フリーライター木村嘉代子のブログです。日々感じたことを綴っています。Copyright(C)2005-2014 Kayoko Kimura
by k_nikoniko お問い合わせ
kkayoko7[at]gmail.com [at]は半角の@に置き換えてください。 <ビデオ> Youtubeのサイト <国内外のできごと> おしゃべりな毎日 <趣味のブログ> らくだの休憩時間 <モロッコ美容> モロッコ美容あれこれ ライフログ
最新の記事
記事ランキング
1 少なくとも二人のフラ..
2 福島県楢葉町に行って.. 3 パリで「慰安婦」問題.. 4 満蒙開拓団を描いた映.. 5 「おいしい結婚」の思い出 6 「男性の草食化進行」.. 7 独身でも子持ちのフラ.. 8 食についての文化摩擦 9 40代からの終活 10 「義父の精子で体外受.. カテゴリ
全体ジェンダー 男と女 ひとりごと フランス 原発 社会問題 歴史 本 食 サッカー 以前の記事
2014年 12月2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 more... タグ
女性
男性
北海道
サッカー
福島
スポーツ
結婚
家族
恋愛
人種差別
フランス
原発
少子化
慰安婦
子供
男と女
語学
若者
放射能
親子
検索
|
少なくとも二人のフランス人女性が日本軍「慰安婦」にフランスのネットマガジン『Slarte fr』に、BC級戦争犯罪裁判・サイゴン裁判(フランス)で判決が下った「フランス女性に対する強姦事件」についての記事が掲載されました。
第二次世界大戦:少なくとも二人のフランス人女性が日本軍「慰安婦」に
朝鮮半島と中国の一部を侵略した後、1945年に日本軍は、治安と監視の口実で、フランスが統治していたインドシナに侵攻した。そのなかに、フランス人の姉妹を捕らえ、7週間もの間、監禁・強姦した軍人がいる。
この事実は、関東学院大学の林博史教授の最近の研究で明らかになった。サイゴン常設軍事裁判所(現・ベトナムのホーチミン市)の1947年の起訴状によると、日本陸軍大尉が姉妹を捕らえた。妹は14歳だったといい、まず姉を強姦し、二人を“連行”した。同大尉は、1945年3月15日から5月3日まで、「部下である中隊の兵隊らが、数週間にわたり毎日強姦するのを知りながら、それを組織もしくは黙認していた」と起訴状には書いてある。
1945年5月3日、大尉と部下である軍曹は、二人の女性を射殺した。裁判所は、この大尉に、殺戮、強姦、強姦共犯、詐欺の罪で死刑の判決を下し、1947年8月12日に死刑が執行された。
インドシナに居住していたフランス人女性への強姦に関しての記述および証明する公文書はこれが初めてである。「慰安婦」は性奴隷を歪曲した表現であり、当時のそれと同様な境遇にあった女性が非常にたくさんいたという隠された事実を示している。
当時、日本軍はインドシナでの治安と監視の使命だけに限られていた。しかし、林教授が見つけた記録によると、1945年3月9日、日本司令部は、「無数の残酷さと違法な犯罪」による武力行使を予謀したという。最高司令部の人道的主張とは反対の行動だった。「日本軍の目的は、フランス軍との中立にとどめる。…略… 市民は敵とはみなさない」 それから数日後、さまざまな暴虐を伴い、人間狩りがフランス人に対しても行われた。
1日に10人以上
林教授はこの夏、公文書が日本法務省から国立公文書館へ移管された後に、この裁判記録を見つけた。それまで、林教授も、彼が運営する日本の戦争責任資料センターも、フランス女性に対するこうした裁判について知られていなかった。林教授によると、その他のこうしたケースを証言できる証人尋問報告書をフランス軍が所有しているかもしれないという。インドネシアのオランダ人女性に関しても、似たような実態がすでに明らかになっている。
林博史教授は、11月28日にパリで開催された記者会見でこの情報を発表したが、フランスのメディアはほとんど注目しなかった。この記者会見は、韓国挺身隊問題対策協議会が主催し、韓国人の元「慰安婦」サバイバーのキル・ウォノクさんも出席した。サバイバーは減ってきており、韓国で生存している元「慰安婦」は50人ほどだという。
