[写真]年あたり270万人いる団塊の世代は、2025年には後期高齢者の年代へと突入する(ロイター/アフロ)

 選挙戦も終盤に差し掛かって、与党である自公が合計340議席に達するかどうかという情勢になっているようです。すごいタイミングで麻生太郎さんの微妙な失言などもあり、互角だった小選挙区幾つかと比例の東京・近畿ブロックでそれぞれ一議席を失って自民の失速があるかどうかというところであります。

 その問題とされた麻生さんの発言は、日本の女性が「産まないのが問題」でありました。07年、初代安倍内閣の厚労大臣だった柳澤伯夫さんが少子化対策について島根で講演し「女性は産む機械」と発言したところだけ切り出されて閣僚辞任に追い込まれたのと似ています。伝えたいことは分からないでもないけれども、問題になりそうな発言だけつままれて進退問題に発展してしまうのは政治の世界の厳しい掟ということなのでしょうか。

 しかし、少子化問題を考えるときに認識しておくべき問題は2つあります。ひとつは、日本の高度成長は敗戦国日本がアメリカの庇護下で安定した環境の中の人口ボーナスによって成長を達成できたこと。もうひとつは出生率が下がり人口が減る局面になると高齢者の比率が高くなり、現状のままでは社会保障が支えられなくなることです。

 どちらも当たり前のことですが、個別具体的な論争になると、いまなお日本経済が右肩上がりで成長する前提で設計されている制度が温存され、大量の借金を国が行って次世代にツケを払わせる形で湯水のように社会保障費を支払ってきている現状があります。これだけ豊かになった日本は、もちろん戦後に一生懸命働いた日本人の功績によるものである一方、今後生まれてくる日本人はよほどのことがない限り高度成長の世の中を経験することなく一生を終えることになります。世代によっては、満足に年金さえもらえない状況に陥ることだって予測されます。

 アベノミクスによる成長戦略はとても大事です。ただ今後、年あたり270万人いる団塊の世代が2025年には後期高齢者の年代へと突入し、このままの制度で行くと年間1兆円以上の社会保障費の膨張が見込まれます。今年生まれた赤ちゃんの数は106万人です。ざっくりと国民と企業の税負担率を40%としても、毎年2兆5,000億円の新しい市場を成長戦略の枠内で日本国内で創造していかないと財政は均衡しないということになるのです。

 この社会保障と財政の問題は、一刻も早く政治が道筋をつけて解決のための手を打たなければなりません。少子化で日本人は減る、労働人口も減る、その減った労働人口で増える高齢者を支えなければならないというのは、持続不可能な社会へとどんどん進んでいってしまうことの証左でもあります。

 厳しいことですが、これ以上高齢者を養えない環境にあることを、いまの政治が決断できるとは思えません。もっとも投票所にいくのは高齢者です。社会保障制度の改革を行い、診療の自己負担率の引き上げや薬価の調整を行うということは、つまり高齢者に対する経済的負担が増えることを意味し、高齢者に政治が「死んでください」と宣言することになるからです。

 私が留学していた旧ソ連では、85年に当時のゴルバチョフ大統領が「ペレストロイカ」という開放政策を行い社会保障の水準を大幅に引き下げました。一口に言えば、それまで無料だった医療を段階を設けて有料とし、高齢者や戦争で負傷した人、あるいは働き手を戦争で失った家族に対する年金の給付をカットしました。その結果、91年にソ連が崩壊してCISとなり、中核のロシア共和国が資源の価格高を背景に財政を立て直す95年までの間に、ただでさえ短かったロシア人の平均寿命は女性が3歳、男性はなんと7歳近く短くなってしまいました。

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