SF、科学、経済、文化、コンピューターなど幅広い分野で翻訳や評論活動を行う山形浩生さん(47)。大手調査会社の研究員として地域開発にも携わり、貧困国の開発支援をテーマにした翻訳本『貧乏人の経済学』(エスター・デュフロ、アビジット・バナジー著)が近く上梓される予定だ。海外の先端学問を取り入れ、論客としても数々の論争を繰り広げてきた山形氏が、日本の言論空間に残してきたものは何だったのか。荻上チキが鋭く迫った。(構成/宮崎直子)
他人がやらないことを面白がる
荻上 今日は、「山形浩生は何を語ってきたか」というテーマでお話を伺いたいと思います。8年前、ライターの斎藤哲也さんが行った「山形浩生はいかにして作られたか」と題されたインタビューがありましたね。“読者としての山形浩生”が、自身の読書遍歴を振り返るという、とても面白いインタビューでした。
今回は、“書き手としての山形浩生”に、ご自身の著述活動を振り返っていただきたいなと思っております。翻訳や物書きのお仕事をはじめられたいきさつから、あれだけ膨大な翻訳・論評活動を展開するなかで、どういった点を重視して言説を紡いでおられるのか。
山形 「作られたか」のインタビューでも触れたように、ぼくは大学生のころ、SF研究会というところにいまして。当時は「翻訳SF冬の時代」と呼ばれていて、海外のSFはぜんぜん売れないような時代でした。たとえば『スター・ウォーズ』さえも、最初は「惑星大戦争」というタイトルでものすごい小さな扱いで。そこで大学生たちで、自分たちで何かやろうぜといって、いろんな同人活動をしていたんですね。
神田のタトルブックスやお茶の水の丸善に行くと、店頭にSFのペーパーバックのゾッキ本が山ほどあった。そこから適当に面白いものを選んできて、勝手に翻訳して、自分たちのファンジンに載せるというのを延々続けていました。意識的に翻訳をはじめたのはこのころからですね。菊池誠、柳下毅一郎、山岸真、大森望など、今SFで活躍している人たちは、その時代の出身の方が多いですね。
荻上 海外で受容されている作品が、日本で読まれないというギャップがあったその時、翻訳作業によってそれを埋めることが大事なのだ、というような意識ももたれていたのでしょうか?
山形 あんまりそういうのはなかったですね。単純に、「これ面白いのに、何で出てないの?」っていう思いと、仲間うちのライバル意識みたいなものに支えられた活動です。あいつらこんな新しいのを訳していて許せんとか、あいつよりも俺のほうが上手いとか、翻訳の楽しさや面白さが重視されていて、「これを出すべきだ」といった思いは特になかったですね。
荻上 そのころから今に至るまで、山形さん自身の「面白さ」が一番のポイントなんですね。
山形 そうですね。
荻上 でもそれが結果的に、日本の言論の不足しているものを埋めている面もある。言説の方向を変え、「新教養」のラインナップを作り替えてきたわけです。
たとえば具体的には、00年代の日本の評論界隈では、山形さんが訳し続けたローレンス・レッシグが話題になっていました。そのあたりを定本にした「アーキテクチャ論」が多く溢れかえり、『コモンズ』『CODE』などが必読書になっています。
また、00年代は経済学の時代ともいえ、『クルーグマン教授の経済入門』のような入門書、『戦争の経済学』『人でなしの経済理論』などの、経済学的な思考を元に様々な現象を分析する書籍は多く流通しました。
90年代にはまだ残っていた、あえてカントやマルクスを気合入れて読むのが批評の約束事なのだといったムードは、この10年間で大きく様変わりし、もう絶滅危惧種のようになっていますね。「山形訳」という数々の仕事が、その変化にも大きくかかわっていたように思いますが。
山形 でも、意図的にそういうことをやろうと思ってはいなくて、単純に他人がやっていないものを面白がるという、ひねくれ者的なところがあって、それが一番大きいですよね。
たとえば97年にLinuxの本を出したときも、別に「Linuxが世に広まるべきだ」と思ってやっていたわけではなくて、「え、こんなものただで配っていいの? 面白いじゃん」という思いでやっていたら、いつの間にかでっかい話になっていた。
クルーグマンの場合も、実際に自分が仕事をしている上で、経済学のレポートを書くのに非常に役立ったし、経済学ってこの程度の話なのかということをわからせてくれて、面白かった。だから、「みんなもこれを読めば、付け焼き刃しやすくなるよ」と広めようと思ったまで。ここを起点にして経済学ムーブメントを起こしてやろうとかは意識したことはないですよね。