2014/10/26
「空っぽな人生を生きてきた」
L’OISEA BLESSÉ D’UNE FLÈCHE
矢に射抜かれた鳥
http://billancourt.blog50.fc2.com/blog-entry-40.html
François Chauveau の挿絵
Mortellement attaint d’une flèche empennée,
Un oiseau déplorait sa triste destinée,
Et disait, en souffrant un surcrôit de douleur :
《 Faut-il contribuer à son propre malheur ?
Crueles humains, vous tirez de nos ailes
De quoi faire voler ces machines mortelles.
Mais ne vous moquez point, engeance sans pitié :
Souvent il vous arrive un sort comme le nôtre. 》
Des enfants de Japet toujours une moitié
Fournira des armes à l’autre.
羽根をつけた矢に射抜かれ、深手を負った鳥が
自分を襲った悲運を嘆いた。
次第に強まる苦痛に耐えながら鳥は言った。
「自分の不運に手を貸すことになるとは・・・
残忍な人間ども、お前たちは私たちの羽根を使って弓を引いたのだ。
その殺し道具を飛ばすために。
情け容赦もないやつらめ、よく聞いておくことだ。
私たちに起こったことは、お前たちにも起こるってことを」
イーアペトス*の子孫(つまり人間)は、
その半分が他の半分に武器を提供することを常とする。
*イーアペトスは、人間に火を伝えたプロメテウスの父。人類の祖先。
イソップ寓話では、すこし観点が違います。
L’AÎGLE
Un aîgle se tenait au sommet d’un rocher à l’affût des lievres qui passaient. Un chasseur le visa d’une flèche qui l’atteignit au beau milieu, si bien que l’empennage, avec ses plumes, vint se ficher devant ses yeux. Et l’aigle s’écria en les voyant: 《 Je meurs deux fois, puisque je meurs victime de mes propres plumes ! 》
Cettte fable montre que le chagrin de l’homme est aggravé lorsqu’il meurt victime de lui-meme.
鷲
一羽の鷲が、通りかかった野うさぎを襲おうと、岩の上で待ち伏せしていた。その鷲を、ひとりの猟師が弓矢で狙っていた。猟師の放った矢は、鷲のど真ん中を射抜いた。突き刺さった矢羽を目の前に見た鷲は、それが自分の羽根でつくられたことに気がついた。鷲はそれを見ながら叫んだ。「私は二重に殺されるのだ。そうとも、自分の羽根によって殺されるのだ!」
この寓話は次のことを教える。自らがもたらしたことが原因で命を失うとき、人の苦しみはいっそう増すことを。
笑いに変えるのさ,苦悩と涙を
「考える生き方 空しさを希望に変えるために」
Finalventプロファイル
http://finalvent.cocolog-nifty.com/about.html
必読記事:フリジア帽はミトラの帽子
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/08/post-fb91.html
『ローマ、ミトラ、フリジア帽といえばサトゥルヌス祭が連想される。土星に配される神であるサトゥルヌス神の祭だが(だから土曜日がSaturday)、この祭のシンボルがフリジア帽であった。祭での意味づけは、ローマにおける元来の意味、つまり、奴隷からの解放であった。
これだけでは、ミトラ教とは関係ないようだが、実は、サトゥルヌス祭は、太陽暦で基点となる冬至の祭りソル・インウィクトゥス(Sol Invictus)(参照)に接続する。これはアレキサンダー遠征でローマに入ってきたミトラ教の祭である。さらにこれが、クリスマスに変化する。奇妙な符号なのだが、サンタクロースが被っている赤い帽子は、実はフリジア帽なのである。(サンタクロースの聖ニコラスは今のトルコの出身でもある。)』
上記管理人は心の逆説として本を出版されたようですがフリーメーソンには興味がない旨記事に書いてありました。真相究明ブロガー支援基金の対象外です。
管理人注:東方の三博士とフリジア帽
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/25394786.html
もぐらさんの記事:
ミトラが根本 その1
http://www.mkmogura.com/blog/2009/05/27/224
ミトラ教が根本 その2
http://www.mkmogura.com/blog/2009/05/28/225
背教者ユリアヌス・辻邦生
http://chagu3.blog.ocn.ne.jp/popi/2012/08/post_7a16.html
ミトラ教と神智学
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html
『キリスト教とミトラ教の共通点
【誕生の予言と目撃】
ミトラ誕生は、3人の占星術の学者たちが予言し、羊飼いがその誕生を目撃する。そして彼らは捧げ物をもって誕生を祝いに行った。これは福音書のイエス誕生と通じている。
【誕生日】
ミトラの誕生日は、冬至の日、12月25日。これはイエス・キリストの誕生日に置き換えられた。
