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逮捕された、ろくでなし子氏作品 どうやら、日本とNYとかロンドンでは「「わいせつ」の概念がまったく違うらしい。 こちら、世界的なアーティスト草間弥生の男根オブジェを使った作品 付録 あの伝説のAV監督村西氏が熱く語る。 http://withnews.jp/article/f0141001001qq000000000000000W0110401qq000010889A 部分転載 伝説のAV監督・村西とおる氏、ろくでなし子事件を語る ――芸術家のろくでなし子さんが、自分の女性器を3Dスキャンしたデータをネットでダウンロードできるようにしたとして、わいせつ物頒布容疑で警視庁に逮捕されました。 (警察が女性器をわいせつとみなしていることに対して)まだそんなことをやってんのか、という感じですよね。 ――ろくでなし子さんは「女性器は女性の体の一部であるにもかかわらず、『わいせつ』という言葉によって遠い存在になっている」と考え、女性器アートを発表してきたそうです。 今ここで問われるべきは、女性の性器がわいせつなのかということです。性器というのは、モノに過ぎない。物体、肉体の一部なんですね。 たとえば、ここにナイフがあったとする。ナイフはモノだから、それ自体は何ら犯罪的な色彩を帯びることはないわけですよ。それが人を傷つけた時に初めて、「凶器」ということになるんですね。 性器もそう。それ自体は何の意味も持たない。だから、性器に罪があるという認識はどこから来てるんだろうな、と。 スケベという観点から考えてみましょう。エロチシズムとはどういうことか。 性器それ自体がスケベになるかというと、そんなことはない。私どものスタッフでも、「あなたは、スケベとかエロチシズムをどういう風に考えますか」と聞いた時に、「それはアソコです」と答えてクビになったのが何人かいます。そんなことを言っているようじゃ、こういう仕事は向かないよ、と。 スケベというのは、性器それ自体ではなく、人間の頭のなかで考えることなんですよ。エロチシズムにおいては、生と死というものが対極にある。生と死の持つ、絶望と希望。この心の揺れ幅がエロスなんです。振れ幅によって、ドキドキハラハラ、感動する、興奮するということ。エロスとは心の落差なんですね。 ひざとひざの間の部分。それ自体を見ても、実は何も感じないんです。それが、「お姫様のようなあの方のものだ」と想起した時に、興奮するんですよ。「誰々のもの」という所有者のイメージがないと、性器それ自体は何も物語らないんですね。人の心を揺さぶらない。だから、性器を「わいせつではない」とおっしゃった、ろくでなし子さんは正しいわけです。 エロチシズムとは何か、スケベとは何か、ということをお考えになると、何がわいせつかということも明らかになってくると思います。その辺りまで深く考えを巡らせることが必要ではないでしょうか。 わいせつそのものが悪いのかどうか。不特定多数の前でそういったものをお見せしてはならない、というのはその通りです。見たくない人の権利も守らなきゃいけない。また、一方においては表現の自由がございますから、見たい人の権利も守らなきゃいけない。 だいたい、性的衝動を持っているということ自体が人間の原罪ですよね。人間は、自分たちのすべてを掌握している、感情でさえも自分たちの所有物だと思いがちなんだけども、まったくそんなことないんです。 たとえば、性欲なんて訓練したり、どっかの塾に通って見つけたものじゃないでしょう。自然と我々が受け継いでいるんですね。そういう感情っていうのは、DNAのなかに刻まれてあるものです。理性ですべてコントロールできるんだというのは、人間の増上慢、うぬぼれに過ぎないんですよね。 エロスの世界にも、SMやフェチの世界があったりするわけです。納豆が好きだ、塩辛が好きだ、という食生活の話と同じ。人の好き嫌いを、倫理の斧でもって裁いたりしてはいけない、ということだと思いますね。道徳で縛れるものじゃないんです。衣食住の、あるいは性的な世界というのは、まさしく自由で、守られるべき世界なんですよ。 ――村西さん自身、裏本のチェーン店を展開して、1984年にわいせつ物頒布の容疑で逮捕されていますね。 裏本と呼ばれるヤツを販売して捕まったんです。当時は毛が1本出たってダメな時代。3本だったら懲役ですよ。カツラを股間に持ってきて、「これでも捕まるんですか」と聞いたら、「捕まる」と言うんですよ。カツラでもダメなんです。ベラボーな話ですよね。 |
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