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【社説】

開戦73年と外交・安保 非戦の歩み、将来も

 戦後、平和国家の道を歩んできた私たちの国は、憲法解釈の変更で集団的自衛権行使に道を開こうとしている。開戦から七十三年。大きな岐路である。

 「米英両国に対する宣戦の大詔渙発(たいしょうかんぱつ)せられ、太平洋戦争の幕が切って落とされた。国家の前途実に容易ならざるものがある」

 「粛軍演説」「反軍演説」で名高い議会政治家、斎藤隆夫は一九四一(昭和十六)年十二月八日を振り返り、こう書き記している(「回顧七十年」中公文庫)。

◆「無力」だった政治家

 前年、反軍演説を理由に衆議院を除名されていた斎藤は、翌四二年四月の「翼賛選挙」で、戦争協力のために結成された翼賛政治体制協議会の推薦を受けない「非推薦候補」として当選を果たす。

 太平洋戦争中に唯一行われたこの衆院選では、安倍晋三首相の二人の祖父も当選した。母方で翼賛候補の岸信介(のちの首相)と、父方で斎藤同様、非推薦の安倍寛である。

 しかし、斎藤を除名に追いやり、翼賛議員が八割を占めるようになった議会にはすでに、軍部に抗する意思も力もなかった。

 斎藤が開戦時に憂えたように、日本国民だけで戦没者三百十万人という大きな犠牲を出して、戦争はようやく終結する。

 斎藤は戦後、日本の政治家が「無力」だったと振り返る。自分たちの力では軍国主義を打破できず、言論、集会、結社の自由や民主主義の確立もできなかった。これらはようやくポツダム宣言によって端緒を開くことができた、と。

 日本国憲法の国民主権、平和主義、基本的人権の尊重は、尊い犠牲の上に成り立っている。議会人はもちろん、私たち主権者も常に心に刻まねばならない。

◆国際信頼損なわぬか

 来年は終戦から七十年。十四日投開票の衆院選で選ばれる衆院議員は、節目の年に議席を置くことになる。その責任は重大だ。

 首相は二〇一二年十二月に返り咲いた後、安全保障政策の見直しを進めてきた。

 国家安全保障会議(日本版NSC)創設、特定秘密保護法の成立強行、国家安全保障戦略の策定、武器輸出三原則の撤廃。極め付きは今年七月、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定だろう。

 いずれも、戦後日本の安全保障政策を、根本から変質させかねない大転換である。

 自民党が衆院選に勝ち、安倍政権が継続するという前提付きではあるが、集団的自衛権の行使容認を受けた安保関連法制の整備を来年の通常国会で進めることを、首相は明言している。

 集団的自衛権は、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力で阻止する権利だ。これを認めれば、日本への攻撃がなくても、戦争参加への道を開くことになる。

 首相は「自衛隊が湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と述べた。この言葉を違(たが)えるようなことがあってはならない。

 専守防衛に徹し、海外で武力を行使しないという戦後日本の安保政策は、国際社会の信頼につながり、日本の価値を高めてきた。

 集団的自衛権の行使容認が、この信頼を損なうことにはならないか、慎重な検討が必要だ。

 政府に非があれば、正すのは国会の役目である。与野党問わず、斎藤の気概に学んでほしい。

 節目の年に、日本が過去の歴史とどう向き合うのかにも、国際社会の注目が集まる。

 首相は、戦後五十年の九五年に過去の植民地支配と侵略への反省とおわびを表明した「村山富市首相談話」を継承することを明言している。同時に、戦後七十年に当たり、新たな首相談話を出したいとも述べている。

 誰が首相であっても、村山談話を継承・発展させるのならともかく、書き換えるものでは困る。

◆もつれた糸をほぐす

 中国、韓国との関係改善をどう図るのかは、引き続き難題だ。両国は戦後七十年にあたる来年、歴史認識問題を絡めて対日批判を強めるだろう。

 中国の軍備増強と海洋進出は、アジア・太平洋地域の不安定要因にもなっている。

 国の守りを固めることは重要だが、軍拡競争に陥らないよう注意が必要だ。そして、力による一方的な現状変更が中国の利益にならないことを、国際社会と協調して粘り強く説くしかあるまい。

 日本は戦争への反省とともに、平和国家という戦後の歩みにこれからも変わりがないことを堂々と宣言し、国際社会の理解を求めたい。それが、近隣諸国とのもつれた友好の糸を、解きほぐすことにもなると信じる。

 

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