そのバスには、5人の女が乗っていた。
高速道路に出てからの異常ともいえるスピードにあっても、彼女たちはいっこうに動じ
ることがなかった。
車内の様子だけ見れば、それは和やかなバス旅行のように映らないこともない。
運転席でひとり蒼白な顔をしている教師の篠原里美を除いて、残りの四人は皆、瑛華高
校の3年生だ。
瑛華の者ならすぐわかることだが、彼女らは、校内のいわゆる有名人だった。
女子剣道部の笠井直子は県大会を制する運動総部の重鎮であり、その隣に座る石原美咲
は、生徒会の実権を握るやり手の副会長だった。
平位雛子はこれといった役職にあるわけではなかったが、面倒見のいい性格から周囲の
人望が厚く、なかば学年の代表のようにみなされている存在だ。
そして、文化総部を牛耳る広報部の部長、八神優。
彼女たちはバスの最後尾のシートに並んで座り、楽しげに言葉を交わしていた。
「だから、あれはね、」
「うるさい、私はあんな結末は許せないの!」
テレビの話題で盛り上がる4人の姿は、無邪気のようにすら見える。
ただ、笠井直子の手には、鈍く光る刃物が握られていた。
それは、職人が大型魚をさばくために使う「刺し通し」と呼ばれる長包丁だった。街で
はおよそこれより長い刃物は購入できないだろう。
あくまでも調理用具として販売されているものだが、剣道3段の笠井直子がそれをもて
あそんでいる様からは、「刺し通し」は人を斬るために鍛えられた日本刀のようにしか見え
なかった。
それが脅しなのだろうか。
教師たる篠原里美は、制限速度をはるかにオーバーさせ、衝突事故の恐怖とさえ戦いな
がら、前方のレンジローバーを必死で追っていた。
もともと4人は、それほど仲のよいほうではない。
厳格で閉鎖的な高校内部にあって、彼女らが率いる組織の利害はあちこちでぶつかり合
う。活動予算の割り振りからグラウンドの使用権にいたるまで、彼女たちはいさかいこそ
すれ、仲良く集うような場面がこれまで見られることはなかった。
ところが、彼女たちは今、狭いバスに同乗し肩を寄せ合っている。
彼女たちは、互いに深く愛し合っていた。
それぞれが、相手の肉体を自分の体の一部と錯覚するほど、四人の精神は暗く深い所で
複雑に融合している。
なぜそうなってしまったのか、考える者はいなかった。
リセットされた四人の新たな世界にあっては、純粋な喜びや充実感が彼方此方に満ちあ
ふれている。
「あの人」の声を聞くだけで、セックスなどはるかに及ばぬ恍惚感に浸れるのだ。何者
が、孤独で乾燥したかつての自分に立ち戻れるだろう。
だから、山麓のサービスエリアで車が停まったとき、四人は一様にうっとりとした笑み
を浮かべたものだ。
「武田さんと、もうひとりの人が出てきたわ」
運転席の篠原里美が、引きつった顔のままいった。
「あらそう、」
石原美咲は、教師など一瞥もせず頷く。
篠原里美は、心の中でのみ毒づいた。
―――なんて子達なの。
国語教師の里美は、なかば怒り、そしてそれ以上に恐怖している。
昨夜、里美が学校へ呼び出されたのは、同僚教師である松井との不倫を暴露すると広報
部の八神に脅されたからだった。
しかし深夜の体育館で彼女を待っていたのは、四人の女生徒に囲まれて懇願するぼろき
れのようになった松井の姿だった。すでによほどの目にあわされていたのであろう松井の
目には涙があった。だが里美は、それから四人によるさらなる凄惨な暴力行為を目の当た
りにさせられた。
里美は、まだ恋人が生きているかどうかすらわからない。
だが、あの悪魔のような少女たちに逆らえば、自分も同じような目に合わされるだろう。
―――それにしても、どうしてこの子達は、武田先生を狙っているのかしら。
里美は、自分の身の危険に直面しつつも、あの新人の教師を何とかして逃がしてやらね
ばと考えている。そう思える芯の強い人間性が彼女にはあった。
どうやって武田さんに知らせよう。
とにかく、あの子達が動き出す前に・・・
そう考えたとき、背後で美咲の声が聞こえた。
「いきましょうか」
里美は一瞬にして総毛立つ。
少女たちが立ち上がる気配。ひた、ひたと足音が近づいてくる。
バックミラーを見る勇気さえ萎えた。
恐怖が、全身を駆け抜ける。
昨夜恋人の腿に突き刺さった刀のイメージが蘇る。
吹き上がる鮮血と、のたうちまわる男の影。
里美は自分が圧倒的弱者であることを思い知った。彼女の頭の中には、シートごと背を
刺し貫かれる自分の姿が鮮明に浮かび上がっていた。
とっさに逃亡を決意してドアへ駆け寄ろうとしたとき、耳元で美咲の声が聞こえた。
「御苦労様、」
ぽんと、肩を叩かれた。
途端に、里美は空っぽになった。
ぐわらり!
