揺れる冷戦後の国際秩序のなか総選挙の投票日が近づいています。主権国家を生んだ近代の国際秩序の歴史に思いを馳(は)せる好機かもしれません。
冷戦終結から二十五年、第一次大戦開戦から百年。今年は戦争の悲惨さに思いを致す節目の一年でした。欧米では、揺れる国際秩序の原点を求め、さらに十七世紀欧州の三十年戦争まで遡(さかのぼ)る議論が聞かれます。
◆17世紀の「不戦会議」
「現在の国際秩序の大きな枠組みは、多かれ少なかれ三十年戦争の戦禍の末に合意されたウェストファリア体制にある」。近著「国際秩序」でキッシンジャー元米国務長官は指摘しています。三世紀以上前の欧州の全面戦争をイメージできるのは、専門家を除けばよほどの歴史愛好家でしょう。
「ほらっ、あの辺りが三十年戦争の発端となった王宮の窓があった所ですよ」。プラハにあるフラチャニ城を訪れた際、地元の通訳が教えてくれたことがあります。
欧州がキリスト教の新旧宗派抗争に明け暮れていた一六一八年、プロテスタント貴族の反乱を封じこめようとした神聖ローマ皇帝の動きに地元ボヘミア貴族が反発、帝国の高官三人を窓から突き落とした事件、という説明でした。
皇帝の派兵により、ボヘミアの反乱は鎮圧されましたが、戦火は帝国と周縁領邦国の対立、凄惨(せいさん)な宗教戦争となって欧州全土に広がり、三十年にわたって断続的に継続、ドイツは人口の約四分の一、一説には四割を失い、欧州大陸は灰燼(かいじん)に帰したといわれています。
いわば不戦の誓いの下、欧州の安定を回復するため諸国代表が独南西部の地で開いたのがウェストファリア平和会議でした。オランダやスイスの独立を認めるなど、領邦国家の主権を尊重すること、紛争は国際協議によって解決を図ること、などが合意されました。
◆現代の三十年戦争
現代の国際政治の基本単位ともいえる「主権国家」という考え方が近代欧州史上初めて認められた会議ともいわれています。
「統治の正統性というより、主権尊重、内政不干渉といった制度面から勢力均衡を図ることが最優先された。価値中立的な現実主義に則していたため、その後欧州以外の文明社会にも受けいれられるようになった」というのがキッシンジャー氏の歴史観です。その基本的な枠組みは、仏革命後の混乱を収拾したウィーン体制、二度の大戦の戦後秩序に至るまで通底している、といいます。
第一次大戦から第二次大戦までの三十年を「第二の三十年戦争」と呼んだのが、シュミット元西独首相でした。三年前の社民党大会で「ドイツと欧州」について講演したシュミット氏は、一回目が「周縁部から中央」への侵入だったとすれば、二回目はその逆方向の例だったとし、平和的統合という欧州連合(EU)の歴史的実験を成功させない限り、欧州の中央と周縁の内部抗争は再び起こる、と警鐘を鳴らしました。
EUは、「不戦」と「平和的統合」を歴史的課題に国家主権を一部共有する試みですが、ユーロ危機、民族主義の台頭を前に一頓挫を来しています。明確な将来像を示すことができない欧州の停滞が、西欧的価値観への信頼低下を生み、それが中国やロシア、イスラム過激派など、欧米の歴史観を共有しない諸勢力の影響力増大に繋(つな)がっている現状は否めません。
三十年戦争は現在もある、と論じる声もあります。外交評論誌「フォーリン・アフェアーズ」のR・ハース氏は「中東で現在起きている事態は、過去のいかなる戦争より三十年戦争に最も類似している」と最新号に記しています。
ハース氏が指摘するのは、地域のテロ、民兵、宗派集団が中央政府の統制を離れて長期にわたり群雄割拠する事態ですが、神権政治の名の下、自由、平等を基本とする人権や民主的諸制度などの近代思想を一切拒否し、無差別殺戮(さつりく)、欧米人の斬首刑、奴隷制復活などを公然と冒すイスラムテロの蛮行は、むしろ往時を上回るのかもしれません。
◆主権在民の責任
二十一世紀にあって、一国の主権がその国民に存することは、国際秩序の大前提でなければならないでしょう。「イスラム国」による疑似テロ国家は言うに及びませんが、過度の民族主義や国権主義をもって歴史を巻き戻そうとするかのような動きが国際社会に顕在化しています。
主権は国民にある。今では当たり前のことが、いかに尊く、また重い責任を伴うものであるのか。いまだ行方の定まらない冷戦後の国際秩序を模索する三十年戦争の議論は、その思いを新たにするよう促しているともいえます。
この記事を印刷する