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R18大地の決意 作者:セノスケ

第14話

14.

「僕も食べ終わった!次は僕がインテルだかんな~」

「俺はフィオンレンティーナ!『バティゴール』の文字、ぜってー出すし」

 焼き立てのアップルパイと淹れ立てのロイヤルミルクティ。母の愛情が籠ったそれらをきれいに平らげた(つばさ)と、兄の駿(しゅん)の二人は、揃って椅子を飛び降りた。ダイニングに隣接するリビングへと向かう。プレイステーションを、電源を入れたままにしている。翼は小学一年生、駿は三年生である。

 戸建てが建ち並ぶ閑静な住宅街だった。決して広くはないものの、手入れが行き届いた芝生の庭で、雀が跳ねる姿がガラス戸越しに見えた。

 リビングのブラウン管には、コンピューターゲームのタイトルロゴが踊っている。イタリアのロサッカーリーグ、セリエAの選手が実名で登場することと、当時としては精緻な操作感覚で大ヒットしたゲームソフトである。

「ペロリと食べちゃったわね。上手く焼けたみたい。あの子達、ケーキよりもパイの方が好きなのかしら」

 二人の母、直美は、この日初挑戦だったアップルパイが子供に好評だったことに喜び、笑みを浮かべつつ後片付けを始めた。ダイニングテーブルの端に食器をまとめ、濡れ布巾を滑らそうと前屈みなった時、背後に気配を感じる。振り返えると無垢な瞳が見上げていた。

「・・・?大地君どうしたの?翼達とゲームしないの?」

 そこには、翼のクラスメートの大地が立っていた。この日は昼から遊びに来ていてる。直美はてっきり大地も翼達と共にリビングに行ったものと思い込んでいたので、怪訝な瞳を大地に向けた。大地は直美と目が合うと、瞳を眼前のエプロンにあるアップリケの辺りに下ろした。

 大きな瞳が印象的な、整った顔立ち。加えて人なつこそうな仕草と豊かな表情。更には小学校一年の児童としては、極めて明瞭な受け答えをする。愛くるしいルックスで、その上利発で明るい子。大地を知る大人の多くは、そのような印象を抱く。

 実母としてのひいき目で翼達と比べても、大地の方が異性の目を惹き付けるであろうことは、容易に想像できた。その大地が不釣り合いな真顔で佇んでいる。リビングからはアップテンポな音楽と歓声が聞こえてきた。インテルナツィオナーレ・ミラノ対ACFフィオレンティーナ。セリエA屈指の好カードの火蓋は、切って落とされたようだ。

「あのね。今日のお菓子、すっごい美味しかったよ!俺、お家で作ったお菓子食べたのって、初めてだったんだ。翼ママありがとう。また食べたいなぁ」

 (ふち)が薄水色の濡れ布巾をテーブルに置き去りにし、直美の右手が口元に移動する。女子高生が下校途中で、クラスメートから突然の告白を受けたかのように、直美は頬を染めた。ブラウン系統のヘアカラーが効いた、結った後ろ髪が小さく揺れる。

「あ、あら。大地君はアリガトウがしたくて待ってたの?美味しかったのね。翼ママも嬉しいわ。よかった~。また作ってあげるわよ。だから遊びに来てね」

「ほんと?また作ってくれるのぉ?やった!やったやった!」

 直美の快諾により真顔から一転、いつもの大地らしい満面の笑みへと変わった。大地はヒーロー物の定番、戦隊シリーズでの名乗りシーンも顔負けの、ダイナミックなポーズを決めた。

(大地君ったらこんなに喜んで。またお菓子が食べられるか不安だったのね。うふふ。可愛い子。あっ!そっか。大地君のお家はお母さんが・・・。ううん。子供はとても敏感。そういう目で見ないようにしてあげないと。特に大地君は頭のいい子だから)

「ねぇ翼ママ。テーブルのお片付け俺もやるから、早く一緒にゲームの部屋に行こうよ」

 直美が気を回す暇を、大地の笑顔は与えなかった。投げ掛けられた予想外の言葉に、直美は首を捻る。

「え?大地君お手伝してくれるの?翼ママもゲームのお部屋に行くのぉ?」

「今翼と駿ちゃんがゲームしてる。次は俺がゲームする番だよ。翼ママと『ぷよぷよ』するんだぁ」

 意表を突かれた申し出に、直美は目を丸くしたまま大地を見返した。当時三十一歳の直美にとって、コンピューターゲームとは、子供と若い男性が興じるものであった。ぷよぷよのような比較的女性の愛好者が多いゲームすら、プレイした経験がない。

