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荒巻義雄インタビュー
荒巻義雄インタビュー
私とノベルスの25年
作家生活37年
C★NOVELS最多の著作数を誇り「旭日の艦隊」シリーズで大ブームを巻き起こした
荒巻義雄先生に
ノベルス界の四半世紀と自著について語っていただいた
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ノベルスの創世記
——C★NOVELSの創刊は一九八二年。荒巻先生の目からご覧になって当時の状況はいかがでしたか?
新書の世界の全般的な状況から言えば、教養新書が主でした。小説については、最初にミステリーで立ち上げたカッパ・ノベルスの独占だったわけ。やがて祥伝社がノンノベルをつくった、ぼくはその立ち上げに誘われたんです。
そのころ半村良さんたちが「伝奇小説」をはじめていました。流れをたどれば『南総里見八犬伝』のような小説ですね。それと松本清張さんに代表される「社会派推理」もあった。それで、次のイノベーションとして、「伝奇推理」っていうのをやりたいというのが編集部の希望だったんですね。そこで一年くらいかかって、『空白の十字架』という話を書き上げたんですよ。松前の千軒岳にあるキリシタンの伝承にUFOをくっつけて。今読んでも密度がすごく高いんですけどね(笑)。書いたらうまくいったので、それからいろいろ書きました。
空白のシリーズはかれこれ八巻書いたのかな。朝日新聞に広告が出て、それで親父も喜んじゃってね。それまで作家なんて認めたがらなかったんだけどね。親父が死んでから聞いたんだけど、神田の卸屋《おろしや》にいって、リヤカーいっぱいぼくの本買って、郷里の水戸でみんなに配ったんだって。生きてるうちはそんなこと一切言いませんでしたね。
で、祥伝社の成功を見て徳間書店がトクマ・ノベルズを出したんですね。SFの作家たちがそこで一斉に書くようになりました。当時、SFの拡散と浸透ということが言われましたけど、新興ジャンルだったSFが新書界に拡がっていったんです。いい時代でした。銀座に連れていってもらったり。そういうのはぼくらがきっと最後の時代ですね。
——そしてC★NOVELSが出ました。
うん。講談社とか、各社一斉に新書界に出てきた、その時期にいよいよC★NOVELSが登場するんですが、独白色を出そうっていうことになったんですよ。なぜなら、作家はみんな忙しいし、既に他社で人気シリーズを持っている。新機軸を出さないと、C★NOVELSとして自立しないんです。それで社内で密かに策をめぐらして……(笑)。編集者のNさんが札幌にきたんです。いっしょに鮨《すし》食いながら、そのときはじめて「シミュレーション」っていう言葉を耳にしたわけです。
当時ぼくは、今では慶大教授になった巽孝之《たつみたかゆき》さんの影響もあって、ポストモダン哲学をやってました。だからすぐ、シミュレーションっていうのは、ポストモダン哲学用語で重要な概念なんだと気づいたわけです。ただ、その言葉はまだ日本ではあまり流布《るふ》していなかったんです。
軍略小説とか、そういうジャンル名も考えたんだけどね、「戦記」といってしまったら、戦争だ! って騒がれて大反対されるのが目に見えてる。そこで「シミュレーション」という迷彩をかけたんですね。これが非常に受けて軌道にのってきた。
新しいものはもともと異端だから、世論や社内事情にあわせる努力も陰ながらしてるわけ。それが成功した理由のひとつだと思いますけどね。
永遠の少年のための「要塞」
——C★NOVELSでは『ニセコ要塞1986』を出版。これが「要塞」シリーズに発展します。
温泉シリーズね(笑)。ニセコも十和田も阿蘇も温泉あるし。琵琶湖にはないけど。
ニセコ要塞なんて大好きだね。ニセコっていうのは一種の箱庭なんだよね。子どものころから箱庭作って遊ぶのが大好きだったから、それを大人になって大規模にやってみたのかな。五万分の一の地図を畳に広げて書いていました。
要塞のイメージも好きだし、おもしろかったですね。まあ子どもって言ったら子どもだよな、ユングが言う「永遠の少年」(笑)。男の子ってのはみんなそうなんじゃない? 子どもの頃、四つ上の兄貴にいじめられてたから、いつも隠れるとこを探してましたね。「要塞」は秘密基地なんですよ。ロビンソン・クルーソーとかね。だいたい男は、家庭の中では女や子どもに押されて居場所がなくて、かわいそうなんですよ。隠れ家がほしいね。温泉つきだよね。SFだから女はいらないんだよな(笑)。
あの作品は深層心理小説でもあるんだよね。冬眠してて、警報が鳴って敵が攻めてくる。こういうイメージって、人間の心理に不安を与える。
日本海の向こうは、当時はソ連だけど、そうは書けないからウォトカからとって「スミノフ」。アメリカは電子計算機からとって「|IBM《イビム》」。とにかく置き換えて迷彩をかけました(笑)。
当時はソ連が北海道に攻めてくるんじゃないかって、みんな真剣に考えてたんですよ。まともに書けないからああいう形になったけど、当時の日本人の無意識が書かれているんだよね。