無造作にバスのドアを開く沙織の大胆さに、涼子は肝の冷える思いがした。
「こんにちわあっ」
妹の心配などお構いなし。
底抜けに明るい声を出して沙織はタラップを登ってゆく。
運転席には誰もいなかった。
ファーストフードの店員が使いそうなわざとらしい営業スマイルのまま、沙織は首を巡
らせて座席のほうを望み見た。
そこで、わずかに眉を動かす。
「ようこそいらっしゃいませ、」
そこに、女たちがいた。
バスの中ほどに三人。彼女らは座席の背に肘をかけて立っている。
あわてて登ってきた涼子が、少女たちの顔を確認した。
「生徒会の石原って子よ。あと平位雛子と、広報部の八神さん」
なにかにつけ目立つ生徒たちだから、いいかげんに授業をやっていた涼子にもすぐ見分
けがついた。
不敵に笑う三人の後方、最後尾の座席に、あと二人。
「へえ、」
今度は沙織が、感心したように息を吐く。
そこには、虚ろな瞳でシートにもたれかかる女がいた。
明らかに催眠状態と思われるその女の頚部に、鋭い切先が添えられている。
「篠原先生、」
涼子が息を飲む。
笠井直子がさげた刀は篠原里美の首の皮をなでるように揺れていた。切先をちょっと引
けば頚動脈は切断され、夢うつつの教師はそのまま永遠に目覚めることがないだろう。
「あなた、北条沙織さんでしょう」
生徒会副会長、石原美咲が口火をきった。
利発そうで品があって、そのうえディベートにも自信があるのだろう。その瞳はいっぱ
しの政治家のように野心的に輝いている。
「よく知ってるわよ。いつあなたが出てくるのかと思ってたわ」
沙織は無言だ。ただ、興味深げに美咲を見ている。
美咲は、後ろの里美と直子を指差して、いった。
「見ての通りよ。あのセンセイを殺されたくなかったら、言うことを聞いてちょうだい」
沙織の後ろにあって聞いていた涼子は、とっさに顔をしかめた。
この女たちの正体は今の段階ではわからない。あるいは影法師に操られたただの生徒か
もしれない。だが、それがどうであれ、涼子には確信があった。
―――あの姉さまが、人質ごときで臆するはずがない。
「あんた今、失礼なことを考えてたわね」
沙織が、涼子のほうへ視線を流してつぶやいた。
するどい読みに涼子は絶句する。
「ひどいわねえ、私をそんな冷血な女だと思って?」
嘆かわしげに首を振り、沙織はふたたび少女たちに向き直る。
「あなたたちのほうがよっぽど私のこと分かってくれてるようね」
沙織の言葉に、石原美咲はわずかに唇を歪める。
「なかなかの度胸じゃない。さすがは鎮台随一の暗士といったところかしら」
沙織の余裕のある態度が気に食わなかったのだろう。美咲は明らかに、言わずもがなの
ことを口にした。
沙織の笑顔が、その形のまま別の気配を帯びた。
口元は笑っているけれど、冷ややかなその目は凄みのある光を宿しはじめている。
「よく、調べたわね」
静かにいう沙織に、美咲は気圧された。それは言葉ひとつひとつが刃物のような、聞く
者を打ちひしぐ声だった。
沙織の後ろにいる涼子とて、心臓が冷たくなる気持ちは同じだ。
影法師の術にはまって「御山」と口走ったのは涼子なのだ。敵がその二文字から糸をた
ぐって北条沙織の正体をつかんだのだとしたら、その責任は涼子に帰せられるというもの
だろう。
もっとも、沙織は情報の出所など気にもしていないようだった。
彼女にとって問題は、いまそれをどう握りつぶすかだった。
「あんまり、面倒なことはしたくなかったんだけど・・・」
わずかに視線を反らし,残念そうな顔をする。
そして、沙織の次の言葉は、美咲にも、すぐ側にいた涼子にもほとんど聞こえない小さ
なつぶやきだった。
「かわいそうだけど、しかたないわね」
石原美咲は、得体の知れぬ恐怖を感じたのか、わずかにあとずさった。
それから彼女は、やっと自分が相手に翻弄されていることに気づいたようだった。
「黙りなさい、」
怒りをあらわにして、沙織の目の前に踏み出す。
「自分の立場を考えなさい」
そう言ったのは、しかし美咲ではなく沙織のほうだった。
あっけにとられる美咲に、沙織は教え諭すように言う。
「あなたは人質を握ってるし、仲間もいるのよ。怯えることなんてなにもないじゃない
の」
それは、さっきまでの冷ややかな態度とはうってかわった、穏やかな物言いだった。
思わず言葉に詰まる美咲。
背後で八神優の忍び笑いが聞こえるまで、美咲は自分がこけにされたことを理解できな
かった。
「あかんで、美咲はん」
顔を真っ赤にして激昂しそうになる美咲を、八神優は押しとどめる。
「あんたの手におえるような、相手やないわ」