「えー?翼ママはゲームなんてしたことないよ。大地君みたいに上手に出来ないよ~」

 直美は中腰となり、目の前にある頭頂部を数回撫でた。

「大丈夫だよ。翼ママ、美味しいお菓子作ってくれた!今度も作ってくれるって言ってくれた。だから俺が、ぷよぷよ教えてあげるの」

 不純物のない瞳と笑顔の申し出に、直美は拒絶する理由も術も失った。

・・・三十分後

「きゃはぁっ!きゃははっ!翼ママ上手だね~。お、よし来たっ!三連鎖!行けぇ」

「あっ!きゃ~!いっぱい降って来ちゃった!もう少しだったのに~」

 コントローラーを握りしめ、画面に合わせて嬌声を発する直美の姿がリビングにあった。母も妻も忘れ、しばしの間だけ娘に戻った直美は、室内を黄色い声に染める。駿と翼は見慣れているはずのぷよぷよの画面を、まるで初めて目にするもののように、じっと見つめている。

「はぁ~。負けちゃったぁ。大地君強ぉ~い。ぷよぷよって面白いのね。これからはママもたまに遊んじゃお。うふふ。大地君ありがとね~」

 コントローラーを絨毯の上に置いた直美は右手を大地の頭頂部に置いた。心の籠もったイイコイイコが始まった。

「大地君はご挨拶も元気に出来て、アリガトウも出来る本当にいい子。これからも翼達と仲良しでいてね」

「うん。俺、翼ママ大好き!」

「うふふ。嬉しい。翼ママも大地君が大好きよ」

(やったぁ。翼ママは俺が好きなんだっ)

大地は後頭部でイイコイイコを心地良さげに受け止めつつ、直美の笑顔を見上げていた。

「大地ナイス!ママがぷよぷよ好きになったら、俺らがゲーム出来る時間が長くなりそう」

 駿が雄々しいガッツポーズをする脇で、翼は母が大地を愛でる様をじっと見つめていた。

・・・一時間後

「どうも今日は~。遅くなりまして」

 インタフォンの電子音に続き、玄関から男の声が響いた。大地が最も聞き慣れた声である。時刻は午後五時前。この日は日曜日だった。翼の父、つまり直美の夫は国産自動車メーカー系の販売店で、カーディーラーとして働いている。土日祝祭日も含めたシフト制で就業しており、この日も朝から家を空けていた。

 玄関からの声の主である大地の父、江傳(えでん)もまた、朝から働いていた。いや、正確に言えば今も仕事中である。大地が一歳の頃、友人と立ち上げた家具商社がようやく軌道に乗り始め、売上、利益、従業員数とも爆発的に増加していた。急成長の最中にある、ベンチャー企業の副社長。この時期の江傳に、休日など無いに等しかった。

 平日は営業や買付などの折衝業務が優先となり、ついつい事務仕事を後回しにしてしまう。江傳は自宅からさほど近い…そう意図して住まいを変えたのだが…オフィスで、午前から経費処理関係の業務に没頭していた。手狭なため半年前にフロアを借り増したオフィス。それを機に社長室と副社長室も設置された。長時間のパソコン作業に肩の強張りを感じた江傳は、黒革張りの背もたれに上体を預けて深呼吸した。何の気なしに今朝の情景を思い浮かべる。

 出勤前に大地の昼食を準備している時、江傳は大地から「昼を食べたら翼の家に遊びに行く」と聞いたのを思い出した。慌てて壁を見やる。家具商社らしく、ビジネスライクながらもセンスを感じる意匠の壁掛け時計は、午後四時半を示していた。

 夕食の準備を気にし始める時刻まで、我が子をよそ様の家宅に置いておく訳にもいかない。しかも今日は日曜だ。家族で外食するかもしれない。江傳はそう案ずると、ノートパソコンをそのままに、オフィスと隣接する駐車場へと向かった。地域の学童保育クラブは休業している。大地が友達の家に遊びに行くというのは、江傳にとって正直なところ渡りに船だった。ちなみにこの時の江傳の愛車はホンダのシビックタイプRである。車体色は当然、チャンピオンシップホワイトだ。

