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R18憑け髪 作者:妃宮 咲梗

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 やっとの思いで自宅に帰り着いた小沢は、ぶつかる様な勢いで玄関のドアに張り付くとそのままクルリと向きを変えて背凭れ、ズルズルとゆっくりその場にへたり込んだ。
 まだ外ではあるものの、門をくぐって自宅の敷地内に到着した時点で根拠のない安堵感で、それまで自分を覆っていた恐怖や不安から解放された気がしたのだ。ここなら大丈夫だと思った。この家に戻れば自分は安全に守られると。――この家こそが、怨霊の巣窟になっている事も知らずに――。
 家の中では固定電話が鳴っているのが聞こえたが、この際無視した。今時留守番機能は勿論着信履歴も表示されるので、後で相手に掛け直せば済む事だし緊急なら、携帯電話にも掛けてくるだろう。
 やがて彼は、究極の疲労と安堵感とで体力的にもピークだったらしく、気を失うように玄関のドアの前で少しずつ地面に倒れこみながら、深い眠りの落ちていった。

 蚊の羽音や(かゆ)みに悩まされて、目を覚ました時は夕暮れだった。
 しかし夏の日の出は長い。七時前後といったところだろう。全力疾走した上に硬いタイル張りの玄関先で寝てしまい、全身がギシギシと痛む。おまけに大量の汗を掻いておきながらそのまま眠ってしまったので、少し体も冷え汗臭く尚且つ咽喉も渇いて堪らない。
 小沢はふらりと立ち上がると、痛む体に苦悶の表情を浮かべながら玄関の鍵を開ける。そしてふと思い出したように鍵穴に差し込んだまま、周囲を見渡してみた。
 ジョギングする者、犬の散歩をする者、下校する賑やかな学生達。それらはどれを見ても、何の代わり映えのない至って普通の光景であり、姿だった。おまけに偶然通り掛かった近所のおばさんまでが、にこやかに呆然と立ち尽くしている彼を見つけて、気さくに声を掛けてくる。
「あら渉君。今帰り?今年のお盆はご両親が帰られるから、少しは楽が出来るわね。男の一人暮らしは不便なものでしょ」
「あ、ははは。こんばんわ。そうですね。その時は久し振りに、お袋の味を存分に堪能しますよ」
 はたと我に返った小沢は、いつもの愛嬌の良い笑顔で気軽に返答する。
「早く結婚すると、もっと毎日を堪能出来るわよ」
「今は仕事が恋人みたいなものですから。でももしその時が来たら、勿論ご連絡しますよ」
「きっと素敵な旦那さんになるわよ渉君は。それじゃあね」
「はい。失礼します」
 この会話のお蔭で余計に彼の心は解された。小沢は去って行く近所のおばさんの後ろ姿を見送りながら、表情をより一層穏やかに微笑んだ。
 やはり熱中症と疲労による、錯覚だったんだ。一刻も早く水分を取って、シャワーを浴びよう。
 そうして改めて安堵の息を吐くと、玄関のドアを開けた。ヒヤリとした空気が流れる。一瞬エアコンを入れっ放しにしたかと思ったが、今の彼には心地良い涼しさだった。そして中に入ると今度はいつもの、閉めっ放しにした真夏の家独特の蒸し暑さが(よど)んでいた。先程の涼しさは玄関だけだったらしい。小沢はたちまちそのむさ苦しさに不快感を露にして、エアコンを作動させると冷蔵庫から無造作にビールを一缶取り上げる。そしてタブを開け放つと豪快に咽喉を鳴らす。そしてそのまま一気に、一本飲み干してしまった。冷えた風と生温い風との両方が、室内を渦巻く。まるで空気が生き物の様に、蠢いているかのようだった。
 ふとリビングの棚の上に置いてある、固定電話の点滅に気付く。そういえば電話が鳴っていた事を思い出して歩み寄ると、その点滅ボタンを押す。するとアナウンスが開始された。
“全部で、二十件の、メッセージをお預かりしております”
 その数の多さに小沢は顔を顰める。やがてメッセージが流れ出す。まずは一件目。
『あーーーーーーーーーー』
 幼い子供の声だ。ひたすら息づき無しに録音時間内一杯まで、その一声だけを発し続けている。二十秒設定にしているので結局、二十秒間それだけで終わった。
 間違いか悪戯電話かと、小沢は煩わしそうに嘆息を洩らす。そうして呆れながら上のTシャツを脱ぎ始める中、引き続き二件目が再生される。今度は若い男の声だった。
『まーーーーーーーーーー』
 こちらも同じように一切の息づき無しに、時間内一杯発し続けている。初めは職場の同僚かと思って、表示されている着信履歴を確認したが非通知になっていた。知人からであれば、そんな事をする訳がない。これも二十秒で終了し、次は若い女の声。
『たーーーーーーーーーー』
 小沢は次第に馬鹿らしくなって、そのまま再生を流しっ放しにして風呂場へと行ってしまった。