優は、さも面白そうな顔のまま、身を乗り出してきた。
美咲に比べて洋服のセンスが悪く、身だしなみもいいかげんな優は、週末には競馬場へ
でも通っていそうな雰囲気の娘だった。だが遺伝子が幸運にも美形を作るのだろう、なり
ふりかまわぬいでたちながら、優はどこか憎めない、可愛らしい顔をしていた。
きょろきょろとよく動く視線は、強い警戒心と、めまぐるしく働く頭脳の現われだ。親
しげな笑みを浮かべた顔は、見ようによってはズル賢そうでもある。
「沙織さんやったね」
優は、美咲とちがい、不用意に沙織に近づくような冒険をしなかった。
雛子と美咲を左右に付き従わせるポジションに立ったまま、腕を組む。
「あんたの言うとおりや。そやから、うちのいうこと聞いてえな」
沙織は、品定めするように優を見、それから口を開く。
「どうすればいいのかしらね」
優は、口元に手をやって、考える仕草をしてみせた。あからさまなポーズだが、相手を
妙に不安にさせる。沙織はどうかしらないが、涼子は充分にいやな気分を味わった。
「ええか、」
優が切り出す。
「うちらは、涼子はんを貰い受けたいんや」
そこで区切り、優は相手の反応を見る。自分たちの目的を暴露しても敵の動揺を誘うの
が、彼女の作戦らしかった。
沙織は、さも意外といった風で、「へえ、」とだけ言った。もちろん、背後の妹の狼狽を
知っていて、である。
「なんで、この子が欲しいの」
―――それとも、「誰が」と聞いたほうがいいかしら。
沙織は、そう継いだ。
四人の背後に影法師、鹿島ユリがいることを、沙織は確信しているらしい。
しかも沙織は、ユリが涼子を手に入れようとしていること自体、ある程度予想していた
ようである。
―――だから御山へ・・・
―――でも、影法師はなぜ私を狙うんだ。
涼子は、混乱する思考の手綱を必死で握る。
ともかく、
いまは動揺すべきじゃない。動揺すれば、付け入られる。
心の中で、涼子は祈るように唱えつづける。
「それはご想像にお任せ、というところやね。で、返事はどないなん」
動じることなく切りかえしてくる八神優に、沙織はそっけなく答えた。
「貰い受けるも何も、どうやって持ってくつもりなの」
優しい姉はさらに、「この子51キロもあるのよ」と、きっちり正確な数値を開示した。
がっくりと肩を落とす涼子は内心、「なんでそこまで知ってるんだろう」とあきれ、いや
感心している。顔を合わせるのは半年ぶりなのに・・・
「いやいや、」
優は、手を振った。
「そない面倒かける気いないわ。ちょっと素直になってもろて、ついてきてもらうだけ
や」
涼子は、その言葉を聞いて思わず奥歯を噛んだ。
―――この子、私を催眠にかけようとしてる。
こんな状態で、この私を誘導できると思っているのだろうか。
涼子はあらためて、一週間前の屈辱を思い出す。
あのとき不覚をとったればこそ、ここでこんな子供たちに侮られるのだ。
「ふうん、」
涼子の憤りを知ってか知らずか、沙織は敵意のない相槌を洩らすのみだ。
「涼子ちゃん、そうなんだって」
同意を求めるように、涼子のほうを見る。
「どうする?」
「どうするって・・・」
そんな風に聞かれたって困る。
なかば窮した涼子が見れば、あろうことか沙織は半身をひねって道をあけている。
ここを通って前へ出ろと言うことなのだろう。
涼子には、この姉の考えていることがわからなくなってきた。
「あの先生を見殺しにはできないんでしょう、あんたは」
「それは当然よ」
「じゃ、がんばってね」
いけ、いけ、と沙織の目が促していた。
涼子は、釈然としないまま、沙織の横を通り抜ける。
涼子にすれば、自分をまるで荷物か何かのように扱う両者のやり取りには、もはや我慢
ができないところまで来ている。
しかし、愛想のない新入りとして瑛華高校に赴任した涼子に、いちばん世話を焼いてく
れたのは、あそこに囚われている篠原里美教師ではないか。あの人のために死地に飛び込
むのなら、それは望むところだった。
―――それにしても、
どうやって私を催眠にかける気なのか。
油断なく敵の前に立った涼子に、八神優は、満足げに頷く。
「うん、ええ度胸や。それでこそうちらが的にかけるだけの相手やな」
優は、そこで意外にも左側の座席に腰を下ろした。
「こっから先は、雛はんがやったほうがええやろね」
優が視線を向ける先には、指名を受けて困惑する平位雛子の姿があった。
「もう、なんで私に振るかな」
苦笑しつつ座席のほうから出てくる雛子に、優が声をかける。
「相性があるんや。雛はんやったら適任や」
