スペイン北東端の街フィゲラスから車で約1時間、地中海を望みつつオリーブと松がひょろひょろ生える岩山のつづら折りを進むと、波静かなカラモンジョイの入り江が現れた。
ほとりの高台にオレンジ色の屋根。フェラン・アドリア(48)がシェフを務めるレストラン「エル・ブリ」だ。
「分子調理法」を駆使した料理で知られ、英レストラン誌で2006年から4年連続世界第1位にランキングされた。
「お客様は世界中から。昨夜は日本人9人の一団がお見えでした」。
ダイニングルームの責任者バルバラ・フラガ(25)がほほえむ。営業は夜だけ、しかも年の半分は休業するエル・ブリが受け入れる客は年間7000人に限られる。
1人あたり食事だけで270ユーロ(約3万円)という値段にもかかわらず、予約の申し込みは「年間百万件を超えて、数え切れない」そうだ。
訪れたのは午後4時。開店を前に、厨房(ちゅうぼう)では53人の料理人が仕込みにあわただしい。ダイニングの一角では、霧に包まれたテーブルを写真家が撮影中だ。近く出版する料理写真集用という。
霧をつくり出したのは液体窒素。この店では、従来のレストランでは無縁だった液体窒素やアルギン酸ナトリウムといった物質が、ごく普通に使われる。これによって予想もしなかった視覚的、嗅覚(きゅうかく)的、味覚的世界が、テーブルの上に出現する。
「いつも客が感動する料理をつくりたい。驚きは、感動を構成する重要な要素なのです」とアドリアが説明した。
西欧には、ブルボン朝の時代から脈々と続く正統派フランス料理が息づいている。神髄は、手の込んだ重いソース。しかし、その流れを変えたのが、1970年代に一世を風靡(ふうび)した「ヌーベル・キュイジーヌ」だった。
素材の新鮮さを生かし、油を控えた調理法が、料理をずっと軽く、明るくした。
「これに匹敵する変革になるかも知れない」と、辻静雄料理教育研究所長の山内秀文が語るのが「分子調理法」だ。この10年、世界の一流レストランを席巻している。フランスの科学者らが提唱。調理の過程を科学的に分析し、シェフの経験や勘頼みでない、新たな食材や調理法を生み出してきた。
アドリアは、分子調理法を完成させたシェフとみなされている。フラスコやスポイトなど実験室でおなじみの用具やソーダサイフォン、減圧調理器具といった物々しい最新鋭機器を駆使。食材を粉砕したり泡にしたりすることで、味や香りを失わないまま胃袋にもたれないメニューを次々と考案した。
その結果、コース料理は、1人あたり30品前後からなり、しかも皿ごとに味が異なる多彩性を持っている。
「ハムメロン」
シャンパングラスに入ったドリンクで、定番の前菜「生ハムメロン」とは似ても似つかない。メロンの果汁とアルギン酸を混ぜて球状に凝固させ、ハムのコンソメに浮かす。
「カボチャの油のキャンディー」
無還元性多糖類イソマルトを溶かしてキャラメルをつくり、その膜でカボチャ油を包む。
こうした料理を編み出すのは、レストランに付随する2カ所の研究所だ。アドリアは半年間店を閉め、研究所にこもって新たな料理の試作に没頭する。
その料理は世界に衝撃を与え、追従するシェフが続出。今、世界各地で「アドリアもどき」のレストランが花盛りとなっている。
ただ、「科学を駆使した料理」との評判に、本人は不満だという。
「科学が重要なのは確かだが、一つの知識に過ぎず、それだけで人を感動はさせられない。ピカソにとっての絵の具のようなもの。大切なのはそれを使う創造力だ」「分子調理法」と呼ばれることにも抵抗する。「むしろ、名付けるとすれば『感性を持ったテクノ料理』かな」
アドリアは、料理人として入店した1984年にシェフに抜擢された。それ以来仕切ってきたこの店を、今年7月に閉める。その後は店を財団に改組し、これまでの料理を記録した博物館とする。
さらに、30人ほどのスタッフと新たな料理の研究に打ち込み、成果はネットで発信するという。「常に新しい舞台をつくりつづけないと。それが創造性というもの」
昨年初めて招かれた、米ハーバード大での講義をこう振り返る。
「知的な雰囲気に圧倒されたよ。学生たちに新たな世界を知ってもらえたと同時に、自分がやってきたことを考え直すきっかけにもなった」。
今後5年間、毎年ハーバード大学で講義をする予定。それが楽しみだという。
(国末憲人)
(文中敬称略)