セックス描写のシナリオ構築における役割についての一考察
エロ漫画は非常に多様性の高いジャンルで、何を以て“エロ漫画”であるとするかの基準は人によって様々でしょう。とは言え、多くの方のコンセンサスを得られると考えられるのは、“性描写のある漫画”という定義であると思われ、セックスまたはそれに類する性行為を表現することに一定以上の比重が置かれている作品がエロ漫画であると言ってよいでしょう。なお、当ブログでは特別の言及がない限り「エロ漫画=成人向けで性描写のある漫画」としています。
1990年代後半に、萌え系漫画が独立したジャンルとして成人向け漫画(エロ漫画)のジャンルから一般向けへと分離して以降、エロ漫画はその実用性を強化する方向性に邁進し、セックス描写の作品における比重は単純に濡れ場のページ数という面から見ても、増加してきました。
一定以上のページ数でセックスシーンを短編ならば各作品に、中編・長編ならば各話に配置しなければならない商業誌エロにおける“お約束”は、描き手の自由をある程度束縛することはおそらく事実でしょう。この“縛り”がある事実を以てして、「構成上の自由度が低いエロ漫画はストーリー性が平均的に低い」「せっかく話が面白いのだからエロはいらない」という、比較的ネガティブな意見もあれば、「エロ漫画はセックスという行為のみを介して表現できることを描く分野」という割合ポジティブな意見もあります。
作品の方向性(ソフト路線かハード路線か)やストーリー(例えば凌辱系か純愛系か)、エロシーンのシチュエーションやもっと言えばエロシーンの質の高低によっても意見は変化すると思いますが、管理人は漫画としての様式を持つエロ漫画におけるセックス描写は、各作品の他の部分と切り離し可能な独立した構成要素ではなく、シナリオ展開やキャラクター構築において一定の役割を果たす主要な構成要素だと考えています。
本稿は、エロ漫画におけるセックス描写そのものがストーリー性の構築にどのように寄与するかを、性的描写の内容からではなく、セックスを行う登場人物間の関係性の変化という観点から考察することを目的としています。
1990年代後半に、萌え系漫画が独立したジャンルとして成人向け漫画(エロ漫画)のジャンルから一般向けへと分離して以降、エロ漫画はその実用性を強化する方向性に邁進し、セックス描写の作品における比重は単純に濡れ場のページ数という面から見ても、増加してきました。
一定以上のページ数でセックスシーンを短編ならば各作品に、中編・長編ならば各話に配置しなければならない商業誌エロにおける“お約束”は、描き手の自由をある程度束縛することはおそらく事実でしょう。この“縛り”がある事実を以てして、「構成上の自由度が低いエロ漫画はストーリー性が平均的に低い」「せっかく話が面白いのだからエロはいらない」という、比較的ネガティブな意見もあれば、「エロ漫画はセックスという行為のみを介して表現できることを描く分野」という割合ポジティブな意見もあります。
作品の方向性(ソフト路線かハード路線か)やストーリー(例えば凌辱系か純愛系か)、エロシーンのシチュエーションやもっと言えばエロシーンの質の高低によっても意見は変化すると思いますが、管理人は漫画としての様式を持つエロ漫画におけるセックス描写は、各作品の他の部分と切り離し可能な独立した構成要素ではなく、シナリオ展開やキャラクター構築において一定の役割を果たす主要な構成要素だと考えています。
本稿は、エロ漫画におけるセックス描写そのものがストーリー性の構築にどのように寄与するかを、性的描写の内容からではなく、セックスを行う登場人物間の関係性の変化という観点から考察することを目的としています。
まず、セックスシーンの前後における登場人物(人外や非生物も含む)の関係性に着目しました。これは登場人物の他者や環境との関係性、およびその変化がストーリーとキャラクター構築に重要な役割を果たしているという前提に基づいています。管理人の主観性が非常に強いのですが、様々なエロ漫画作品中において性描写の果たす役割を以下の4つのタイプに分類しました。
1. 関係性変化型
