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名無し先生へ
お忙しい中、ご教示ありがとうございます。
3系統の財閥と3トップとの繋がり、そしてこれらが閨閥によって
繋がっているであろう事もご教示によって理解は出来るのですが、
東京タワーを巡る人間模様が、新聞〜ラジオ〜テレビとメディアに
関わる様々な勢力の表層の痕跡から不可思議に感じました。
wikiよりーーー前田久吉はその後、産経新聞を水野成夫に売却する。
この水野は共産党でコミンテルン活動に従事しますが、
三・一五事件によって改心転向したとされる。
その後、同じく転向者で行動を共にする南喜一が米糠を媒体に使い、
新聞紙からインキを抜いて再生紙を作るアイデアを陸軍に持ち込む。
陸軍軍事課長・岩畔豪雄は、国策としてパルプ自給をはかるという
計画を持っていたため、同年日清紡績社長・宮島清次郎を社長に迎えて
国策パルプを設立させた後、若い南と水野を見込み、元共産党員では、という周囲の反対をはねつけ、1940年、二人に国策パルプ工業の全額出資で別会社・大日本再生製紙を作らせた。南と水野を最初に見出したのは岩畔である。大日本再生製紙の実務は、この二人と篠田弘作を加えた三名で主に行う。鹿内信隆はこの時の陸軍の担当事務官(需品本廠監督官)。太平洋戦争開戦後に岩畔がインド独立工作に関わるため、水野は岩畔に招かれ同工作に関与した。また大日本再生 製紙設立時に宮島清次郎と師弟関係になったことで、戦後に政財界に強い影響力を持つことになる。ーーー
水野と鹿内はフジサンケイグループ土台を築きます。
南はヤクルト本社会長、日本クロレラ研究所会長なども務めた。
岩畔豪雄は中野学校の設立に関わった一人ですが、
日独伊三国同盟工作に深く関わったと聞きます。
卍党や玄洋社、笹川や大本と複雑な絡み合いが、
あったであろう事も確認出来ました。
表に加え、隠れコミュニスト的な動きも散見されますが、
岩畔〜東條ラインが四日市軍財〜朝鮮戦争と繋がり
タワーを産んだのではないかと思えてなりません。
つまりは3つの世界最高評議会が関わった戦争工作の一環です。
これに各勢力が利益に預かろうと動かされた結果なのでしょうか。
公表できる範囲で、またご教示頂けますと幸いです。
3系統の財閥と3トップとの繋がり、そしてこれらが閨閥によって
繋がっているであろう事もご教示によって理解は出来るのですが、
東京タワーを巡る人間模様が、新聞〜ラジオ〜テレビとメディアに
関わる様々な勢力の表層の痕跡から不可思議に感じました。
wikiよりーーー前田久吉はその後、産経新聞を水野成夫に売却する。
この水野は共産党でコミンテルン活動に従事しますが、
三・一五事件によって改心転向したとされる。
その後、同じく転向者で行動を共にする南喜一が米糠を媒体に使い、
新聞紙からインキを抜いて再生紙を作るアイデアを陸軍に持ち込む。
陸軍軍事課長・岩畔豪雄は、国策としてパルプ自給をはかるという
計画を持っていたため、同年日清紡績社長・宮島清次郎を社長に迎えて
国策パルプを設立させた後、若い南と水野を見込み、元共産党員では、という周囲の反対をはねつけ、1940年、二人に国策パルプ工業の全額出資で別会社・大日本再生製紙を作らせた。南と水野を最初に見出したのは岩畔である。大日本再生製紙の実務は、この二人と篠田弘作を加えた三名で主に行う。鹿内信隆はこの時の陸軍の担当事務官(需品本廠監督官)。太平洋戦争開戦後に岩畔がインド独立工作に関わるため、水野は岩畔に招かれ同工作に関与した。また大日本再生 製紙設立時に宮島清次郎と師弟関係になったことで、戦後に政財界に強い影響力を持つことになる。ーーー
水野と鹿内はフジサンケイグループ土台を築きます。
南はヤクルト本社会長、日本クロレラ研究所会長なども務めた。
岩畔豪雄は中野学校の設立に関わった一人ですが、
日独伊三国同盟工作に深く関わったと聞きます。
卍党や玄洋社、笹川や大本と複雑な絡み合いが、
あったであろう事も確認出来ました。
表に加え、隠れコミュニスト的な動きも散見されますが、
岩畔〜東條ラインが四日市軍財〜朝鮮戦争と繋がり
タワーを産んだのではないかと思えてなりません。
つまりは3つの世界最高評議会が関わった戦争工作の一環です。
これに各勢力が利益に預かろうと動かされた結果なのでしょうか。
公表できる範囲で、またご教示頂けますと幸いです。
toshi様
>紅いタワーは笹川〜大本繋がりでバックはベニ卍の線が濃いと思います。
洞察に優れた面白い考察をされておられますね。笹川も大本も日本国の歴史を彩る大きなファクターである事は、間違いありません。しかし両者ともに日本国を中心に権益を有する、より大きな存在のほんの一画に過ぎないのです。それに比して前田家は、それらの勢力から独立した別の位置づけを持っています。日本国の銀行制度が確定的になる前の時代に、無尽という制度が御座いました。数々の戦争勃発に伴い、これら無尽を国策として統合していった時代が御座います。このプロセスで東西に大きな2つの無尽が誕生いたします。東側は現在の三井住友になるわけです。この2大勢力から独立を維持した神戸を中心とした七福無尽というグループが存在します。山陽地方の三木無尽から福井県まで、四国の高知県までを含んで拡大いたしました。この七福の起源は8つの頼母子講から成っておりました。内の一つが全体の資金元で、これが前田家にあたります。
この動きは金融界のみに留まる事ではございません。明治、大正期より全盛を極めた日窒コンツェルンの資金元も、やはり前田家なのです。古くよりイエズス会との付き合いで蓄えた財が、様々な形で現在まで引き継がれております。日窒コンツェルンについても、大戦後に解体された体になっておりますが、現実は大きく異なります。戦時中には、肥料、化学繊維(人絹)、火薬などを製造していたわけで、現在で言うなら、農業から石油化学工業まで広く国策と絡み行ってきた訳です。人絹の製造過程で発生するニトロセルロースが火薬の原料となるわけですから賢い貴殿の事、多くの説明は不要と考えます。肥料の精製過程で生じる副産物も言うに及ばずですね。ここから発生した企業に旭化成があります。旧 旭ベンベルグですね。
