マクドナルドの閉店理由の二極化 2000年代後半から日本で進んだ現象が「マクドナルドの閉店」だ。1990年代以前に作られた店舗の整理統合が進んだのだ。この動きは今も継続中だ。
閉店する店舗はだいたいが「中心繁華街立地店舗」か「大型商業施設テナント店舗」だった。
マクドナルドの日本1号店は1971年に銀座の三越1階に開店した。
銀座と言えば日本で最も高級ブランド店の集まる街。三越の軒先は、その一等地である。当初のマクドナルドは中国に進出したばかりの頃の平和堂のような都会の高感度層向けの高級店だった。それが大衆化し、全国に広がった。
現在閉店が相次いでいる店舗形態は、そうしたマクドナルドがまだ「特別だった頃」に作られた店舗である。晴海通りに移転した日本1号店も無くなってしまった。日本1号店を後追いしたような「駅前デパートの1階の軒先にあるようなマック」がどんどんなくなっていった。
都会では、一等地のデパートやショッピングモールからはマクドナルドは「場所にあった相応しさ」を失ったがために閉店している。クアアイナのような店舗があった方がたしかに感じがいい。マクドナルドがありきたりの存在になりすぎて、郊外の地元からはるばるターミナル駅のある繁華街にやってきても利用しなくなった。
一方、地方店舗は、中心繁華街そのものが破綻した。デパートが閉店して廃墟になり、アーケード全体が空き家だらけとなった。大衆向けの商業は国道沿いのイオンなどの店舗街に集約化され、そこではマクドナルドはすき家やラーメン屋などの並ぶフードコートの中に押し込められている。イオンはスーパーであって「お手頃なものをより安く」売るような店舗であり、ほかのテナントも同じだ。それは「より高次元の商業文化」を追及するデパートではないのだ。
「アメリカ笑うな行く道だ」
マクドナルドは1955年にシカゴのロードサイドに創業店ができた。当時のアメリカは戦勝バブルに沸いていた黄金時代である。モータリゼーションの拡大の中、全米各地に店舗が広がった。
初期のマクドナルドのテレビCMは白人の子どもたちばかり出てきている。郊外の立派な庭付き一戸建てに暮らす白人家族が、ピカピカのアメ車で食事に行くようなイメージで描かれている。
しかし、日本でマクドナルドが拡大した1980年代には、こうした「総中流」時代は破綻していた。マクドナルドは、従業員も客層も、有色人種の下流層の象徴となった。もちろん店舗展開の見直しは既に実施されているわけであり、日本はその後を追っているだけにすぎない。
格差構造は単純に経済事情だけによるものではない。アメリカでは肌の色による格差が存在しているが、日本の場合同じものは都会と地方と言う地域差として存在しているだろう。
都市と地方はもはや外国だと言う話が未だに分からない人がいる
地方の人口20万未満の片田舎にも西武百貨店やそごうが当たり前にあって、都心にもダイエーやヨーカ堂があるようなことが当たり前だった1990年代以前の価値観に未だに縛られている人は、絶対に分からないかもしれないが、都市と地方は最早外国である。
政治が混迷化するのは、30年前には破綻が始まった中央集権時代のモデルをそのまま引き継いでいるため、自民党や民主党などの利益誘導バラマキ型の古い地方政治と、既存党内の中堅若手一部議員をふくめた都市型改革政治が真っ向から対立しているからだ。道州制などで地域別の分権を実行しないと解決できないだろう。
「異なる社会」で問題なのは、選択肢の喪失だ。
地方都市であっても、代議士や大学教授や医者や弁護士などの「センセイ」と呼ばれる職業の人はいる。地元の有力企業幹部であれば豊かな暮らしをしている。
しかし、そうした上位層であっても、デパートが地元になければそもそも行けない。都会なら成城石井でしか買い物をしないような層が、地方都市ではイオンに行くわけである。大人はまだいいが、そうした親を持つ子どもはそもそもデパートを知らない。ロードサイドを中心とした地元の数キロ圏に人生のすべてがある。
逆に大都市だと、ブルーカラー層でも物理的な選択肢や情報をたくさんもっている。成城石井でたまに買い物をしたり、たとえば大阪の高校生が夜行バスで都内のライブに行ったりするようなことも当たり前にある。
地方=貧困、都会=富裕と言う単純な話ではない。
前の記事で引用した滋賀県は、もともと「近江商人」で名の知られる歴史的に豊かな地域だ。北関東や中部地方は全国平均ではむしろ上位で、京阪神よりも平均年収が高い。東京にも足立区があり、神奈川県にも横浜の寿町のような貧困地区がある。
だが、この40年くらいの間続いた大都市の急激な発展や地方のモータリゼーション化の上に、バブル崩壊の失われた20年によって「社会構造の固定化」が進んでいる。と言うだけの話だ。
そもそも戦前の日本は都市と地方が外国同然だった。
当時国民の大多数が住んでいた地方の農村・漁村などの集落は、本家の地主であっても江戸時代とほぼかわらない茅葺屋根の家の暮らしがあった。一方東京や大阪には、ビル街ができ、その下には地下鉄も走り、西欧の都会と同等のモボ・モガの洗練された文化があった。江戸時代には、諸藩ごとに別の社会があった。