何万人もの女性たちは、戦地の駐屯所付近に作られた日本兵のための「慰安所」に強制的に連行された。女性たちは、1日に10人以上の男性の相手をさせられたこともあった。キル・ウォノクさんのように13歳にもならない少女もいた。「1940年、私は『慰安婦』として満州のハルピンに連行されました。そこで性病を患い、兵士の相手ができなくなりました」 キル・ウォノクさんは朝鮮に送り返された。
慰安所制度は体系的である。女性が性病に感染しないよう検査するために、軍医が定期的に訪問していた。数年前にシベリアで、地元の女性を強姦した日本兵の一部が性病で死亡しているからだ。金銭を受け取った女性もいたが、彼女たちはそのお金をお酒やタバコ代として使っていた。
責任を否定する日本
戦争が終わった後も、性奴隷の被害者たちは羞恥心と拒絶の恐怖を抱えて生き、自分の体験を話そうとはしなかった。初めて声を上げたのは、90年代に入ってからだ。
それ以来、日本政府は、責任を認めなければならないこと、教科書に「慰安婦」の歴史を入れるべきであることを恐れ、調査を拒否している。戦争被害者すべてに対し、1965年の日韓協定で賠償済みだとの見解である。それゆえ、20年以上前から毎週水曜日に、挺対協、元「慰安婦」サバイバー、その支援者たちは、ソウルの日本大使館の前でデモをつづけている。デモの参加者たちは、亡くなった被害者の名誉を象徴する像を作った。日本大使館をじっと見つめている、椅子に座った女の子の像だ。その横には、サバイバーと抗議活動する人たちのために、椅子だけがおいてある。「人権、女性の権利、そして正義は、一度踏みにじられると、回復するのは難しい。平和のために、このような戦争犯罪が二度と繰り返さないために、がんばらなくてはならない」とフランスを訪問したキル・ウォノクさんは訴えた。
ここ数年、世論を変えるために、そして外国政府の支援を求め、「各国訪問」を敢行している。戦後70年を来年に控え、「人権の国」に値する支援がもたらされることを期待し、挺対協はフランスで多くの政治家たちと面会した。 ■
[PR] パリで「慰安婦」問題の解決を訴え抗議行動2014年11月26日から12月2日にかけて、「韓国挺身隊問題対策協議会」の代表らがフランス・パリで、一連の抗議活動を行いました。
挺対協の共同代表のユン・ミヒャンさん、元従軍「慰安婦」のキル・ウォノクさんら韓国人に加え、今回初めて日本から、「慰安婦」問題の専門家である関東学院大学の林博史教授と、日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」共同代表の梁澄子さんが参加。 林教授は、第2次世界大戦時にインドシナで2人のフランス人女性が日本軍の性奴隷にされた事件を明らかにしました。 11月26日の水曜日、パリのトロカデロ広場(別名「人権広場」)で、1992年1月8日から毎週行われている伝統的な「水曜デモ」が行われました。セーヌ川をはさんだ向こう側にたつエッフェル塔を背景に、参加者はキャンドルを手に、トロカデロ広場で抗議の声をあげました。 11月27日、レ・アール(ショッピングセンター)に併設された映画館Forum des imageで、映画「ナヌムの家」を上映した後、各国の代表者らとディスカッションが行われました。 11月28日(金)には、パリ日本文化会館の最寄り駅である地下鉄ビラケイム駅を出たところで記者会見が開かれました。 約30人の参加者のなか、「性奴隷を強制したことを認め、その罪に対する責任をはたすことで、日本は信頼を回復する」と林教授は述べました。 最大のイベントは、11月29日(土)にパリ大学で1日かけて開催された国際会議です。 韓国と日本の代表者らによる証言と発表の後、オランダ対日道義補償請求財団のブリジット・ファン・ハルダーさん、女性国際戦犯法廷で首席検事を務めたオックスフォード大学教授のパトリシア・セラーズさん、アムネスティ・インターナショナル・フランスのジュヌビエーヴ・ガリゴ代表らが、日本軍の性奴隷の違法性などを批判しました。 そして、参加者たちは、日本政府に公式謝罪と法的賠償を求める「1億人署名」に署名しました。 12月1日は、パリ大学ソルボンヌで、ジャン・サラン教授の呼びかけによる討論会が行われ、キル・ウォノクさんが、100人近い参加者の前で、自分の体験を証言しました。 2007年12月3日に欧州議会は、日本軍の性奴隷犠牲者全員に謝罪を求める決議しています。 今回、韓国と日本の代表者は、フランス国会議員や外務省関係者、パリ市代表者とも会談したそうです。 聯合ニュース KBS World Radio 仏朝友好協会(Association d'amitié franco-coréenne) ■
