とある日曜日、葛西家の面々はいつもより早起きして朝食を済ませていた。今日の休みはつい最近、近くにできた大型ショッピングモールに朝一番で買い物に出かける計画を立てていたのである。みんとのパパの力作であるフレンチトーストをメインディッシュとした朝食を親子3人で楽しく食べた後、みんとのママがキッチンで後片付けをしているところであった。
綺麗でやさしいみんとのママ、まどかは音大出身の才媛で週に3日ほど、近くのピアノ教室に出かけていって講師をしていた。一方、外資系商社に勤めるみんとのパパ、あきらの方もなかなかのイイ男であり、学生時代に知り合った二人は大学卒業と同時に結婚し、すぐにみんとが誕生したので30代前半というみんとの同級生を見回してもダントツに若い両親だった。
キッチンでまどかの手伝いをしていたみんとは、まどかのスカートを軽く引っ張りおもむろに切り出した。
「あのねママ。みんと、妹が欲しい! ほんとは妹がいいんだけど、駄目なら弟でもいいよ。」
まどかは愛娘の唐突な申し出に少し驚きながら、困惑した表情で優しく答える。
「何をおねだりするかと思えば、ずいぶんビッグなプレゼントねぇ。」
「みんとのお友達はみんな兄弟がいるよ。みんとだけ一人っ子なのはさみしいよ。それに赤ちゃんが増えると家族みんなが幸せになれるでしょ。」
「確かに幸せになれるといえばそうなんだけど…。でもね、みんと。赤ちゃんの世話をするのは、とぉーっても大変なんだぞー。」
「みんと何でも手伝うよ。ミルクあげるのも、おしめ換えるのも。ママだけが苦労することにはならないよ。」
「あはは、どうもありがと。でもこういうことは、パパにも納得してもらわないとね。」
「パパは子どもが増えるのには反対なの?」
「絶対に嫌というわけじゃないと思うけど、パパはみんとだけでいいと思ってるんじゃないかなぁ。」
実際のところあきらとまどかはみんとの次に、もう一人子どもが欲しいと願っていたが、残念ながら第2子を授かることは叶わず、そうこうしているうちにみんとが大きくなり、今から二人目では年が離れすぎるかなということで、結局、二人の間の子どもはみんとだけということにしていた。
「じゃあ、パパが赤ちゃん欲しいと神様にお願いしてくれたらいいんだよね。」
「うふふ、まずはそこからね。」
生命誕生の仕組みなんかまったく知識に入っていないみんとは、夫婦がそろって子どもが欲しいと願えばそのうちに授かるものだと思っている。
やさしく微笑んだあと、朝食の片付けの続きをやり始めたまどかから離れ、みんとは父親のいる居間に向かった。
(そっか、パパが神様にお願いしてさえくれればいいんだ。よーし!)
みんとは居間の入り口の所でペンダントをヒプノバトンに変化させてから居間に足を踏み入れた。
「パパ、お願いがあるの。」
「みんとぉ、今から行ってもまだお店は開いてないよ。」
どうせ、早く買い物に行こうと催促しにきたのだと思っているあきらは、顔を上げずに広げた新聞に目を落していた。
みんとはソファーに座っているあきらに向けてヒプノバトンを構え、いつもの呪文を高らかに詠唱する。
「リルル、プルララ、ヒプノスポロローン!」
ヒプノバトンから発せられた光があきらの体を包んだ。
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しばらくすると顔を上気させたあきらがキッチンで朝食の後片付けを続けていたまどかの所へすっ飛んできて手を握り大声で叫んだ。
「ママ! やっぱりもう一人、子どもを作ろう。」
「はっ?」
「そうとなれば、善は急げだ! 今からさっそくチャレンジすることにしよう。」
「ちょ、ちょっと、ちょっと!」
「さぁ僕が愛の剛速球をストライクゾーンに投げ込むから、しっかりと受け止めておくれ!」
あきらは、あっけに取られているまどかをヒョイと抱き上げると、そのまま2階の二人の寝室に向かった。みんとの部屋のバスケットの中で朝寝をしていたチョコは、下が何だか騒がしいので起き出して部屋の外に出ると、まどかを抱いて階段を駆け上がってきたあきらと出くわした。
「やぁチョコ、おはよう。今日もいい天気だぞ。こういうのを子作り日和というんだ。」
階段の手すりにとまっていたチョコにあきらはそう挨拶するとダッシュで夫婦の寝室へ消えていった。
頭の上にクエスチョンマークが1ダースぐらい出現したチョコだったが、とりあえず吹き抜けを降り、居間に入ってみると、みんとがヒプノバトンをペンダントに戻しているところだった。
チョコは心底驚いた。
「あら、おはようチョコ、相変わらずお寝坊さんね。みんな朝ごはん食べ終わっちゃったよ。」
「朝ごはんなんてどうでもいいよ。それ、それ、何でヒプノバトンを出してるのさ! ま、まさか使ったの?」
「うん、使ったよ。」
チョコがもっとも聞きたくなかった言葉をみんとはあっさり口にした。
「で、ど、どうして、何のために、だ、誰に使ったのさ!」
