ボンタイ

社会、文化、若者論といった論評のブログ

大正生まれとさとり世代の共通点

 私の祖父はだいぶ前に亡くなったが、大正生まれだった。

 大正生まれには独特の雰囲気がある。口数が少なく、そして「ミーハーな文化」には一切関心を示さないということだ。

 

 昭和に生まれた母方の祖父は新しい商品はなんでも飛びついて買ったし、流行りの話題二は良く飛びついていた。部屋には洋楽のレコードがたくさんあり、晩年はハワイ旅行を楽しむなど西洋の文化にももともと関心があった。だが大正生まれ世代には、そういうきらいは全くなかった。マクドナルドに生涯一度も行ったことはなかったんじゃないだろうか。

 しかし考えてみれば、大正時代は、デモクラシーやモボ・モガの浮かれていた時代だ。西洋式のファッションで若者が闊歩し、西洋式のカフェやレストランが立ち並んだ。ハリウッド映画や西洋音楽が持ち込まれ、例えばダンスホールは現代のクラブのような感じだったんだろう。上の動画は大正時代に日本で売られたレコードだが、ディズニーランドで流れている音楽そのものだ。

 

 以前の私は、大正生まれ世代が「昔の人だから西洋文化・流行り文化に疎い」と言う風に考えていたが、このところはそれが間違いなのではないかと考えを改めるようになった。

 彼らの孫にあたるわれわれ「さとり世代」と全く同じはないか。

 さとり世代は西洋文化離れをした世代である。子どもの頃は親の影響で、家族でハリウッド映画を観たり、洋楽に親しんだりしたが、自分たちがいざ消費文化を回す主導権を握る若者となったら、そうした西洋文化は日本ではあまり流行らなくなってしまった。ハリウッド映画も洋楽も、戦後期のピークはおそらく1970~1980年代である。日本がバブルの階段を上り詰める頃で、都市部の高次元な文化が西洋志向だったわけだが、その後の失われた20年の不景気から抜け出せずにいたあげくリーマンショックに端を発する世界的な不況に見舞われ、東日本大震災は決定打だったように思う。今や街中やマスメディアから西洋文化はほとんど見当たらない。妖怪ウォッチとAKB48のどこに西洋らしさがあるだろうか。 

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 これは大正と完全にダブる。

 戦時中にコテコテの軍歌を歌った藤山一郎氏ら歌手も、昭和初期まではむしろ洋楽のカバー曲や、西洋の影響を受けたヒットソングを歌っていた。しかし、関東大震災や昭和恐慌などに見舞われているうちにどんどん日本はイカれていき、後に悲惨な顛末を迎える戦争の道を突き進んだのである。

 

 戦前の日本は、日清・日露戦争に勝利して発展を遂げた挙句、第一次世界大戦の輸出特需によって大正時代に空前のバブル時代を迎えた。

 だが、大正生まれの親に当たる世代は明治の後期に生まれである。当時の日本人は早婚だった。彼らは日清・日露戦争の当時は生まれていないか、まだ物心がついたばかりで、日本いがいかにして戦争に勝ったのかは知る由もない。若い頃に好景気の恩恵にはあずかった彼らだが、自分がいざ中年になると彼らは亡国の道へと突っ走っていった。近衛文麿東条英機の世代である。

 

 まさに今の4・50代世代そのものではないだろうか。

 彼らが生まれた頃は高度成長期である。朝鮮戦争に端を発する輸出需要の拡大がバブルの恩恵につながったわけだ。

 戦後昭和の日本は社会システムも立派にできていて、自民党の政治かも今より遥かに立派で、金権的でありながらも目先の票よりも「国家百年の大計」を考えていたに違いない。企業もめまぐるしく発展した。

 しかし中年たちはこの中に流されるだけで、「なぜ繁栄の今があるか」と言うことをちっとも考えなかった。バブルの恩恵を若き日にありったけ享受し、その後平成時代になると、親の世代から年功序列的に「主導権」が移譲されても、システム運用の仕組みをより良くすることは何もできずに今に立っている。政治は老朽化する一方だし、企業はガラパゴス経営体質を抜け出せない。マスメディアも世界の水準とは異なっている。手書きの履歴書1つ廃止できないバカしかいない。

 無能な明治後半生まれの親が、江戸の幕末に生まれて明治維新を成し遂げたあの志士たちの世代だったように、無能なバブル世代の親は、まさに大正生まれだ。戦前に生まれ、青春の日々を無能な大人のわがままな都合によって戦争に駆り出されたあげく、焼け野原になった日本国土の復興と高度成長に生涯かけて取り組んだ人たちである。

 こういう「隔世遺伝」の歴史がこの国には存在しているわけである。

 

 平成生まれの若い世代は、自分たちの両親の4・50代からほとんど学ぶことはないだろう。寧ろ反面教師にすべきことばかりだ。野田首相や安倍首相がなぜ政治改革できないのか、なぜNHK朝日新聞をふくめたガラパゴス化したマスコミが国民的アイドルのAKB48のゴリ押しを恥ずかしげもなく繰り返し、なぜスマートフォンが日本の携帯電話を駆逐したのか・・・あげればきりがない。

 もちろん明治後半生まれのすべてが無能ではなくて、パナソニックを一代で巨大企業に発展させた松下幸之助氏のような人もいるように、戦後昭和生まれでも立派な人はいるから彼らから吸収すべきことだってある。しかし彼らの世代にカリスマ的な政治家や企業経営者が存在するだろうか。それこそパナソニックは関連企業の統廃合やリストラを繰り返しながら低迷を打開できずにいるが、社長や経営陣らはみなこの世代である。社員たちもよりよい明日を作るようなイノベーション精神なんてなくて、決まりきった業務内容の繰り返しをしながら定年後の退職金めがけて走っている中年しかいないんじゃないだろうか。

 

 ただし、戦前と同じ道を繰り返すのはダサいので、今にしかできないことを意識する必要があると思う。インターネットの存在は大きい。とにかく歴史に学ぶのだ。Youtubeで戦前の映画やレコードがいくらでも見聞きできるし、Wikipediaのいい加減な知識以上に知りたいことがあれば最寄りの博物館を検索して足を運ぶこともできる。温故知新は重要だ。

 そして世界から学ぶこともできる。ネットには国境がないから、世界的な情報の先端がどこにあるのかがすぐにわかる。日本の無能のマスコミと違い、AFP通信やBBCやCNNやアルジャジーライスラム国の話題をとことん報じているということとか、日本のダサい映像表現と違い、世界ではこういうPVやCMの撮り方が主流なのだとか、情報にもまれているうちに肌感覚で伝わってくる。格安航空券を手配すれば近所の羽田空港からLCCで飛んで行けるわけで、こういう戦前にも、戦後昭和にすらない恩恵を思いっきり使い尽くすのが若い世代のすべきことだろう。