会社勤めを始めて4年目の冬、今日どうしても辛くなり、今まで初めて会社を病欠した。
連休と連結したりとかで有給は使ったことがあるが、今日みたいに病欠するのは初めてだった。
朝起きた時、体は元気だった。
ふと、自分が休んでもいい状況か、何かこうなった原因があるのかが気になり、Evernoteにメモしているタスクリストを眺めてみた。タスク的には休んでも影響が無かった。やることでイライラすることが多く、並んでいるタスクは数は多いが、1つ1つのタスクの難易度自体は重くはなかった。
簡単に言うと「すこし頑張ればこなせるもの」だった。
これまでも、鼻風邪をひいたり頭痛とか腹痛で遅刻したことはあったものの、会社には行っていた。それで効率は多少落ちるものの、仕事は問題なくこなしていた。
「辛い」「会社に行きたくない」「毎日苦痛だ」「辛い」「休みたい」「プログラマ特有の面白いと思ってやってるクソみたいなジョークとか聞きたくもない」「行きたくない」「何も考えたくない」「辛い」「会話ができない人を相手にするのはもううんざりだ」「vimなんかもう見たくない、とか増田に書いたらどうせ『じゃあemacsにしよう』とかいう意味のわからないコメントがつくんだろうな、みんな死ね」「苦しい」「苦痛だ」「みんな死ね」「毎日辛い」「悲しい」「会社のメールボックスなんか見たくない」「もう嫌だ」と、労働を拒否していた。
「心の底から本当に辛いし、逃げ出したい」という感情がここ数週間前から最近芽生えていた。
大学受験以来忘れていた感情だった。そして、その感情は当たり前で、甘えであるとして蓋をして向き合わず愚痴を言いつつも黙々と仕事していた。
でも、ここまでいっていても休む勇気が無かった。
どの程度で休んでもいいのか明確な基準がなく、サボるのが怖かった。熱があればもちろんそれは別だが、体は元気なのだ。タスク自体はできないものじゃないし、もしかしたら月曜だから単にベッドから出たくないだけかもしれない。
そう、この気持ちを掘り下げるとただ1つ、ただ「行きたくない」だけなのだ。
毎日毎日、仕事は辛いと感じている。だが仕事は死ぬほど辛いからお金がもらえるし、その金で土日に美味いもの食ったりできるわけだ。
大学時代に学んだ労働経済学でも労働は苦役だと教わったし、実際に大半の日本の会社員もそう考えていると思う。
だから辛くて当たり前だし、辛いから休むのは甘えだと思って休めなかった。
でもそれはなかなか無いし、ある人にとっては仕事は楽しいし好きなことでお金がもらえて嬉しいとしても、同じ仕事をしている別の人はそうではないことは多いし、だいたいそういう時は「仕事が好きな人」はそうではない人に「仕事は楽しい」ことを前提に話をしてくる。
身体は元気、仕事はきつくはない。だから休むべきじゃないし、無理にでも起き上がって着替えて電車に乗るだけで全てが進むはず、難しい話ではない。
でもなぜか本当に辛かった。
思えば今まで病欠したことがなかった。中学生や高校生(中高一貫だった)のときは6年間壮絶ないじめに遭い、鬱病になりながらも実は休んだことが無かった。もちろん休むべきだった。
中1のとき「6ヵ年皆勤賞とるぞ!」と意気込んでいたのでそれを曲げる勇気が無かったのと、休んだことで皆勤賞が無くなるのが怖かったのだ。
結果、6ヵ年皆勤賞は取れたが、その時は精神的にボロボロで失ったものは大きく、今も生きる上で大きく足を引っ張っている要素になっている。
子供の時は病気以外で休んだことが無いし、今も年末年始や夏休み、インフルエンザとかそういった「休め!」と強制されるもの以外で、自分の判断で休んだ経験が無い。
だから今でもどれぐらいのレベルから休むべきかがわからなかった。
仕事自体も、辛いという事に対して誰も理解してくれなかった。一番身近な相談相手であるはずの同期は全員が意識が高く、好きでこの仕事をやっているという感じだった。その中で「仕事だから仕方なくやっている」という大変低いモチベーションでやっている自分には、辛いという感情自体が許されなかったのだ。
「仕事が辛い、辛くてたまらない」ということを同期に漏らしたら
「それはお前のワクワク度が足りないんだ」というアドバイスを貰った。正直意味がわからなかった。自分の意識が低いのが一番悪いのは知っている。だが、それ以前に同期に仕事の悩みを相談するのは間違っていた。
そんなこんなで、休もうと思ってもなかなか踏ん切りがつかないので、休む根拠や休んでも問題ない保証が欲しくなった。さっきも書いたが、タスクリストを見ると、今日休んでも明日十分巻き返しが効くレベルだった。
東京都のこのページ(http://www.kenkou-hataraku.metro.tokyo.jp/mental/self_care/check.html)を見て自己診断してみたらその1は36点、その2は9点。総合判定は7だった。一番悪い奴だ。そういえば常にイライラしているし、最近はよくモノに当たるし、どうでもいいことで松屋の店員にクレームをつけて怒鳴っている。
色々休むための根拠や自信をつけるためにやっていて、気がついたら、目を閉じ勇気を振り絞って体調不良で会社に休むメールの送信ボタンを「うりゃー!」と言いながら押していた。
見事会社を休んだ瞬間、それまでの重くのしかかっていた気持ちがふっと一点の曇も無く晴れ上がって、ベッドから出た瞬間清々しい気持ちになった。
「こんなんだったら休まないほうがよかったのでは…」と罪悪感を感じた。でも多分休んだから気が楽になって元気になったんだろう。
ふと外を見たら、綺麗に冬空が晴れていた。
久々に心の底から綺麗な気持ちで
「ああ、空が綺麗だ」と感じ、それを実際に声に出した。
「うわー空が綺麗!」という感情や表現は、フィクションの中だけの現象だと思っていた。空を見て綺麗だと思う余裕が、子供時代以来に久々に生まれていた。どうやら、物質的なものや、性的なもの以外で気持ちよさを感じる事は、フィクションの世界だけの現象じゃなかったらしい。
その後は、一日じゅうラーメンズの動画を見たり、平日しかやってないようなテレビ番組を見ていた。
そんなことをしながら夜(ちょうど今ごろ)になると、
「明日から仕事がんばるぞ!」という、なんだか根拠のないやる気が数年ぶりに湧いてきていた。そう考えることってあるんだな、と思った。
結論としては、休んでよかった。多分休まずいつものように会社に行ってたら、今頃は耐えきれず1人トイレで泣いていた。
熱があろうがなかろうが、辛い時は勇気を出して休むべきだ。