【奇蹟】
ミトラは死者をよみがえらせ、病気を治し、目の見えない者の目を見えるようにし、歩けない者を歩けるようにする。イエスの数々の奇蹟と共通している。
【12弟子】
イエスには12人の使徒がいた。ミトラは12星座に囲まれる。ミトラ教において、12星座は12人の神に象徴される。
【復活祭】
ミトラの勝利を春分の日に祝うことがもとになっている。(キリスト教の復活祭)
【最後の晩餐】──もとはミトラのオリンポスでの祝宴
これはミトラが天上に帰還する前日に12人の光の友たちと最後の晩餐をすることがモデルになっている。
【聖体拝領】(パンとブドウ酒)
もとは、ミトラとアポロンが催す宴席に信者一同が参加し、聖なるパンとワインを分けてもらうことで自分たちがアポロン同様に「ミトラの友」であることを確認する儀式であった。新しい仲間を迎えるときも、同様の儀式をした。
ミトラ教の密儀では、牛を殺して、その肉と血をメンバーとともに食べる。これは、そのままキリスト教における聖餐の儀礼である。ただ、食べるのがイエスの肉=パンとイエスの血=ワインであるかの違いである。
【洗礼の儀式】
ミトラ教では、メンバーが水に体を浸す洗礼という儀式がある。説明するまでもなく、これはキリスト教の儀式そのままである。
【昇天と再臨の予言】
もとはミトラの天への帰還と再臨の予言である。ミトラは天上に帰る際、自分が再び復活して、光の友と一緒に歩むとの言葉を残している。
【復活の日と最後の審判】
もとはミトラ教におけるコスモスの終末に先立つ、死者の復活とその最後の審判のことである。
【最終戦争とハルマゲドン】
もとはミトラの最終戦争である。ミトラの友は最後の戦いで光の天使軍に加わり、闇の軍団と戦う。『ヨハネの黙示録』によれば、終末の日、イエスは白馬に乗った姿で現れる。同じくミトラも白馬に乗ってやってくる。
■その他の共通点
●イエスはメシアである。ミトラも救世主である。
●イエスは厩(うまや)で生まれた。当時の厩は洞窟であり、岩屋でもあった。ミトラはまさしく岩の中から生まれた。
●ミトラ教の聖なる日は、日曜日である。『旧約聖書』によれば安息日は土曜日であったが、キリスト教はミトラ教の影響で、安息日を日曜日にした。
管理人注:不思議なことに新約では十戒で定められた安息日をイエスが否定する記述が多くみられる。土曜日が正しいのだといいたいのだろう。
http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%88%c0%91%a7%93%fa&inside=1&b=15
●ミトラ教の最高司祭は「パテル・パトルム」(父の中の父)と呼ばれていたが、これがそのままカトリックの教皇の名称「パパ(父)」に通じる。
●ミトラ教の密儀は、洞窟や地下で行なわれた。原始キリスト教徒は、みな地下の共同墓地カタコンベで儀礼を行なった。
●イエスは創造主なる御父がいる。『アヴェスタ』においてミトラは創造主アフラ・マズダの子供とされている。
●イエスは自らを世の光と呼び、ときに義の太陽と称される。ミトラは光明神であり、太陽神でもある。』
ギルガメシュ叙事詩から二ケア信条まで
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/19.html
凝縮された曼荼羅
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/42.html
ミトラ教の学術的研究
http://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Mithraism_as_Sabia.html
これに関連する記事は以下の「ソロモンの背信」の中にあります
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/874.html
管理人注:実は2008年1月に私が会ってきた元イルミナティ11位階のCisco Wheeler女史はこう言っています.....
『ローマの神サートウルヌス(土星)が何千年もの間,世界的に人々の中心的な崇拝対象であったという事実はほとんど知られていません。「サートウルヌス神話」という本は,内々ではあるが広範に行われてきたこの世界的なサートウルヌス信仰について詳細に検討しています。太陽信仰もサートウルヌス崇拝も悪魔崇拝と結びつくものです。両者とも悪魔崇拝の姿を変えたものにすぎません。オカルト世界はこのことを知っていますが,それ以外の世界ではほとんど知られていません。ローマはサートウルヌスの都であり,何世紀もの間,悪魔主義とその神秘宗教の重要な中心地でした。悪魔主義者の指導部は九つの評議会と13人大ドルイド評議会(カウンセル),その他多くの下位集団で構成されています。血の人身供犠を定期的に行うイルミナティの幹部は,善と悪を超越した生きた利己的な神です。悪魔は,悪霊ベルゼブルを片腕に,悪霊にも位階制度を設けました。オカルトの考えは「悪魔の狂気の論理」以外には全く論理的基盤を持っていません。
世襲される悪魔主義は少数独裁制に基づいています。英国の王室も彼らの親戚のヨーロッパの王族達も,悪魔主義者の血を引く家系です。デンマーク王はひそかに儀式に参加しています」と。』
注:ゴヤの黒い絵
http://www.abaxjp.com/goya-black/goya-black.html
関連記事:修正されたマヤ暦
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2902
『イルミナティのサートウルヌス神話というのはイシス神話のことで新たに作り出した偽テロ組織ISISとの関連で考えれば彼らのターゲットは2015年9月3日であることは否定出できない。50年に一度のヨベルの年は2015年9月23日である.......
http://news.livedoor.com/article/detail/6165986/?p=2
一週間=10日というカウント方法は、くしくもマヤ暦と同じだ!