この勢力の東への勢力拡大は、福井県で止まっております。東側の大きな勢力が同じ前田領内の石川、富山を取り込んで、拡大阻止をしたからです。ちなみに笹川の流れは、この東側勢力の下部組織に過ぎません。また大本は、東西及び前田勢力にはじかれ、日本国で既得権を持ち損ねた卍党の一画に当たるわけです。
以上、ご参考にしていただければ幸いです。
洞察に優れた面白い考察をされておられますね。笹川も大本も日本国の歴史を彩る大きなファクターである事は、間違いありません。しかし両者ともに日本国を中心に権益を有する、より大きな存在のほんの一画に過ぎないのです。それに比して前田家は、それらの勢力から独立した別の位置づけを持っています。日本国の銀行制度が確定的になる前の時代に、無尽という制度が御座いました。数々の戦争勃発に伴い、これら無尽を国策として統合していった時代が御座います。このプロセスで東西に大きな2つの無尽が誕生いたします。東側は現在の三井住友になるわけです。この2大勢力から独立を維持した神戸を中心とした七福無尽というグループが存在します。山陽地方の三木無尽から福井県まで、四国の高知県までを含んで拡大いたしました。この七福の起源は8つの頼母子講から成っておりました。内の一つが全体の資金元で、これが前田家にあたります。
この動きは金融界のみに留まる事ではございません。明治、大正期より全盛を極めた日窒コンツェルンの資金元も、やはり前田家なのです。古くよりイエズス会との付き合いで蓄えた財が、様々な形で現在まで引き継がれております。日窒コンツェルンについても、大戦後に解体された体になっておりますが、現実は大きく異なります。戦時中には、肥料、化学繊維(人絹)、火薬などを製造していたわけで、現在で言うなら、農業から石油化学工業まで広く国策と絡み行ってきた訳です。人絹の製造過程で発生するニトロセルロースが火薬の原料となるわけですから賢い貴殿の事、多くの説明は不要と考えます。肥料の精製過程で生じる副産物も言うに及ばずですね。ここから発生した企業に旭化成があります。旧 旭ベンベルグですね。
この勢力の東への勢力拡大は、福井県で止まっております。東側の大きな勢力が同じ前田領内の石川、富山を取り込んで、拡大阻止をしたからです。ちなみに笹川の流れは、この東側勢力の下部組織に過ぎません。また大本は、東西及び前田勢力にはじかれ、日本国で既得権を持ち損ねた卍党の一画に当たるわけです。
以上、ご参考にしていただければ幸いです。
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加賀前田家では無いようです。
気がついたので、お節介かもしれませんが失礼します。
>東京タワーのオーナーは前田家です。
前田久吉は南大阪新聞を1922年に創刊していますね。
笹川の息が掛かった大阪日日新聞、大本の発行する大正日日新聞と
1940年に合併をして産経新聞になったそうです。
紅いタワーは笹川ー大本繋がりでバックは紅卍の線が濃いと思います。
タワーの足下にはロッヂもありますしね、、、
非常にわかり易いです。
>東京タワーのオーナーは前田家です。
前田久吉は南大阪新聞を1922年に創刊していますね。
笹川の息が掛かった大阪日日新聞、大本の発行する大正日日新聞と
1940年に合併をして産経新聞になったそうです。
紅いタワーは笹川ー大本繋がりでバックは紅卍の線が濃いと思います。
タワーの足下にはロッヂもありますしね、、、
非常にわかり易いです。
ありがとうございます。
詳しい説明をありがとうございます。たしかに岡田家をwikiすると「岡田惣右衛門には実子がなく、妹の岡田ひさの婿養子として朝鮮半島で仕事をしていた家柄など出自不明の前田末吉を迎えた。妹夫婦の間には岡田惣一郎が生まれた。」とあります。
この前田と加賀の前田家の関連は不明ですが、偶然ではないでしょうね。
この前田と加賀の前田家の関連は不明ですが、偶然ではないでしょうね。
otanu様
米軍が富山湾で監視したのは、朝鮮戦争後の共産勢力側である北朝鮮を取り巻く動きですね。この時に横須賀海軍基地との無線連絡を密にする為の電波塔が必要だった訳です。しかし朝鮮戦争で大きな戦費を拠出していた米国は、国費での大型電波塔建設をするには、様々な支障が在った訳です。そこで日本の民間事業者から、タイミングを合わせて手を挙げた者が居たのです。勿論、手を挙げた側には別の目論見が在り、その後の日本放送業界に大きな影響力を持つ様になります。この様に、様々な機会を利用して、本来の目的とは異なる特定利権を入れ込む勢力が、後のベルベット・ファシズムへの準備をしていたのです。このケースでは、日本側の先鋒を務めたのが前だけであったと言う事です。
四日市にコンビナートを誘致した11代目市長は平田 佐矩(ひらた すけのり)という人物で、次の12代目市長が九鬼家の人間です。四日市の3大事業家が九鬼家、平田家、そしてイオンの岡田家です。この岡田家も朝鮮半島から来た前田姓を持つ人間が婿養子に入り繁栄を勝ち得ていますね。平田 佐矩は敦賀と四日市を結ぶ日本横断運河計画を大野伴睦に働きかけたり、鉄鋼業、漁網事業、原綿の買い付け等、港湾に関係の深い活動をした人間です。福井藩人脈や台湾人脈との絡みを含め、いずれブログ主様が詳しい記事にしてくれるでしょう。
四日市にコンビナートを誘致した11代目市長は平田 佐矩(ひらた すけのり)という人物で、次の12代目市長が九鬼家の人間です。四日市の3大事業家が九鬼家、平田家、そしてイオンの岡田家です。この岡田家も朝鮮半島から来た前田姓を持つ人間が婿養子に入り繁栄を勝ち得ていますね。平田 佐矩は敦賀と四日市を結ぶ日本横断運河計画を大野伴睦に働きかけたり、鉄鋼業、漁網事業、原綿の買い付け等、港湾に関係の深い活動をした人間です。福井藩人脈や台湾人脈との絡みを含め、いずれブログ主様が詳しい記事にしてくれるでしょう。
Re: もう一つ質問です。
OTANUさま
> 何を監視するのですか?
