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ナンセンスが世界の不条理に一泡吹かせるための飛び道具であるとすれば、チャウ・シンチーにとっての愛と勇気はそのはかりしれなさにおいてナンセンスであるのだろう。それが少年ジャンプ的マーケティングの帰結でないことは、この映画でもまたあきらかな過剰な念押しによるバランスの欠如にみてとれて、何かがチャウ・シンチー自身のツボにはまった途端それまでの足どりとはおかまいなしに繰り出され繰り返される見開き一コマの大アピールはワタシにとってゴールデン・ハーベスト、すなわち昭和のアジアン・カオスの亡霊が甦ったとしかいいようがなく、反則技と言ってもいいラストでの劇伴の引用も含め、童心に引きずり戻されたという点では『パシフィック・リム』よりも確実にこちらであったように思う。オープニングで初手のはったりとして仕立てられたウォーターワールドのような巨大セットのシークエンスで、通常運転の映画なら死ぬはずのない人間を餌食にした時点で既にチャウ・シンチーが笑顔でイッてるのが見てとれたし、悟空戦で段(スー・チー、ワタシはかでなれおんさんみたいな顔が好きなので当然彼女にも恋をした)が乱入して以降、例のテーマが流れるまでのスーパーアシッドナンセンスは、例えそれがざんばら髪で登場した悟空がまるで塚本晋也監督にしか見えなかった僥倖を考慮しても、今のところ今年最強のように思える。先だってのオールド・スウェディッシュ・ユナボマーや今作を観て沁み沁みと感じたのは、放っておいても日々に満ちてくるメランコリーを映画に求める自家中毒よりはキチガイが振りまわす刃物の切っ先がかすめる風圧に焦がれる切実な欲求で、チャウ・シンチーの場合、すべては客の目を見ていないサービス精神のままに笑顔で刃物を振りまわしているのがまさに怖ろしいところで、その怖ろしさは黒沢清監督のそれに通じると言えば事の重大さが分かっていただけるだろうか。2020年の東京オリンピック開会式の演出をチャウ・シンチーにお願いできればいいのにと心の底から思っている。