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真珠湾攻撃から73年「極限の戦いだった」 誇りと心の傷を残した「零戦」元搭乗員 「命がけで守ったこの国の行く末が心配」
恨めしそうな表情を向けた敵軍のパイロット-。撃墜すると、一瞬だが間近で相手の様子が確認できた。
敵機に致命傷を与える20ミリ機銃の弾丸は、両翼に60発ずつしかない。確実に当てるため、100メートル以内に接近し、時には5メートルほどの距離になることもあった。時速500キロ以上のスピードですれ違うため、熟練した操縦の腕が求められた。
当時の様子が今も脳裏に浮かぶ。「撃墜すると安堵(あんど)感と高揚感があって、その後嫌な気分になりました。『あの男にも家族がいただろう』と想像したから…」
昭和8年に17歳で海軍に志願し、厳しい訓練を経て12年に戦闘機の搭乗員に。日中戦争も参加、飛行時間は5千時間を超えていた。
零戦の搭乗員として臨んだ真珠湾攻撃は、上空援護の任務で、敵機とは対峙(たいじ)しなかった。「当然真っ先に自分が行くと思っていたので、悔しかった」