来年は日本の終戦から70年、そして韓国との国交回復から50年という節目を迎える。

 近隣外交は、日本の針路を考えるうえで死活的に重要な意味をもつ。なのに、この衆院選で論戦があまり聞こえない。

 前回からの2年間、歴史問題を主因として中国・韓国との政治の対話が滞った。経済や民間の交流を政治が妨げるという不毛な現実をどう変えるのか。

 各政党や政治家の世界観が問われている。経済などの国内問題も、アジアや世界の潮流の中でとらえない限り、実像は見えないし、国民に語ることもできないはずだ。政治家たちの活発な外交論議を望みたい。

 残念なことに、いまや東アジアは世界を揺るがしかねない発火点の一つとみられている。

 中国が軍拡を進め、力で現状を変えようとするかのような行動で周辺を脅かしている影響が大きい。だが、その無謀な増長を国際世論で抑え込むうえで、安倍首相の行動は必ずしも賢明とは言えなかった。

 「侵略の定義は定まっていない」などの発言や靖国神社参拝に踏み切ったことで、戦後の国際秩序に挑んでいるのは、中国か、安倍氏か、米欧からも複雑な視線が投げかけられている。

 この間、中韓は互いに接近の度合いを強めた。中国は来年を「反ファシズム勝利70周年」と位置づけている。歴史問題はいつでも再燃しかねない。

 幸い北京で先月、日中首脳会談が実現した。韓国も日中韓首脳会談を模索している。来年こそ、3国が対話を重ねる再出発の年にしなくてはならない。

 思い起こされるのは95年の戦後50年だ。ソウルで中韓首脳会談があり、「日本の一部軍国主義勢力」への批判がでる異例の展開となった。日本の閣僚が歴史認識を疑われる発言を繰り返したためだった。

 中韓からの批判には、時に行き過ぎと思われることもある。だが、だからといって、日本の政治指導者がこれまでの見解を打ち消すかのような言動をとるのは誤りだ。

 戦後、日本の歴代政権は過去について幾度も反省や謝罪の意思を示し、国際理解を得る努力を積み重ねてきた。その信頼の蓄積を自ら崩すような愚行は避けねばならない。

 先月には横浜で日中韓の文化相会合が開かれ、文化交流の強化で合意した。一歩ずつ対話を広げ、来年は3国の自由貿易協定の論議も前進させたい。

 アジアを代表する3国がナショナリズムで互いに身構える悪循環には終止符を打つべきだ。