2007.08.04 カテゴリ: 雑記
「ほしのこえ」 感想
新海誠監督の自主制作アニメーション「ほしのこえ」です。
原作である25分間のアニメーションを始め、佐原ミズさんによりコミック化された漫画版、ノベライズ作品であるMF文庫Jから発売されている大場惑・著のライトノベルと、エンターブレインから発売されているお馴染み加納新太・著の「ほしのこえ あいのことば/ほしをこえる」の小説版と、様々な展開を見せている作品です。コミック版には甚だ興味がないので読んでいませんが、小説2冊についてはそれなりに言いたいこともあるので原作と比較しながらレビューしていきたいと思います。
※ここから下はネタバレ注意
(一部、「秒速5センチメートル」「CROSS†CHANNEL」のネタバレも含みます)
原作である25分間のアニメーションを始め、佐原ミズさんによりコミック化された漫画版、ノベライズ作品であるMF文庫Jから発売されている大場惑・著のライトノベルと、エンターブレインから発売されているお馴染み加納新太・著の「ほしのこえ あいのことば/ほしをこえる」の小説版と、様々な展開を見せている作品です。コミック版には甚だ興味がないので読んでいませんが、小説2冊についてはそれなりに言いたいこともあるので原作と比較しながらレビューしていきたいと思います。
※ここから下はネタバレ注意
(一部、「秒速5センチメートル」「CROSS†CHANNEL」のネタバレも含みます)
原作アニメーション作品について─
これは新海誠監督の最新アニメーション映画「秒速5センチメートル」を観た後だから言えることですが、「ほしのこえ」と「秒速5センチメートル」では描かれていることが全く逆なんですよね。「秒速5センチメートル」は、貴樹と明里が離れ離れになることによって中学生の頃に抱いていたお互いを想う気持ちがうつろい、時間の経過が現実を変貌させるという「想いの変化」を描いた作品だったのに対し、この「ほしのこえ」は、ノボルとミカコのお互いを想う気持ちが例え宇宙と地上に引き裂かれようが決して消えまいという「想いの不変」を描いている作品なんですよね。
24歳のノボルに届いた15歳のミカコが送ったメールなんて、本当に愛の繋がりは時間をも距離をも乗り越えるということを教えてくれるような内容ですし。ミカコから発信されたメールは、長い長い時間を掛けてノボルへと届きます。メールがノボルへと届くのに8年も掛かるという事実を知っていて尚、「今でも大好き」という告白をメールで送信したミカコの一途な想いを我々は想像できるでしょうか。相手(ノボル)の今現在の気持ちを知ることができないメールは、もはやミカコからノボルへと送られる一方通行の情報伝達に過ぎません。これは、「CROSS†CHANNEL」の構図と非常に良く似ていますね。
独りB世界に残った太一が、定期的に流しているラジオ放送。聴いてくれる人がいるのかも分からない状況でずっとラジオ放送を流し続けた太一。ミカコや太一のような極限的な状態において出来ることといえば、もはや自分を信じ、そしてそれ以上に相手を信じることしかないのでしょう。相手の様子や想いを知ることは出来ないけれども、ただ精一杯出来ることと言えば、相手を信じることしかないのです。
ただ、この原作はとてつもなく尻切れ蜻蛉に終わってしまいます。肝心の結末が一切描かれていないし、想像することもまた難しいです。そこで、MF文庫Jから発売されているライトノベルの登場です。
ライトノベル作品について─
大場惑氏が執筆した「ほしのこえ」のライトノベル版ですが、この作品には結末がちゃんと描かれています。ただ、この作品については少しマズい点があるんですよね…。著者の大場氏のオリジナルシナリオを織り交ぜたのか原作のシナリオを勘違いしたのかは分かりませんが、この作品には「ウラシマ効果」が作用してしまっています。原作を観る限りではウラシマ効果は作用していないハズですが、この作品ではミカコ側に時間の遅れが発生しているんですよね。物語の重要な結末を左右するほどの物語の根幹における世界観の設定が変わってしまうと、もはやそれは別の物語にまで変容してしまいます。なので、この作品の結末を原作に重ねてしまうのは少しまずいかもしれないですね。
小説作品について─
「雲のむこう、約束の場所」でも小説を執筆した加納新太氏の作品です。「雲のむこう、約束の場所」ではオリジナルの結末を書き上げてしまって賛否両論があったので、この「ほしのこえ」では新たな結末を書くのは控えたのでしょうか。原作と同じように結末は描かれていません。しかし、原作のシナリオの時間軸を基に、ノボル視点とミカコ視点の別々の視点で描ききっている特殊な作品なので、こちらは読む価値アリだと思います。表紙もキレイですしね。
最後に、原作のアニメーション中での意味深なセリフを書いて終わりましょうか…。
この短いセリフの中で、ノボルの一人称が「俺」から「僕」に変化しているのが分かりますね。アニメーション中で、ノボルが一人称で「俺」と言っているのは中学生の頃で、「僕」と言っているのはそれから8年後の大人になってからのことです。この言葉に8年間の時間と想いがぎゅっと詰まっていると思うと、なにか一抹の寂しさすら感じられるものがありますね。だからこそその寂しさや孤独をミカコやノボルに乗り越えて欲しいという感情移入が生まれ、この物語に対する思いがどんどん昇華されていくのだと思います。