米軍は基本的に北軍派です。そうした場合、何を監視しますか?
> 文脈からイエズス会とつながりの大きい前田家の監視のようにも思えますが、その監視役の米軍が横須賀と通信するのが前田家所有の東京タワーではやや矛盾する気がします。(途中で決別した?)
前だけの監視では有りません。
> それから、山口組が四日市コンビナートの仕切った件の返事をいただいていませんが、イエズス会が日本の裏社会で利用したのが山口組だったという理解でよろしいのでしょうか。
これはWikipediaに書いてないので証明が出来ないのですが、名無し先生を信じていただけるなら幸いです。
証拠の書類も見せる事は出来ないのです。見せた瞬間、名無し先生の通信が途切れ、マヨのようになりますから。
> 何を監視するのですか?
米軍は基本的に北軍派です。そうした場合、何を監視しますか?
> 文脈からイエズス会とつながりの大きい前田家の監視のようにも思えますが、その監視役の米軍が横須賀と通信するのが前田家所有の東京タワーではやや矛盾する気がします。(途中で決別した?)
前だけの監視では有りません。
> それから、山口組が四日市コンビナートの仕切った件の返事をいただいていませんが、イエズス会が日本の裏社会で利用したのが山口組だったという理解でよろしいのでしょうか。
これはWikipediaに書いてないので証明が出来ないのですが、名無し先生を信じていただけるなら幸いです。
証拠の書類も見せる事は出来ないのです。見せた瞬間、名無し先生の通信が途切れ、マヨのようになりますから。
3つの世界評議会議
今回示した、日本の皇室を出地とする世界評議会議長のサティフィケーションにはFAR EAST DISTRICT(極東地区)と謳ってあります。パイクがマッツィーニに送った書見にある「3つの世界評議会」の一つと言う事です。米国南軍大将であったパイクに支持を与えてきた勢力は当然分かりますね?
サティフィケーションにはメーソン・ピラミッドが刻印されており、世界評議会はメーソン仕切りである事を明らかにしています。
メーソンと対立軸に置かれていたのがイエズス会で、最上級メンバー以外は、両者のトップが同一である事を知りません。若い内にイエズス会教育を受けるカラス達も、この事実を知るのはコウケダイコロ衆等、一定の役回りに付き、成果を上げた後の一部の人間だけです。日本のヤンゴトナキ方々の間でも、役回りを分けられ、分断統治されている事が分かりますね?
現代に繋がる、この正反合の分岐点を見抜く為には5の課題をクリアーしなければなりません。その後の引率はブログ主様が行ってくれるでしょう。
上述のサティフィケーション等、実証資料を目にしているのが、このブルログの管理者な訳ですから、後は皆さんの探究心と心構え次第でしょう。過去には「マヨの本音」の管理者の方にも提示した資料がいくつかあります。彼も真実へのヒントを知る一人です。
サティフィケーションにはメーソン・ピラミッドが刻印されており、世界評議会はメーソン仕切りである事を明らかにしています。
メーソンと対立軸に置かれていたのがイエズス会で、最上級メンバー以外は、両者のトップが同一である事を知りません。若い内にイエズス会教育を受けるカラス達も、この事実を知るのはコウケダイコロ衆等、一定の役回りに付き、成果を上げた後の一部の人間だけです。日本のヤンゴトナキ方々の間でも、役回りを分けられ、分断統治されている事が分かりますね?
