その文書は厚さが10センチもある旧東筑摩郡今井村の書類つづりから見つかった。表題は「機密重要書類焼却ノ件」。上部の欄外には「秘」「至急」の朱印。昭和20年8月18日、敗戦のわずか3日後の日付である
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松筑地方事務所長が町村長宛てに出した。機密書類や国力判定の基礎になりそうな文書を速やかに焼却し、この文書も共に焼くよう命じている。占領軍の責任追及を逃れたい軍部や官僚は当時、組織ぐるみで証拠の隠滅を図った。その末端の動きが分かる
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昭和29年に松本市と合併、平成に入り始まった市史編さんの資料整理で発見した。所蔵している市文書館の特別専門員の小松芳郎さんは、99%の自治体が指示通り文書を焼いたはずとみる。今井村になぜ指示文書が残ったのか、実際に機密書類は処分したのか、知る手掛かりはない
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官僚が公文書を私物のように扱い不都合な事実を闇から闇に葬る。市民も積極的に内容を知ろうとはしない。公文書が「市民共有の財産」との認識が薄い日本は、情報公開制度や公文書管理法の整備が遅れた。その土壌に特定秘密保護法が染み込んでいく
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戦中、旧北安曇郡社村(現大町市社)の兵事係だった男性が軍命令に抗し、徴兵関係書類を自宅に保管。5年前、存在が明らかになり、戦争の実相を伝えた。焼却をためらった「良心」をみる。秘密法はそのひとかけらも許さないだろう。