Act.2 この俺が女に惚れた? 嘘だろ 29
里久の運転するアウディの後部座席で、横に座った多香子が不満げに口を尖らせた。
「もう、せっかくお兄様のコルベットに乗れると思ったのに」
「うるせぇ、パーティーに行ってやるだけありがたいと思え」
「ふーんだ。お兄様、絶対行ってよかったって思うんだから」
本当にそんなメリットがあるのか半信半疑だがな。それより、少しでも寝ておかねぇと頭が働きそうにねぇ。
「里久、俺は寝るから着いたら起こせ」
「承知しました」
「ええ!? お兄様、あたしのこと放っといて寝ちゃうの!?」
多香子の文句を聞き流してシートベルトを締め、背中をもたれ掛けた。このままずっと寝ていられりゃ、楽なんだがなぁ。
その後は到着するまで爆睡していたから、車内で何があったのか知らねぇが、多香子がむくれた顔で頼んでもいねぇのに事情を説明した。
「お兄様、吉永里久ってば酷いのよ! あたしが話し掛けてるのに生返事ばっかりで、挙句の果てに「運転に集中したいので黙って下さい」だって! なんなのよ!」
そりゃ、里久にしちゃ上出来だな。生返事でも一応反応してやってたんだから。とは、更に喧しくなるから言わなかったが。
多香子の言う会場は、台場の巨大クラブだった。まぁ、多香子クラスのパーティーとしちゃ、この辺が相場だよな。
駐車場には結構な数の車が停まっている。その一角の目立たない場所、更にクラブの入り口の傍に里久は車を置いていた。どうせ会場に入れば分かっちまうが、こんなところで俺がいると知れると、もっとめんどくせぇことになるからな。
車の中で待っていると言う里久を残して、多香子と会場に入ることにした。
「とりあえず来てやったんだから、機嫌を直せ」
エスコートしろって要望だったから、ファーを巻いた細い肩を抱くようにして促すと、多香子は顔をしかめて俺の手から逃れた。
「あん、変なところ触らないでよ」
「なんだお前、男に肩を抱かれたことねぇのか」
「やだ。男の人にそんなことされるなんて、気持ち悪い!」
25歳にもなってこんな反応するようじゃ、まともに男と付き合ったことねぇな。男遊びされるのも問題だが、しなさ過ぎるのも問題だぜ。
「じゃあどうすんだよ」
「これでいいでしょ」
言いながら、俺の右腕に自分の両腕を絡めてきた。だが、背がちと足りねぇな。俺の腕に釣り下がってるように見えるぞ。
「お前、もっとヒールの高い靴はけよ」
「むぅ、これでも7センチのはいてるのよ」
「せめて10センチだな。そうすりゃ、もう少し格好がつくぜ」
「もう、あたしがこれでいいんだからいいでしょ! 早く行こう。もう始まっちゃってる」
俺を引っ張るように多香子がクラブへと入っていく。
これから1時間こいつのバッグ自慢を延々と聞かされるのか。今そのことに気が付いた。30分にしておけばよかったぜ。
エントランスで多香子が自分のモデル名を告げると、身元の確認もせずに通された。クロークで多香子のファー・ストールを預けてフロアに出る。思ったよりも落ち着いた内装だが、やっぱクラブってのはチャラけたところだぜ。
さすがにモデルのパーティーだけあって、綺麗どころが揃ってるな。多香子みてぇな童顔なのから正統派の美人まで、モデルの博覧会みてぇだ。
薄暗い照明の下、時々フラッシュがあちこちで見られるのは、パーティーを取材しているマスコミか。俺も撮られるだろうが、まぁしょうがねぇ。
俺の腕にぶら下がる様に腕を絡めていた多香子が、誰かを見付けたのか俺を引っ張っていく。モデルたちに囲まれて、明らかにそれとは違うが妙に目立つ熟女がいた。シンプルな黒いイブニングドレスに、総ジルコンのネックレスが煌めいている。年齢に見合ったコーディネイトは、センスがいい。
このパーティーを主催したプロモーターらしい。その女は、俺が来たことでいたく感動していた。
「東海林グループの会長がこのパーティーに来て下さるなんて、よい宣伝になりますわ」
「すごいでしょ! あたしが頼んだら来てくれたのよ」
多香子が得意顔で俺にしがみついた。物は言い様だな。有益なことってこれか?