現代に繋がる、この正反合の分岐点を見抜く為には5の課題をクリアーしなければなりません。その後の引率はブログ主様が行ってくれるでしょう。
上述のサティフィケーション等、実証資料を目にしているのが、このブルログの管理者な訳ですから、後は皆さんの探究心と心構え次第でしょう。過去には「マヨの本音」の管理者の方にも提示した資料がいくつかあります。彼も真実へのヒントを知る一人です。
梨本宮規子
規子は広橋真光に嫁いだ。父は梨本宮守正王、母は鍋島伊都子(大使の子としてイタリアで出生)姉は李王朝に嫁いだ方子。広橋家は遡れば恐ろしく古い!関係者つまり婚姻や養子という意味ですが、近世では福井藩松平家、春嶽の生家田安徳川家、徳川宗家、伊勢神宮祭主の藤波教忠、備前岡山藩主池田家、筑前福岡藩主黒田家、初代福井藩主松平忠昌(秀康は結城藩を称していた)、丹波亀山藩主松平忠昭も姻戚や養子でつながる。賀茂御祖神社葉室家、藤原氏の氏神枚岡神社、春日大社宮司も葉室氏。
そして中世まで行ってようやく藤原姓がでてきます。妻に百済姓も見えます。憶測通り、始祖はなんと藤原房前でした。藤原不比等の次男、藤原北家です。その末裔が広橋姓から梨本姓に名を変えた儀一で、世界評議会議長。
伏見宮も久邇宮も子だくさんで、皇室システムの宮家創設には事欠かなかったようです。
日韓合同朝廷ヘッセン陣営、あるいは藤原ウインザー連合は実態のあるものですね。男系に絞って遡っただけで、ルーツが分かれば次は娘を追って下れば天皇の名がゾロゾロ続きます。
もう一人李王朝に嫁いだ松平佳子がいます。香川高松藩主松平家の分家から広橋真光の養女となって李氏に嫁いでいます。
アナログでメモを取りながら、妻の出自と父の冠位に注意して追って行くと読者の方もたどりやすいと思います。房前を確認したから次は娘で追う。貴ブログで南北朝を4回にわたってあげて説明してくれていたのに、ホッケだ、シッケだとお魚の味見のように知ったかぶりのコメントで回り道の多かったこと・・・。ネットや書籍で出回っている鬼塚説も落合説も直近の分析だけで近視眼的でした。雲が晴れますね。
古くから日朝合同朝廷、横田めぐみさんもヘッセン陣営。お騒がせな拉致詐欺でした。
O'BRIENさんと同じく、私も疲れた・・・・。
そして中世まで行ってようやく藤原姓がでてきます。妻に百済姓も見えます。憶測通り、始祖はなんと藤原房前でした。藤原不比等の次男、藤原北家です。その末裔が広橋姓から梨本姓に名を変えた儀一で、世界評議会議長。
伏見宮も久邇宮も子だくさんで、皇室システムの宮家創設には事欠かなかったようです。
日韓合同朝廷ヘッセン陣営、あるいは藤原ウインザー連合は実態のあるものですね。男系に絞って遡っただけで、ルーツが分かれば次は娘を追って下れば天皇の名がゾロゾロ続きます。
もう一人李王朝に嫁いだ松平佳子がいます。香川高松藩主松平家の分家から広橋真光の養女となって李氏に嫁いでいます。
アナログでメモを取りながら、妻の出自と父の冠位に注意して追って行くと読者の方もたどりやすいと思います。房前を確認したから次は娘で追う。貴ブログで南北朝を4回にわたってあげて説明してくれていたのに、ホッケだ、シッケだとお魚の味見のように知ったかぶりのコメントで回り道の多かったこと・・・。ネットや書籍で出回っている鬼塚説も落合説も直近の分析だけで近視眼的でした。雲が晴れますね。
古くから日朝合同朝廷、横田めぐみさんもヘッセン陣営。お騒がせな拉致詐欺でした。
O'BRIENさんと同じく、私も疲れた・・・・。
考察の手順2(訂正)
3-1.
2男は『島津家』との間に生まれた良子により、昭和天皇の義父となった訳ですが、後に『天台宗』のトップになった方を9歳の時に東伏見宮に出しています。
3-1-1.
9歳で東伏見宮に移籍した方は、京都の青蓮院門跡の門主、京都仏教会会長等の要職に就き、「古都税問題」では、反対運動の先頭に立った型です。
3-2.
4男は『鍋島家』との間に生まれた方子により、朝鮮李朝26代高宗皇帝3男=垠英親王(ウン・ヨンチンワン)の義父となった訳ですが、方子の姉妹=規子からはコミュニスト側の世界最高評議会議長となったX氏が産まれています。
3-2-1.
X氏は幼少の折、マックアーサーにより米国高官の父と養子縁組され、米国籍になっております。この円組は表の皇室の了解を得て為されたものです。
3-2-2.
X氏は、コミュニスト側の世界最高評議会議長、ベトナム戦争終結頃の司令官、インターポール長官等の国際的要職に就きました。
3-2-3.
X氏は終戦後、ベトナム戦争への協力をしたアジア・メーソン人脈に礼として、金、現金等を米軍基地の配送ルートを密かに利用し送っています。このルートは良からぬ物の交易にも使われた訳です。
5についての概略は、ブログ内「デヴィッド・ロスチャイルドが来比」のコメント欄を参照下さい。
2男は『島津家』との間に生まれた良子により、昭和天皇の義父となった訳ですが、後に『天台宗』のトップになった方を9歳の時に東伏見宮に出しています。
3-1-1.
9歳で東伏見宮に移籍した方は、京都の青蓮院門跡の門主、京都仏教会会長等の要職に就き、「古都税問題」では、反対運動の先頭に立った型です。
3-2.
4男は『鍋島家』との間に生まれた方子により、朝鮮李朝26代高宗皇帝3男=垠英親王(ウン・ヨンチンワン)の義父となった訳ですが、方子の姉妹=規子からはコミュニスト側の世界最高評議会議長となったX氏が産まれています。
3-2-1.