反対側の座席からは、石原美咲が悔しそうに視線を向けていた。
一番前に出てきた平位雛子は、困ったような顔のまま、涼子に会釈した。
こぎれいな服装、髪も短く切りそろえており、なにより、顔立ちがさっぱりしていて清
潔そうだった。邪心とは程遠い澄んだ瞳をしており、後輩たちに慕われるのも納得できる
印象だ。
この奇妙な状況に居合わせているのが不似合いなほど、雛子は純粋に見えた。
その雛子が、後ろを向いてなにやら聞いている。
「どうやったらいいのかな」
緊張の張りつめる涼子を捨て置いたまま、雛子は後ろの二人のアドバイスに耳を傾けた。
「あ、ごめんなさい」
向き直った平位雛子は、やにわに涼子のポケットを指差す。
「そこに、ペンダントが入っているそうですね」
意外な質問に驚く涼子に、雛子が重ねて言った。
「それを出してください、先生」
涼子はとっさに考える。
なぜ私のアイテムのことを知っているのか。瑛華高校に着任してからあれを使ったのは
さっきの一度きりだ。それ以前の私の経歴や何かを調べ上げているのだろうか。
それに、あんなペンダントで私を催眠術にかけられると思っているのだろうか。
奪われてもそれほどの危険にはならない、ならないはずだが・・・
迷う涼子に、雛子が微笑みかけた。
「出してください、」
重ねて言われて、涼子はやむなくペンダントを取り出した。
背後の、刺すような沙織の視線が痛かった。同じ事を二回言われて従うぐらいなら、否
でも応でも即決のほうがよほどよい。繰り返された言葉に従属するのは、命令してくれと
言っているようなものではないか。
―――そんなことは何度も教わったのに・・・
御山での修行時代を思い出し、涼子は唇を噛む。
「まあ、きれいなものね」
ペンダントの宝石を見て、雛子は感嘆の声をあげている。
あまりの無邪気さに、涼子は勘が狂う思いがした。
―――でも、それが狙いなんだ。
そのあたりのことには気づきはじめている。
この少女にはおよそ敵意や害意といった感情が見当たらない。底抜けに暖かくあくまで
も裏切らない。誰からも好かれるタイプの人間だろう。
―――だからこそ、油断ができないんだ。
それが親の仇であっても、どうしても心を許してしまうような魅力をもった人間がこの
世には存在する。独裁者や教祖になるのはおよそそういった人種だ。彼らは悪人のレッテ
ルを貼られてはいるものの、ひとたび側に寄った者はかならず魅了され、どうしてもその
者を好きになってしまう。
「ふふ、」
背後で沙織の笑いが聞こえた。
涼子の思考が手に取るように分かるのだろう。あまつさえ、妹の危機を楽しんでいるか
のような沙織の態度に、涼子は腹がたった。
彼女にはひとつのアイデアが浮かんでいる。
それが成功したとき、それでも姉は余裕でいられるだろうか。
―――見てなさいよ。
涼子は背後の沙織に対し、敵愾心に近い感情を持ちえた自分の心を意外にすら感じてい
た。
「これを、どうするつもりなの」
ペンダントを渡そうとする涼子に、雛子は首を横に振った。
「欲しいんじゃないですよ、先生」
差し出した涼子の手を握り、ペンダントの紐をつまむ。
「先生が、持ってください」
怪訝に思う涼子に、雛子はさらにいう。
「人差し指と中指で紐を挟んで、掲げてて欲しいんです」
そのガラスが目の前にぶら下がるぐらいの高さでね。
と、雛子は言った。
言われるままに腕を上げる涼子は、敵の狙いを計りかねている。
「こんなことで・・・」
私をどうにかできるつもりなの、
言いかけた涼子の肩に、沙織がそっと掌を置いた。
「面白いことを考える子たちね」
声にわずかな緊張が含まれていることに、涼子は驚く。
沙織はさらに、「油断しちゃだめ」と耳打ちしてきた。
「沙織さん」
平位雛子が首を伸ばして沙織を見ている。
「なんだったらオブザーバーになってもらっても結構だけど、」
敵の言葉に、沙織は意外にも「それはご親切に」と笑顔で応じた。
「それじゃ、お言葉に甘えようかしら」
涼子が、あわてて制止する。
「ちょっと、姉さま」
沙織は「いいのよ」と底知れぬ笑みを浮かべたまま言った。
そのあまりの迫力に、涼子はあえて逆らうことをしなかった。
プライドの高い姉が、敵から与えられたハンデみたいなものを甘んじて受けたのだ。何
らかの目算があればこそのことだろう。
「それじゃ、ルールを説明しますよ」
雛子が、ペンダントをささげ持った涼子と、その背後に立つ沙織に言った。
「私はそのペンダントで、先生に催眠術をかけるわ」
なにを、と涼子は眉をつり上げる。
―――バカにするのもたいがいにしろ!