 そして男らしく、ささっと素早く全身を洗い終えて出てくる。濡れた頭にタオルを被せた状態で戻ってくると、留守電はまだ続いていた。
『だーーーーーーーーーー』
 それは老婆の声をしたか細い声だった。小沢はタオルで髪を拭き上げながら、後何件残っているのか電話の液晶画面を覗き込む。すると残り一件になっていた。小沢は早送りしてその老婆の分を飛ばし、最後の一件を再生した。と、その最後の分は男とも女ともつかない、野太い声で威嚇するかのように発せられた一声だった。
『せえエエエえええエええーーーーーーー!!』
 それにビクリと体を弾ませた小沢は、目を見開いて大慌てで再生を停止する。心臓が早鐘を打つ。せっかく洗い流してさっぱりした彼の脇下から、再び汗が吹き出てくるのが分かる。
 今のは、昼間トラックに跳ねられそうになった直前に、俺の耳に飛び込んできたあの声――!?
 すると固定電話からワンコールが鳴り響いたので、小沢の全身に緊張が走る。それはFAXで、内容を受信した用紙が定期的な機械音を立てながら、吐き出されてきた。息を呑んで、その少しずつ内容文を表す用紙に視線を落としたまま、身じろぎ一つしない小沢。やがて全てが出てくる頃の彼は、我が目を疑っていた。そして改めて、半ば慌てるかのように再び留守電の再生ボタンを初めから流し始めると、それを立て続けに次々と早送りで飛ばしながら、初めの出だしの一声だけを繋ぎ合わせていく。するとそれは、一つの言葉となっていた。老若男女に動物や擬音等を織り交ぜて、完成されている一つの言葉。それはFAX用紙にある文字と同じ内容の言葉だった。

数多(あまた)ナル亡者にソノ贓物(ぞうぶつ)を差シ出せ』

 贓物とは、犯罪を犯してから入手した盗品の事だ。つまり小沢にとってそれは、これまで収集してきた毛髪を意味する。彼は思わず顔面蒼白になる。
「誰の悪戯だこれは!!」
 小沢は怒声を上げて留守電の中身を全て消去し、FAX用紙も破り捨てる。
 ……ところが、再び全消去した筈の留守電のメッセージが復活して、再生を繰り返し始めたのだ。おまけに次々と同じ内容のFAX用紙が何枚も吐き出されてくる。ついに小沢は激昂(げっこう)しながら、その固定電話を取り上げると配線を引きちぎり何度も床に、乱暴に叩き付けてバラバラに破壊してしまった。小沢は肩で息をしながら、不機嫌な様子でソファーに身を投げる。すると次は携帯電話のメール着信音が鳴った。一瞬、また同じ内容かと疑いながらメールを確認すると、違った。
[渉君。好きよ。愛してる。]
 そこにはその文字があった。ついキョトンとして、送信者を確認するとそこには“麻実(あさみ)”とあった。
 麻実? 死んだ筈の彼女が一体どうやって……。
 小沢は思いながらも、不思議と喜びの笑みを浮かべる。
 例え彼女の死霊の仕業でも、相手が麻実。君であれば満足だ。
 改めて彼女との情事を思い出して、心ときめかせる小沢。すると再び彼女からメールが届いた。
[逢いたいよ]
「麻実……」
 小沢は耽溺(たんでき)した声で呟くと、二階の寝室に向かった。そこには彼女の死体から刈り取った、毛髪が壁掛け(タペストリー)となって枕元の壁に飾られている。小沢は寝室に入るやベッドに腰を掛けて、彼女の毛髪を手に取る。そして優しく囁きかけた。
「来たよ麻実。ごめんな。寂しかったか?」
 彼は優しく問いかけるとその毛髪に鼻を当てて、スッと毛先まで移動させながらその馥郁(ふくいく)を楽しむ。しかし最早死んだ毛髪からは、何の香りも発せられない。それでも彼は、タペストリーの毛髪に頬擦りをするとあちこちに口づけをする。

