11月27日号で指摘した読売新聞の誤報(編集部注=【コラム】対艦ミサイルに関する読売の誤報参照)について、訂正記事が出るのを待っているところですが、12月1日の読売新聞朝刊は1面に「誤報などについての訂正文は社会面に集約する」とする社告を掲載しました。
この社告は、11月12日付朝刊の社告に基づいた措置で、方向性としては歓迎できるものです。
社告(11月12日付朝刊)は次のように謳っています。
本社『適正報道委員会』を設置 読売新聞社は12月1日付で、正確で信頼される紙面作りのために、編集局内に『適正報道委員会』を設置します。委員会は、調査報道や独自取材などによる重要な記事の掲載前に、その内容が適切であるかどうかを第三者的立場からチェックします。具体的には、重要な記事について、担当部から取材の経緯、内容などを聞き取り、①記事の裏付け取材が十分であるか②取材に基づく事実の評価が妥当であるか――などを検討します。日常の取材活動や紙面作りに関しても、随時、取材部門に助言します。〈37面に新設の理由〉
そこであえて問いたいのです。本当に誤報などをチェックできるだけの能力がある組織なのか、と。
それというのも、新聞社の組織を知る立場から見ると、このような組織には役職だけは一人前だけれども能力的には疑問のある人たちが、いわば「窓際族」の形で配置され、なんの役割も果たさないことが懸念されるからです。
窓際とはいわないまでも、新聞社内で陽の当たらない部署は編集では校閲部などがあります。有能だけれども干された記者、もてあまし者になっている変わり者、無能と烙印を押された記者…などが配置される傾向はなきにしもあらずなのです。新聞社における校閲部の重要性からすれば、これは由々しき問題です。
重要性が明らかな校閲部でもその状態は否めないわけで、××委員会などの組織が「吹きだまり」になる可能性は最初から覚悟し、そのようにならないようにしなければなりません。
やる気がなければ、自社の誤報に厳しく目を配り、「歴史の記録者」(新聞倫理綱領)として訂正記事を、それも社内の抵抗をはねのけてでも掲載するよう主張するなど、できるわけがありません。
まして、日本報道検証機構(Gohoo)のサイトに注意を払うといった意欲的な取り組みなど、生まれようもないでしょう。
私としては、まずは11月27日号で指摘した誤報に対する訂正記事が出るかどうか、読売新聞の社会面を見守りたいと思います。
* 編集注 この記事は、会員制メールマガジン『NEWSを疑え!』第353号(2014年12月4日号)より了承を得て一部転載しました。
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(初稿:2014年12月5日 03:21)