X氏は幼少の折、マックアーサーにより米国高官の父と養子縁組され、米国籍になっております。この円組は表の皇室の了解を得て為されたものです。
3-2-2.
X氏は、コミュニスト側の世界最高評議会議長、ベトナム戦争終結頃の司令官、インターポール長官等の国際的要職に就きました。
3-2-3.
X氏は終戦後、ベトナム戦争への協力をしたアジア・メーソン人脈に礼として、金、現金等を米軍基地の配送ルートを密かに利用し送っています。このルートは良からぬ物の交易にも使われた訳です。
5についての概略は、ブログ内「デヴィッド・ロスチャイルドが来比」のコメント欄を参照下さい。
もう一つ質問です。
詳しい記事をアップしていただきありがとうございます。
さて、今回の記事の中で「朝鮮戦争が終わった後も、米軍艦は富山湾に監視のため、駐留しました。」とあります。
何を監視するのですか?
文脈からイエズス会とつながりの大きい前田家の監視のようにも思えますが、その監視役の米軍が横須賀と通信するのが前田家所有の東京タワーではやや矛盾する気がします。(途中で決別した?)
それから、山口組が四日市コンビナートの仕切った件の返事をいただいていませんが、イエズス会が日本の裏社会で利用したのが山口組だったという理解でよろしいのでしょうか。
さて、今回の記事の中で「朝鮮戦争が終わった後も、米軍艦は富山湾に監視のため、駐留しました。」とあります。
何を監視するのですか?
文脈からイエズス会とつながりの大きい前田家の監視のようにも思えますが、その監視役の米軍が横須賀と通信するのが前田家所有の東京タワーではやや矛盾する気がします。(途中で決別した?)
それから、山口組が四日市コンビナートの仕切った件の返事をいただいていませんが、イエズス会が日本の裏社会で利用したのが山口組だったという理解でよろしいのでしょうか。
考察の手順
1.外様大名なのに松平姓を持った10家とイエズス会の関係を調べて下さい。
2.『四品』以上は、皇室の妃になる為の筆頭の位ですね?皇室と血縁を結んだ家系を調べましょう。
3.久爾宮朝彦親王の4人の子の内、2男と4男と結婚した『島津』『鍋島』、各々の子が、日、韓の王様の妃になった事を確認しましょう。
4.久爾宮朝彦親王の父、伏見宮邦家。伏見博明氏がモービル石油顧問であり、スメラミコトを継ぐ血筋と称する理由を考察しましょう。
5.信長の時代の前後には日本にも到達してしていたイエズス会の起源を、スペイン王国の成立から考察しましょう。
6.文明の時系列に基づく推移から、どの勢力が洗脳をした側であるか、冷静に考察しましょう。
2.『四品』以上は、皇室の妃になる為の筆頭の位ですね?皇室と血縁を結んだ家系を調べましょう。
3.久爾宮朝彦親王の4人の子の内、2男と4男と結婚した『島津』『鍋島』、各々の子が、日、韓の王様の妃になった事を確認しましょう。
4.久爾宮朝彦親王の父、伏見宮邦家。伏見博明氏がモービル石油顧問であり、スメラミコトを継ぐ血筋と称する理由を考察しましょう。
5.信長の時代の前後には日本にも到達してしていたイエズス会の起源を、スペイン王国の成立から考察しましょう。
6.文明の時系列に基づく推移から、どの勢力が洗脳をした側であるか、冷静に考察しましょう。
圧倒されているのは私の方です
こんにちは。
ただのおばさんですが、正直じっくり学ばさせていただいています。
貴ブログのテーマの率直な導入と問題提起が、本当に知的好奇心をかき立ててくれるのです。何のために生まれてきたのか、何を知ったのか、どう生きるのか、とてもシンプルですが根源的な問いかけを自身に課しつつ、世の中を観察していこうと思っています。(研究などという大それたものではないのです。普通に今日食べれて寝れれば充分と思って生きています)ブログはやっていません。
貴ブログに出会って知る楽しみを満喫していますよ。
やはり先生のご指摘通り松平氏から追うことにしました。福井藩主松平春嶽(慶永)が名君と評された開明的な人物で、ボロボロにされた福井藩に(伊予藩に行く予定が)藩主の急死により急遽わずか9歳で養子で入り藩財政の立て直しに尽力したことを知りました。
松平氏が伊勢氏の被官だったことや桓武平氏と桑名藩とのつながりから憶測はできますが、断定できないのです。もうひとつは、私の故郷今治と津藩が築城の名手藤堂高虎でつながり、加藤嘉明から立藩した伊予松山藩が桑名藩松平氏と領地替えしていること。しつこく追うはめに陥ったのはこういう事情によります。
幼少時からずっと殿様知事の久松定武、松平姓でないのは分家筋だから、貴族院議員から戦後知事に出馬した時社会党から支援を得たことで文字通りの緑のカラス。関係ない方にはどうでも良いことでしょうが、これが司馬遼太郎の『坂の上の雲』に関わってくると関心を示す方もいられると思います。秋山好古はフランスのサンシール陸軍士官学校で学んでいますが、定武の父君久松定謨(さだこと)の同校への留学に随行したのでした。
また豊かだったはずの北陸で一向一揆がとりわけ盛んだったことも新たな疑問です。横浜正金銀行から東京銀行と日本銀行、南満州鉄道とその関係者(ex.金井章次)、青山光子と青木周蔵など、先生から示唆をいただきながら亀さん足で進んでいます。遅足で申し訳ありません。
ただのおばさんですが、正直じっくり学ばさせていただいています。
貴ブログのテーマの率直な導入と問題提起が、本当に知的好奇心をかき立ててくれるのです。何のために生まれてきたのか、何を知ったのか、どう生きるのか、とてもシンプルですが根源的な問いかけを自身に課しつつ、世の中を観察していこうと思っています。(研究などという大それたものではないのです。普通に今日食べれて寝れれば充分と思って生きています)ブログはやっていません。
貴ブログに出会って知る楽しみを満喫していますよ。
やはり先生のご指摘通り松平氏から追うことにしました。福井藩主松平春嶽(慶永)が名君と評された開明的な人物で、ボロボロにされた福井藩に(伊予藩に行く予定が)藩主の急死により急遽わずか9歳で養子で入り藩財政の立て直しに尽力したことを知りました。