しかも負けながら勝つというひねりが入っている。どんどん後退していくわけ。
それから連作長篇っていう形、これが好きなんだ。大河巨篇じゃなくて連鎖型で続いていく。イメージとしては、団子を並べて一本の串で刺す、串団子なんだよ。三つ書いて一本、あるいは四つ書いて、って。
——読者参加型という試みもはじめました。
読者をモデルにして作中に出してあげるんですね。みんなの応援で作品ができていったんです。これは大成功でした。
登場人物の一人、釣りマニアの人から、最後に釣りをさせてくれって言われてね。役柄はパイロットなんだけど、世界が消滅していく寸前、アムール川のほとりでイトウを釣り上げている。御当人は読んで感激で涙を流したって。
それから、本物の軍人だったおじいさんで、現世では結婚できなかった女性を登場させてくれ、っていう人もいた。彼が負傷したとき看護婦さんとして出したら、作品の中でやっと会えた、ってすごく喜んでね。
——読者とのインタラクティブな作業。お手紙の整理が大変では?
大変だった。人名カードいっぱい作ってね。けどSFの同人誌やってたしね。同人誌ってそういうところあるでしょ。階級章のワッペン作ったり、カード作ったり。編集部のみなさんもいろんなこと、楽しんでやってた。
「旭日の艦隊」の大ヒット
——「艦隊」シリーズについて伺います。まずは『紺碧の艦隊』がトクマ・ノベルズで大ヒットになりました。書かれたきっかけは?
そりゃ『沈黙の艦隊』がバカ売れして、国会の答弁にもなったからさ。おれもやるか、って最初はかなりいいかげんな動機で(笑)。あっちが沈黙なら、こっちは早稲田卒だから紺碧だ!って。
あれは「姿なき戦略」っていうやつで。紺碧艦隊はその存在すら知らせない。まさに忍軍《にんぐん》、忍者の世界ですよね。そして能ある鷹は爪を隠す、戦果は発表しない。
それにメルヴィルの『白鯨《はくげい》』のイメージもありますね。
はじめは三冊か四冊でやめようと思ったの。ところが……売れれば作家は書くわなぁ(笑)。書店に新刊が入ると、午前中に五十冊が売れて店頭に本がなくなって、大変だぁ!ってことになって。それからすぐ増刷かけて、倍倍倍ですよ。
——続いて姉妹篇ともいえる『旭日の艦隊』をC★NOVELSで開始されました。
かたや忍軍、隠れた軍だから、こっちは表に出る顕軍《けんぐん》になろう、っていうことではじめましたね。
だいたい毎月一冊書いてましたね。暮れなんか印刷所の年末休み前に必死で間に合わせました。当時は今みたいにFAXがないから、フロッピーに原稿つけて航空貨物便で出すんですよ。日曜の朝、車飛ばして投函しにいくというのをやってました。
ワープロなんて当時、二百万もするペンタッチ式のを買って、書いたんだよ。フロッピーが高いから、毎回全部消してまた書くわけ。だから今、原稿残ってないんだよ。シャープのワードプロセッサーだったんだけど、真夏は使ってるうちに熱をもつわけよ、でっかいから。アイスノンで冷やしながら書いたの。十二月なんか年内刊行に間に合わせてくれっていわれて、年末でもうビルの暖房も止まってるから、デロンギ二台つけて書いてたらブレーカーとんじゃって……消えちゃったの。書き終えて帰れると思ったら。もう泣きたくなったけど、しょうがないからまた書いて。そういう時代だったわけよ。いろんな意味で非常に思い出に残ってるね。
「艦隊」シリーズは執筆するのがおもしろかった。約十年やってたけど、作品の時間的経過と、現実の十年がうまくシンクロしてるんだろうね。それで書きやすかった。自分も成長するところがあって、自己組織化しつつ進化してる。なんといってもおれ自身が読みたいんだから、次の巻を(笑)。
とにかく売れて、売れるのが作家にとっては最大のカンフルだよね。自信がつくし。
みんなおもしろいって喜んでくれるし、周りの人もみんな喜んでて、これは作家|冥利《みょうり》に尽きるなと思ったね。
シミュレーション小説の真意とは
——軍事行動や戦争をエンターテインメント小説に仕立てることは論争を呼びました。
敗戦経験というトラウマが、日本人にはあるね。そのトラウマを大半の日本人は消してしまいたい、と思ってる。それがいけない、っていうのが戦後だよな。だから戦後思想との対決でもあるんだよ。
「もしもなんてありえない」って、戦争行った人たちは怒ってたしね。だけど一方では、それをひきずるのがいいのか。子孫はいつまで先祖の犯した罪を背負えばいいのか。日本人そのものを精神分析する必要があると思うんですよ。
民族っていうのは、みんな原罪を持っているんです。アメリカ人ならネイティヴ・アメリカンに対して持ってますよね。そういうコンプレックス構造があって、そこにこういうSF小説が出てきてたら、潜在意識《イ ド》の中に抑圧されてた民族の原罪が、意識化されるね。そのことによって戦争を対象化し、理性的に自己分析もできるんじゃないかな。意識下におし隠すのではなく、意識に上げたほうが真の反省になる。
——シリーズを完結させるのは大変でしたか?