「うんとね、パパに家族が増えると幸せになれるから、赤ちゃんが授かりますようにって。」
ボテン。
チョコはソファーの上に落ちた。見ると頭からシューシューと煙を噴いて気絶寸前である。
「じ、自宅の居間で、それも自分の父親に対してヒプノバトンを使うなんて……。」
「あっ、でもみんとが妹や弟が欲しいからヒプノバトンを使ったわけじゃないよ。パパとママが幸せになれば、みんとも一緒に幸せになれるだけなんだから。別に自分が得するためだけに使ったんじゃないもん。」
みんとは私利私欲のためにヒプノバトンを使用したわけでは無いという事をチョコに力説する。みんとにしてみれば、完璧な理論武装と思っているので得意満面だったのだが、チョコにとってはそういう問題ではなかった。
一方、二階の寝室ではベッドの上であきらがまどかを抱きしめながら、夫婦の熱い(?)会話が交わされていた。
「今日のママはいつにも増して綺麗だね。僕の愛の炎がますます燃え上がってきたよ。さあ、めくるめく愛の世界へ二人で旅立とう。」
「な、何かんがえてるのよ! こんな時にできるわけないでしょう! いいかげんにして!」
「こんな盛り上がっている時だからこそ、いいんじゃないか。」
「駄目だったらぁ! みんとが下で起きているのよっ。」
「可愛い赤ちゃんが出来るためなんだ。みんともきっとわかってくれるさ。」
「わ、わかる訳ないじゃない。みんとはまだ10歳なのよ!」
「そんな細かいこと気にしない、気にしない。まどか、愛してるよー。」
「あっ、こら、だめぇー。」
そのままあきらは一気にまどかに覆い被さった。
「二階が騒がしいなぁ。パパとママ、何やってるんだろう? ちょっと見てこよう。」
翼を持ち上げることすら出来ないくらいヘロヘロになっていたチョコだったが、その言葉を聞いてガバッと飛び起き、みんとの前に立ちはだかる。
「わぁー、行っちゃだめ、みんとー!!」
「なによチョコ。パパとママが喧嘩でもしてたら一大事だよ。そこどいてよ。」
「いいから、パパとママが二階から降りてくるまで、みんとは居間でおとなしくしていること!」
チョコのあまりの剣幕にみんとは圧倒され、渋々居間のソファーに腰を下ろし、口を尖らせながらテレビを見始めた。
みんとの乱入を阻止したチョコの心遣い(?)により、妻と二人だけの時間を手にすることができたあきらはまどかの気持ちを遥か彼方に置き去りにして、一方的に盛り上がって頂点に達し、そして果てた。
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「あれぇ、俺、いったい何をやっていたんだ…?」
「………………あのねぇ……(怒)。」
バキィ。
こめかみに血管を浮き上がらせたまどかの右ストレートがあきらの顔面に突き刺さった音が響き渡った。
その後、3人プラス1羽は予定通りショッピングに出かけたのだが、まどかの怒りは収まらず、あきらを無視して自分の行きたいところにズンズンと足を運んでいる。あきらの趣味である釣り用品のコーナーなんて見向きもしない。
「ねえママ、機嫌直してよ。僕が悪かったのなら謝るからさぁ。」
「しらない! もう話しかけないで!」
小声ではあるがモメ続けている両親の後ろについて歩いているみんとは肩に乗せているチョコにブーたれていた。
「ほらぁ。さっきからママずっと怒ってるよ。やっぱりパパと2階の部屋で喧嘩しちゃったんだ。」
(誰のせいだ、誰の!)
チョコは思わず突っ込みを入れたくなったが、みんとが幼いながらも両親の仲を本気で心配しているので、ここはグッと我慢して優しく答える。
「ママがあれくらい怒ることもたまにはあるし、きっとすぐ仲直りするよ。」
「うん、そうだね。元々パパとママはとっても仲がいいもん。」
みんとの屈託のない笑顔はチョコにとって奈落の底へのパスポートと化していた。まどかがへそを曲げている理由についてはおおよそ察しがついたが、それでも二人の間に決定的な亀裂が生じなかったことにチョコは安堵していた。
「でも今日のチョコ、いつも以上に元気がないね。何かあったの?」
みんとの破壊的なまでの無自覚ぶりを再認識することになったチョコの脳みそは、もはやメルトダウン寸前である。
「はぁ〜…。きっと僕、近いうちに真っ白に燃え尽きてしまうよ。」
チョコはみんとに対して精一杯の嫌味を言った。
「真っ白だなんて、チョコはもともと白いじゃない。何、言ってるのよ。」
全く噛み合わないみんとの返答にチョコは意識が遠のいてゆくのを感じるのだった。
みんとの日記
「今日、うちの家に赤ちゃんが生まれるように、パパから神様にお願いしてもらいました。みんとはできれば妹がいいんだけど、別に弟でもかまいません。赤ちゃんが産まれるとしたら来年になるらしいので、それまでみんとからも神様にお願いしたいと思います。」
あきらがど真ん中のストライクを投げたのか、おもいきり力んだために大暴投だったのか、その結果については、もう少し時間が必要であった。
−おわり−