2. 関係性破壊型
3. 関係性維持型
4. 関係性不在型
この分類は必ずしも絶対的な基準があるわけでなく、4つの峰を異にしながらも麓を同じくする山のようなものだと思って頂ければ幸いです。
1. 関係性変化型
本稿では、セックスシーンの前後において関係性の連続的変化が生じている場合を“関係性変化型”と定義します。
例えば、恋愛物語において互いの恋心が一つに結びつき、心と体を優しく重ね合わせ、ハッピーエンドを迎える構成は(←参照 のぞみ侑海『いとこ同士』p155 コアマガジン 2008)、より強固な恋愛感情や信頼関係の生起をセックスが担います。また、一部の近親相姦モノ、特にラブコメディタイプの近親相姦モノでは、“家族”としての関係性(兄妹・姉弟・母子・父娘など)を維持しつつも、性行為を経ることで“家族関係”が内包する寛容性が(陰陽どちらにおいても)“男女関係”に変質する構図もこの変化型に含まれると思います。
恋愛感情や暴力性をほとんど伴わない快楽至上主義的な作品においても、快楽的な性行為の後に登場人物間で性的なパートナーシップの形成を示唆することが多く、これらは登場人物の(概ね平凡で退屈な)“日常性”の変化を示しています(←参照 今後の性的関係の維持を示唆 いのまる『恥ずかし女』p168 ティーアイネット 2008)。上述の例から推察される通り、関係性変化型の特徴は、濡れ場の前段階における関係性をある程度維持しつつ、その関係性の延長線上にある新規の関係が生じて登場人物間の関係性が変化することにあると考えられます。そして、関係の変化の原動力がセックスの快楽や幸福感にあると言えるでしょう。そのため、セックスの快楽が強いことと恋愛感情の強さが少なくとも演出上において正比例するかのような傾向が認められ、例えば竹村雪舟先生の『TAKE ON ME』(全2巻 コアマガジン 2004, 2007)は若者の情熱的な恋心とセックスが非常に密接に関連し、セックスの迫力が関係性のドラマティックな変化を生み出しています。作品の方向性をあまり問わず、非常に多くの作品で認められる型でもあります。
2. 関係性破壊型
関係性変化型と共通する要素は多いものの、セックスシーンにおいて前段階の関係性が破棄され、非連続的な変化が生じている場合を“関係性破壊型”と定義します。一般的に凌辱モノや寝取り/寝取られモノなど嗜虐欲・支配欲を刺激するダーク路線でよく認められる型であり、
特にヒロインの持つ日常性や他者(凌辱者を含む)への信頼や恋愛感情が破壊されて、支配-被支配の関係性の発生や人間性をそぎ落とされて非人間的な存在へと堕ちる構図はこのタイプと言えるでしょう(←参照 オイスター『少女地獄Ⅱ』p148 一水社 2002)。ダーク寄りの近親相姦モノや人妻陥落モノにおける、家族性のラディカルな否定と背徳的な男女関係の生成もまた、関係性変化型よりも破壊型に近いと言えるかもしれません。ヒロインの持つ関係性そのものを破壊する構図は肉体的な責めと同等の、時にそれ以上のサディスティックな扇情性を有していますが、破壊型は必ずしも凌辱系作品のみに登場するわけではありません。孤独や自己嫌悪といった周囲とのネガティブな関係性から、ヒロインまたは主人公の男性を、セックスを介した心身の連結が救い出す展開は、既存の不幸な関係性を破棄し、幸福な関係性へと非連続的に一気に飛躍する点で破壊型と言えるでしょう。
特殊な例では、霧恵マサノブ先生の海シリーズの1作「ハーヴェスト!」が挙げられます。
このエピソードでは視覚障害者の女性とある青年とのセックスが描かれますが、セックス中の女性の台詞「私を人間(ひと)にしてくれた」(←参照 霧恵マサノブ『海贄』ヒット出版社 2007 一部修正)は、善意とは言え障害者に押し付けられる“聖性”が激しいセックスによって払いのけられ、対等な人間としての関係性に女性が回帰したことを示しており、一種の救済としてセックスが破壊型の役割を果たしています。善悪を問わず、既存の関係性を障壁として捉え、それを力強く破壊することで新たな関係性を構築する型と考えます。
3. 関係性維持型