「私は、太陽神ラーの真の名とは『正確な暦』のことだと思います。マヤの『2012年人類滅亡説』には計算ミスがあります。マヤ暦の解読には西暦と古代暦を換算するGMT対照法が使われますが、そこに誤差が見られるのです。正しく換算し直してみると、マヤ暦の人類滅亡の日は2015年9月3日となります。ただ、私はこの計算を終えたとき、恐怖に包まれました……」
>太陽神ラーの真の名とは『正確な暦』のことだと思いますの解説.....
これはまさしく春分点歳差運動(Vernal Equinox Precession)を指しております。
何が聡明な研究者をそれほどおびえさせるのだろう?
「古代エジプトの聖地イシス神殿は、女神イシスが太陽神ホルスを産んだ場所とされ、壁には1465体の神々が描かれています。この神殿が閉鎖されたのが西暦550年。そして、この神殿には『ここが閉鎖されれば毎年、秋分の日に1体ずつ神の加護が失われ、すべての神々が去った年に世界が水没する』という伝説があるのです」
>すべての神々が去った年に世界が水没するの解説....
PoleShiftを意味します。
関連記事:地球と太陽の極の反転
http://web.archive.org/web/20071227090739/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/299.html
550年の秋分の日から1465年後というと、2015年の9月。修正したマヤ暦が示す滅亡の時期と一致する! 2012年の人類滅亡説は否定されたが、それは新たな恐怖の扉を開くってことか!?』
上記ブロガーが書いた本.......「考える生き方 空しさを希望に変えるために」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478023239/fareasetblog-22/ref=nosim#reader_4478023239
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478023239/fareasetblog-22/ref=nosim#reader_4478023239
管理人注:なんとなく太宰治の人間失格に似ているなあ
第一の手記
恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです.......
空っぽな人生を生きてきた
http://diamond.jp/articles/-/32827
『考える生き方』は、ネット界で尊敬を集めるブロガー・finalvent氏の第1作。自身の人生を「からっぽだった」「失敗だった」と吐露する稀有なスタンスが多くの人の共感を呼び、人生の「むなしさ」と苦難を受け止めるヒントになる内容として話題となっている。この連載ではその「はじめに」と、「おわりに」の代わりとして小冊子「Kei」書かれたエッセイを紹介する。
昨年の夏、55歳になった。
私が子どものころ、1970年代の大企業の定年は55歳だった。子どものころの私は、自分が55歳まで生きていたら定年になってもう仕事をすることはないだろうと思っていた。そのあとの人生は余生だろうとも。
現在の企業の定年は65歳くらいだから、55歳で余生とか人生とか考えるのは早すぎる。それでも自分の人生の大半は終わった感じはする。55歳まで生きられなかった人もいろいろ見てきたから、ここで人生が終わってもしかたない。
自分の人生はなんだったんだろうかと思うようになった。
なんだったか?
からっぽだった。
特に人生の意味といったものはなかった気がする。55歳以降でも一念発起して事業を成し遂げる人もいるから、年を取ったからといって結論を急ぐこともないが、私の場合はこれから人生の一発逆転みたいなことはないだろう。
こうなることはずいぶん前からわかっていた。
自分の人生はからっぽになるだろうというのは、20代のころうすうす気がついていた。30代になって、たぶんそうなるんだろうという確信のようなものが芽生えた。40代になって、ああ、からっぽだという実感があった。これは、あれだな、と若いころ覚えた論語の章句が浮かんだ。
論語に「後生畏るべし」という言葉がある(子罕第九の二十三)。
「後生」というのは「先生」の反対で、自分より年が若い人のことだ。自分より若い人の未来に自分より優れたものがあるというのだ。若者の未来を思って若者をせよと。これに「いずくんぞ来者の今にしかざるを知らんや」と続く。どうして若者が現在の大人に劣るといえようか、と。
若者には可能性がある。自分にも、たぶん、あった。そしてそれがなくなった。いつなくなったかというと、「後生」が見えたときである。自分より若年の人のなかに自分より優れた可能性を見たときだ。この若者たちは優秀だなと思うときだ。
具体的にいつごろの年代かというと、40歳から50歳である。続けて論語で孔子先生がこう言っている。
「四十五十にして聞こゆること無くんば、これまた畏るるに足らざるのみ」。
40歳、50歳になって世にその名が知られるようでもなければ、そんな人は尊敬に値しない、と。
それが私だと、40歳のときに思った。
孔子先生、いいこと言う。「畏るるに足らざるのみ」というのはまさに私のことだ。尊敬に値しない。自分はからっぽな人間で、からっぽな人生だったと納得した。
でも、同時にそれはそれでいいんじゃないかとも思えた。
若い日に希望もあった。希望がかなうように見えることもあった。30代ごろ仕事がめきめきできるような自覚がある反面、自分は実はダメな人間なんじゃないかと不安になり、そこから年を経るにつれ、焦りと失意がつのり、40歳を過ぎて、世間的な地位も名声もない自分を確認した。でも、それはそれでいいんじゃないか。そんな気持ちから匿名でブログを書き始めたのが45歳。
ブログを書いて何か達成できるとは思わなかった。ブログで一発当ててやるみたいな思いもなかった。が、ちょっと楽しい感じはしたし、楽しい感じがしているときは、自分に合った方向に進んでいるんじゃないかという感覚はあった。