「まぁそうなの。ありがとう多香子さん、感謝するわ」
「ホント!? じゃあ今度のガールズイベントのショー、あたしをトップにしてね。あと、いくつかトリにもしてほしいわ」
なんつうことを無邪気にねだってるんだ、こいつは。一緒にいて恥ずかしいぞ。
プロモーターは、顔を引きつらせて即答を避けた。「考慮しておきます」とだけ言ったのは、賢明だな。
「妹の我が儘を聞く必要はありません。特別扱いなど、多香子には10年早いですよ。どうぞ、その他大勢と一緒に扱ってやって下さい」
「お兄様!」
「あの、ですが……」
歳の割りに瑞々しい肌艶のプロモーターが、一瞬安堵した表情を見せたのを見逃しはしなかった。遠慮しているのは、多香子の前だからか。こいつのことだから、東海林の名前を使ってやりたい放題してんだろうな。
「遠慮する必要はありませんよ。礼儀を知らない多香子が、ファッションモデルとして働いていること自体、奇跡のようなものですから」
「お兄様、酷いわ」
「本当のことだろう。挨拶の一つも出来ないで、一端のモデルと思うな」
「…………」
むくれてそっぽを向く多香子の頭を右手で押さえて、無理矢理頭を下げさせた。
「ほら、ちゃんと礼を尽くせ」
「……よ、よろしくお願いします」
プロモーターが呆気に取られた顔で多香子を見ている。こいつ、今まで頭を下げたことねぇのか。全くをもって俺は恥ずかしいぞ。
「もういいでしょ、お兄様のいじわる!」
右手から力を抜くと弾かれたように顔を上げ、捨てセリフを吐いて多香子は一人で奥へと走って逃れていった。今度、真嶋翁に言っとかねぇとな。あれじゃ、多香子の将来が不安だ。
溜め息をついてプロモーターに視線を向けると、まだ呆けた顔をしている。
「我が儘な妹で、いつもご迷惑を掛けているのでしょう」
「あ、は、い、いえ」
正気に戻った女は、そんな煮え切らない返事をしている。俺の手前、多香子のことで正直に肯定することは出来ねぇのか。気にする必要はねぇんだがな。
女の背後に、声を掛けたそうな若い男がいる。モデルの一人らしい、なかなかのイケメンだ。冬樹や里久に比べると大したことはねぇが、あいつらが規格外なだけだ。
俺はその場を離れて、多香子を探す。途中、アパレル業界やプロダクションやらのお偉方に見付かっちまったが、プライベートだと言って挨拶だけ済ませて追い払った。それにしても、見目のいいモデルたちで溢れかえるフロアに、むさいおっさんが複数いると目立つな。
多香子はすぐに見付かった。背が小さくて人影に埋もれていても、妹の姿は見間違えようもねぇ。一緒にいるのは、モデル仲間だな。みんな同じメイクに同じ髪型、おまけに顔まで高校生みてぇな童顔だ。多少の顔立ちはそれぞれ違うが、パッと見はみんな同じ顔に見える。
そのモデル仲間たちに、今日手に入れたガーレットのバッグを見せ付けている。全員、羨望の眼差しで多香子とバッグを眺めていた。あんなに見境なく自慢して、よく敵を作らねぇな。
何か話していた多香子が顔を上げて、周囲を見回した。その視線が俺で止まる。そのまま俺を指差して、隣りにいるモデルの女に何かを告げた。そいつは目を輝かせながら俺に近付いてきた。
やれやれ。まぁ、しょうがねぇな。普段出るパーティーじゃ、静かに立ってることも出来ねぇ。それに比べりゃ、ここはまだ暇な方だ。
典型的な日本人顔に、まっきんきんにブリーチした長い髪。いや、ありゃウィッグか? 緩いウェーブが掛かった髪で、顔の輪郭が隠されている。今時の童顔モデルは、大抵こんなスタイルだよな。はっきり言って誰が誰か区別がつかねぇ。こいつは誰だ? 頭ん中に何人か名前が挙がってるが、分からねぇ。
白い肌にピンクの頬。メイクと分かっちゃいるが、ガチで顔が赤くなっても、これなら分からねぇな。……なんつうアホなことを考えてんだ、俺は。
そいつが目の前に立った。多香子とどっこいどっこいの背丈だな。普通モデルっつったら、俺くらい背が高ぇだろ。やっぱ日本のファッション業界はよく分からねぇ。
「あ、あの、こんばんは、初めまして。あたし理沙っていいます」
「初めまして、東海林隆広です。可愛い方ですね、お会い出来て光栄です」
上目遣いで俺を見上げるそいつの右手を取り上げて、さりげなくキスをしてやる。理沙か、多香子と同期のモデルだったな。メディアじゃ多香子と仲がいいと言われてる。
「今後の活躍を見ていますよ。頑張って下さい、理沙さん」
夢見心地の顔で惚けてる女に、極上の笑みを浮かべて言ってやった。普段から人気モデルとして持ち上げられている女でも、俺クラスの人間と接する機会はそう多くねぇ。このくらいしておけば、腰砕けになるか惚けて妄想するかのどちらかで、後は放っておいてもいいから俺は楽だ。
この女も何か妄想を始めたような顔になった。さりげなくその場を離れて多香子を見ると、相変わらずバッグの自慢に余念がねぇ。
まだ約束の一時間に満たねぇが、義理は果たせただろ。あの輪に近付くと、帰れるものも帰れなくなる。壁際に寄って多香子の携帯にメールを送り、フロアを抜けるつもりだったんだが……。
「こんばんは、東海林隆広様」
背後からフランス語で声を掛けられた。しかも聞いたことのねぇ女の声だ。
振り向いてその女を見た瞬間、誰だか分かったぜ。実際に会ったことはないが、つい最近写真で見た女だ。
フランス語を使っているのは、他に聞かれたくないからか。しょうがねぇから俺も付き合ってやる。
「こんばんは、初めまして。まさかこのような場所でお会いするとは、思いませんでしたよ。高嶺美菜さん」
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