セックスシーン前段階での登場人物の関係性が一定の変化へのベクトルをもちながら、セックスの快楽によって関係性の変化が押しとどめられて、維持および強化が為される場合を関係性維持型と定義します。全般的に中編・長編作の中盤展開で用いられるケースが多く、関係性変化型・破壊型によって構築された関係性を維持するために存在します。ラブストーリーにおけるカップルや夫婦のイチャイチャラブラブエッチはこの典型例であり、多少のトラブルなどで関係性の破綻の可能性を示しつつも、それが情熱的なセックスによって修復され、一層の恋愛感情の強化が図られます。
逆に凌辱系においては、暴力行為に対して抵抗し、隷属関係の破棄を目指すヒロインに対して(←参照 東雲龍『LOVE & HATE 2』オークス 2008)更なる強烈な快楽を叩き付け、写真や映像の撮影なども含めて快楽を享受してしまう事実を突き付けることで、その支配-被支配関係を保持し、また一層深化させます。これらの例は、関係性の強化および強化への意志を伴う維持として表現されますが、例えば単行本を通して賑やかな日常が維持されるらっこ先生の『プラちな+』(クロエ出版 2008)などの場合、セックスはある程度の恋愛感情を含有しながら、仲睦まじさの発露に留まっており、セックスに関して関係性維持への積極的な意思がないことがゆるい関係性をむしろ維持することにつながっているといえます。
また、近親相姦など背徳の性行為故に、互いの精神を傷つけながらも、愛情と性欲故にその関係性が維持されてしまうことに一層苦しむようなケースもあります(←参照 吉田ふらわ『edible flower』p184 桜桃書房 2001)。必ずしも関係性維持型のみに当てはまることではありませんが、上述の閉鎖的な近親相姦の苦しみが例示するように、関係性の維持は他者の意識的・無意識的な排除と密接に関係しており、恋愛感情の独占欲や暴力行為である凌辱行為のコミュニケーションとしての不全性を時に浮き彫りにします。シナリオの構成上、維持された関係性がそのまま終劇まで維持されることもあれば、上述の破壊型や変化型によって維持されない場合もありますが、関係維持型が関係性の強化・進化を頻繁に伴うことを考えれば緩やかな変化型・破壊型という分類も可能かもしれません。
4. 関係性不在型
関係性がセックスシーンの前後で変化しないという点で関係性維持型に近似していますが、登場人物間の関係性が希薄であり、セックスシーンが関係性変化の機能を排除され、単に快楽の授受に留まっているケースを定義します。セックスという行為に至る根拠がある程度示されなければシナリオの破綻もあり得るため、キャラクターの関係性を作劇において軽視することは必ずしも得策ではなく、不在型はそこまで多くないのは確かです。
この例の一つは、セックスという行為に対し、登場人物を支配するシステムによって正当性が付与されているケースであり、この場合、単純な性欲のみで性行為を行うことが可能となります。
バー・ぴぃちぴっと先生が描いた、訪島する男性が神と崇められ、少女性愛すら許容されて島内のあらゆる女性と自由に性交できる短編「巫女島」(←参照 バー・ぴぃちぴっと『小中ロック』p75 茜新社 2009)、倒錯的な近親相姦が愛情表現として理解される“幸福な”家族を描くまぐろ帝國先生の『家庭の事情』(茜新社 2006)などは、関係性とその変化が排除される故に、少女性愛や近親相姦が無条件に許容される空間の禍々しさが生じています。
また、キルタイムコミュニケーションの作品群において高頻度で描かれる、触手などの異形による凌辱モノも、性交の相手が意思疎通不能な化け物であるという点において関係性不在型に分類することも可能かもしれません。勿論、ヒロイン側の日常性や聖性の喪失という点で凌辱系の関係性破壊型でもあるのですが、所謂“ヌルい”凌辱系においてはヒロイン側が大逆転というケースも珍しくなく、この場合はより不在型に近いのではないかと思います。