 平日も学童保育クラブは午後六時で終了する。多忙な経営者にとって、午後六時など就業時間のど真ん中といってもいい。自身が取引先との接待や商談などで身動きが取れない時、こういったことを嫌な顔をせず引受けてくれる部下に頭を下げ、大地の送り迎えや夕食の世話をしてもらうこともある。いや、平日はそんな日が大半だといった方が正しい。

 しかし会社もそれなりの規模となり、職掌や人事制度も整備されつつある。そんな中で、副社長自らが私用を従業員に頼み続けるのは決して望ましいことではない。そう自覚する江傳であるが、具体的な解決策はなかった。

 江傳は程なくして、若い女と同棲するという形でこの問題を解決することとなる。その若い女というのが奈津子であり、大地にとって様々な意味で特別な女性となったのは周知の通りである。

「おっ。江傳ちゃんが来たぞ!もう五時か。翼!駿ちゃん!またね~。翼ママ、ありがとう~」

 元気よく玄関へと向かう大地を、痩せ型で長身の江傳が笑顔で迎える。当時三十四歳だった。センスの良いカジュアルジャケットとスラックス、シャツのコーディネートで、ネクタイはしていない。パッチリとした瞳と笑顔になった際の愛嬌溢れる唇の両端が、大地に似ていた。

「江傳ちゃん早いじゃんっ!さっき翼ママの作ったアップルパイ食べたんだぞ!アツアツだったんだぞ!美味しかったんだぞ!」

「むっ!何だと?アップルパイだと?熱々だとぉ?やるな大地ライダーめ!」

 江傳はダイナミックに両手を振って、当時放送中だった仮面ライダーの変身ポーズをとった。大地は江傳渾身のパフォーマンスを、威風堂々たる‘どや顔’と指先で鼻の頭を弾く仕草で受け止める。大地の背後からスリッパの音が追いかけてきた。直美は子育て期間真っ最中の身であるが故、江傳のポーズに必要以上の反応は示さなかった。

「神田さん。いつも大地君に翼と駿がお世話になってます」

 江傳はさほど恥じらうでもなく仮面ライダーのポーズを解き、どちらかというと締まりのない笑顔で軽く会釈した。

「これはこれは太田さん。翼君のお母さん。こちらこそ大地がいつもお世話になってます。今日もお邪魔させて頂きまして…。太田さん、今日は特にお綺麗でいらっしゃる。エプロン姿がいつもお似合いですね。確かこないだお会いした時は、ピンク色のチェック柄のエプロンでしたっけ。私がCMプランナーなら、台所用洗剤のCMに太田さんを抜擢しますよ。太田さんの魅力を軸にCMの構成を考えます。ははは」

 真顔でいれば、江傳は大抵の女性からハンサムと評されるであろう。だが発言と笑顔がスナック菓子のように軽いのが、武器でもあり欠点でもあった。幸いにして直美は江傳のキャラクターに否定的な印象を抱く女性でなかったようだ。右手で口元を覆ってコロコロと笑っていた。

「きゃー!もう神田さんたら。いつもテキトーなこと言って。面白い。私はピンク色のエプロン持ってませんよ。うふふ。CMなんて…。そんなの言われたの初めてです」

「あ、そうでしたっけ。うむむ~、きっとこれからお母さんはピンクのエプロンをお買い求めになるんでしょう。もしかしたら夢の中で、太田さんの一年後の姿を見ていたのかも」

「むむ?間違えたな?江傳ライダーめ!」

 大地がすかさずポーズを決める。江傳も負けじとポーズを取ったのは言うまでもない。軽口を数回やり取りした後、江傳ははたと思い出し、ジャケットの裏ポケットから茶封筒を取り出す。中には‘ひばりグリル特別優待券50%OFF’と印刷されてた紙が数枚入っていた。

「仕事絡みのもので恐縮ですが。私どもの会社がここのレストランチェーンから、調度品のトータルコーディネートを引受けておりまして。その付き合いの中でこういったものを頂きまして。もしよろしかったら皆さんでお使い下さい」

