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真珠湾攻撃から73年「極限の戦いだった」 誇りと心の傷を残した「零戦」元搭乗員 「命がけで守ったこの国の行く末が心配」

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真珠湾攻撃から73年「極限の戦いだった」 誇りと心の傷を残した「零戦」元搭乗員 「命がけで守ったこの国の行く末が心配」

飛行服姿の原田要さん

 その後、日本軍は連勝。原田さんも華々しい戦果を上げた。こうした状況で17年6月、ミッドウェー海戦を迎えたが、日本は空母4隻を失うなど惨敗した。

 敵機攻撃のため飛び立ったが、母艦の空母「蒼龍(そうりゅう)」が攻撃を受けたため、別の空母に着艦。短時間で整備を受け発艦した。このとき滑走路は着艦した航空機で埋まり、わずか50メートルの滑走距離で奇跡的に飛び立つことができた。この空母も被弾したため、燃料が切れて海上に不時着して漂流したところを味方に救われた。

 機動部隊は壊滅的な打撃を受け、多くの熟練搭乗員を失い、敗戦へとつながっていった。「真珠湾での勝利、零戦への過剰評価が、自信ではなく慢心につながった」と冷静に振り返る。

 あれから70余年。高齢にもかかわらず、各地で体験を語る。平成3年の湾岸戦争時、「テレビゲームみたい」と語った若者らの声を聞いたのがきっかけだ。

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