この“リセット”可能な関係性という点を鋭く突いているのが小林王桂先生の短編「旬感オートマータ」であり、セックスが終わるたびに初期化されて再び無垢の心理状態に強制的に戻されるセクサロイドの少女を描いています(←参照 小林王桂『ネイキッド★ガール』p145 コアマガジン 2008)。関係性の構築が完全に排除された世界で“無垢な少女”という存在が繰り返し消費される姿は、関係性の不在下におけるセックスの不条理性を強く示唆しています。
これらのカテゴライズに従うと、エロ漫画におけるセックスは一定の強度を持つ関係性の結果行われ、そのこと自体が関係性の変化または維持を引き起こしており、人物の関係性がシナリオ構築の基盤にあるならば、セックス描写はストーリー進行においても重要な役割を担うと考えられます。関係性不在型は、逆に一定の強度のない関係性によるセックスでは関係性の変化が生じないことを意味しており、このことがストーリーのメッセージ性に寄与している場合があります。また、変化型・破壊型・維持型に関しては、特に快楽の性質と強弱がシナリオの整合性に大きく影響する可能性を提示しています。
エロ漫画でエロシーンの分量が大きくなったことは、作劇面においてマイナスな要素はあるとは思いますが、同時に快楽の熱量の増加を意味し、それはセックスシーンが持つシナリオの駆動力を増加させた面もあると僕は思うのです。
現実の日常において、我々は恋人との新たな関係性の獲得を期待し、友人や家族との関係性の維持を願い、ネガティブな関係性の破棄を望み、時に社会システムへの盲目的な追従を欲します。容易ではないその関係性にまつわる願いを比較的容易に叶えてくれる装置がエロ漫画においてはセックスにあるわけですが、そこにはセックスが全能性を備えるコミュニケーション形態であるという、一種信仰に近い意識があるように思えます。大抵の人が多かれ少なかれ感じているように、セックスは万能の感情伝達行為などでは決してありませんが、理想像としてのセックスを肯定的に捉え、そこへの意志・欲求を持つことは常に他者との関係性を欲する人間にとって、ごく自然なことだと思うのです。その意味でエロ漫画におけるセックスシーンは性欲の充足と共に、関係性への欲求の充足を図るという側面を有しており、そのことがシナリオとの不可分性を生んでいるのではないかと考えます。
全般的に主観的な意見になっており、不明瞭なカテゴライズも含め、僕自身、更なる考察の余地が多いと思っています。ただ、普段のレビューにおいては様々な表現の細かい部分に注目することによって作品性を解明することを目的としていますが、今回の記事の様により広い視点でエロ漫画というジャンルの全体的な分析を行うことも、自分自身がこのジャンルを楽しむ上出で必要なのではないかと考えています。日々のへたレビューで精一杯な面はありますが、こういった一歩引いた立場での思考も時々したいなぁと漠然と思っております。
では、次回のレビューにて
へどばん拝
1. 関係性変化型
2. 関係性破壊型
3. 関係性維持型
4. 関係性不在型
この分類は必ずしも絶対的な基準があるわけでなく、4つの峰を異にしながらも麓を同じくする山のようなものだと思って頂ければ幸いです。
1. 関係性変化型
本稿では、セックスシーンの前後において関係性の連続的変化が生じている場合を“関係性変化型”と定義します。
2. 関係性破壊型
関係性変化型と共通する要素は多いものの、セックスシーンにおいて前段階の関係性が破棄され、非連続的な変化が生じている場合を“関係性破壊型”と定義します。一般的に凌辱モノや寝取り/寝取られモノなど嗜虐欲・支配欲を刺激するダーク路線でよく認められる型であり、
特殊な例では、霧恵マサノブ先生の海シリーズの1作「ハーヴェスト!」が挙げられます。
3. 関係性維持型
セックスシーン前段階での登場人物の関係性が一定の変化へのベクトルをもちながら、セックスの快楽によって関係性の変化が押しとどめられて、維持および強化が為される場合を関係性維持型と定義します。全般的に中編・長編作の中盤展開で用いられるケースが多く、関係性変化型・破壊型によって構築された関係性を維持するために存在します。ラブストーリーにおけるカップルや夫婦のイチャイチャラブラブエッチはこの典型例であり、多少のトラブルなどで関係性の破綻の可能性を示しつつも、それが情熱的なセックスによって修復され、一層の恋愛感情の強化が図られます。