敵意剥き出しの涼子にも、雛子はかまわず言った。
「もし、指の力が抜けてペンダントが落ちたら、先生の負けよ」
怒りつつも、涼子は敵の狙いがどこにあるのかすばやく計算している。
勝ち負けなんて関係ない。涼子が催眠にかかるかどうかが問題なのだ。
だとすれば、ペンダントが落ちるかどうかなんてことは本来の争点にはなりえぬはずだ。
むしろその先、敵の挑発に乗ってゲームを受け、その上それに敗れたときこそ、相手が
涼子の動揺に付け入って術を放ってくるときだろう。
いずれにせよ、涼子はペンダントを落とす気などなかった。
紐を挟んだ白い指先に、ぎゅっと力をこめる。
「いいわ」
涼子は、意を決したように頷いた。
雛子は、人懐っこい笑顔でそれに答える。
涼子は、四人の女に囲まれて立った。
左右に美咲と優、正面に雛子。
そして後ろには沙織がいる。
「先生、ペンダント、揺らしちゃだめですよ」
さりげなく挿しこんできた台詞が、すでに雛子の先制攻撃だった。
ぐらり、
それはほんのわずかな振動だったろう。
しかしそのガラスの揺れが、涼子にはとてつもなく大きな出来事のように感じられた。
「あら、もう動いちゃいましたね」
右へ、
わずかに振れた宝石が、中空に制止した後、左へ帰る。
石の輝きが涼子の頬を照らした。
―――こんな手にひっかかるもんか。
涼子は、今起こりつつ現象の物理学的説明を反芻している。
ペンダントの揺れは、自律神経の作用から起こるものだ。
音がすれば無意識にそっちを見る人間の生物としてのサガが、そうさせているだけなの
だ。
―――揺れると言われれば揺れてしまう。
でもこれは、私の心が支配されているわけじゃないんだ。
頭ではそう理解している。
だが、ペンダントと一緒に、堅固だったはずの彼女の自信が早くも揺らぎ始めている。
涼子は舌打ちしつつも、敵のしたたかさを認めざるをえなかった。
「どんどん大きく揺れていきますよ」
ブレる宝石の残像の向こうには、平位雛子の優しげな顔がある。
―――今度は、目を疲れさせる気なんでしょう。
ペンダントを追わせて眼を疲労させ、「まぶたが重くなる」という暗示に従うようにする。
ついさっき自分が内田佳苗に施した術ではないか。
―――なのに、
どうして私は、相手の手の内に落ちていくような気がするのか。
これではまるで、支配されることを欲しているかのようじゃないか。私は奴隷のように
服従することに、密やかな欲望を抱いているんじゃないだろうか。
―――馬鹿な。
あらぬ妄念を、必死で振り払う。
そんな涼子の心を、平位雛子はすでに掴み取っているのだろうか。
「眠たくなってきたでしょう」
雛子の言葉はすでに呪文のような気配を帯びはじめている。
―――眠いんじゃない。まぶたが重いだけなんだ。
涼子の認識はまちがっていない。
だが、思い込もうとすればするほど、涼子にはそれが無駄な抵抗であるように錯覚され
てしまう。
否が応でも目を開いておこうとする彼女の意識は、本来の自然な瞬きすら殺している。
そのために乾きはじめた眼球は、より強く目を閉じることを涼子に訴えはじめていた。
―――もし目を閉じたとしても、
催眠術にかかったわけじゃない。
それでも、涼子はまったく自信がなくなっていた。
両目をつぶり、暗闇に閉ざされたとき、それでも涼子は抗いきれるだろうか。
天から降ってくるような声をかけられたとき、自分はすべてを投げ出してそれにすがり
ついてしまわないだろうか。
「先生、指の力が抜けてますよ」
はっとして、涼子は上を見る。
いつのまにか、指の間から伸びていた紐の長さが半分ぐらいになっている。
石の振動で、紐はズレ落ちはじめていたのだ。そして、涼子はそれに気づいてもいなか
った。
あわてて力をこめる涼子の目の前を、いまいちど宝石が通過していった。
―――しまった。
虚を突かれたことに気づいたときには遅かった。
雛子は、涼子の眼前にいた。
くちづけをされそうなほどの距離で、雛子の唇が動く。
「先生、私の目を見て」
それはありきたりな、そしてストレートな、催眠誘導の文句だった。
「あ・・・」
よく澄んだ瞳は疲弊しきった涼子の目には心地よかった。
ユリのように恐ろしくもない。沙織のように不可思議でもない。
それこそ澄みきった青空のように、深い色の瞳、それが涼子の視線を吸い込んだ。
すぐ目をそらすべきだったろう。
だが、宝石から紐へと巧みに振り回された視点に、涼子の集中力はこんどこそ追いつか
なかった。
「気持ちが抜けてゆくわ」
雛子の台詞は普通の人には理解しがたい形容に満ちている。
しかし涼子には、それがわかった。
雛子が自分から何を奪おうとしているのか。私の心から何を抜き去ろうとしているのか。