 江傳は極めて敵が生まれにくい笑顔で、茶封筒を差し出した。オフィスを出る直前、咄嗟にポケットに入れたものだ。高級店として有名なレストランチェーン。その優待券がファミリーユースでは極めて有用であるのを、直美は瞬時に理解した。恐縮し丁寧に頭を下げつつ、両手で割引券を受け取った。

「大地君は本当にお利口さんで礼儀正しくて。いつも関心してるんです。ご立派なお子さんをお持ちで羨ましいです。ね?大地君。今日もいい子だったもんね~」

 大地は先程と同様のどや顔で頷いた。

「こちらこそ手作りのお菓子までご馳走になりまして…。大地もこの通り大喜びしております。翼君と駿君、これからも大地と仲良くして下さい」

 江傳は軽い笑顔は封印し、やり手のビジネスパーソンらしく感謝の念を込めた深い一礼で締めると、大地を連れて玄関を出た。大地の手を握り、歩いて数分の場所にコインパーキングに向かう。大地を連れてオフィスに戻るつもりだった。その途で、大地が突如目を丸くして叫んだ。

「やっべ!翼ンちにストゼロスリー忘れた!取ってくる」

「ん?そうか.行ってこい」

 江傳は‘ストゼロスリー’とはゲームソフトの類だろう察した。再び自分が顔を出すこともなかろうと判断し、大地を送り出す。当時喫煙者であった江傳はシビックタイプRの脇で携帯用灰皿を取り出し、マルボロに火をつけた。

「…?」

 インタフォンを押そうとした大地の指が止まった。ドアの向こうから子供の泣き声が聞こえている。

(なんだろ。翼が…泣いてるのかな)

 大地はしばし躊躇したが意を決し、玄関のノブを捻った。施錠はされてはいない。開いた扉に、そっと上半身を入れた。

「ほら翼!もう泣かないの!大丈夫よ」

「うわぁぁぁんっ!だって、だって!ママは大地が大好きて言ってた!大地をいっぱいイイコイイコしてた!」

 玄関とリビングは、ドアで仕切られている。ドアには縦長の磨りガラスがはめ込まれていた。大地の瞳に、直美と翼と思しきシルエットがガラス越しに飛び込む。直美がしゃがみ、二つのシルエットの身長差が無くなった。やがて二つのシルエットが重なる。膝立ちの直美が、翼を抱き寄せたようだ。

「翼は心配だったのね。ゴメンね。大丈夫よ。翼はママの子。翼を嫌いな訳ないでしょ?ママが一番大好きな子は翼と駿よ。だから泣かないの」

「ふわぁぁぁぁん!うわぁぁぁぁん!」

(…そっか。翼ママは翼と駿ちゃんが、世界で一番好きなんだ)

 大地は翼の泣き声に隠れてドアを閉め、江傳の待つ駐車場へと戻った。

「ん?」

 江傳が二本目のマルボロに火を点けようとした時、大地が現われる。ゲームソフトを取りに戻ったにも関わらず手ぶらなことに、江傳は首を捻る。表情も数分前とは別人のようだ。

「大地。ストゼロスリーってゲームのことじゃ…」

「貸してやった。翼がやりたいっていうから」

 大地は江傳を遮って答えた。江傳はこれ以上の野暮は聞くまいと決め、若干唾液のついたマルボロをボックスに戻した。シビックタイプRのキーを取り出し、ドアを開錠する。運手席に沈もうとする江傳を大地の言葉が止めた。

「江傳ちゃん。晩ご飯はカレーにしようぜ。カレー。良くない?」

 大地は明らかに悲しみを押し込めて強がっている。そう察した江傳だが、笑顔で頷いた。

(悲しみに耐えて強がる男…か。大地は男手で育てていくんだ。こういう時は、大地の強がりに乗っかってやるべきだな)

「お!カレーいいな!よぉし、美味いカレーを食べに行くぞ!これから会社に戻って、ちょっとだけ仕事するから少し待たせるが…。行こう!東京一美味いカレーをたくさん食いに行くぞっ」

