真実でないとすぐにわかるウソなら、可愛げもある。つかれた方は笑ってやり過ごす。ついた方もさほどやましさを感じない。だが、ウソをあくまでつき通すとなると、事態は往々深刻になる▼1972年の沖縄返還をめぐる日米密約にかかわったのに、その存在を否定し、「国会で何度もウソを言っていた」。元外務省アメリカ局長の吉野文六(ぶんろく)さんは2006年、本紙にそう語った。「良心の呵責(かしゃく)を覚えなくてすむ」よう、自分のしたことを忘れようとしていた、とも。後ろめたさのある心中の率直な吐露だ▼72年、密約の存在を示唆する機密電文を手に入れた記者が逮捕され、後に有罪が確定した。一連の経緯から引き出した教訓を、吉野さんの告白当時に検事総長だった松尾邦弘さんが、きのうのオピニオン面で語っている▼いわく「国家権力は、場合によっては、国民はもちろん、司法に対しても積極的に(うそ)を言う。そういうことが端無(はしな)くも歴史上、証明されたのが密約事件です。歴史の中で、あそこまで露骨に事実を虚偽で塗り固めて押し通したものはありません」▼自身も権力の中枢にいただけに、迫力と説得力がある。権力は時に真実を隠し、歴史を歪曲(わいきょく)しようとする。その本性(ほんせい)を改めて銘記しておく必要を感じる。吉野さんが密約を認めても、政府はなお文書は存在しないと言い続けている▼特定秘密保護法がきのう、施行された。松尾さんは、秘密漏洩(ろうえい)にはこれまでにある法律で十分対処できると見る。深くうなずく。