#28 誰にも触れられたくなどない、牢獄
「ほんと、ありがとうね和貴」扉を閉めながら彼女。
「ううん、全然」植木鉢抱え運んでた両腕に変な感覚が残ってるけれど、大したことは。
僕と真咲さんが入ってくるとみやもっちゃんは破顔した。にかぁっ、と眼鏡の奥の目ぇ細めて。――分かりやすい人だ、つくづく。
左から日差しが入ってくる。生物室前の廊下。噛み合わないゴム底のリズム。ペースを落とす。夕方に向けてすこし影を帯びていて――あの日との違いを明確に思い起こす。
僕はこの廊下を走り、彼女はマキと歩いた。
いま僕は走り去ることなんて選べやしない。
自分の気持ちを悟ったいまとなっては。
にちっ、と止まる音。彼女は僕のことをじぃ、と見ていた。……口、開いてる。後ろから斜光が眩しい。細まる目でしかめっつらにならないよう僕は心がける。「……どしたの?」
「ん……」はにかむ。頬が赤いのは気のせいか。「きらきらしてすごく……綺麗だなって。和貴の髪」
どっかん。と心臓に来た。
こういうことを世辞でなく素で言えるのが都倉真咲の怖いところだと思う。(穴が開くかと思った……)
軽く逆光入ってても僕のシャッターで綺麗なのはキミのほうだ。
ピントなんて使いものにならないくらいブレてる。
動揺、してんだ。
僕が言葉に詰まった数秒、にこにこしたまま見守っている。なんつーか、母性。
僕は小さく咳払いをする。「染めてるってしょっちゅう間違われるしかなり不便だよ、これ。上級生とかに目ぇつけられるし、新しい美容室行けば『カラーはどうされますか』、学校変わる度に先生に訊かれるし。『お前それ地毛か?』って」
「そうなんだ。私もそこまでじゃないけど……似たような所はあるかも」確かに真咲さんの髪の色は明るい。僕はイエローが強い、ブリーチっぽい感じだけれど真咲さんは……なんてんのかな、オリーブがかってる。アッシュってほどくすんでもない。焦げ茶だけれど染めない人特有のナチュラルな色味。
光受ければ輝いてそれが露わになる。複数の光彩。
僕は横っ髪掴みながらおどけて言う。「寝癖にも間違えられんだよ? 『あんたここ跳ねとるよっ!』って」
あはは。
はじけ飛ぶ、笑い。
紗優の声真似がそんなに似てたのか、お腹に手をやって。僕はそんな笑い方も、好きなんだ。「でもね。私、和貴の髪が羨ましいな」すう、と息整える。懐かしむような目で見る。僕のことを。
身長差で自然、上目遣いとなる。
「初めて見たとき、フランス映画に出てくる外国人の男の子みたいって思ったの。くるくるで柔らかそうな感じが……」
「触って、みる?」
僕の声はすこし震えた。
なに言ってんだ僕は、と突っ込む前に、笑いが、止まる。
彼女の足が進む。
僕に向かって。
すこし、屈む。
背の低い彼女に届き易いように。
従者みたく跪く、気持ちのなかでも。
つま先。長谷川と違い、名前は書いてない上履きズック。22.5の小さな足。
膝小僧見てるのも変態感全開な気がして、目線だけを上げると、手が。
白く薄い手が。
泳ぎ。
腕の内側の白さ。
ポロシャツの半袖の上半身、てか目が胸元に降りるのは止められようもない。
あの柔らかさを僕は一度だけ知っている。
よく洗ってるような石鹸の匂い。グランサンボン。
薄く透けたブラの白い線。
左のこめかみらへんに触れられたときに心臓が派手に音を鳴らした。
「柔らかい……」
引き絞られる。
心臓が。
僕は固く目を閉じた。
あろうことか右の髪にも触れてくる。片っぽだけでこんな苦しいってのに。
掴むのとはほど遠い、流れ崩さずすすー、となぞるリズム。
シャンプーされるときみたく両の腕が顔の傍にあるこの体勢。
彼女の匂いが増幅する。気配も。リアリティ。
こんな牢獄があるんだったら僕は永遠に閉じ込められたい。
二十センチ足らずに胸元。俯いた顔を正面に仮に向けてたら塞げるほどの接近値。
塞いで好きだっつって私もって言われたら――どんな天国だろう。
機関銃みたく打ち鳴らす鼓動。
離れそうな気配、僕は半ばやけくそで言った。
「ぐしゃ、っとしていいよ」
こんな感じ?
頭のてっぺん、わしゃ、と撫でられる。
父さんがよくやってたみたいな。おっきくなったなー和貴。
地肌にかすかに触れた指の感触。
やだごめん、整えなきゃ。
慌てて引き抜いて撫でつける気配。整える。……母さんみたいだ。
整髪料べたべたにしなくてよかった今日は。
手が、離れたから僕は身を起こした。
いまだ近い彼女は、目も眩むほどににっこりと笑った。
「ありがとね、和貴」
というか足がふらつかないのが不思議なくらいだった。動揺押しこめつつ後じさりをする。これ以上傍に居たら僕はダイナマイトみたくこっぱみじんだ。「真、……咲さんのが羨ましいよ。ストレートで」
性格同様、まっすぐで。
気質みたく整っていて。
指通らせれば気持ちいいことだろう、天使の輪。
すると彼女は、指先で摘まんだ毛束を遊ばせながら、いたずらに笑った。
「触ってみる?」
ネタじゃなくて僕はまじですっころんだ。
ちょっと大丈夫和貴っ!? ってでっかく響いた廊下。
これら一連をみやもっちゃんが遠巻きに傍観してニタついていたことなど悟る余地なんざ。
遅れて二人で部室入って「……遅かったですね」と冷たくタスク部長に見据えられる居心地の悪さなんざ。
帰り教室出るまで膝小僧の白さをほったらかしで「あんた一体なーにやっとったん」と紗優にからかわれる気まずさなんざ。
占い師でもない僕には無論、予測の立てようもなかった。
風呂入るまで髪、誰にも触られたくない幸福を除いては。
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