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【けいざい徒然草】
北朝鮮製スーツが1万円以下、ダイエーはユニクロよりすごかった…「消滅」で蘇った鮮烈な記憶
ただ、そうした“サプライズ”は話題になったものの、消費者から「安いが、欲しいものは何もない」との声も聞かれるようになり、売り上げは次第に低迷。拡大主義によって膨らんだ2兆円超の負債も経営を圧迫するようになった。決算発表で業績低迷について「営業力に欠けていた」と漏らすようになった中内氏からは、「売り上げは全てを癒やす」と拡大に突き進んだ手法が通用しなくなった時代に戸惑う心境もうかがえた。
名を捨て存続図れるか
ダイエーは元味の素社長の鳥羽董(ただす)氏を社長に迎えて再生計画に着手したが、資産売却などのリストラを急ぎすぎた鳥羽氏は中内氏と対立。グループ企業の株式売却益を得ていたことも問題となり、平成12年に辞任した。中内氏も後に経営責任を取って取締役を退任し、17年9月に脳梗塞のため死去。ダイエーは16年の産業再生機構入りを経てイオンの“軍門”に下った。
そのイオンはダイエー以外にも経営破綻したヤオハンやマイカルを傘下に収め、26年2月期の連結売上高は国内流通業で初めて6兆円を突破するまでになった。拡大志向のビジネスがかつてのライバルだったイオンで結実した半面、自ら築いた流通帝国を象徴する屋号がなくなることに、泉下の中内氏の胸中はいかばかりだろうか。
臨時株主総会でダイエーの村井正平社長は、衣料や家電なども扱う総合スーパーのままではインターネット通販やドラッグストア、コンビニエンスストアなどとの競争に勝てないとして、首都圏と京阪神を中心に食品への特化で再生させる考えを力説した。しかし、総会の終了後、神戸市内の女性株主(67)は自宅から徒歩10分圏内に10店もスーパーがひしめく現状を挙げ、「価格に敏感な主婦から見ると、ダイエーの商品には高いものもある」と厳しい目を向けた。