おそらくほとんどの作家が、終わらせ方は最初から考えてると思いますよ。いつでも終われるように書いていると思います。たとえば源義経なら、最後の死を書けばいい。「艦隊」は、世界平和という終わり方をすればいいわけです。
登場人物がみんな天に昇っていく……あの最後のシーンが最初から書きたかった。一部の人は転生したりね、あの作品は生と死の中間の世界を書いたんだよ。これは英霊のために書いたんだから。
うちは小樽《おたる》だったでしょ。戦時中、知り合いの人たちが出征していくわけですよ。それから船乗りの人が……。みんな千島《クリル》とか熱田《アッツ》とかの島沖で沈んでるんです。船が沈むっていったらもう、ものすごくたくさんの人が死んでるんですよ。そのほかにもいろんな形で亡くなった人がいて、そうした英霊に対する鎮魂っていうのが、じつは最大のテーマでした。だから最後はみんな成仏していく。
英霊艦って船まであって、人格を持ってるわけですから。魂があるわけです、艦隊に。
伏線はちゃんとしてあったんだよ。マッカーサーがオーストラリアのブリスベンに行って、副官と話してるとき、ニューギニア戦線で日本兵に助けられるんです。お前はだれだ、って訊ねたら、「A−ray」って。これ、アレイ(電探)のことかって首を傾げるんだけど、実は「英霊」と読むんですよ。英霊が出てきて、困ったアメリカ兵を助けてくれるわけです。
ノベルスが日本文化を守る
——これからのノベルス界、あるいは小説界にはどんなものが求められると思われますか?
何か新しいものを旗印に掲げないと、やっぱり発展しませんね。カッパ・ノベルスは社会派ミステリーだったし、トクマ・ノベルズはSFやスーパー伝奇、冒険もので出てきたわけですよ。ノンノベルだって、「既成概念にノン」っていって、伝奇推理を出してきたし、講談社ノベルスは新本格っていうのを出したら「顔」ができた。そういうのがないとうまく走っていかない。C★NOVELSもテクノサスペンスやシミュレーションっていう新しい概念で軌道にのったし、ファンタジーもくわわって、二輪車ができたけど、三輪車、四輪車にしたい。それにはね、冒険する気持ちがないとダメなんですよ。それをやらないと遺伝子が摩耗して、模倣しかできずに衰退していく。
新しいジャンルっていうのは、神棚からはらっとアイデアが降りてくるようなところがありますね。ぼくはニューウェーブSF、伝奇推理、シミュレーション小説という三つのジャンルに貢献してきたわけだけど、創生期に出くわしたってことは作家冥利、幸せでしたね。後から作家になったらみんな既に書かれてるもん。ぼくもSF界では後発だったから、居場所を作るためにいろいろ考えたわけです。やっぱり新しいジャンルを作るっていうことは絶対おもしろいんですよ。たいがい失敗するんだけど(笑)。
近頃電車に乗ってると、携帯やってる人が多くて、本読んでる人がほんとに少ないよね。楽しみ方が変わってきたんだろうけど。活字でものを考えないでいると、脳は絶対発達しないから。本を読んでイメージを浮かべる、あるいは考える。そういうイメージ喚起力《かんきりょく》を養う訓練をみんなでやっていかないとダメじゃないかなあ。文化とか日本を守るためにね。
新書判ノベルスっていうのはエンターテインメントが前面にあるから、活字を読んで読書に慣れてもらうにはいいはずなんですがね。
[#地付き]【二〇〇七年春 中央公論新社にて】
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