「オッケー!行くぞっ」

 満面の笑みの江傳に呼応し、筋力で笑顔を作った大地は助手席のドアを開けた。シビックタイプRのキャビンから白い光が溢れ出すと、瞬く間に大地の全身を包んだ。

…………
「ん…」

 夢から醒めた大地は、目を擦りながら周囲を見回した。昨夜のベットパートナー、理香の姿が寝室にない。カーテン越しの日差しから、既に日が高いことを察した大地は上半身を起こす。耳を澄ますまでもなく、ドア越しにトーク番組と思しき笑い声と話し声が聞こえる。大地はしばし目頭を押さえて静止した後、二回ほど頭を振ってからベッドを降りた。全裸であったが、何の躊躇もなくドアノブを捻る。

「うっす。理香早いじゃん」

 大洋は理香の背に立った。理香は絹糸のような黒髪を、ドライヤーとブラシで仕上げている。寝室に背を向ける姿勢で、リビング隅の三面鏡台に掛けていた。深紅のバスタオルを巻いており、すっぴんであることや、全身からほのかに湯気が立っていることから、既にシャワーは浴びているようだ。

「おはよ。七時過ぎに目が覚めちゃった。喉が渇いてたからかな」

 理香は鏡を使って背後の大地を一瞥した。大地は徐に手を伸ばし、バスタオルの結び目を解いた。バラの花びらが舞い散るように落下した。

「そっか。オレも喉渇いて目が覚めた感じかも。寝る前、理香もオレも結構水分補給したのになぁ。やっぱり冷房無しでガッツリ遊ぶと、超汗かくのかな」

 大地は平坦な口調のままに、両手を巨大な膨らみに回した。ブラッシングに勤しむ理香に構うことなく、二つの膨らみを下から持ち上げ、大きな円をゆっくりと描き始める。理香は振り返りもせず、ブラシを髪の中で泳がせていた。

「シャワー浴びる前、麦茶を作って冷蔵庫入れといたわ。水出しだからまだ出きってないと思うけど」

「お!さすが理香。っつーかさ、パンツとか靴下とか洗ってもいい?理香ンち乾燥機あるじゃん?洗濯はお急ぎモードでして、その後乾燥したら十一時までには乾くっしょ」

 膨らみをむさぼる手が、円運動以外だけでなく複雑な動きを加える。時に指と指の間から白い柔肉が溢れるほどに深く揉みしだき、時に膨らみの割には可憐な突起を強弱をつけてつまむ。目覚めらしからぬ指使いに、理香は若干呼吸のリズムを変調させたが、鳴くことはなかった。突起の固さと輪の直径は変化していたが。

「そうね。今すぐ洗濯機入れたらギリギリ間に合うかしら。年増のおっぱいを、宵越しで構ってくれるのは有り難いんだけど、大地に生乾きの服を着させてここを出たくないわ」

 理香はブラシをテーブルに置いて立ち上がり、振り返った。本人の謙遜とは裏腹に、色、形、張りと柔らかさ。どれをとっても一級品の乳房である。大地はそれを存分に味わっていた、陰茎を勃起させていない。理香にはそれが、昨夜のベッドで大地の精力を全て吸い取った証にも、自身の女子力が大地には不足している証にも感じられた。

「そだね。じゃあ洗濯機借りるよん。オレがシャワー浴び終わる頃には、麦茶も飲み頃っしょ」

 相変わらずの笑顔で、大地は衣類を洗濯機に放り込む。続いて家から持参した歯磨きセットとカミソリを持って、バスルームへと消えた。

 理香は下着を収納しているタンスへと向かう。ショーツを穿く前に、大地の愛撫による膣内の変化を確かめようとしたが、留まった。何故かよく分からなかったが、もしも自分が濡れていたら、大地が少し遠い場所に行ってしまう。そんな気がした。しばし悩んだ末に、パンティライナーをショーツにあてがった。

夏休みに入り、区立中学校の英語教師たる理香も、しばし教壇からは遠ざかる。が、勿論それは理香に一ヶ月強の休暇を許すものではない。この日は午後一時より、区の教育委員会が主催する研修会に出席しなければならなかった。研修会場は押上駅からバスで三十分程度の場所にある区民会館の一室である。

 十二時頃出れば充分間に合う。が、大地と理香は押上駅前にある喫茶店で昼食をとるため、十一時過ぎにはマンションを出ることにしていた。バターとメイプルハニーシロップで食べる、イングリッシュマフィンとクランペットが絶品だとの言葉に、大地が乗った。

