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真珠湾攻撃から73年「極限の戦いだった」 誇りと心の傷を残した「零戦」元搭乗員 「命がけで守ったこの国の行く末が心配」
「やらなければやられる極限の戦いだった」。第二次大戦中、旧日本海軍の零式(れいしき)艦上戦闘機(零戦(ぜろせん))の搭乗員として、米ハワイの真珠湾攻撃やミッドウェー海戦などに参加した元海軍中尉、原田要(かなめ)さん(98)=長野市。数々の戦闘の中で、戦勝の高揚感や惨敗による失意、仲間を失った悲しみなど、さまざまな感情を胸に刻んだ。日米開戦の端緒となった真珠湾攻撃から8日で73年。そして来年は終戦から70年を迎える。「みんな自分の命を国のためにささげる覚悟でした」。かなたの記憶が今も鮮明によみがえる。
開戦の前年に誕生した零戦。世界一の戦闘機との呼び声が高かった。「操作が楽で、微妙なところで舵が利くいい飛行機だった」。原田さんは「零戦が誕生しなければ、日本もハワイ攻撃を考えなかったでしょう」と振り返る。
零戦は、原田さんに戦闘機乗りとしての誇りと、心の傷の両面を残した。