江戸時代から明治にかけて女性の教訓書とされたのは『女大学』だといわれるが、これは1716年ころに貝原益軒の書物の一部を改ざんしたものと言われる。
今では違和感のありそうな一部を紹介してみよう(貝原益軒『女大学』http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/754896/3)。
一、女子は成長して他人の家に行き、舅、姑に仕(つか)ふるものなれば、男子よりも、親の教えを忽(おろそか)にすべからず。
一、嫁しては、その家を出でざるを、女の道とすること、聖人の教えなり。
もし、女の道に背きて、去らるる時は、一生の恥なり。
一、女子は、我が家にありては、父母に専ら孝を行ふ理なり。
されども、夫の家に行きては専ら、舅、姑を、我が親よりも重んじて、厚く愛しみ敬い、孝行を尽くすべし。
親の方を重んじ、舅の方を軽んずる事勿れ。
万のこと、舅、姑に問ひて、その教えに任すべし。
舅、姑、もし、我を憎み誹(そし)り給ふとも、怒り怨むる事勿(なか)れ。
一、婦人は夫を主君と思ひ、敬い慎みて事ふべし、軽しめ侮(あなど)るべからず。
惣(そう)じて婦人の道は人に従ふにあり。
夫に対するに、顔色、詞づかひ、慇懃(いんぎん)に謙(へりくだ)り、和順なるべし。
不忍にして、不順なるべからず。
夫の教訓あらば、其の仰(おおせ)を背くべからず。
夫、もし、腹立ち怒る時は、恐れて順ふべし、怒り諍(あらが)ひて、其の心に逆らふべからず。
女は夫をもって天とす。
一、我が郷の親の方を私し、夫の方の親類を次にすべからず。
夫の許さざるには、何方へも行くべからず。
一、凡そ、婦人の心様の悪しき病は、和らぎ順(したが)はざると、怒り恨みと、人を謗(そし)ると、物妬みと、智慧浅きとなり。
是れ、婦人の男に及ばざる所なり。
斯く愚かなる故に、何事も、我が身を謙りて夫に従うべし。
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なるほどと思う。
昔みた時代劇の親子・夫婦や戦前や戦後間もない親子・夫婦の描写がまさにこれだったと思う。
映画ではこれを教え込もうとしていたのかこれを批判したのか分からない。
戦後の民主化で、真っ先に女性解放が叫ばれたのもうなずけるが、一方で、戦後教育を受けたはずの人が今でもこれに近い言動をすることがある。
確かに明治生まれの祖母や叔母たちも生前、こういう話をしていた。
あの人たちは江戸時代生まれの祖父母から「江戸時代のしつけ」を受けた人だったわけです。
家庭で父母から子へ、子から孫へと受け継がれているのだ。
頑固な父親を諫めて娘の恋を成就させる「ふうてんの寅さん」の方がよほど民主的である。
「女大学」を呼んで「激しく同意」などと書かない方がいい。