松平氏が伊勢氏の被官だったことや桓武平氏と桑名藩とのつながりから憶測はできますが、断定できないのです。もうひとつは、私の故郷今治と津藩が築城の名手藤堂高虎でつながり、加藤嘉明から立藩した伊予松山藩が桑名藩松平氏と領地替えしていること。しつこく追うはめに陥ったのはこういう事情によります。
幼少時からずっと殿様知事の久松定武、松平姓でないのは分家筋だから、貴族院議員から戦後知事に出馬した時社会党から支援を得たことで文字通りの緑のカラス。関係ない方にはどうでも良いことでしょうが、これが司馬遼太郎の『坂の上の雲』に関わってくると関心を示す方もいられると思います。秋山好古はフランスのサンシール陸軍士官学校で学んでいますが、定武の父君久松定謨(さだこと)の同校への留学に随行したのでした。
また豊かだったはずの北陸で一向一揆がとりわけ盛んだったことも新たな疑問です。横浜正金銀行から東京銀行と日本銀行、南満州鉄道とその関係者(ex.金井章次)、青山光子と青木周蔵など、先生から示唆をいただきながら亀さん足で進んでいます。遅足で申し訳ありません。
美保子様
美保子様
いつもコメントありがとうございます。
いや〜、毎回、毎回、美保子さんのコメントには圧倒されます。
名無し先生から直接アドバイスをいただけるということは、何を意味しているかお分かりだと思いますが、ご研究の結論をブログ(やってますか?)で記事にされれば良いと思いますよ。
ご検討お祈りいたします。
いつもコメントありがとうございます。
いや〜、毎回、毎回、美保子さんのコメントには圧倒されます。
名無し先生から直接アドバイスをいただけるということは、何を意味しているかお分かりだと思いますが、ご研究の結論をブログ(やってますか?)で記事にされれば良いと思いますよ。
ご検討お祈りいたします。
福井藩
福井藩第14代藩主 松平春嶽。この松平という姓を持った方々の繋がりを調べると良いでしょう。外様大名で松平の姓を与えられたのは、前田、伊達、島津、毛利、黒田、浅野、鍋島、池田、蜂須賀、山内などの家柄です。律令制で言う処の「四品」以上に昇進する大名家です。このブログで大宝律令について言及した記事が在りましたね。
福井藩
こんばんは。
昨日は、伊勢神宮内宮の式年遷宮御で夜明け前から神様イベントがおどろおどろしく催され、架空のアマテラスさんも久方ぶりのかき入れ時のようです。フジTVがはしゃいで放映していました。
福井藩と四日市のつながりをネットで調べていますが、今ひとつポイントにあたりません。福井藩が元は北之庄と称する68万石の大藩で御三家を超える裕福な地域だったことや、家康の次男秀康が豊臣 → 結城 と養子に入りながらこの大藩を受け結城藩から福井藩へと改称、後に松平を名のることになった。
北陸を訪れると、この三県は裕福な印象を受け、北前船など交易や伝統工芸、商業の繁栄でかなりの資本蓄積を重ねてきたと感じます。まだ五回くらいしか訪れていませんが、裏日本というイメージとは全く違っています。
調べていて、越(コシ)の国(福井県から山形県にいたる一帯)にたどり着き、あらあら先代旧事本紀や継体天皇や果ては縄文文明までいってしまいそうと、いったん中断しております。わかったのは、江戸時代になってしかも譜代なのに徐々に小さな藩に縮小していったことです。他藩のように改易はなくても、意図的に力をそぎ落とされていったと推察します。
というわけで、まだ考察の途中です。
昨日は、伊勢神宮内宮の式年遷宮御で夜明け前から神様イベントがおどろおどろしく催され、架空のアマテラスさんも久方ぶりのかき入れ時のようです。フジTVがはしゃいで放映していました。
福井藩と四日市のつながりをネットで調べていますが、今ひとつポイントにあたりません。福井藩が元は北之庄と称する68万石の大藩で御三家を超える裕福な地域だったことや、家康の次男秀康が豊臣 → 結城 と養子に入りながらこの大藩を受け結城藩から福井藩へと改称、後に松平を名のることになった。
北陸を訪れると、この三県は裕福な印象を受け、北前船など交易や伝統工芸、商業の繁栄でかなりの資本蓄積を重ねてきたと感じます。まだ五回くらいしか訪れていませんが、裏日本というイメージとは全く違っています。
調べていて、越(コシ)の国(福井県から山形県にいたる一帯)にたどり着き、あらあら先代旧事本紀や継体天皇や果ては縄文文明までいってしまいそうと、いったん中断しております。わかったのは、江戸時代になってしかも譜代なのに徐々に小さな藩に縮小していったことです。他藩のように改易はなくても、意図的に力をそぎ落とされていったと推察します。
というわけで、まだ考察の途中です。
美保子様
訂正
黄女―≫貴女
黄女―≫貴女
美保子様
前コメントで、宛名を間違い失礼いたしました。黄女のお調べになった資料では、「紅葉館に女給として勤めた青山光子」となっていたようですが、山口県出身の青木周蔵の家系です。つまりデビ~とは違い、単なる女給ではないのです。更に彼女の曾孫Coudenhove-Kalergi伯子Dominikは、2009年1月31日に、最後のオーストリア皇帝カール1世の曾孫=リヒテンシュタイン侯女Adelheid殿下と結婚しています。全ては青木周蔵が明治期に果たした役割を調べれば分かります。
横浜正金の件は、戦後通貨発行と外為機能を、日銀と東京銀行に分けたと考えれば分かり易いでしょう。当時東京銀行側に入ったのは、満州鉄道総裁を務めた方の息子です。この方の嫁は三井家側から来ています。
飛び地の件も重要な要素ですから、お調べになる事をお勧めします。
横浜正金の件は、戦後通貨発行と外為機能を、日銀と東京銀行に分けたと考えれば分かり易いでしょう。当時東京銀行側に入ったのは、満州鉄道総裁を務めた方の息子です。この方の嫁は三井家側から来ています。
飛び地の件も重要な要素ですから、お調べになる事をお勧めします。
ひょうたんからコマ?
