先日、うっかり結婚した。
いつかは結婚したいと思っていたし、彼氏(今の夫)もはっきりと「君と結婚したいと思っている」などと言ってくれていた。
親からのプレッシャーもあった。「適齢期」「出産年齢」も気にしていた。同僚や友人の結婚や出産が続いたから。
毎週末にFacebookで見る、頑固親父として有名だった友人父が孫を抱いている写真。えびす顔、というのだろうか。友人として素直に嬉しい気持ちと、どこか遠い外国の出来事のような感覚を覚えながら見ていた。
…早い話、キッカケがなかったのである。タイミングも手続きもわからなかった。
結婚式そのもの、ましてやドレスなどにも憧れがなかった。「彼氏をウェディングフェアに引っ張って行きその勢いでプロポーズさせた」という友人のエピソードは、女子会特有の雰囲気に合わせたネタと思っていた。
ちょうど仕事が面白くなってきているというのもあった。管理職になり、海外出張が増え、動けば必ず成果を出せるようになり、まさに旬がめぐってきたのだとさえ思った。
仮に出産するとなると、ここまで築きあげてきたキャリアをすべて失うのではないかと恐怖した。怖いので、あまり考えないようにした。
私生活の課題にだけ積極的に改善を試みないのは、とても悪い癖だと自己批判しながら。
あるとき彼氏と、たぶん焼肉屋が鮨屋だったかと思うが、結婚する時期について話した。
「明日でもいい」と彼は答え、こう続けた。
「仕事は辞めなくていいし、減らさなくていい。子どもは産んでほしいけれど、君が欲しいと思ったときでいい。もちろん遅くならないうちにね。
そもそも僕が好きなのは君で、そう努力している君なんだよ。いまの君はかっこいいし、誰にも渡したくないんだよ。
だから家庭的な、僕の奥さんや子どもの良い母親になってほしいとか、そういうことは言ってないんだよ。
今は仕事という形でアウトプットしているけれど、同じように、自分たちが正しいと思うことを、なんとなく、相談しながら、やっていけば、いいんじゃない?」
そして、型破りな自分の性分を今一つ受け入れられなかったことに気付いた。
実家は圧倒的な家父長制が強く敷かれている。地方公務員の両親、先祖は地主だ。
大学進学と同時に離れ、できるかぎり疎遠にしていたにも関わらず、旧体制は私の血肉に染み込んでいたのである。
決別するために、そして当の本人である私よりも私を受け入れてくれる彼への真心として、本当に1週間後に入籍を果たした。
こういう考え方を彼に叩き込んだのは彼の母であり、彼の祖母は戦前から婦人運動家として活動した方だと知るのは、結婚してから1か月ほど経ってからのこと。