≪アーあ゛あ……嬉シイ――渉君……!!≫

 突然耳元で聞こえたその声に、彼はハッとする。
 野太い声。彼を抱き寄せるようにして、絡みついてくる毛髪。それまですっかり自己陶酔していた小沢の顔は、蒼白となり少しずつ頬擦りしていた髪から距離を築きながらその凝視させた視線を、毛髪のタペストリーへ釘付けにした。何故ならば、そこには毛髪が浮き上がって人の顔した輪郭を作り出し、落ち窪んだ眼窩(がんか)と開け放たれた大口とで魑魅(ちみ)なる原型を(かたど)っていたからだ。
「ぅわあああああぁぁあああぁぁぁぁーーーーー!!」
 小沢は自分に絡みついてくる毛髪を、引き離そうもがいたが逆に掛けてあった紐の方が壁から外れて、小沢の首に絡みついたままぶら下がる。小沢は猛然とその毛髪を引き離そうと引っ張りながら、階下へ転げ落ちるように下りると急いでハサミを持ち出しトイレへと駆け込むや、細かく切り刻み引き離すとそのまま全てトイレに流してしまった。締め付けられた首に手を当てながら、肩で息をする小沢。そして漸く落ち着くと、その上下していた肩を今度は小刻みに振るわせ始めた。
「クックックック……アッハッハッハッハ!! ――残念だよ麻実。人がせっかく愛してやったのに、こんな仕打ちをするとは。名残惜しいがこれでお別れだ。サヨナラ――麻実」
 そして小沢は勝ち誇った顔をしてリビングに戻ると、ついでにビールを再び取り出してソファーに身を投げた。すると、再びメールが届いた。
[寂しいよ。お願い、私を一人にしないで。]
 それを見て嘲笑しながら、小沢は携帯電話を脇に放る。
「もう無理だ。悪いがしつこい女は嫌いなんだよ」
 そうして開封したビールを口に仰ぐ。すると再びメールが届く。煩わしげにメールを見る。
[今からそっちに行くから、待っててね。]
 これには小沢は、思わず目を見開く。
「ふ! ふざけんな!!」
 そう怒鳴って乱暴に携帯電話を二つに折り破壊すると、続けてビールを一気に仰ぎ飲む。――が、壊れた筈の携帯電話が再び新たなメールを受信した事を知らせる、着信音を鳴らす。ビクリと体を弾ませる小沢。そしてまるで汚物でも手にするかのように、人差し指と親指の二本だけでそっと摘み上げながら液晶画面を、覗き込んだ。

 ――[来たよ。]

 この文字に驚愕し、目を見開く。
 するとサワサワ……と、足の爪先を何かが触れた。激しくなる動悸と呼吸に、恐る恐るテーブルの下を覗き込むと。――居た。そこに。彼女が。高さ、僅か三十センチ弱の間しかないテーブルの下に、楠 麻実(くすのきあさみ)が体を小さく丸め(うずくま)る形で、小沢を凝視していたのだ。しかも顔は白骨化の髑髏(どくろ)状でその眼窩(がんか)には、ポッコリと浮き出た腐敗した眼球。白骨の開口された顎からは、無数もの切り傷が割れて深い溝がいくつも走る、黒ずんだ紫色の舌がだらしなく伸びきり、たくさんの(うじ)が這い回っている。もの凄い腐敗臭が鼻につく。先程小沢が、細かく切り刻んでトイレに流した筈の美しい彼女の長い漆黒の大和髪が、髑髏の頭を覆っている。
 ズル、ズルリとテーブルの下から這い出てきながら、彼の足を掴んでよじ登って来る。

≪ズッと一緒ダと言ってクレタのは、嘘だっタノ……? 小沢 渉うウゥゥうぅぅウうぅ~!!≫

 二重になって聞こえる、野太いノイズの様な声。
「よせ……やめろ……来るな。来ないでくれ麻実――!!」
 小沢は声を震わせ引き攣らせながら、後退りして顔面蒼白で懇願した。




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