こんにちは。
紅葉館についてのコメントで思いつきで中沢彦吉を緑のカラスと書いた後でよく調べた上でないとまずいなと思い削除したけど、やはり調べる価値があるようですね。ありがとうございます。
東京タワーは、日本電波塔(株)という非上場の会社の持ち物。代表は前田伸。これだけでは加賀藩前田家のつながりが見えてきません。何故江戸城の裏鬼門に当たリ徳川家の菩提寺として、表鬼門の上野寛永寺と並ぶ増上寺の境内が前田家の所有なのか、現在の分筆された地図では見えてきませんが、東大の赤門が加賀藩の名残であることから敷地は加賀藩上屋敷跡地で寛永寺の境内延長、東京タワーも増上寺の境内の延長だったようです。
前田伸の父親は前田久吉。参議院議員。自由民主党 ← 緑風会(無所属だが元貴族院議員の院内会派) 従三位、勲一等瑞宝章。
丁稚奉公から後に日本工業新聞 → 現産経新聞を起こした苦労人のようですが、大宝律令の冠位(これってまだ生きていたのですね!)は公卿以上の従三位で、大阪の農家の出自説を疑ってみなければいけませんね。
中沢彦吉は、渋沢栄一に匹敵する程、緑のカラスとしてあらゆる企業、業界団体の設立に関与していて衆議院議員、従六位。
ご指摘の横浜正金銀行 → 東京銀行、赤十字社経由スイスへの資金移転は以前何かで読んだ記憶がありますので調べてみます。
紅葉館についてのコメントで思いつきで中沢彦吉を緑のカラスと書いた後でよく調べた上でないとまずいなと思い削除したけど、やはり調べる価値があるようですね。ありがとうございます。
東京タワーは、日本電波塔(株)という非上場の会社の持ち物。代表は前田伸。これだけでは加賀藩前田家のつながりが見えてきません。何故江戸城の裏鬼門に当たリ徳川家の菩提寺として、表鬼門の上野寛永寺と並ぶ増上寺の境内が前田家の所有なのか、現在の分筆された地図では見えてきませんが、東大の赤門が加賀藩の名残であることから敷地は加賀藩上屋敷跡地で寛永寺の境内延長、東京タワーも増上寺の境内の延長だったようです。
前田伸の父親は前田久吉。参議院議員。自由民主党 ← 緑風会(無所属だが元貴族院議員の院内会派) 従三位、勲一等瑞宝章。
丁稚奉公から後に日本工業新聞 → 現産経新聞を起こした苦労人のようですが、大宝律令の冠位(これってまだ生きていたのですね!)は公卿以上の従三位で、大阪の農家の出自説を疑ってみなければいけませんね。
中沢彦吉は、渋沢栄一に匹敵する程、緑のカラスとしてあらゆる企業、業界団体の設立に関与していて衆議院議員、従六位。
ご指摘の横浜正金銀行 → 東京銀行、赤十字社経由スイスへの資金移転は以前何かで読んだ記憶がありますので調べてみます。
美穂子様
紅葉館の中沢彦吉が横浜正金銀行発起人である事は重要なポイントです。戦前は皇室名義の預金は横浜正金管轄でしたからね。終戦間際にスイスから、中身だけを赤十字を使って移した訳ですよね。漢学を学んだ伊勢国津藩と福井藩の飛び地の関係等を調べると面白い事実が分かりますよ。
香水ゲランミツコと東京タワー
こんにちは。
毎日のお仕事と記事アップにお疲れの管理人様にサヴォイの王子のアホ面記事がウケて私も思わずほほえんでしまいました。
チンピラもんの記事に高級香水のお話です。
東京タワーの敷地は前田家の所有だったとは初めて知りました。実はここに会員制高級社交クラブ 紅葉館 があったのです。
明治新政府が条約改正を睨んだ外国人の接待の場としてつくった鹿鳴館は後に華族会館になったのはご存じだと思います。
紅葉館はその後任を果たしていたと言えます。
芝区芝公園20号地に明治14年(1881年)4600坪の広大な敷地に300名限定の会員制高級料亭としてつくられ、豪商中沢彦吉が初代社長に就任しています。紅葉館は、昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で焼失してしまい、64年の華やかな歴史に幕を閉じました。
参考サイト 紅葉館
http://ja.m.wikipedia.org./wiki/%E7%B4%85%E8%91%89%E9%A4%A8
中沢彦吉は京橋区の豪商酒醤油問屋の出自ですが、幼少から伊勢国津藩の儒学者土井有恪に漢学を学んでいます。
そして驚くことに、石川県大聖治を発祥とする第八十四国立銀行を譲り受け後に普通銀行として営業開始、日本電灯会長、東武鉄道発起人、横浜正金銀行発起人など数々歴任されています。起業家渋沢栄一の陰には、本当のこういう実業家=カラスさんが存在したのです。
中沢彦吉
http://ja.m.wikipedea.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B2%A2%E5%BD%A6%E5%90%89
さてコメント主題のゲランミツコですが、この香水は紅葉館に女給として勤めた青山光子にちなんで名付けられているらしい。オーストリア・ハンガリー帝国のボヘミア貴族で駐日代理大使として赴任していたハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵に見初められ、結婚後渡欧してレディとなったクーデンホーフ=カレルギー光子です。
