Hatena::ブログ(Diary)

Parad_ism このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014-12-12

『けいおん!』 11話にみる高雄統子演出について

約5年振りに観返した 『けいおん!』 11話。澪と律が喧嘩する話としてもかなり有名な本話ですが、その妙にリアルで冷たい空気を感じさせるこの回も私自身の中では大分トラウマとして記憶されていたためか、当時から今一歩 「観直そう」 という気持ちには至れていませんでした。

けれど 「今観ればあらゆる印象が大きく変わって観えるのではないか」 と背中を押して貰えたのもあり、久しくこの挿話を観てみることにしたわけですが、なんというかほんとその通りで。それこそこの話ってトラウマと言い切れてしまう程にひどく辛さに満ちた話でもなければ、その画面から滲み出ていたのは決して冷え切った印象などではなく、むしろ 「この世界はこんなにも優しかったんだなぁ」 なんていう幸福感にこそ、今この胸は満たされているような気さえしています。

f:id:shirooo105:20141211204819p:image:w275f:id:shirooo105:20141211204833p:image:w275

それも一言に言い換えるのであれば “誰かが誰かをみつめる視線”、とでも言えばいいのでしょうか。喧嘩をする前触れ、苛立つ心、心配する面持ち、想い馳せる感情。その全てをキャラクターの表情 ―― 或いは、その視線一つで ―― 表現してしまうということ。

それは 「視線さえ掴めば何を語らずとも想いは伝わる」 とも言いたげな各カットにおける感情伝達の方法であり、その1秒あるかないかの、コンマ数秒の “間” によって “何もかも” を伝えようとする視線誘導のメカニズム

つまり、彼女たちは一体誰と向き合っているのかっていうことなんですよね。むしろそれを最短距離で伝えてくれるレイアウトにこそ、この挿話の素晴らしさって詰まってる。

f:id:shirooo105:20141211215343p:image:w275f:id:shirooo105:20141211215340p:image:w275

それは怒りであり、嫉妬であり、優しさであり、愛情であり。ありとあらゆる感情がこの挿話からは滲み出ているのだということ。

またそうしたレイアウトとは逆に “誰のことをも見ていない” と語る視線の置き方だって出来るのだから、こちらとしてはまさしく 「そういうのもあるのか」 という塩梅で。視線がない、ということは感情がないということ。視線を向ける相手が居ない、ということは独りであるということ。

それも決して揺れることのないシンバルが彼女の現状そのものを象徴していたように。彼女たちはその視線の先を向ける相手が居たからこそその心を砕くことが出来たのでしょうし、だからこそ遂にはこの物語の果てにあの屈託のない笑顔を咲かすことが出来たのではないかと思うのです。独白などでは決して解決することのない、徹底した対人。一対一、もしくは対複数によって描かれるコミュニケーションの在り方。むしろ、そこにこそ本話の醍醐味の多くって込められていたのではないでしょうか。

f:id:shirooo105:20141211222549p:image:w275f:id:shirooo105:20141211222546p:image:w275

勿論、 “向き合う” とは言うものの本当に向き合わせる必要はないし、それぞれの視線が結び付く必要だってどこにもなく、ただ一つ在るべきなのは 「私はあなたを見つめています」 と雄弁に語り掛けてくれる視線の存在だけで、むしろその視線さえあれば、私たちはその先に相手の存在を幻視することだって出来るのだろうと思います。

それは澪の視線のその先に、律の視線のその先にそれぞれがお互いの姿を思い浮かべてみせたように。彼女たちは常に 「互い」 を見つめているし、むしろそうした信頼関係と感情溢れる視線の強さこそが構成される画面の全てを支えていると言っても過言ではないのでしょう。

それこそ逆に言ってしまえば、そうした信頼に頼ったカメラワーク・コンテワークを巧みに扱うところにこそ高雄統子という演出家の素晴らしさは浮き彫りになるのかも知ません。

f:id:shirooo105:20141212001151p:image:w185f:id:shirooo105:20141212001148p:image:w185f:id:shirooo105:20141212001145p:image:w185

それこそ 『らき☆すた』 22話のこういうカットはとても印象的で、これらのシーンを観返す度に氏の表情 (視線) の捉え方、キャラクターへの寄り添い方にどんどん惚れ込んでしまうようで、もう一生この人には抗えないなぁといった面持ちになってしまいます。

それも後続の作品である 『CLANNAD 〜AFTER STORY〜』 18話においてもよく重なるシーンが見受けられますし、キャラクターの表情を正面から向き合い切り取ることの出来る高雄さんの強さは現代の 『THE IDOLM@STER』シリーズなどにも顕著に受け継がれているように思います。その辺りの話もうまく纏められればいつかしたいなぁとは思いつつ。今回はこの辺りで。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/shirooo105/20141212/1418312506