自分が催眠をかける者だからこそ、理解できる。
そして、理解してしまった以上、涼子は「そうなる」しかなかった。
気持ちとは、日常的感覚の総体なのだ。
それが、上半身のあちこちから体の外へすり抜けてゆく。
胸元から、敵意や警戒心が気泡のように立ちのぼってゆく。
首筋からは、緊張感が渦を巻いて溶け出していた。
肩口からプライドが、
背中から意志が、
指先から、涼子を涼子として存在せしめている大事なものがつぎつぎに蒸発してゆく。
ペンダントが地面に落ちる音が聞こえた。
―――だめ、だめ、だめ、
涼子はそれでも、必死で抵抗する。
すべてはイメージだ。
飲み込まれなければ、きっと大丈夫。
「壊れちゃいなさいよ」
左の耳元でささやいたのは、石原美咲だった。
いったい何をと思った時、涼子の肩膝が力を失った。
くらり、と世界が傾く。
おぼろげな記憶の中で、鹿島ユリの顔が浮かび上がった。
壊れちゃいなさい。
壊れちゃいなさい。
一度は自分を支配した少女の声が、甘美に響く。
それは、とても逆らいようがない絶対的な命令だった。
―――鍵言葉だ。
どうしてそのことに気づかなかったのだろう。
涼子は自分の迂闊さを呪わずにはいられない。
あそこまで深く入り込まれ、弄ばれたのだ。鍵言葉の一つや二つ、仕掛けれられていな
いはずがないではないか。
ぼやけた視界のはしで、加虐的な笑みを浮かべる美咲の顔がわずかに映った。
これが、彼女たちの切り札だったのだ。
右手から、八神優も同様に囁く。
「壊れちゃいなさい、」
「壊れちゃいなさい、」
あげていた腕がだらんと落ちた。
いまにも倒れこみそうになる。
―――後催眠暗示に逆らえるはずがない。
それは、自意識の領域に必死でとどまっていた涼子にとっては、むしろ免罪符のような
ものだった。
―――しかたないじゃない。
もう楽になりたかった。
すべてを委ねてしまうことは苦痛ではない。
生きる苦しみから解放されるような、えもいわれぬ快感が涼子を包みつつあった。
―――やっぱり私、
支配されたかったんだ・・・
おぼろげな意識の中、涼子はそう思った。
だが、それで終わりではなかった。
「涼子ちゃん、」
北条沙織がどうしてそのタイミングで介入してきたのかはわからない。
ただ、少女たち三人が、涼子が堕ちゆくさまに思わず見入ってしまう瞬間があったとす
れば、このときがそうだった。
「かまわないわよ、眠っちゃいなさい」
意外な言葉とともに、軽く肩を揉まれた。
力の抜けきった涼子の肩は蒟蒻か何かのように柔らかい。そこへ、沙織の指がやすやす
と吸いついてゆく。
「わたしが仕上げをしてあげるわ」
左に、沙織の手が動いた。
涼子はいま、腰の筋肉だけでなんとか立っている状態だ。
それも、膝がグラついているから、ふらふらと位置が定まらない。
沙織はそんな妹の上半身を、ゆるく左右に揺さぶった。
―――何をするんだ!
冬眠にはいろうとしていた涼子の自意識が、悲鳴をあげた。
このうえ私を、どうする気なんだ。
屈辱と怒りが、心の奥に燃え上がる。
それでも、体は沙織になされるまま、漂うように揺れはじめていた。
それはとても官能的な情景だった。
雛子たち三人の目に映るのは、淫靡な快感に身を震わせる肉感的な女教師の姿だった。
「どう、気持ちいいでしょう」
沙織の声は涼子だけに向けられたものなのか。
それとも、それは三人の少女をすら絡めとる魔法の言葉であったのか。
「はい、」
虚ろに答える涼子の声は、そのまま三人の意志をも代弁していた。
涼子は緩やかに揺れている。
魅入られたように、雛子たちはその涼子を見つめている。
「なんでも素直に答えるのよ」
沙織がいう。
涼子が、「はい、」とまた答えた。
涼子の体をゆっくりと左右へ揺らせながら、沙織は視線だけそっと先へ伸ばす。
「あなたはいま、とっても感じている」
そうね、美咲。
沙織がそう言った。
石原美咲は、涼子の肢体から目が離せなくなっていた。
でも、沙織に何か応答したつもりはない。
でも、さっき私は、「はい」と答えていなかったか。
いや、あれは涼子が・・・
「はい、感じてます」
口を突いて出た言葉は美咲のものだ。
そんなはずはない。でも、たしかに、いまのは私の声だ。
美咲は混乱する。
たしかなのは、ほんとうに気持ちがよくなってしまったことだ。
うろたえる美咲は、涼子の肩越しから射るような光を放つ沙織の瞳を、まともに受けて
しまった。
―――あ・・・
直感的に、美咲は自分がこの女にかなわないことを悟った。
そう思わせるだけのものが、沙織の瞳にはあった。
「落ちなさい、」
涼子のときと同じだ。
美咲が催眠の使い手でなかったなら、こんな言葉で相手の術中にはまることはなかった
