不気味の谷を越えたアンドロイド『ASUNA』が拓いた、新たなビジネスの可能性
2014/12/05公開
1886年、フランス人作家ヴィリエ・ド・リラダンが、人間の男性と女性型アンドロイドとの恋を描いた小説『未来のイヴ』を出版した。
それから約120年余、我々人類は自分達と姿かたちがそっくりなアンドロイドと一緒に生活するという“遠い未来”に思いを馳せてきた。
しかし、その“遠い未来”だったものが、ある企業によって“現実”になろうとしている。
アンドロイドメーカー、エーラボだ。
エーラボが生み出した女性型アンドロイド『ASUNA』は、今年10月から11月にかけて開催された『東京デザイナーズウィーク2014』のロボットを集めた展示『スーパーロボット展』で受付嬢を務めたことでも知られている。
また、先日開発が発表されたマツコデラックスさんを模したアンドロイド『マツコロイド』の開発を担当しているのも同社だ。
そんなアンドロイドビジネスの最前線をひた走るエーラボで、最高ブランド責任者かつ、ASUNAの開発エンジニアでもある島谷直志氏に、ASUNA開発における苦労と、アンドロイドビジネスの今後を聞いた。
ASUNAの顔が「まあまあ」な理由
(写真左から)エーラボのCBO(最高ブランド責任者)島谷直志氏と女性型アンドロイド『ASUNA』
今までの人の外見を模した数々のロボットは「不気味の谷」に落ちてきた。
「不気味の谷」とは、ロボットがより人間らしくなればなるほど人は好感を覚えるが、ある時点で突然強い嫌悪感に陥り、人間の外観や動作と見分けがつかなくなると、再び好感を抱く現象のことである。
その「不気味の谷」を超えたと表現されるほど精巧なASUNA。彼女はなぜ見る人に不気味な印象を与えないのだろう。
「不気味の代表格は死体。今までのロボットたちが不気味の谷に陥るのは、動いているのに生き物に感じない不気味さというものを人間が自分の経験から深層心理で感じ取るからなんです」
ASUNAの場合、その心理的な補完機能を顔の造形で回避しているのだと島谷氏は続ける。
「ほとんどの人間の顔は左右対象にはできていません。ASUNAの顔の造形も、本当の人間と同様に顔の左右に少し違いを出しています」
また、極端に美人過ぎないことも不気味の谷の回避策だと言う。
「モデルや女優のように美人過ぎると注意を引いてしまいます。普段見慣れているような、道ですれ違っても振り返らないくらいの、世の中の風景になじむビジュアルが一番違和感を与えないんです」
人間に似すぎているがために求められる完璧さ
見た目は人間そっくりなASUNA。しかし、この顔のモデルとなった女性は存在しない。
自然な表情を追求するために顔の造形だけで4カ月も費やしたと回顧する島谷氏
「ASUNAの顔は、いろんな人の顔写真からパーツを寄せ集めて作ったいわゆるモンタージュです。よりリアルな人間の表情を実現するために、造形師が粘土で彫刻した原型から3回作り直しています。特に表情を大きく左右するまぶた、あご先、唇の付け方にはこだわりました」
とはいえ、ここまで精巧に作ったASUNAでも数時間見続けていると不気味に感じかねないと島谷氏は話す。
「人間の脳はよくできていて、ずっと同じものを見ていると新しい尺度の不気味の谷を作るんです。CGも一緒ですよね。最初はCGだと思わないくらいのクオリティでもいつの間にかCGの部分がわかるようになるのと似ています」
また、ここまで精巧にできているからこそ逆に難しくなるものもあるという。人工音声の搭載だ。
「Pepperのようにいかにもロボットという見た目であれば、片言で会話がおぼつかなくても『ロボットの割にはよくしゃべる』と許容してもらえます。しかし、ASUNAくらい人間と同じ見た目だと、発音や会話の内容に完璧が求められ、少しでも粗が垣間見えると、不気味さを感じさせてしまいます」
悪意のない視線が人を癒す
人間の脳に不気味な印象を与える要素を限りなくゼロに近づけることで、受付嬢として表舞台で活躍するASUNA。島谷氏は、ASUNAが受付嬢として活躍できる理由として、その精巧さの他に、アンドロイドを用いたビジネスを取り巻く環境を挙げた。
「今はアンドロイド自体が珍しい。だから現在、首より上しか開発できていないASUNAでも、それ自体に看板としての価値があるんです」