4. 関係性不在型
関係性がセックスシーンの前後で変化しないという点で関係性維持型に近似していますが、登場人物間の関係性が希薄であり、セックスシーンが関係性変化の機能を排除され、単に快楽の授受に留まっているケースを定義します。セックスという行為に至る根拠がある程度示されなければシナリオの破綻もあり得るため、キャラクターの関係性を作劇において軽視することは必ずしも得策ではなく、不在型はそこまで多くないのは確かです。
この例の一つは、セックスという行為に対し、登場人物を支配するシステムによって正当性が付与されているケースであり、この場合、単純な性欲のみで性行為を行うことが可能となります。
また、キルタイムコミュニケーションの作品群において高頻度で描かれる、触手などの異形による凌辱モノも、性交の相手が意思疎通不能な化け物であるという点において関係性不在型に分類することも可能かもしれません。勿論、ヒロイン側の日常性や聖性の喪失という点で凌辱系の関係性破壊型でもあるのですが、所謂“ヌルい”凌辱系においてはヒロイン側が大逆転というケースも珍しくなく、この場合はより不在型に近いのではないかと思います。
これらのカテゴライズに従うと、エロ漫画におけるセックスは一定の強度を持つ関係性の結果行われ、そのこと自体が関係性の変化または維持を引き起こしており、人物の関係性がシナリオ構築の基盤にあるならば、セックス描写はストーリー進行においても重要な役割を担うと考えられます。関係性不在型は、逆に一定の強度のない関係性によるセックスでは関係性の変化が生じないことを意味しており、このことがストーリーのメッセージ性に寄与している場合があります。また、変化型・破壊型・維持型に関しては、特に快楽の性質と強弱がシナリオの整合性に大きく影響する可能性を提示しています。
エロ漫画でエロシーンの分量が大きくなったことは、作劇面においてマイナスな要素はあるとは思いますが、同時に快楽の熱量の増加を意味し、それはセックスシーンが持つシナリオの駆動力を増加させた面もあると僕は思うのです。
現実の日常において、我々は恋人との新たな関係性の獲得を期待し、友人や家族との関係性の維持を願い、ネガティブな関係性の破棄を望み、時に社会システムへの盲目的な追従を欲します。容易ではないその関係性にまつわる願いを比較的容易に叶えてくれる装置がエロ漫画においてはセックスにあるわけですが、そこにはセックスが全能性を備えるコミュニケーション形態であるという、一種信仰に近い意識があるように思えます。大抵の人が多かれ少なかれ感じているように、セックスは万能の感情伝達行為などでは決してありませんが、理想像としてのセックスを肯定的に捉え、そこへの意志・欲求を持つことは常に他者との関係性を欲する人間にとって、ごく自然なことだと思うのです。その意味でエロ漫画におけるセックスシーンは性欲の充足と共に、関係性への欲求の充足を図るという側面を有しており、そのことがシナリオとの不可分性を生んでいるのではないかと考えます。
全般的に主観的な意見になっており、不明瞭なカテゴライズも含め、僕自身、更なる考察の余地が多いと思っています。ただ、普段のレビューにおいては様々な表現の細かい部分に注目することによって作品性を解明することを目的としていますが、今回の記事の様により広い視点でエロ漫画というジャンルの全体的な分析を行うことも、自分自身がこのジャンルを楽しむ上出で必要なのではないかと考えています。日々のへたレビューで精一杯な面はありますが、こういった一歩引いた立場での思考も時々したいなぁと漠然と思っております。
では、次回のレビューにて
へどばん拝
コメント
おじゃまします。 凄いレビューサイトを見つけてしまった!! あなたが神か
No title
ソイルワークとゴブリンが大好き☆さん、どうも初めまして。
ところで、ソイルワークは僕も好きですが、ゴブリンはイタリアのプログレロックのGoblinか、ゴブリン先生の方でしょうか?(笑
