電波兵器開発跡:年明けに消滅 地元で惜しむ声 静岡
毎日新聞 2014年12月05日 12時52分(最終更新 12月05日 16時04分)
◇「第二海軍技術廠牛尾実験所」跡地、朝永振一郎も研究
太平洋戦争末期、電波で敵機を攻撃する新技術開発のため設けられた「第二海軍技術廠(しょう)牛尾実験所」跡地(静岡県島田市牛尾)が、河川工事に伴い年明けに姿を消す見込みだ。ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎(1906〜79年)も研究に関わり、地元から「戦争遺跡として保存できないか」と惜しむ声が上がっている。
実験所は当初、市中心部にあったが、45年、大井川沿いの牛尾山(110メートル)尾根に一部疎開。強力な電波を出す真空管「マグネトロン」を研究し、米爆撃機B29の撃墜を目指したが、数十メートル先の動物に電波を当てる実験にとどまった。
戦後、施設は解体されたが、実験用パラボラ型反射鏡(直径10メートル)の土台部分や、配線溝が掘られた電源室の基礎部分(幅32メートル、奥行き17メートル)が残る。
市などによると、移設前の実験所付近には東京文理科大(現筑波大)教授だった朝永らが下宿し、研究に従事した。国立東京工業高専の河村豊教授(科学史)は「通常兵器でかなわないとみた軍部が特殊兵器開発に力を傾注した様子がうかがえる。科学と戦争の関係を考える象徴的遺構」と指摘する。
国土交通省静岡河川事務所は、洪水対策として2012年から牛尾山の掘削工事を開始。これに伴う市の発掘調査で、碍子(がいし)部品など約300点が発見され、地元の「金谷郷土史研究会」の臼井利之さん(68)は「戦時の記憶が詰まった場所」と保存を求める3163人の署名を市に提出した。
だが、同事務所は「防災上重要」として、来年1月から跡地部分を削る工事に入り、19年度に終える予定。市は「出土品は市博物館で展示し記憶継承を図りたい」としている。【平塚雄太、写真も】