ろう。
たったいま涼子がされたのと同様のことを、沙織は美咲に行った。
「どうしようもなく無防備なところまで、心を沈めなさい」
美咲のなかで、なにかの糸が切れた。
頭が後ろへ傾き、体がそのままシートへ倒れる。
「あ、あかん、美咲はん」
思わず、優が声をあげる。
だが、それは明らかに、出してはいけない声だった。
「なにがいけないのかしら」
冷ややかな視線は雛子を横断して優に注がれる。
優は、震え上がった。
ちゃちな策など弄しても、どうにかなる敵ではない。
北条沙織が、薄笑いを浮かべながら自分を見ている。恐怖はその極限を超えて脳内で麻
薬物質エンドルフィンが分泌された。
氷の矢のようなものが、瞳を突き抜けてはるか思考中枢を直撃する。
「あああ、」
こんなに冷たく痛いはずのものが、どうしてこんなにも快感なのか。
頬を叩かれたように、優の体がびくんと震え、それから横に倒れた。肘掛に腹が当たっ
て鈍い音を立てるが、もはや苦痛すら過去のものだった。
「いい子にしてなさい」
左右の仲間が倒れて、呆然と立ち尽くすのは平位雛子だ。
雛子の顔は蒼白だ。
自分たちは武田涼子を捕獲しつつあったのだ。それなのに、いつのまに、私は追いつめ
られていたのか。
「これが、催眠なの?」
雛子の目の前には、依然として夢見る表情の武田涼子がいる。
赤子でもあやすように、その涼子の体を揺する北条沙織。
涼子に目を奪われた美咲と優は、いとも簡単に堕とされてしまった。
「涼子先生を使って、誘導したのね」
やっと、それに気づく。
「あなたたちがやっていたのと同じにね」
沙織がこともなげに言い放つ。
かつて陸田一郎が、内田佳苗を使って男子生徒たちを術にかけようとした。
沙織は、同様に涼子の肉体を使って三人を催眠状態に導いたのだ。
しかし、それでも、と雛子は思う。
沙織は誘導にどんな言葉を用いたというのだ。
一言二言、それもたわいのない台詞のみで、二人はやすやすと絡みとられた。
―――あの眼だ。
視線が、すでに暗示なのだ。
あの瞳の輝き自体が、妖しいほどヒプノティックではないか。
予想を越えた敵の力を知ったとき、雛子もまた、その恐るべき邪眼に晒されていた。
パチン、と指を鳴らされ、雛子は硬直する。
そんな後催眠暗示を与えられていたわけではない。だがすでに屈服していた雛子の自我
は、沙織が鳴らした指の意味さえ、聡く察して反応していた。
「あなたが一番、いい子みたいね」
沙織は、涼子の髪をなでつつ、言った。
「いろいろ聞きたいことがあるのよ」
この人に、なにを隠し立てできよう。
平位雛子はたちまち、自分のどんな恥ずかしいことでもしゃべり出してしまいたい欲求
にかられて焦がれるように頬を染めた。
沙織は無表情のまま、涼子を後ろへ下げて雛子の前に立った。
そのときだった。
沙織は、雛子の影からもう一人の敵が踊り出るのを見た。
さしもの沙織も、三人を同時に術にかけるために、周りまで神経がいかなかったらしい。
殺到する笠井直子の姿を認めたのは、その白刃がいまにも沙織の喉を突かんとしていた
時だった。
髪を後ろに束ねた笠井直子は、完全な美形だ。それが、殺気を放って踏み出してくる。
沙織は瞬時に悟った。
これは、影法師鹿島ユリが描いたもともとのシナリオなのだ。
ユリはたしかに涼子を欲していた。
しかし、そのためには、涼子を守護する沙織の存在が邪魔だった。
はじめから、雛子ら三人が沙織にかなうとは思っていない。
ただ、一瞬でも隙を作ればいい。
笠井直子は、そのためにだけ配置された駒なのだ。
沙織さえ排除すれば、あとはユリが手ずから涼子を絡めとるだろう。
それが、影法師のやり方ではないか。
沙織は、スローモーションのように喉元に突き刺さろうとする敵の刃を感じつつ、かけ
がえのない妹のことを思った。
―――私が、何のために生まれてきたと思っているの。
―――私が、何のために闇の中で生きてきたと思っているの。
あなたを守ることができないなら、私のすべては、無為になる。
沙織が流した生涯一粒きりの涙は、幸い誰に知られることもなかった。
刹那、ものすごい火花が沙織の眼前で散っていた。
「刺し通し」の切先が宙を飛んでバスの天井に突きささる。
笠井直子が驚愕の表情のまま飛び退さった。
呆然とする沙織の目の前には、鋼色をしたHRMのバトンが立つ。
それを握っているのは、沙織の足元にしゃがんだ姿勢の、涼子だった。
「さすが山菱重工。日本刀なんてものともしないわね」
涼子は、ゆっくりと立ち上がった。
「涼子、」
さすがに沙織が狼狽して、声を出した。
「姉さまも、まだまだねえ」
してやったとばかりに、にやりと笑う。