気がつくとブログを10年近く書いていた。それで何か得られたかというと、ないと思う。大した意味はなかったが、総じて楽しかった。からっぽな人生なりに生きてきたんだなという感慨はあった。その部分、つまり、ブログの裏側の思いはなんとなくブログには書いてこなかった。
自分がもし本を書くことがあれば、逆にそのあたりを書こうかと思った。
普通、本を書く人というのは著名な人や、それなりに偉業を遂げた人だ。その成功例から何かを学ぼうということだ。私の場合は、そういうのは何もない。
たいていの人もそうだろう。若いころ思っていたような希望に挫折して、それなりに運命と折り合って生きていく。
世間的に社会的に、自分の人生の意味はないとしても、自分の内面から見れば、それなりにある種の手応えのようなものがあれば、それを支えに生きていける。
そうした、ちょっとうまく言えない人生の支えのようなものを見つけるのに、からっぽに見えた私の人生でも、何かヒントのようなものがあるんじゃないかとも思う。
偉そうな言い方になって申し訳ない。ブログを10年書いて、そういう部分に近いところを書いたとき、読んでくれるブログの読者は少なくないようにも思えた。
思い返すと、自分も若いころ、また、じわじわと挫折していく30代から40代、一生懸命読んだ著作家から、そういう部分に聞き耳をたてていた。それを心の糧にしていたように思う。例えば、山本七平という人から学んだ。
彼は、毀誉褒貶はあるが『日本人とユダヤ人』という本を出版して着目された。そのころグアムから戦後27年目の帰還兵があり、彼もまた南方の戦地で戦ったことから、戦争体験記も書いた。そうしたことがきっかけで50代から有名な著作家になった。
山本七平自身は、有名になりたいとはまったく思わなかったとエッセイで書いていた。人は日々の仕事をこなして毎日毎日同じように生きていたらそれでいいと思っていたというのだった。その思いは若い日の私の心に深く沈んだ。
普通の人が世の中に隠れて普通に生きていく。普通でなくてもいい。世の中に評価されなくてもいい。とるに足らないことであっても自分の人生の意味合いを了解しながら生きていくことはできる。誰でもそういうふうに生きていくことはできる。
本当?
本当だろうと私は思う。少なくとも私はそうやって生きてきた。そうやって生きるためには、人生のいろいろな局面で自分で考えていくだけでいい。考えて了解する人生は誰もが実現できる。
考えた結果失敗するかもしれないが、誰かの成功法則を自分で実験するよりも、自分で考えて自分だけの人生を発見していくほうが、結局、納得できる人生になる。
失敗と思っていたことが自分の内面では成功だったかもしれないし、成功だと願っていたものは自分を縛る妄念だったかもしれない。その違いは自分で考えるしかない。
他者の評価なんかどうでもいいとまで超然とすることはないが、自分の人生はこういうものだったんだなという、人生の意味の組み替えは自分なりに考えていけばなんとかなる。
人生、成功はしないかもしれないけど、考えて生きていけばなんとかなるんじゃないか。
なんとかなって、日々、それなりに生きている実感みたいなものを考えて見つけていけたら、それでいいんじゃないか。そうした思いを書いてみたい。
空っぽな人生を書いてみた
http://diamond.jp/articles/-/32991
『考える生き方』という本を書いた。
誰の言葉か忘れたが、「人は誰でも自分の人生について一冊の本を書くことができる」という。55歳になったとき、自分は自分の人生について一冊の本が書けるだろうかと思った。そのときは書こうという意欲はなかった。
ブログを10年近く書いてきて、いちおう有名ブロガーにもなったが、好き勝手な雑文を書いていたにすぎない。まとまって自分のことを書いたことはなかった。
書いても意味がないように思えた。自分には社会的な名声もない。これといって業績もない。人生の失敗者の部類である。空っぽな人生と言ってもいい。
でももしかすると、と思った。空っぽで失敗の人生が、案外そのまま一冊の本になるかもしれない。無名の人の、どってことのない人生の自分語りというのも、案外ありかもしれない。そういう本があれば自分も読んだ気がする。
そう考えると何か書けそうな気がして、そのうち書いてみたい気持ちに変わった。ブログで書かなかった自分の生活に近い分をまとめてみようか。
特になんにもない人生、失敗した人生、挫折ばかりの人生。
それって、けっこうよくある人生である。
そのわりに、失敗した人の人生を書いた人はあまりないだろう。失敗した人生を生きるのもそれなりに大変だったのに。
それで書いてみた。
書きながら、自分のこれまでの生き方はどこかしら、これからの普通の日本人の先行的な例になるかもしれないとも思った。
私のように若いころ挫折して、その後、場当たり的に生きる日本人や、55歳になって空しい思いに駆られる人間も、これから増えるのではないか。
仕事が定まらない。30代半ばをすぎても結婚できない。家もなく引っ越しに次ぐ引っ越し。40歳過ぎて突然の病気。
自分の人生は、たいした人生ではなかったけど、それなりに苦難や不運もあった。それでどうしたか。
「考える」ことでなんとか切り抜けた。人生が行き詰まったら、そのときおりに、自分なりに考えてきた。
人生の問題の大半に解答はない。考えることくらいしかできないものだ。
つらくて憂鬱になったり、心身ともに疲れ切ったり、絶望してしまうこともある。それにどう向き合うか。どう考えるか。
宗教とかポジティブ思考とか、そういうお仕着せの対処ではなく、素手で人生に向き合って考えてみたらいいのではないか。
私はできるだけそうしてきた。たいした結果はないが、そのときおりごとに考えて生きてみた。
何をしたという人生でもないと思っていたが、書いてみるとそれなりに、いろいろあったことに気がつく。
30歳半ばで大恋愛をやってのけた。私の世代、男は20代後半には結婚し、30代には子どももあるものだった。いつか嫁さんが来るのではないかとぽかんとしていたら、35歳を過ぎた。一生独身だろうと諦めたら、10歳年下の女性と大恋愛してしまった。やるなあ、自分。