 理香の配慮のお陰で、大地は十分に乾燥した下着を身につけて部屋を出る。理香はメイクを終え、白いブラウスと黒いタイトパンツ姿となっていた。大地は理香のウエストを抱き、押上の駅前を歩く。

「美味い!ホントだ。メッチャ美味いんだけど~」

「うふふ。ヨーロッパ帰りの大地の口に合うなら本物ね」

舌鼓を打つ大地の真向かいで、理香は両手で頬杖をついていた。モーニングとランチの間で、店内に他の客はいない。最奥のテーブルに着座する理香と大地の会話は、オーナー夫妻の耳に届くことはなかった。

「ふ~ん。そっか~。研修そのものがウザいっていうより、人間関係がウザイのか~」

「まあ、言っちゃえばそういうことかな。自分で言うのもなんだけどさ…ほら、教員って職場の人付き合いがあんまり得意じゃない人っているでしょ。今日みたいな研修って、グループ作業とか発表があったりするんだけど、コミュニケーション下手な人が結構露骨に浮き彫りになっちゃうのよ」

「そういうもんか~。っつーかさ、理香なら他の先生に口説かれるっしょ。研修後に懇親会とかありそーじゃね?」

 イングリッシュマフィンを囓りつつ、何の気なしに発した大地の言葉に、理香が顔をしかめた。まるで何倍も濃縮したブラックコーヒーを飲み込んだかのような表情だった。

「あちゃ?もしかして理香の地雷踏んじゃった?」

「うーん。残念ながら踏んでる。そうなの。私よりちょっと上、三十過ぎで独男の英語教師が隣の中学にいるんだけどね。超キモ…っていうかさ。ルックスが受け付けられないとか、キャラが許せないとか、そういう単発じゃないの。総合的にNGなのよね・・・。各パラメーターが全て高いとこでバランスしてるっていうか。しかも…」

 大地がすかさず合いの手を入れた。

「わかった!理香を必死で口説いてくるんじゃね?」

「…大正解。明白に『私はあなたが絶対無理です』オーラ出してるんだけどね。夜の懇親会で毎回絡んでくるの。何で気付かないんだろう。誤解されようがない程に、無視無視攻撃してるのになぁ」

「へぇ~。理香が露骨に拒否ったら、大抵分かりそうなのになぁ」

「例えばさ、ルックスが異性としては絶対無理って感じでも、職場の同僚として普通に付き合える程度には、私って大人のつもりなんだけどね。あれだけは無理。は~。これから会うんだよな。普段の職場が違うのが救いか」

 理香はため息混じりに、サイフォンで淹れたアイスコーヒーを含んだ。

「ありゃりゃ。理香の世界一嫌いな男っつー地雷踏んじゃったのね」

 大地の言葉に頷こうとした理香であったが、次の瞬間動きを止めた。憂鬱に満ちていた瞳が、その中でみるみる内に炎をあげつつ、大地へと向かう。

「違うわよ。世界一嫌いな男はそいつじゃないわ」

「へ?じゃあ誰?」

 理香は両手で頬杖をつき直し、メイクで一層くっきりした瞳を大地から逸らした。窓の向こうで停車した路線バスを睨み付ける。

「…一番嫌いな男は、私と一緒に居ない時の大地」

 言い終わると理香は頬を膨らました。瞳は相変わらず窓の外に向けられている。

「わぁ!ってことは一緒に居る時の俺って、理香の世界一好きな男っつーことじゃね?」

 無菌室で作り上げたような、憎みようのない笑顔で大地が答えた。理香は頬杖で外を見たまま、英語の授業で発音のレッスンでもするかのように、唇をパクパクと動かした。音声は発していない。

「ん?何?」

「ムカつくって言ったのぉ!」

 大地が強盗に拳銃を向けられた店員のように、両手を挙げておどけてみせる。その様を睨み付けると、理香は残りのアイスコーヒーを吸った。会計後喫茶店を出てからも、理香の瞳の炎は消えることがなかった。

「じゃあ理香。オレは地下鉄乗るから。美味しいランチご馳走様!研修頑張ってねん。つーか理香と会えてメッチャ楽しかった。夏休み中にまた遊ぼうぜ!泊まりでどっか行かね?温泉とかさ」

 駅前のバスターミナルで大地が言った。理香の美肌が真夏の太陽を照り返している。理香が乗車する予定のバスは既に到着しており、十メートルほど先で停車している。車内の人影はまばらで、座席には十分ありつけそうだ。