たまたま第二次世界大戦で日本全土が焦土になり、本来豊かだった都会の子が疎開先の農村で豊かな作物の食事にありつくような「逆転現象」も起き、その後急速な復興・高度成長期の中で自民党の大きな政府の政治によって地方に再配分が行われ続けたことで、「国民総貧困から総中流」の道を3~40年間駆け上がっただけにすぎない。
わずか数十年のトレンドを、戦後生まれの中年層が過信しているだけのことである。
イオンは「韓国飛ばし」で東南アジアを攻めている
韓国・釜山に2009年にできた「シンセゲー百貨店セントムシティ店」はギネス公認の世界最大のデパートだ。テナントのラインナップは物凄いバブリーである。
これは日本がかつて「来た道」そのものだ。30年前であれば東洋最大級のデパートは「横浜そごう」だった。多くの人々がベイブリッジを渡ってドライブショッピングに来たように、クァンアン大橋を車で走っていることだろう。
30年前の日本は工業製品を世界に売ることで「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称賛されていた。横浜は日産などの地元有力企業のある京浜工業地帯の生産拠点にして港湾のある輸出拠点だったが、いまは韓国が「ワールドコリア」を自称し、サムソン電子のスマートフォンやヒョンデ自動車を世界に売っている。釜山港は横浜港の6倍のコンテナ取扱を行うアジア最大級の巨大ハブ港に成り上がっている。
しかし、韓国は深刻なインフレ問題を抱えている。物価が上昇し、人件費も高騰する中で、さらに安い国に製造業の中心は移ることになる。
小売業世界13位、日本を代表するイオンは韓国にショッピングモールやGMSの店舗を展開していない。傘下のコンビニのミニストップは1990年に進出しているが、イオンモール(旧ジャスコ)は「韓国飛ばし」でアジアのさらに新興国に広がっている。たとえば中国なら香港から広東省へ、北京から天津へ、沿岸大都市から内陸地域へと販路を広げ、さらにヴェトナムやカンボジアなど、これまで日本の小売店舗がそもそもなかったような国に巨大イオンモールを建て続けている。ビルマやラオスも進出をもくろんでいるという。台湾も2000年代に3店舗くらい出してすぐに撤退しているように、常に先端を見ている訳である。
韓国や台湾や香港は少子高齢化問題を抱えている。遠くないうちに日本と同じように消費文化はピークを迎え、日本と同様に都市と地方の二極化を遂げるのだ。香港だってすべてがビル街ではなく、離島や山がちな農村・漁村もあるが、それら全部がニュータウンやリゾート開発出来るとは到底思えない。昭和バブルの日本型の繁栄の先には、平成日本型の斜陽は確実に起きる訳で、それはウン十年後の東南アジアの姿でもある。
賢いアジアの人たちであれば、今こそ日本を反面教師にしてほしいものだ。私は世界のあらゆる国が繁栄した方が平和になると考えているので、「この世の春」に現を抜かすことなく、アメリカや日本の失敗から学んだ堅実な国力を築いてほしい。
アジアを見下す鎖国マインドにとらわれた地方に未来はあるか
中国と人件費の競争をするって、終わっていそう。 @saitohisanori @bilderberg54
— 平兵衛 (@heibay) 2014, 12月 7
さて、日本の地方部はより深刻になっている。アジアに奪われた生産拠点がむしろ戻ってきていて、人件費競争が起こされている。滋賀でさえあの程度だということを考えれば鳥取と中国のどちらが消費文化が洗練されているかは明白だ。
しかし、かつて背伸びをして晴れ着姿で「わが県初のマクドナルド」に行列を作ったような地方人たちは、アジアの現実を過小評価する傾向がある。ロードサイド書店の愛国ポルノや、情報環境に乏しい層のためのレガシーメディアとなったテレビキー局の「日本すごいぞ番組」を本気にし、ネットで大々的に広まる「真実」 に流されてしまう。そうしたメディアの都合のいい情報と、地元で可視範囲に存在するアジア人である農林水産業や地場産業を支える出稼ぎ労働者・実習生やらだけを見て、自分は彼らより優等なのだというゆがんだ選民思想にとらわれ続けている。現実が不都合であればあるほど愛国ポルノやネトウヨに影響されてゆく。
そうしたいびつな精神のまま、アジアのどこかの国の地方都市に10年以上前に進出しているようなスタバやセブンイレブンの県内1号店に早朝から掛けつけ、ニコニコ顔で戦時中の物資の配給のような野ざらしの大行列を楽しむのである。これがハイカラなのだと鹿鳴館でメチャクチャなダンスを踊りながら植民地のアジアを「三国人」などと蔑視していた明治時代から100年進歩していないようだ。
私の親戚にも、口を開けば在特会と大差ないようなアジア人差別のヘイトスピーチを繰り広げる地方人がいるが、ネットや大学で知り合い親しくしたアジア人の友人の方がよっぽど教養も理性も人間性も文化的程度も優れていたことは明白だ。
こんなままでは未来もないだろう。彼らは現実に直視をし、謙虚にならなければいけないのだ。