2014-12-07
■やさしい狂人『ドラキュラZERO』

『ドラキュラZERO』観賞。
ブラム・ストーカーによる小説「吸血鬼ドラキュラ」よりも前を描くドラキュラ誕生編。
近年「リブート」と言われる仕切り直しや、人気作の前日譚を描く「プリクウェル」が流行りだが、本作は後に再映画化されるホラー・クラシック『ミイラ誕生』や『フランケンシュタインの怪物』などと共に、『アベンジャーズ』の向こうを張る「ユニバーサル・モンスターズ大集結!」作品を作る、その前フリだそうだ。
今年見た映画からベスト10本を選ぶという作業をした。無作為に心に残った映画を選出していくと「あぁ、オレはこういう映画が好きなんだな」という意識していなかった傾向が見えてきた。ホラーやアクションといったジャンルでは無く、ハリウッドやボリウッド製といった製作国でも無い。選んだ映画が一様に「ウソが派手」という共通点があった。「巨大な怪物」「あまりの嬉しさを歌で表現」「ベタベタな漫画のような表現」などなど……
たとえば。普段職場で、管理職的な立場にいる私からすれば、遅刻の理由に「電車が遅れてしまって……」と言われると、ついネットで遅延情報など見てしまい「今日、キミの乗る路線は遅れてないよ……」などと嫌味を言うハメになってコッチもバツが悪い。
その点「すいません! 会社に来る途中で田舎の親友100人とバッタリ会ってしまって!」と勢いよく言われた場合には、なんかもうどうでもよくなる上に、爽快さすら感じるだろう。未だそんな豪傑には恵まれていないが。
ドラキュラだ。人の生き血をすすり永遠の命を持つが、十字架と日光に弱い。殺すには心臓に木の杭を打つ他に手立ては無い、あの「ドラキュラ」だ。
まずそもそも、タイトルに「ドラキュラ」の文字列がある時点で「これからウソをつきます」と言われているのと同じだ。コッチだって承知の上だ。「例の! うっとりした美女の首筋に牙をつきたててチューチューと血を吸い上げるあれでしょ!」てなもんだ。ただし、過去に「ドラキュラ」看板を掲げた作品は多く、玉石混淆としているのも踏まえている。当然「どう料理したのかな?」とイジワルな視点も持ってしまっている。
本作『ドラキュラZERO』。上記したようにブラム・ストーカーに登場するドラキュラ伯爵が吸血鬼になる前から映画が始まる。
よく知られている、ドラキュラ伯爵のモデルとされるヴラド・ツェペシュ公の生涯を骨子として、残忍で強大なオスマン帝国との対立の中で、より強い力を求めて先代吸血鬼と契約を結ぶという展開をしていく。本来悪役であるドラキュラを観客に好かれる主人公にするための配慮だ。
息子や妻を思い、苦渋の選択で吸血鬼になり、圧政を強いるオスマン帝国の国王による嫌がらせと戦争となれば多くの犠牲者を出さざるを得ない板挟みだ。ダークヒーロー的な物語として、良く言えば王道。悪く言えば凡庸な積み重ねが行われる。「これは凡百なウソにしかならないかな……」という不安をラスト近くで一気にひっくり返す。
これがナカナカ良かった。
たとえて言うなら。石原慎太郎だって最初から気が狂っていたワケではなかったハズだ。長男として両親の寵愛を一身に集め、大事に育てられていたハズだ。弟が生まれるまでは。
『ドラキュラZERO』は石原慎太郎の気がふれる瞬間に立ち会ったような「解るけど、それは酷すぎる!」という舵の切り方が痺れる、65点くらいの映画でした。
おヒマなら是非。