それから四人の子どもの親になった。結婚したら子どもがあってもいいだろうと思ってはいたが、四人である。妻の故郷・沖縄で8年暮らしていた。子作り以外にすることはなかったのか。
東京に戻り、ブログを始めてちょっとだけ有名になった。
ぱっとしない普通の人生だと思ったが、それなりに生きてきたんだから、いろいろあるものだ。
というか、いろいろな人生があっていいのではないか。
自分で考えて決めた生き方なら、普通であっても、変であっても、別によいのではないか。
そういうことを自分を例にして伝えたかった。
「人生だった」なんて、これから死ぬみたいな表現をしたが、55歳まで生きてみたら、そろそろ人生の終わり方も考えるきっかけになった。
この年齢まで生きられなかった人も多い。自分の人生を振り返ったら、自分の死の形のようなものも、自分なりに納得するようになった。
つらいとき死にたいと思ったり、その逆に病気で苦しんで死を恐れたり、死ということにもいろいろ思うようになった。
考えて生きるというのは、自分だけの死というものを形作っていくことになる。
60代以降に向けて、これからは死もまた人生の一部として受け入れていくしかない。うまくできるだろうか。
この本には後書きは書かなかった。なくてもいいだろうと思っていた。ただ、家族に感謝を伝えたい気持ちは残った。
そういえば、校正の途中、子どもがやってきて覗き込んで少し読んで、不思議そうな顔をしていた。変な父親だよな。ごめんな。校正は妻にも頼んだ。若いころの失恋話とかも読むわけである。「ここはやめて」ということもなかった。ほっとした。家族がいた。それは自分で考えて決めた人生として受け取ったというより幸運に近いものだった。
<了>
◆ダイヤモンド社書籍編集局からのお知らせ◆
考える生き方 空しさを希望に変えるために
ネット界で尊敬を集めるブロガー・finalvent氏の第1作。自身の人生を「からっぽだった」「失敗だった」と吐露する稀有なスタンスが多くの人の共感を呼び、誰もが体験する人生の苦難と空虚感を受け止めるヒントとして話題となっている。読後に得られる考えることへの信頼と「明るい諦観」は一生を支える心強い武器になるはずだ。
価格(税込):¥ 1,470
判型/造本:46並製
頁数:340
ISBN:978-4-478-02323-5
心の逆説
ものは 与えれば与えるほど 自分の分が減る
相手が得をして 自分が損をするように感じる
自分が得をするようにすると、相手が損をする
どうにもならないと感じる
しかし、情報、観念、思いなどは違う
自分が相手に思いを伝えても
その思いが自分の中からなくなってしまうわけではない
つまり、これらは分かち合うと増えるのだ
心のこの逆説は
唯物論からは説明できない
それはあたかも 一本のろうそくの炎が
次々と他のろうそくに燃え移り
やがて 壮大な明かりの海になるように
そのようにして いつの日か
魂の闇夜が明けるのだろう
以上無限水より(このURLはもうありません)
現代の若者は絶望しているのか?
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/10/post-287f.html
現代の若者は絶望しているのだろうか。どうなんだろう。というのは、昨日のエントリーへのツイッターのコメントでこういうのを見かけた。晒しとか、反論というかいう意味ではない。基本的には「ふーん、どうなんだろうか」と思っただけ。なのでコメント部分だけ引用。
ないのはお金だけじゃないよ。将来に対して絶望感以外なんにもない国で、落ちていくしかないんやから、恋愛みたいな長期的なことより、刹那的なものに流れるにきまってるやん。
現代の若者が恋愛できないのは、お金がないこと論に加えて、この「国」の将来に対して絶望感以外ない、という意見があるらしい。
若い人が絶望を抱くことについては、20歳までに自殺すると思っていた私としては、特に違和感はない。違和感があるとすれば、私がそうであったように、小学生だった1960年代から、青少年期だった1970年代、若い人の絶望というのは凡庸なことだった。
特に60年代から70年代にはこの世の終わりという感じだった。核戦争で地球は滅亡すると思われていた。人口増加で食糧危機が発生し巨大な飢餓が起きるとも思われていた。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』が『生と死の妙薬』として日本で出版されたのは1964年だった。今だと冗談みたいだが、氷河期がやってきて地球は凍るとも言われた。日本が沈没したらみたいなネタでウケていた小説『日本沈没』が出たのは1973年である。
ノストラダムス予言はまだ一部でしかネタになっていなかったが、「もうすぐこの世はおしまいだ」と野坂昭如が「マリリン・モンロー・ノーリターン」で歌っていたのは1970年だった。あのころもの社会も若い人にとって特段に希望なんてなかった。ヤケクソと自暴自棄のナンセンスな世相だった。他面にはモーレツ社員がいた。「社畜」という言葉はなかったが、実態は同じだった。
ただ、なんというのかな、あの時代、若い人の絶望は、「国」とか、なんかそういう外的な要因よりも、内的なものが強かった。
内面からこみ上げるように、自殺するかなあ、という絶望感だった。自分の実存はもう存在しえないのだという切迫感もあった。当時よく読まれていたカミュの『シーシポスの神話』(参照)とかにその感じがよく表現されている。
Il n'y a qu'un problème philosophique vraiment sérieux : c'est le suicide. Juger que la vie vaut ou ne vaut pas la peine d'être vécue, c'est répondre à la question fondamentale de la philosophie.