そういうことを考えると、やはりこの「ほしのこえ」という作品が「CROSS†CHANNEL」と通底したテーマを持っているなぁとい感じられます。以下に、「CROSS†CHANNEL」の本編中より黒須太一さんから心強い言葉を書き留めて終わりたいと思います。
これは新海誠監督の最新アニメーション映画「秒速5センチメートル」を観た後だから言えることですが、「ほしのこえ」と「秒速5センチメートル」では描かれていることが全く逆なんですよね。「秒速5センチメートル」は、貴樹と明里が離れ離れになることによって中学生の頃に抱いていたお互いを想う気持ちがうつろい、時間の経過が現実を変貌させるという「想いの変化」を描いた作品だったのに対し、この「ほしのこえ」は、ノボルとミカコのお互いを想う気持ちが例え宇宙と地上に引き裂かれようが決して消えまいという「想いの不変」を描いている作品なんですよね。
24歳のノボルに届いた15歳のミカコが送ったメールなんて、本当に愛の繋がりは時間をも距離をも乗り越えるということを教えてくれるような内容ですし。ミカコから発信されたメールは、長い長い時間を掛けてノボルへと届きます。メールがノボルへと届くのに8年も掛かるという事実を知っていて尚、「今でも大好き」という告白をメールで送信したミカコの一途な想いを我々は想像できるでしょうか。相手(ノボル)の今現在の気持ちを知ることができないメールは、もはやミカコからノボルへと送られる一方通行の情報伝達に過ぎません。これは、「CROSS†CHANNEL」の構図と非常に良く似ていますね。
独りB世界に残った太一が、定期的に流しているラジオ放送。聴いてくれる人がいるのかも分からない状況でずっとラジオ放送を流し続けた太一。ミカコや太一のような極限的な状態において出来ることといえば、もはや自分を信じ、そしてそれ以上に相手を信じることしかないのでしょう。相手の様子や想いを知ることは出来ないけれども、ただ精一杯出来ることと言えば、相手を信じることしかないのです。
ただ、この原作はとてつもなく尻切れ蜻蛉に終わってしまいます。肝心の結末が一切描かれていないし、想像することもまた難しいです。そこで、MF文庫Jから発売されているライトノベルの登場です。
ライトノベル作品について─
大場惑氏が執筆した「ほしのこえ」のライトノベル版ですが、この作品には結末がちゃんと描かれています。ただ、この作品については少しマズい点があるんですよね…。著者の大場氏のオリジナルシナリオを織り交ぜたのか原作のシナリオを勘違いしたのかは分かりませんが、この作品には「ウラシマ効果」が作用してしまっています。原作を観る限りではウラシマ効果は作用していないハズですが、この作品ではミカコ側に時間の遅れが発生しているんですよね。物語の重要な結末を左右するほどの物語の根幹における世界観の設定が変わってしまうと、もはやそれは別の物語にまで変容してしまいます。なので、この作品の結末を原作に重ねてしまうのは少しまずいかもしれないですね。
小説作品について─
「雲のむこう、約束の場所」でも小説を執筆した加納新太氏の作品です。「雲のむこう、約束の場所」ではオリジナルの結末を書き上げてしまって賛否両論があったので、この「ほしのこえ」では新たな結末を書くのは控えたのでしょうか。原作と同じように結末は描かれていません。しかし、原作のシナリオの時間軸を基に、ノボル視点とミカコ視点の別々の視点で描ききっている特殊な作品なので、こちらは読む価値アリだと思います。表紙もキレイですしね。
最後に、原作のアニメーション中での意味深なセリフを書いて終わりましょうか…。
ねぇミカコ、俺はね
私はね、ノボルくん。なつかしいものがたくさんあるんだ。
ここにはなにもないんだもん。例えばね…
例えば…夏の雲とか、冷たい雨とか、秋の風の匂いとか、
傘にあたる雨の音とか、春の土のやわらかさとか、
夜中のコンビニの安心する感じとか、
それからね、放課後のひんやりとした空気とか、
黒板消しの匂いとか、
夜中のトラックの遠い音とか、
夕立のアスファルトの匂いとか…。
ノボルくん、そういうものをね、私はずっと……
僕はずっと……ミカコと一緒に感じていたいって想っていたよ…。
この短いセリフの中で、ノボルの一人称が「俺」から「僕」に変化しているのが分かりますね。アニメーション中で、ノボルが一人称で「俺」と言っているのは中学生の頃で、「僕」と言っているのはそれから8年後の大人になってからのことです。この言葉に8年間の時間と想いがぎゅっと詰まっていると思うと、なにか一抹の寂しさすら感じられるものがありますね。だからこそその寂しさや孤独をミカコやノボルに乗り越えて欲しいという感情移入が生まれ、この物語に対する思いがどんどん昇華されていくのだと思います。
そういうことを考えると、やはりこの「ほしのこえ」という作品が「CROSS†CHANNEL」と通底したテーマを持っているなぁとい感じられます。以下に、「CROSS†CHANNEL」の本編中より黒須太一さんから心強い言葉を書き留めて終わりたいと思います。
もしこの声を聞いてくれる人がいるのであれば、
ひとりぼっちではないってことだから。
聞いてる人が存在してくれるその瞬間、たとえ自覚がなくとも、
俺とあなたの繋がりとなるはずだから