[PR] 満蒙開拓団を描いた映画『望郷の鐘』山田火砂子監督の最新作『望郷の鐘』を観ました。
満蒙開拓団として満州に渡った住職で教師の山本慈昭が、敗戦で妻と子と離れ離れになり、帰国後、残留孤児捜しをはじめる、というお話。 泣けました。 自分がかかわっていることとの共通点が多く。 私の祖父も国民学校の教師で大連に渡っています。 引き揚げてくるとき、10歳の末の息子を現地に残す、という話も出たそうです。 映画は、長野県伊那郡阿智村からの開拓団。 中学校まで住んでいた地域とけっこう近く、方言が似ていて、満州行きのシーンに飯田線もちらり。 天竜川の平岡ダムの中国人強制連行労働者の遺骨発掘も取り上げていました。 山田監督は、「深刻になりすぎない」よう、子どもにも受け入れられるように、この作品を制作したそうです。 多くの人に観てほしい映画です。 ■
[PR] 福島県楢葉町に行ってきました11月23日、「大沼演劇&浜通り視察ツアー」(ウシトラ旅団主催)に参加し、福島県の楢葉町に行ってきました。 放射能汚染のため処理ができず、被害にあった家もそのまま放置されていました。 冷蔵庫のドアを閉め忘れた、と戻り、行方不明になっている方もいると…。 楢葉町の木戸川は、太平洋側一の鮭の収獲量を誇っていたそうです。 放射能は無臭ですが、魚の腐敗臭として記憶されました。 More ■
[PR] 映画『日本と原発』を観てから投票を脱原発を目指して活動する2人の弁護士、河合弘之さんが監督、海渡雄一さんが構成・監修したドキュメンタリー映画『日本と原発 私たちは原発で幸せですか?』、おすすめです。 「いい映画を作るのが目的ではなかった。原発の安全・安心神話の呪縛を解くには映画しかないと思った。初心者から原発通まで観てもらえる作品にした」とのお言葉通り、手堅く、わかりやすい作品。 福島原発事故直後の混乱を丁寧に解説するなど、さまざまな情報でこんがらがっていた頭が整理ができます。 日本の54基の原発の映像を新垣隆さんの音楽とともに流すラストシーンも良いです。 お二人が語る「衆院選目前 特別予告編」を観てから、投票に行きましょう! 今度こそ、「原発」を争点にしたいですね! ■
[PR] 『週刊女性』の「地方崩壊」特集で夕張について書きました中越地震を覚えてますか、再び10年前の2004年10月23日午後17時56分、新潟県中越地震が起きた。 ■
[PR] 絵本作家たちが描く脱原発9月23日の「さようなら原発全国大集会」のブースで、いくつか絵本を販売しました。 放射能で汚染されて、食べてもらえなくなった“ほうれんそう”や農作物が、悲しみや苦しみを訴えます。 鎌田さんの語りも、長谷川さんの絵もシンプルでありながら、切ない言葉と、はっきりした色調の絵で、激しい怒りが表現されています。 お二人の思いがズンと伝わり、心が揺さぶられます。 『土の話』は、放射能に汚染されてしまったフクシマの土が、欲張りな人間を告発。 阿武隈弁のリズムが良く、声を出して読むと、土の怒りが自分の怒りになっていくのを感じます。 文の小泉武夫さんは農学博士で、ところどころに科学的な解説も。 黒田征太郎さんによる描き文字と絵は、迫力があり、それでいてアーティスティックです。 『ウリンボー』(ブースでは販売しませんでしたが)は、イノシシの赤ちゃんのこと。 フクシマの王子さまのお願いで、イノシシの王様は「フクシマの汚れたものを全部食べつくす」約束をします。 椎根和さんのお話は幻想的。 荒井良二さんの描くウリンボーとフクシマの王子様の絵がかわいい。 自然あふれるフクシマと、放射能汚染された風景とのコントラストが印象的です。 『フクシマの王子様』は絵本ではなく、椎根和さんの原発事故への思いをつづった本で、荒井良二さんが挿絵を描いています。 『やぎや』は、長野ヒデ子さん作、スズキコージさん絵で、やぎの家族の話。 原発とは直接関係ありませんが、やぎを飼って、チーズを作って、パンを焼いて、畑の野菜で料理して、という農的生活をするやぎの家族の姿から、そういう生活を奪われてしまった福島の家族に思いが馳せます。 スズキコージさんの絵は、カラフルで楽しい。 ここで紹介した絵本作家さんたちは、『手から手へ』展にも参加されています。 絵本作家たちの「手から手へ」展 ■
[PR]
|