本当に深刻な哲学の問題は一つしかない。それは自殺である。生きることが、その困難に値するものかを判定することだ。これが哲学の根本問題に答えることなのである。
青臭い。それもそのはず。カミュが24歳のときの作品である。若者の感覚がよく表れている。
とはいえ、この本のオリジナルの出版は1942年。意外と古いというか第二次世界大戦中。日本だと1969年だった。
この時代の若い人の絶望感については、いつかcakesに『二十歳の原点』(参照)の書評として書きたいと思っているので、その話自体はいずれ。
それで思ったのは、絶望から自殺が連想されるように、では、当時の若者の自殺はどうだったかなと思い出していた。ネットなどではバブル期以降の日本の停滞から若者の絶望そして自殺の増加という議論をよく見かけるけど、私が青春時代だった1970年代、さらにその前の1960年代はもっとすさんでいたように記憶しているからだ。
どっかにそのスパンの資料でも転がっているのではないかと、気まぐれに見ていたら、興味深いデータがあった。平成23年版・自殺対策白書「年齢階級別の自殺の状況」(参照)である。もっと新しい白書もあるがこれが見やすかった.....以下省略
関連記事;
日本全国精神病院化計画法?
http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-entry-11348.html
日本で自殺者が多い本当の理由
http://www.asyura2.com/13/senkyo149/msg/256.html
管理人注:龍之介かく語りぬ
万人に共通した唯一の感情は死に対する恐怖である。道徳的に自殺の不評判であるのは必ずしも偶然ではないかもしれない。
自殺に対するモンテエエヌの弁護は幾多の真理を含んでいる。自殺しないものはしないのではない。自殺することができないのである。
死にたければいつでも死ねるからね。ではためしにやってみたまえ。
芥川龍之介『侏儒の言葉』より
関連記事:今日は死ぬにはいい日だ
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2242
貧困の中で亡くなった天才ブロガー「新じねん」おーるさんの追悼記事
http://oriharu.net/gabana_n/
ある読者からおーるさんへのメールより........
誰も犯すことのできない清らかな気持ちで魂の命ずるまま素直に書いてください。
巨悪は真実の前には存在できないのです。 しかし真実は真実でなければなりません。偽造や捏造であってはならないのです。
おーるさん曰く.......
『言葉が無意味になるときがある。言葉が一人歩きをしてしまうときがある。語るべき言葉を持ちながら、語れば語るほど誤解を招くときがある。そんなときには語らないことだ、と・・・語るべきことはそれぞれの人々の心が語ってくれるだろう。信じていた人に裏切られたという想いも、なぜ信じてくれないのだという想いと同義語だ。まして私を信じて欲しい、などとはさらさら云えやしない。それでも人は真心を隠し覆せはしない。そのことの普遍性を私は信じたい。』
http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A3xT6tRTFE1UvAoA2O6JBtF7?p=%E6%96%B0%E3%81%98%E3%81%AD%E3%82%93&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=
http://blog.goo.ne.jp/gayuuan239/e/d2122b62e9013a67d8f6ba203222977b
『「新じねん」の魅力は、情報量や、記事はもちろん、それ以上に事件の中身を読み解いた複雑な関係を分かりやすく図解した見た目も美しいチャートや3Dグラフィックスを駆使した写真・動画にあった。直近のライブドア関係のものなんかも素晴らしい出来栄えであった。その後に、「私的めもらんだむ」の見出しの下に時間を追っての、ご自身の厳しい生活のありようがつつみ隠さず書かれていた。愛猫たちへの思いが溢れていた。
私は、その貧乏生活ぶりを読者へのいささかの誇張と思って読んでいた。何故かというとこれだけ凝ったブログのページを日々アップするためには、とても半端な手間隙では済まないと、思ったからだ。時間とお金が無くては、とてもできることではないと想像したのだ。今、上記の友人の方からの手紙を拝見して大変申し訳ないことをしてしまったと恥じ入る。
まさに、おーる氏は、命懸けでブログと取り組んでこられたのである。そこには、無責任な政治への怒り、真面目に働く人々の膏血を騙し取る巨悪への憤怒、その一方で癌を病む妹さんを案じ、野良猫を愛し、音楽を愛する詩人でもあったのだ。』
おーるさんはこういう相関図を描いていた
http://www.asyura2.com/0601/livedoor1/msg/659.html
ライブドア資金還流相関図
http://oriharu.net/gabana_n/Zaakan/hibi-new.htm