その物珍しさは、鉄工業界や医療業界のような専門的な業界にも、ある種免罪符的な強さで乗りこめるほどの価値を持つと島谷氏は言う。
「アンドロイド自体が“特殊”なので、それが含まれた商品動画を撮るだけで宣伝が成り立つんです。すでに参入が難しいくらいの業界でも差別化のきっかけになる余地があります」
人間とそっくりではあるものの、人間として使う必要はない。人間でも、ロボットでもない、アンドロイドだからこその価値があるのだという。
また、全く違う理由からアンドロイドが活躍できる業界の可能性も島谷氏は見出している。
「以前イベントに出展したときに、来場していた障害者の方にとても喜んでもらえたんです。アンドロイドでも、その目にじっと見つめられるとうれしいと、涙を流して喜んでくださいました」
その来場者いわく、人と話していて目を背けられると、相手が自分を見ているのが苦痛なのではないかと勘ぐり、傷ついてしまうのだという。逆に、じっと見つめられても奇異の目で見られているんじゃないかと心配になるという。
「その点、アンドロイドは裏心がないことがわかっており、純粋な目でじっと見つめられるから、心配にならないのだとおっしゃっていました。これは展示するまで思いもよらないことでした」
また、カメラとマイク・スピーカーを搭載したアンドロイドを、人が遠隔操作するジェミノイドシステムでは、医療の分野での可能性も感じている。
「アンドロイドというフィルターを通じてコミュニケーションを取ると、ある種のアバターやネカマ的感覚になるようです。そのため、コミュニケーションが苦手な人でも、アンドロイドを通すと、自分の声や顔を出して直接対話するSkypeなどよりも対話の心理的ハードルが下がり、積極的な会話ができるという効果が期待できます」
また、アルツハイマー患者や記憶障害の人が、ASUNAの姿かたちを借りて、自分の生まれた町でそこに住む人たちと会話することで、眠っている記憶が呼び覚まされるような可能性も考えられると続ける。
アンドロイド制作からアンドロイドコンテンツ制作に
このように、さまざまな産業で将来的な事業展開の可能性を秘めたアンドロイドビジネス。にも関わらず、競合他社がほぼ存在しない(厳密にはあまり目立たない)のはなぜなのだろうか。
「アンドロイドの製作は一つ一つがめんどくさい技術の集合体なんです。リアルな皮膚素材や造形であれば、オリエント工業さんがあります。皮膚を持たないヒューマノイドの分野ではカワダロボティクスさんなどもあります。しかし、これを全て1社でやる企業はまだないですよね、めんどくさいので(笑)」
しかし、資金力や人的リソースがある大きな企業が、マーケットの大きさに魅力を感じて参入してくる可能性もあるだろう。
「それまでにエーラボは圧倒的なビジネスを経験して実績を作っておかねばなりません。将来はおそらくいろんな会社からASUNAのようにリアルなアンドロイドが誕生するでしょう。その頃、私たちはもう“作る”フェーズじゃなくて、“活かす”フェーズに移行していることが理想です」
現在、ASUNAで試験的に行っている取り組みは、全身が可動するアンドロイドを活かしたビジネスへの移行を視野に入れてのことだ。
From A-lab
衣装を身にまとい、イベントで受付嬢として働くASUNA
「先日行われた『攻殻機動隊』25周年のイベントで衣装を着せたように、将来的に動くマネキンとしての活用を考えています。静止したマネキンでは知りえない、動いたときの皺やシルエットの変化を試着する前に知ることができます」
このようにアンドロイドを活かしたコンテンツの知見を貯めておくことで、後発の企業との差別化を図るという。そのためにはまず、ASUNAの首から下の部分の開発が急務だ。
「有名になってきたこともあり、ASUNAはいろいろなイベントに呼ばれるようになってきました。そのギャランティはすべて彼女の開発費用に充てています。アンドロイドが自分でお金を稼ぐ、これもコンテンツビジネスですね」
この他にも、アンケートスタッフや化粧品の販売員など、さまざまな活躍をしているASUNA。彼女は今日も世界のどこかで、自分の体を作るためにせっせと働いている。
取材・文・撮影/佐藤健太(編集部)