。今は、ただの援交女子高生「ユカ」になりきろうと。この時間はいつも客と寝るのと同じである。それで、優美に何も言わなければいい。だいたい、このまま優美と彩香が入れ替わったままならば、この男は別にパパでもなんでもないのだから。そう、思い込むことに決めた。
「先に、4枚、いいですか?」
彩香は売春婦のほほえみを取り戻した。だが、どこかに憂いが残っていたのだろう。“シンチ”の目には、その表情がとてつもなく色っぽい、まるで慈母観音の如く、優しさと憂いを帯びた顔に見えた。もちろん、男にとっては燃える要素となる。
「はい、これ、おじさんあんまりお金ないからね、ごめんね」
SNSでのやりとりから、彩香も優美も「シンチ」というこの客は上得意になるかもしれないと判断した。ホテル代別、宿泊、夕食はセックスの後に外出して寿司か焼肉、その先のセックスは別料金、というのがSNSでの「シンチ」と「ユカ」の合意だった。宿泊つき、夕食おごり、ホテルに一泊で2回戦への含みをもたせたから、1回戦目の料金は相場よりも安くした。
「シャワー、浴びますよね。一緒にします?先に入ります?」
このような会話は、客をとるプロの売春婦として普通のものである。一方でもし、客が女の子にあくまで素人っぽさを求めるのならば、いらぬお世話になる。だが、この日、彩香はプロの売春婦であろうと努めた。
「いいから、こっちにおいで」
「あっ・・・」
立ち上がってバスルームに向かおうとする「ユカ」の左手を掴んだ。すぐに、男は後ろから彩香を抱きしめた。
「ちょ・・・あぁん・・・」
いきなりシャワーも浴びずにセックスを求めてくる男もいるにはいる。だが、この日だけは避けたかった。そしていくら売春婦であろうと心が命じても、覚えのある腕の感触が彩香を後ろから包んだ時に、全てが音を立てて崩れていくような気がした。
(もう、どうでもいいや・・・)
気づくと、後ろから抱きつかれたまま、男とキスしていた。180センチ近いシンチと、彩香がキスをするには、彩香はつま先を立てなければいけなかった。
(パパのにおいだ・・・それにパパの腕だ・・・)
幼いころ良くその腕に抱かれた「優美」の記憶が彩香の脳裏にはっきりと浮かんでいた。小学校高学年くらいになると、パパとの肌のふれあい減ったし、こんなにぎゅっとパパに抱きしめられたのはもう10年以上も前のことだろう。入れ替わって彩香になってから50日あまりのあいだ、彩香は実に18人の男の腕に抱かれたが、「優美」としての記憶を心とともに持ってきてしまった今の彩香にとって、「シンチ」の筋肉質で硬い腕に抱きしめられる感覚は、とても、懐かしいものだった。胸やお腹は少しやわらかくなったが、紛れもなくそれは父に抱きしめられている感覚だった。
その日から、彩香は優美との連絡をとらなくなった。電話をかけても出ない、かけ直してもこない。メールにも返信しなくなった。
優美が、「なにかおかしい」と彩香の異変に気づくのに、3日とかからなかった。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。