タミフルなどの画像は
http://oriharu.net/gabana_n/Zaakan/hibi-new.htm
記事の下の右にある過去記事をクリックすると連続して見ることが出来ます
政治の闇とおーるさんの死
http://www.asyura2.com/0601/livedoor1/msg/691.html
『【2006年3月21日 おーるさん最後の日記】
○1時
急に眼がおかしくなってる。ヤバイな・・・今はだいぶ落ち着いたけど、やはり血圧のせいだと思う。ここ数日、首筋に違和感がある。こういう時は大抵170はいってる。一つ年上の従兄も高血圧で、数年前に仕事中に倒れて死んだ。昨日の日誌のS2という人物だ。私も多分高血圧が原因で死ぬだろう。私が死んで必ず泣くだろう妹と、ひょっとしてもう一人・・・いるかも知れない。
泣いてほしくはない、と云えば嘘になる。私の理想としては皆で生前の私を偲んで酒でも飲んでくれたらそれで本望だ。ネットで葬式なんか出来ないかな?そのための動画でも作っておくか。以前に葬式で笑ってしまった幼児時代のことを書いたことがある。厳粛な場での畏まった雰囲気が可笑しくなるという癖は大人になっても変わらないようだ。というか、今では逃げ出したくなる。冠婚葬祭はもっと質素に、自然体で出来ないものかといつも思う。日頃の不摂生が寿命を縮めるのだと戒めて、明日から、いや今から眠ることにしたい。
○9時
今日は7時頃に起床。だんだん風が強くなってきた。喉カラカラ、スーパーでいつもの「黒酢で元気チルド」207円を買う予定。紙パックの黒酢で一番安い。それとブルガリアヨーグルト、これが昼食だ。それより猫の食事が先だな。猫の世話が煩わしいと思う時はたいてい自分が不調だったりする。人との関係も同じだろう。で、今も後頭部首筋付近に違和感あり、血圧が上がってる証拠。熟睡できなかったようだ。ヤフーのブログを設定した。でも、どう使うか迷ってる。とりあえず楽天のブログ名「新じねん追記」と同じにしておいた。
http://csx.jp/~gabana/Zaakan/hibi-new.htm
おーるさんは、予定どおり自転車でスーパーに買い物に行き帰らぬ人となった。
安らかにお眠り下さい 合掌』
おーるさんの本音
2005年10月14日
日々貧乏かつ閉塞性が加速する
(1)
やっと元請けの社長がベースを引き取りに来た。そのまま帰ろうとするので呼び止めた。「次の仕事はいつ入るのか」そして「石油価格の暴騰で、材料費が軒並み値上がりしている。しいては現在の単価も上げざるを得ない。」と正直なところを打ち明ける。「どれだけ単価を引き上げてほしいのか」と訊いてきたので「材料費はおよそ20〜30%値上がりしている。細かい部品は別としても、本体だけは材料費の値上げ幅に応じた単価にしてもらいたい」と要望、後で具体的な数字を提示するむねを伝えた。
たったこれだけ云うのに、ずっと以前から悩んできた。監督にはそれとなく打診していたのだが、社長の多少面食らった様子から監督からはあまり伝達されていないことが分かる。苦しいのはお互い様、単価変更の交渉は互いの妥協案を前提に進めなければならぬと・・・そのことで悩んでいたのだ。
地元大手の仕事を一手にやってきた父の存在を改めて振り返る。あれだけの仕事をしながら、父の死後は借金だけが残った。そのために会社を継いだ母は嘆き、嘆き続けて・・・そして癌で死んだ。さぞ悔しかっただろうと、思う。息子の私に甲斐性がないばかりに苦労させてしまったと・・・それにも増して母を嘆かせたのは、父が死ぬと手の平を返すように去って行った同業知人の保身だった。某社長にカネを貸してくれと泣き付かれ、母は銀行から借金して工面したものだった。その社長の会社はいま繁盛していて、去年あたり訪ねて行ったことがある。本当は資金を借りたかったのだが「どんな仕事でもやりますから・・・」云々の頼みごとになった。しかし、笑って断られた。「何とかカネを貸してほしい。それがないと会社が人手に渡ってしまう」必死にすがったあの時の社長と、いま笑っている顔がダブって見えた。私はそんな自分の動揺を抑えようと笑って、そして「この不景気にはまいりますね」と世間話に替えて・・・笑って、そして去った。俺はバカだ、土下座してまで必死に仕事を頼み込まなければならないのに、必死に自分の動揺を取り繕うとするなんて・・・必死の意味がまるで違うのだ。
貧乏生活がこう長いと、だんだん絶望感に閉塞性が加速していく。友人に「猫としゃべってろ」と冗談を云われてヘラヘラ笑っている自分・・・自虐的な笑いしか浮かばない今、ときに晴ればれと爽快に笑ってみたいものだ。今日は取り留めの無い話になった。明日には元気を・・・出そう。』
誰かを泣かせることで成り立つ商法
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/595.html
増税感一杯
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2755
注:DVDを暴けば殺される?.....