貴賤結婚による苦労も多かったようですが、光子を愛する夫の庇護の元、子宝にも恵まれてドイツ語やフランス語も習得し、次男のリヒャルト・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギーは、現在のEUの基礎概念となった汎ヨーロッパ主義を唱えた。
クーデンホーフ光子
http://ja.m.wikipedeia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95%E5%85%89%E5%AD%90
日本のシステムとして、吉田茂のように出自を粉飾する養子(養女)縁組制度があるため、あまり貴賤にとらわれていないので、かえってルーツをたどりにくい面がありますが、青山光子は嫁ぐ前に学者の徳永家に入っています。このことは子孫の徳永康元先生のハンガリー語講座を聴講していた時に直接拝聴しました。
大河ドラマの篤姫も、島津分家 → 島津本家 → 近衛家とステップアップ後御台所(正室)として徳川へ輿入れしましたよね。
東京タワーの前身は、紅葉館でした。その前は前田家の所有地でした。
おなりー!
毎日のお仕事と記事アップにお疲れの管理人様にサヴォイの王子のアホ面記事がウケて私も思わずほほえんでしまいました。
チンピラもんの記事に高級香水のお話です。
東京タワーの敷地は前田家の所有だったとは初めて知りました。実はここに会員制高級社交クラブ 紅葉館 があったのです。
明治新政府が条約改正を睨んだ外国人の接待の場としてつくった鹿鳴館は後に華族会館になったのはご存じだと思います。
紅葉館はその後任を果たしていたと言えます。
芝区芝公園20号地に明治14年(1881年)4600坪の広大な敷地に300名限定の会員制高級料亭としてつくられ、豪商中沢彦吉が初代社長に就任しています。紅葉館は、昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で焼失してしまい、64年の華やかな歴史に幕を閉じました。
参考サイト 紅葉館
http://ja.m.wikipedia.org./wiki/%E7%B4%85%E8%91%89%E9%A4%A8
中沢彦吉は京橋区の豪商酒醤油問屋の出自ですが、幼少から伊勢国津藩の儒学者土井有恪に漢学を学んでいます。
そして驚くことに、石川県大聖治を発祥とする第八十四国立銀行を譲り受け後に普通銀行として営業開始、日本電灯会長、東武鉄道発起人、横浜正金銀行発起人など数々歴任されています。起業家渋沢栄一の陰には、本当のこういう実業家=カラスさんが存在したのです。
中沢彦吉
http://ja.m.wikipedea.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B2%A2%E5%BD%A6%E5%90%89
さてコメント主題のゲランミツコですが、この香水は紅葉館に女給として勤めた青山光子にちなんで名付けられているらしい。オーストリア・ハンガリー帝国のボヘミア貴族で駐日代理大使として赴任していたハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵に見初められ、結婚後渡欧してレディとなったクーデンホーフ=カレルギー光子です。
貴賤結婚による苦労も多かったようですが、光子を愛する夫の庇護の元、子宝にも恵まれてドイツ語やフランス語も習得し、次男のリヒャルト・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギーは、現在のEUの基礎概念となった汎ヨーロッパ主義を唱えた。
クーデンホーフ光子
http://ja.m.wikipedeia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95%E5%85%89%E5%AD%90
日本のシステムとして、吉田茂のように出自を粉飾する養子(養女)縁組制度があるため、あまり貴賤にとらわれていないので、かえってルーツをたどりにくい面がありますが、青山光子は嫁ぐ前に学者の徳永家に入っています。このことは子孫の徳永康元先生のハンガリー語講座を聴講していた時に直接拝聴しました。
大河ドラマの篤姫も、島津分家 → 島津本家 → 近衛家とステップアップ後御台所(正室)として徳川へ輿入れしましたよね。
東京タワーの前身は、紅葉館でした。その前は前田家の所有地でした。
おなりー!
感謝です。
さっそくの記事、まことにありがとうございます。
ゆっくり味わって読ませていただきますが、内容が非常に濃いため、時間がかかりそうです。まず、他には読めない唯一無二のブログですね。今後ともよろしくお願いします。tanutanuのHNは都合により変更させていただきます。
また質問させていただきます。
ゆっくり味わって読ませていただきますが、内容が非常に濃いため、時間がかかりそうです。まず、他には読めない唯一無二のブログですね。今後ともよろしくお願いします。tanutanuのHNは都合により変更させていただきます。
また質問させていただきます。