レビューの方を楽しんで頂けたようで嬉しく思いますが、とてもではありませんが“神”レベルなどには至っておらぬ若輩の身ですので、こう、先達のエロ漫画レビュアーの方達にこそふさわしい誉め言葉だと思いますよー。
でも、過分なお誉めの言葉を頂いて恐縮です。ありがとうございました。
ではでは~
ところで、ソイルワークは僕も好きですが、ゴブリンはイタリアのプログレロックのGoblinか、ゴブリン先生の方でしょうか?(笑
レビューの方を楽しんで頂けたようで嬉しく思いますが、とてもではありませんが“神”レベルなどには至っておらぬ若輩の身ですので、こう、先達のエロ漫画レビュアーの方達にこそふさわしい誉め言葉だと思いますよー。
でも、過分なお誉めの言葉を頂いて恐縮です。ありがとうございました。
ではでは~
No title
こんばんは。ゴブリン「先生」の方です。小学生の時初めて買ったのがゴブリンの「体内発射」でした。彼がいなかったら俺のエロ本ライフは無かったでしょうね・・。 最近良いのが無いなぁと思ってたら小中ロックのレビューでこのブログにたどり着きまして。コレ来ましたね コレヤバイ! あとメタルでは無いかもですがこんなのも聴いてみてはどうでしょう 『Celldweller 』 http://www.youtube.com/watch?v=6YOeWmQJBv0 『All That Remains』 http://www.youtube.com/watch?v=UcfLkrDXdn8 『Sikth』 http://www.youtube.com/watch?v=k7BoKOscMrY
ご存じでしたらマジすんませんです・・
ご存じでしたらマジすんませんです・・
No title
いやー、やはり出会いというのは大切ですよね。
僕も初めて読んだ・買った作品は覚えています。まぁ、小○生というのは聞かなかったことに致しますが(苦笑
お勧めのバンドを紹介して頂きありがとうございます。
All that RemainsとSikthは僕も大好きですよー。Celldwellerは初めて聴きましたが、ちょっとテクノの要素が入ってくるのは苦手ですかねぇ。面白い楽曲だとは思うのですが。
ではでは~
僕も初めて読んだ・買った作品は覚えています。まぁ、小○生というのは聞かなかったことに致しますが(苦笑
お勧めのバンドを紹介して頂きありがとうございます。
All that RemainsとSikthは僕も大好きですよー。Celldwellerは初めて聴きましたが、ちょっとテクノの要素が入ってくるのは苦手ですかねぇ。面白い楽曲だとは思うのですが。
ではでは~
No title
すげぇな・・・・どういう人なの管理人は・・・・
記事をみていてコレを思い出しました。「アスファルトの体温」(上月まんまる)
簡単に見所を説明すると・・・レビューに書いておられた、1. 関係性変化型 2. 関係性破壊型 3. 関係性維持型 4. 関係性不在型 というパターンをベタに守ったように見せかけて、必ず最後にどんでん返しが起きて予想を見事に裏切ってくれるのです。特におもしろかったのは、タイトルにもなっている「アスファルトの体温」かなぁ。
まず、高校生くらいの恋人同士が、建設中の巨大コンクリート橋の上で密会しています。しかし、彼らは許されていない仲らしく、その障害が一層この時間を特別な物に変えているのでした。また、女の子が引越ししてしまうらしく、再会を約束しあうも、切ない時間が流れます。・・・・というのが導入なのですが、
展開のやり口がまた周到で・・・・
・エロ漫画なんだから突然セックスしだしてもおかしくないよね?
・エロ漫画なんだから、アナーキーな人間関係であってもおかしくないよね?
って、具合に強引に読者に1つずつ納得させた上で、さんざんセックスしたあげく、最後に
「いままでありがとう。」「こっちこそ。」「へへへ。」
「じゃあね、さようなら・・・、*****。」
そー ゆー こ と か ・・・・・・orz
セックスさえしきゃ、わりと普通にいい話なのに!
引越しってのもそういう事かよ、欝だなぁオイ!!
っていうか再会する気ないだろうっ!!!