投稿者:憂国居士 投稿日:2012年 6月 3日(日)00時31分54秒
憂国居士さんは大学の教授をされている方です
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/591.html
魔夢にあったら
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2899
ザビエルかく語りぬ
ザビエルは「日本人は危険な存在である、最後の一人まで抹殺しなければならない」と報告した。鎖国を経て、ペリーがやってきて、孝明天皇が暗殺されて以来、日本は麻痺状態。それ以降の天皇・日本政府はイルミナティの檻の中の実験動物のようなもの。http://bit.ly/1xYiFyN
https://twitter.com/mitsuki_ab/status/519488406292680704
しかし一人の気づきが.....
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/698
神が救うのでないぞ。
己がすくうのぞ。
人が救うのぞ。
花を救うのは人ぞ。
鳥を救うのも人ぞ。
人しか救えぬぞ。
何も言わぬ花の心となれよ。何も言わぬ鳥の心となれよ。
その悲しき目を見取るのぞ。獣の悲しき声を聞けよ。
人も獣も草も木も、すべては巡り、この星をつくりておるのぞ。
奢る人の心が、この星をくるわせたのぞ。めぐりをめぐりでなくしてしもうたのぞ。
めぐりめぐって、人は人ぞ。めぐりめぐって花は花となるのぞ。
そのめぐる力をとりてしまえば、この星は生きる力を失うのぞよ。
めぐる力を呼び起こせ。めぐる力をとりもどせ。
自分の心に忠実に生きよ。
ひとりの気付きが、人を変え、神に近付く者となる。
過去ログより......人称別の僕
http://web.archive.org/web/20071228121521/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/298.html
本当のことが知りたいだけだ
http://silverisrealmoney.blog.fc2.com/blog-entry-308.html
逆説の10か条
http://www.lilac.cc/~abiru/index.topics16.html
人生の意味を見つけるための逆説の10カ条
ケント・M・キース
マザー・テレサも感動し、引用した至高の処世訓
「チーズはどこへ消えた?」の著者スペンサー・ジョンソンも推奨す10カ条
それでもなお、人を愛しなさい
人生の意味を見つけるための逆説の10カ条
ケント・M・キース
1.人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。
2.何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
3.成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになる。
それでもなお、成功しなさい。
4.今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
5.正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。
6.最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって打ち落とされるかもしれない。
それでもなお、大きな考えをもちなさい。
7.人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。
8.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。
9.人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。
10.世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善をつくしなさい。
花の70代タマちゃんも寄付してくれたみたいです。ありがとう,タマちゃん。
『*達人さんの記事を読んで、色々な事がわかりましたねー♪
・無智は犯罪に等しい
1、不可視を暴いて貰うために、おいらも「真相究明ブロガー支援基金」に気持ちを送らせて貰いました。
管理人注:一億円位かな?
2、NWO日本支部:独立党〜リチャード輿水さん〜バックに中共イルミナティがいる。
宇野正美さん、アレックス・ジョーンズさん、デヴィッド・アイクさん等はDVD・German Black Intelligence(Deutsche Verteidigungs Dienst)の下請け組織でHungarian Black Intelligenceとよばれています。勿論中共イルミナティなどは彼らの支配下にあります。と
3、エボラ出血熱:「ビルゲイツやフランス系ユダヤ人が所有する医薬品会社や国連、欧米政府の支援により、このようなウイルスが作られ、最初にアフリカ人がその被害者となったのです」 国連〜WHO〜赤十字〜国境なき医師団・・・同じ穴のムジナ!
4、「いよいよ65歳以上はワクチンで殺される」〜記事の中でマイコプラズマ菌とありますが空から撒かれる(ケムトレイル)菌のことで す。この菌は人種別に効果があるようにラボで造られた菌です。対抗できるのはニコチンだけです。
以上、実に凄い内容で感謝です♪』
管理人注:タマちゃんからメールをいただきましたが私は小野寺光一ではありません。どこにでもいる名もない市井の酔っ払いですが語りつせないドラマを持ったおじさんですよ。ちょっと言いすぎたか?
管理人注:禁煙運動は飛行機の中は勿論ロンドンなどでは一定の道路まで禁煙。ほっとしてホテルに入るとそこも禁煙。その意味分かりますよね。毒は毒を持って征することをさせないためです。
おまけ.....戦争犯罪人は来ないで
戦争犯罪人は来ないで
http://democracynow.jp/video/20140505-3
日本語HP
http://democracynow.jp/
デモクラシーナウ日本代表の中野真紀子さん
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/592
英語HP
http://www.democracynow.org/
上の記事の中にGMO(遺伝子組み換え)がありますがこれを書くにはモンサントからの報復を覚悟して記事にしたのでしょう。以下はBBSからですが最後に「Democracy Now」からのビデオが貼ってあります。
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3015
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