「あんた、術にかかってなかったの」
まだ信じられない風の沙織に、涼子はいう。
「かかってたわよ、充分すぎるほど」
バトンを握りなおしつつ、涼子は言った。
「もともと私が、ああやってあの子達を眠らせようと思ってたのよ」
かかったふりをしつつ反対に相手を落そうと企んでいたというのだ。
「まさか姉さまが、私を使っておんなじことをやろうとは思わなかったけど」
「じゃあ、ずっとふりをしてたってこと?」
目を見張る沙織に、涼子はやや自慢げに胸を反らす。
「そうじゃないわ、」
涼子は、自己催眠で自分の心に鍵をかけたのだという。
意識の表層では沙織の術に落ちつつ、深いところではじっと状況を見守っていたという。
涼子としては、沙織が三人を眠らせてしまうのならば、それはそれでいいと思っていた。
まさかこんな形で自分の出番が回ってくるとは考えてもいなかったのだ。
「でも、」
涼子はそこでやや照れくさそうな笑みを浮かべる。
まさか、ひさしぶりにかかった姉の術を充分楽しんでしまったとは、口には出せない。
「ふうん」
驚かされっぱなしの沙織は、そこでやっといつもの自分を取り戻した。
安心するのは早いのだ。
二人の前には、まだ最後の敵が残っていた。
「そうね」
涼子も、眉をひきしめる。
笠井直子は、二人から5歩ほどの距離にいた。
彼女は狂相を帯びている。
北条沙織殺害の使命を果たせないことが分かったいま、なんらかの新たな暗示が、彼女
のなかに発動したのだろう。
「いけない、」
沙織には察するところがあったようだ。
直子が人質を手放した時点で、つぎの行動を予測すべきだったのだ。
二人が動き出そうとしたとき、直子は身を翻した。
バスの最後尾近く、非常用のドアがあった。
ハンドル式のそれは、事前に外されていた。
ドアを蹴って白昼の駐車場に飛び出した直子は、疾走した。
後を追う涼子と沙織は、直子が標的を求めていることを知る。
「誰でもいい、殺す気よ」
沙織が息をきらせながらいう。
刀身なかばで折れた「刺し通し」をさげ、笠井直子は人の姿を求める。
自動販売機が立ち並ぶあたりに、数組のアベックや家族連れが休憩しているのが見えた。
直子はそこへ向かっていた。
真面目で通った女子高校生が無差別殺人を行えば、マスコミがセンセーショナルに書き
立てるだろう。教師である涼子はおろか、沙織さえおおっぴらには動けなくなってしまう。
―――それが、影法師の狙いか。
さすがに運動部だ。
直子の脚は早かった。
追いつく望みが薄いと知れたとき、涼子は直子の進路に立ちふさがるふたつの影を見た。
その二人は、場違いな巫女の格好をしていた。
直子が突き入れた刀をこともなくよけると、その巫女のひとりが直子の腕を取った。
涼子のほうからは、もうひとりのほうの巫女が直子の耳元でなにかをつぶやくのが見え
た。
笠井直子は、巫女の手を振りほどいてさらに走る。
数歩先には、5歳ぐらいの子供がいた。
直子は、そこに到達できなかった。
刀をふりかぶったまま、文字通り停止する。
それから、異変が起こった。
周囲の家族連れたちがそれに気づいたとき、笠井直子はすでに陰部を濡らす快感に震え
ていた。
せつなげな喘ぎが昼日中のサービスエリアに響く。
ドライバーたちの好色そうな、そして侮蔑的な視線に晒されながら、直子は悶えつづけ
た。
「あの子たち、」
沙織が、息も絶え絶えになりながら、歩を止めた。
涼子も、あまりのことに言葉もない。
二人の巫女が、涼子たちに気づいて歩んできた。
「沙織様、涼子様」
静々と近づいてきた二人の顔は瓜二つだ。
涼子は、懐かしさに直子の痴態も忘れておもわず頬を緩めてしまった。
「胡蘭、李蘭」
双子の巫女は、めいっぱいの笑顔で会釈した。
「お久しぶりです」
「お久しぶりです」
御山に詰める暗士であるふたりは、沙織の指示でここまで迎えに出ていたのだという。
「こんな、荒事は」
「私どもにお任せいただくべき事です」
やや拗ねたようにたしなめる二人に、涼子はやっと言った。
「あれはちょっとやりすぎじゃないの」
みれば、直子の目には涙がこぼれている。
おそらく彼女は、自分がどこでなにをやっているのか、よく分かっているのだろう。
それでも、巫女たちにかけられた暗示で、それをやめることができないのだ。
「涼子さまたちの命を狙ったのでしょう」
「あれくらいの辱めは当然です」
きっとして宣言する二人に、沙織と涼子は苦笑せざるをえない。
「まあ、後の始末はたのむわね」
沙織が疲れたようにいい、胡蘭と李蘭は素直にかしづいた。
涼子は、空を見上げてため息をついた。
彼女は思う。
二年ぶりに入る御山に、何が待っているのだろう。
(つづく)