カセット・デッキが音楽のコレクション化を一般化させた
そして、こういったパーソナル化にさらに拍車を駆けたのがカセット・デッキだった。カセット・デッキはエアチェックに始まった「コピー文化」に新しいスタイルを植え付ける。カセット・デッキにはスピーカーもマイクも標準装備されてはいなかった。じゃあ、いったい何に利用するのか。先ず一つ。デッキはオーディオをライン端子に接続し、FMから直接サウンドを取り込むためのものだった。ただし、これではラジカセと機能的には同じだ。ラジカセとの差異は音質だった。高級ゆえ(3万円くらいから価格は始まった)録音した際の音質はラジカセのそれではない。また、その多くにノイズリ・ミッター(録音時高音を上げて録音し、再生時には高音を下げて再生することで結果としてテープのヒスノイズを低減するという仕組み。DOLBYやANRSといった機能がその典型だった)が装備されてもいた。
だが、カセット・デッキがラジカセと圧倒的に異なっていたのはオーディオのライン端子を経由して「レコードを直接コピーできる」ことだった(ラジカセでも可能なものはあったし、高額なものはについては次第に標準装備されるようになった。ちなみにラジカセは70年代後半以降、次第に大型化し、ステレオスピーカー、ダビングが可能なダブルカセットが装備されたものも現れる)。それは、廉価かつ高音質で音楽コレクションが可能になることを意味していた。たとえば、仲間がレコードを購入した際などにこの貸し出しを依頼する。もちろん借りるのは2~3日だけだ。カセット・デッキでコピーするだけなんだから(TSUTAYAでCDレンタルするようなことをイメージしていただければ、わかりやすい。ありゃ、コピーするために借りてるんだから)。で、こうなると仲間のライブラリーは自分のライブラリー、自分のライブラリーは仲間のライブラリーということになり、音楽コレクションは突然、増大していったのだ。しかも、こういった貸し借りは、必然的に音楽を共有することになるので、コミュニケーションの地平を開くものでもあった。だからオーディオを購入した際にはカセット・デッキも同時購入するというのが所与となっていく。
こうして音楽はパブリックな空間で聴くと言うよりも、むしろ個人的なコレクションとして自室で楽しむものへと、そのメディア性を変容させていったのだ。音楽はみんなで聴くものではなく、先ずは個人で聴き、その後、その音楽を巡って貸し借りした人間間で音楽談義が繰り広げられるというスタイルになった(ただし、こういった貸借関係によるコレクションは結果として、同様のコレクションを仲間内に作ることになるので、音楽の嗜好が仲間内では類似のものとなる。だから若者たちの間では音楽は、いわば「派閥化」していった。70年代後半ちょっと過ぎくらいなら洋楽ならクイーン派、ベイ・シティ・ローラーズ派、バッド・カンパニー派みたいな感じで。で、面白いことに、こういった派閥は互いに敵対し合ったりもしたのだ(笑))。
ジュークボックス消滅はメディア変容の必然
さて、話をジューク・ボックスへ戻そう。なぜジューク・ボックスが5年の間に消滅したのか?もう説明の必要もないだろう。音質、コレクションの量、エコノミー、聴くための労力、どれを取ってもオーディオには全く太刀打ちできないことはもはや言うまでもないだろう。言い換えれば、音楽のパーソナル化という流れの中でジューク・ボックスは完全にメディアとしての機能を失ってしまったのだ。僕が修学旅行でジューク・ボックスを見たとき感じた懐かしさ、そしてライン・ナップが古いままだったという事実。この二つは、いわば「時代の必然」。メディアの重層決定の中でのジューク・ボックスというメディアのフェード・アウトと言うことで表現することが出来る。ということで、とりあえずジュークボックスの話については終了。ただし、ここで扱っているのは音楽聴取=受容を巡るメディアの変容の全般。こういった変容は80年代以降もとどまることを知らなかった。今度は70年代に隆盛を誇ったカセット、ラジカセ、オーディオが衰退、消滅するという、70年代にジューク・ボックスが辿った運命と同じ道を歩むことになるのだ。もちろん「メディアの重層決定」によって。そして、ジューク・ボックスと同じようなパターンで。(続く)
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