「っていうか…。まあいいや」

 理香はやるせなさとも脱力感とも言い難い感覚に包まれ、途中で言葉を止めた。大地は笑顔で一歩近づいて来る。

「つーことで理香。バス乗る前にキスしようぜ」

「ちょ、大地あんたね!」

 理香は目力(めぢから)を込めて大地を睨む。一方の大地は、アメリカ西海岸でそよぐ乾いた風のような笑顔で受け流した。

「だってさ、オレってもうすぐ理香が世界一嫌いな男になっちゃうんだろ?その前にキスしてーじゃん。今のオレは、まだ理香の愛するオレなんだろ?」

「な…。え?んっ」

 理香が言葉を失っている隙に、大地は唇を軽く重ねた。抱擁しなかったこともあり、白昼の駅前の割にはそれほど周囲の目を奪わなかった。

「大地が日本に戻って来てもうすぐ一年ね…」

「そーよん。それが何か?」

「あんたねぇ。適齢期の乙女の婚期を、一年近く遅らせてるんだからね!その罪の深さ、分かってるわよね?」

 理香は離れたての唇で言い捨てると、黒髪を舞い上がらせて振り返り、バスに乗り込んだ。ルージュを引いたばかりの唇が気になり、手鏡で確認したのは着座してからだ。

(会う度に大地と精神年齢が近づいてる気がする。もう大地の前で大人振れないのかも。セックスした次の日は特に。このまま大地に抱かれてたらそのうち…。会いたい日に会えないと、泣きながら大地のメールや電話を待ってる?やだそんなの。ムカつく。大地…分かってるくせに!)

(理香っつーチョイス、大正解だったなぁ。いい体してて感度も最高、その上テクニシャン。さすがに濃いセックスになるわな~。やっぱ理香とはもっと遊ぶ回数増やすか。月一?、もうちょっと食べたいかな。泊まりン時、前の日から精子溜めておかねーとな)

 大地はバスの車窓越しに理香を見つめる、意識して大地から目を背けている様子に愛らしさを覚えた。

(温泉、どこがいいかな。露天風呂貸切出来るトコとか?あっ!また理香でパイズリ遊びすんの忘れた。騎乗位でもあんまり遊ばなかったなぁ。まあ、次回のお楽しみか。取り敢えず今回は、ヌレヌレでテカテカのアソコガッツリ拝んだし、ガンガン中イキさせて締め付けてもらったし、満足っつーことで)

 大地は改札口へと続く地下道に潜ると、携帯電話を取り出した。受信メールの一つを開く。

==
送信元:(はるか)
件名 :池袋なう!
本文 :

やっほ~大地!
っつか実はマジヘコみ中
おとといだっけ?
大地にも言ってた悪い予感、見事に当たっちゃったのよね~。
今池袋のマツキヨ。とーぜん一人。
あたし超かわいそじゃね?
もう最悪の夏休みスタート。
せっかくブリーチがっつり決めたのにさ~。
大地は何してるの?
超暇だし、池袋集合大至急ww
==

==
送信先 :遙
件名  :Re池袋なう!
本文  :

うぃっす。てか予感当たっちゃったか。
そりゃ凹むわな~。
オレは今、墨田区の押上駅よん。
そんな寂しがってる遙をほっとけないし、今から池袋くわ。
つか単純に遥に会いたいだけっつー説が有力。
夏休みスペックの遥、超見てーし。
ともかく三十分位…一時には池袋着くから待合せ場所教えて。
んじゃね
==

 大地はメール送信を終えると、て東京メトロ半蔵門線の改札を通った。

(丸ノ内線で大手町乗り換えでいいや。多少遠回りだけどシンプルだし。一時には着くっしょ)


第15話へ
大洋君とひかりちゃんの一夜は、甘ったるく更けて甘酸っぱく明けた。

大地君と理香先生の一夜は、脂っこく更けてほろ苦く明けた。

そんな感じでしょうかね。

ちなみに、夢の中とはいえ、江傳ちゃんが初登場です(以前は電話の声のみ)。モデルは高田純次なんですけど、イメージ出てますかね~。高田純次をもう少し「ビジネスパーソン(=常識人)」側に振った感じなんですけど…。
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