って感じで、1発で今までの展開の意味を180度変えてくれます。
一応読んでいただきたいので、伏字ですが予想はつくでしょ?w
記事をみていてコレを思い出しました。「アスファルトの体温」(上月まんまる)
簡単に見所を説明すると・・・レビューに書いておられた、1. 関係性変化型 2. 関係性破壊型 3. 関係性維持型 4. 関係性不在型 というパターンをベタに守ったように見せかけて、必ず最後にどんでん返しが起きて予想を見事に裏切ってくれるのです。特におもしろかったのは、タイトルにもなっている「アスファルトの体温」かなぁ。
まず、高校生くらいの恋人同士が、建設中の巨大コンクリート橋の上で密会しています。しかし、彼らは許されていない仲らしく、その障害が一層この時間を特別な物に変えているのでした。また、女の子が引越ししてしまうらしく、再会を約束しあうも、切ない時間が流れます。・・・・というのが導入なのですが、
展開のやり口がまた周到で・・・・
・エロ漫画なんだから突然セックスしだしてもおかしくないよね?
・エロ漫画なんだから、アナーキーな人間関係であってもおかしくないよね?
って、具合に強引に読者に1つずつ納得させた上で、さんざんセックスしたあげく、最後に
「いままでありがとう。」「こっちこそ。」「へへへ。」
「じゃあね、さようなら・・・、*****。」
そー ゆー こ と か ・・・・・・orz
セックスさえしきゃ、わりと普通にいい話なのに!
引越しってのもそういう事かよ、欝だなぁオイ!!
っていうか再会する気ないだろうっ!!!
って感じで、1発で今までの展開の意味を180度変えてくれます。
一応読んでいただきたいので、伏字ですが予想はつくでしょ?w
No title
コメントありがとうございます。
僕(管理人)は普通のエロ漫画愛好家でして、大した者ではありませんよー。
「アスファルトの体温」というか、上月まんまる先生とはまた懐かしい名前を聞けて嬉しく思います。
作中でのセックスシーンの役割を強いて分けるなら、関係維持型と思いますが、その後の捻り方は性行為と全く関係がないわけでもない分、難しいところもありますなぁ。
エロ漫画は短編が多い分、ラストでの捻りって結構印象に残るんですよねぇ。
ではでは~
僕(管理人)は普通のエロ漫画愛好家でして、大した者ではありませんよー。
「アスファルトの体温」というか、上月まんまる先生とはまた懐かしい名前を聞けて嬉しく思います。
作中でのセックスシーンの役割を強いて分けるなら、関係維持型と思いますが、その後の捻り方は性行為と全く関係がないわけでもない分、難しいところもありますなぁ。
エロ漫画は短編が多い分、ラストでの捻りって結構印象に残るんですよねぇ。
ではでは~
No title
「なんだよー、一つの側面から分類しただけじゃんかー、すごく面白いけど、さすがにみんな褒めすぎだろー ( ゚ 3 ゚ )ブツブツ」とか思っていたら、
>すげぇな・・・・どういう人なの管理人は・・・・
>僕(管理人)は普通のエロ漫画愛好家でして、大した者ではありませんよー。
かっこよすぎワラタw
おまえがNo.1だカカロット。
>すげぇな・・・・どういう人なの管理人は・・・・
>僕(管理人)は普通のエロ漫画愛好家でして、大した者ではありませんよー。
かっこよすぎワラタw
おまえがNo.1だカカロット。
Re: No title
おっしゃる通りでこれは一側面からの分類にしか過ぎませんので、もっと多様なカテゴライズは出来ますし、出来るからこそ面白いんですよね。
とまれ、記事の方は楽しんでいただけたようで何よりです。
いや、あのー、本当に普通にエロ漫画好きな人なだけですので、過分なお褒めの言葉を頂戴して恐縮です(苦笑
ではでは~
とまれ、記事の方は楽しんでいただけたようで何よりです。
いや、あのー、本当に普通にエロ漫画好きな人なだけですので、過分なお褒めの言葉を頂戴して恐縮です(苦笑
ではでは~
コメントの投稿